2023年9月24日日曜日

ダンサー イン Paris


オーケストラピットで楽団員が調律する音が聞こえる。舞台上にはバレエダンサーたち、振り付けを確認する者、ストレッチする者。序曲が始まるとダンサーたちは袖にはける。演目は『ラ・バヤデール』。ソリストのエリーズ(マリオン・バルボー)は、本番直前に恋人が別のダンサーと浮気していることに気づいて動揺し、クライマックスで着地に失敗して病院に運ばれる。

診断は右足首の剥離骨折。3度目の大怪我で完治まで2年かかると専門医に告げられる。26歳のエリーズは「2年も待てない」と落胆し、オペラ座を退団する。怪我をして十代で引退した昔のバレエ仲間サブリナ(スエリア・ヤクーブ)に紹介され、ブルターニュの海辺に建つアーティスト向けの合宿施設でキッチンアシスタントとして働き始める。そこにパリからコンテンポラリーダンスのカンパニーが到着する。

クラシックバレエは重力からの解放、常に完璧を目指す。どれだけ優美に見えても、重力から逃れることはできず、フィジカル的に過大な負荷がかかる。美しさを求め太い筋肉はつけられないので、怪我のリスクが常につきまとう。対してコンテンポラリーダンスの振付師ホフェッシュ・シェクター(本人役)は「弱さを隠さなくていい。弱さも不安も表現するのがダンスだ」と言う。カンパニーのダンサーたちと再び踊り始めるシーンのadidasのソックスの毛玉が、取り繕うのをやめて自分をさらけ出そうとするエリーズの心情を象徴しているようです。

「科学も科学の進歩も信じているが、あると思うんだ、身体の神秘ってやつが」と言う整体師のヤン(フランソワ・シヴィル)がいい。2度の失恋を受け止めきれずに煩悶する姿は切なくも微笑ましい。シェフで恋人のロイック(ピオ・マルマイ)との口論やウェディングドレスのモデル撮影のポージングにキレるサブリナも客席の笑いを誘っていました。

クラピッシュ監督の映画はどの場面も画角が綺麗です。バレエやダンスの場面の移動する視点と細かいカット割りで表現するダイナミズムと会話や食事シーンの左右対称で静的、写真的に整った画面のコントラストが見事です。特にタイトルバックを挟んだ冒頭15分間のオペラ座のシーンの緊迫感がすごい。

郷里の冬の森をエリーズたち三姉妹が散歩しながら会話するシーンはルイ・マル監督の『鬼火』を思わせ、これ以上ない位フランス映画的だなと思いました。

 

2023年9月14日木曜日

わたしと、私と、ワタシと、

雷雨。新宿K's CinemaにてTHREE SHORT FILMS OMNIBUS『わたしと、私と、ワタシと、』を観ました。

1本目は松岡芳佳監督作品『ただの夏の日の話』(2021)。「仕事、飲み会、先輩の機嫌、友だち」の平凡な毎日を送る陽月(深川麻衣)は、昨日の服のままアルコールの残った頭で目覚める。窓の外は見慣れない森林。部屋には知らないおじさん(古舘寛治)がいる。旅館を出て駅に向かうが、脇道、寄り道でなかなか駅に辿り着かない。

2本目は大森歩監督作品『』(2018)。地方の美大に通うアミさん(古川琴音)は祖父(花王おさむ)と二人暮らし。将来への不安と苛立ち、商業デザインと自身の志向のギャップ、進む祖父の認知症。約30分の上映時間で春夏秋冬を描き、次の春、アミさんは祖父とヘルパーさんに笑顔で敬礼して玄関を出る。

3本目は金川慎一郎監督作品『冬子の夏』(2023)。高校3年生の冬子(豊嶋花)は美術部員。担任やクラスメートの「高校最後の夏」というクリシェに同調できない。親友のノエル(長澤樹)が唯一の理解者だったが、ふたりで写生に出かけたひまわり畑で絵を描くことにも早々に飽きて、志向性の違いを痛感する。

3本の共通点は群馬県で撮影されていること。アラサー会社員、美大生、高校生が主役のストーリーは交差しないが、各世代なりの鬱屈と周囲との折り合いのつけ方が共通のテーマといえなくもないです。あと3人とも不機嫌な顔が板についている。

現在進境著しい古川琴音さんの5年前の初々しいお芝居が、演技している感じがなくて、ドキュメンタリー風の演出とあいまって途轍もなく瑞々しく、終始魅了されました。『冬子の夏』の終盤で撮影クルーが画角を占めるメタ演出は賛否ありそうですが、隊列にちんどん屋みたいな滑稽味があって、僕は面白いと思いました。音楽は、劇伴、エンドロールとも『ただの夏の日の話』がよかったです。

 

2023年9月12日火曜日

ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった


1958年、カナダ、トロント。15歳のロビー・ロバートソン(2023年8月9日没)はアメリカから来たロカビリー歌手ロニー・ホーキンスのライブに行き、バックハンドのザ・ホークスで同世代の少年リヴォン・ヘルムがドラムを叩いているのを聞いて衝撃を受ける。

「子供の頃からどんな話もおとぎ話には聞こえなかった」。ロビーの母親は北米先住民モホーク族。父親はユダヤ人のプロ賭博士だったが、ロビーの妊娠中に交通事故死していた。翌1959年、ストラトキャスターを売って旅費に替えたロビーは単身合衆国アーカンソー州に旅立ち、ザ・ホークスに加わる。

ボブ・ディランのバックバンドで全米全豪全欧をツアーし、エレクトリック化したサウンドに各地で激しいブーイングを受け疲労困憊する。NY州ウッドストックに古民家を買いレコーディングセッションを始めたとき、バンド名はまだ決まっていなかった。

"Music From Big Pink"(1968) から "The Last Waltz"(1976)まで。1970年代のアメリカを代表するロックバンドと現在では目されているザ・バンドをメインソングライターでギタリストのロビー・ロバートソンのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー映画です。

僕がはじめてザ・バンドを聴いた解散の数年後はもちろん、1968年のデビュー当時においてもその音楽は古臭かった。"Electric Ladyland" も "Strange Days" も "Led Zeppelin" も同年にリリースされている。ザ・バンドは、存命中の18世紀時点で既に懐古的と言われながらも広く愛されたJ.S.バッハみたいなものなんだろうな、と当時は思っていました。本作の中でメルヴィルスタインベックと比較されますがむしろ、バイオレンスと非英雄的な死をリアリズムの手法で描くことで、西部劇とアメリカを最定義したアメリカン・ニューシネマの革新性と呼応するものだったのだ、と大人になったいまならわかります。

 

2023年9月10日日曜日

DANCE CRAZE 2TONEの世界 スカ・ オン・ステージ!


The SpecialsMadnessBad MannersThe BodysnatchersThe SelecterThe Beat、UKスカシーンを代表する6バンドのライブ映画で、1980年3〜10月に英国各地のコンサートホールで撮影されている。手持ちカメラのダイナミックなカットと各バンドが1~2曲ずつ次々に登場する構成が映画全体に強烈なドライブ感を与えています。

白黒の市松模様がトレードマークの2TONE(ツートーン)は、1979年にThe Spacialsのリーダーでオルガン奏者のジェリー・ダマーズが立ち上げたレコードレーベルですが、黒人白人混成のスカバンドを総称するシンボリックな呼び名になりました(6バンドではMadnessだけ全員白人)。

ざっくり言えば、1960年代前半にジャマイカで生まれた牧歌的なリズムであるスカがイギリスに渡り、パンクと融合することでビートが倍速化して鋭くエッジが立ったもの。1980年前後の大不況に喘ぐ英国の若者たちに支持されました。僕がクラブ活動に勤しんでいた1985~88年頃にもツバキハウスやP.Picassoなんかでもかかり、フロアの熱が一気に上がったものです。

映画館の大音量で聴くと、The Selecterのリズムセクションが鬼のようにタイトでグルーヴィ。The Beatの "Ranking Full Stop" には今も血沸き肉躍る。The Bodysnatchersはガーリィ&キュート。Madness のバカ男子ぶり。みんな20代前半です。

The Specials はスカビートを基盤に置きながらアブストラクトなネクストフェーズに進んでいる感じがしました。演奏がどんなに熱を帯びても、フロアが爆発的に盛り上がっても、ひとり醒めた目をしているフロントマンの故テリー・ホール(2022年12月18日没)。本作の撮影の翌年にThe Specials を脱退すると、Fun Boy Three を結成してチェッカーズにヘアスタイル面で影響を与え、The Colourfield ではネオアコ、Terry, Blair & Anouchkaで美女二人をはべらせ、VEGAS では元Eurythmicsデイヴ・スチュワートと組む。どれも長続きせずアルバム1~2枚で解散してしまうのですが、すべてが名盤。どこを切ってもポップでスイートで大好きです。

4Kレストアのクリアな画像で観て、あらためて2TONEのバンドはビジュアルがこざっぱりしていたな、と思います。ブルーストライプのブラウスにタイトな白パンツのポーリン・ブラックThe Selector)は丸の内OLみたいだし、ボタンダウンシャツとフレッド・ペリーのポロシャツという前世代のちょいダサアイテムをお洒落なストリートウェアに押し上げたのは彼ら(とTalking Headsポール・ウェラー)の功績と言っていいでしょう。

人は自分が一番イケてた時代のファッションから逃れられない、とよく言われますが、僕にとってそれは2TONEだったんだな、と気づかされました。革パンツとか絞り染めTシャツじゃなくてよかったです。そんななかで圧倒的に薄汚くむさくるしいBad Mannersは当時も今もちょっと苦手だな、と思いました。

 

2023年9月9日土曜日

エチオピーク 音楽探求の旅

台風一過。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2023" にてマチェイ・ボシュニャク監督作品『エチオピーク 音楽探求の旅』を観ました。

2015年、フランス西部の町ポワティエ。湖畔の自宅でフランシス・ファルセトは膨大なレコードと書籍のコレクションを撮影クルーに見せ、すべてエチオピアに関連するものだと言う。

1969年、エチオピアの首都アジスアベバ。アムハ・エシュテはエチオピア初のレコード店を開く。米軍基地のアルバイトで聴いたR&Bに魅了され、レコードを輸入して販売することを始め、やがて自国の音楽家たちのレコードを製作したいという熱が高まる。

当時ハイレ・セラシエ1世による帝政下のエチオピアのミュージシャンは全員が国や自治体、軍や警察などに雇われた公務員だったが、比較的自由に活動でき、独自の音楽性を育んでいたが、レコーディングやプレスの機材や技術は持たなかった。アムハ・エシュテは自身のレーベルを興し、情報省のスタジオで録音したテープをインドに送ってプレスし逆輸入した。それから1974年の軍事クーデターによる政権交代までエチオピアの大衆音楽の短い黄金時代が生まれた。

軍事政権により弾圧され、忘却されかけた音楽は20年後にフランスでフランシス・ファルセトにより再発見され、現時点で30枚のコンピレーションCDになっている。政治に翻弄された音楽家たちとそれを忘れさせまいとするひとりの外国人オタク(映画内の肩書はMusic Activist)をフィーチャーしたドキュメンタリーフィルムです。

過剰な情熱は時に周囲を困惑させる。しかしそのたったひとりの情熱が無形芸術を継承する。離れていった家族も画面で思いを吐露します。本編で流れる音楽は、米国のR&Bを楽器演奏の基盤にして、時折中近東やインドを想起させる哀愁の旋律をこぶしを利かせて歌う、真の意味でワールドミュージックと呼びたいもの。エルヴィス・コステロソニック・ユースフガジもスクリーンに登場します。

上映後にピーター・バラカン氏と映像人類学者の川瀬慈氏のトークショーがありました。欧州映画的に説明を飛ばしたところを補完して、且つ裏話満載の興味深い対談でした。


2023年9月3日日曜日

Dread Beat an' Blood/ダブ・ポエット リントン・クウェシ・ジョンスン

熱帯夜。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2023" にてフランコ・ロッソ監督作品『Dread Bead and Blood/ダブ・ポエット  リントン・クウェシ・ジョンスン』を観ました。

「ブリクストンはキングストンに似ている」。ロンドン地下鉄ヴィクトリア線ブリクストン駅から出るリントン・クウェシ・ジョンソン(LKJ)。1952年ジャマイカ生まれ、11歳で英国に移民。ジャマイカン・クレオール英語で詩を書き、23歳で第一詩集 "Dread Beat an' Blood" を出版した。

ベーシストでプロデューサーのデニス・ボーヴェルと組んで1978年に第一詩集と同名の1st Albumを発表。ダブ・ポエトリーというジャンルを確立し、70歳になった現在も現役だが、その若き日を追った1979年制作のドキュメンタリーフィルムです。

LKJの詩(歌詞)は当時の英国保守党サッチャー政権の排外主義に対するプロテストを表明していると捉えられていたが、テレビ番組のインタビューで「僕の詩はメッセージではなく、ひとつの見方でありたい」と答える。ダブサウンドに乗せた "Madness Madness War" というリフレインもブラックミュージック的なグルーヴを感じるものではなく、むしろぎこちなさが切実感を表現している。

ジャマイカでは成績優秀な特待生であり、英国に移住して差別的な扱いを受け、高卒でいくつか職を変えたが、最終的に大学で学位を取得している。詩集を片手にしたライブのスタイルもレゲエDJやヒップホップのMCとは一線を画すもの。それはまさにポエトリー・リーディングであり、夜のカフェで音楽に乗せずに静かな観客に向けてひとり淡々と詩を朗読する姿にこそ本質が見えるように感じました。

人種性別の混在した若い大学生との対話やサス(suspects)法に反対する政治集会でのメガホンを使ったアジテーションは「詩は何も変えることができない。社会の変化を映すものだ。人々の行動が社会を変えるんだ」という自身の活動家としての側面を映しています。

レゲエミュージックのファンはもとより、朗読表現を志す詩人こそ観るべき記録映画だと思いました。

 

2023年9月1日金曜日

バビロン

真夏日。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2023" にてフランコ・ロッソ監督作品『バビロン』を観ました。

1970年代終盤のサウスロンドン。主人公ブルー(ブリンズリー・フォード)はカリブ海諸国からの移民が多く暮らすブリクストン地区でジャー・シャカと覇権を争うサウンドシステム、アイタル・ライオンのDJ(HIPHOP風に言うとMC)。昼間は自動車整備工場で働いているが、ランチタイムの仕事を断って白人の上司に解雇される。

高架下のガレージがアイタル・ライオンのスタジオ。ブルーと仲間たちは夜ごと集い、新しいビートとダブサウンドを実験しているが、大音量に怒った向いのフラットに暮らす白人世帯が空き瓶を投げ込み怒鳴り込んでくる。ある午後、ブルーがドアを開けるとガレージの機材は粉々に破壊され、壁には人種差別的な罵詈雑言がスプレーで書かれていた。

アイタル・ライオンのいじられ役ビーフィ(トレヴァー・レアード)とブルーの同僚で白人でありながらジャマイカンカルチャーに深いリスペクトを示すロニー(カール・ハウマン)の存在が、単純に善悪で割り切れない物語という多面性を与えています。被差別コミュニティの中でも仲間から見下されているビーフィは学校からスピーカーを盗み、白人にキレてナイフを振りかざすが、ロニーがなんとか思いとどまらせる。逆恨みしてロニーをなじるビーフィ。ロニーはチームに居場所を無くす。

仲間が白人を恐喝して金を奪う場面に遭遇して嫌悪を表明するブルー。誰よりも暴力を嫌った男が、チームのアイデンティティであるサウンドシステムを破壊されたことで白人を刺してしまう。その直後にラスタファーライの祈祷所(?)に迷い込むが、ワンラヴと言われても空々しく感じてしまう。

初期のUKレゲエをバックグラウンドにして、移民コミュニティの光と影を描いた青春群像劇。後の大御所デニス・ボーヴェルが担当したサウンドトラックが画面のアクションとシンクロして出口の見えないストーリーにスタイリッシュでありながらコミカルな味を加えています。