2023年5月24日水曜日

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

初夏の夕。新宿武蔵野館金子由里奈監督作品『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を観ました。

七森(細田佳央太)は立命館大学の一回生。高校生のときに雨上がりの水たまりで拾い浴槽で洗った白いテディベアを一人暮らしの京都の部屋に連れてきた。

「僕チーズおかきばっかり食べてた」「チーズおかき最高」「わかる」。入学式当日のガイダンスで同じグループに割り当てられた麦戸美海子(駒井蓮)とぬいぐるみサークル、通称ぬいサーを訪ねる。大小さまざまなぬいぐるみたちがところせましと並べられた部室に最初は戸惑う七森と麦戸。ぬいサーはぬいぐるみ作りではなく、ぬいぐるみに話しかける学生が集う場所だった。

先輩の光咲(真魚)が説明してくれたルールはふたつ。1. 他の人がぬいぐるみに話していることを聞かない(イヤホンをつける)。2. ぬいぐるみは大切に。

「人が無差別に殺される。どうして人は殺し合わなければならないの?」と薄暗い部室で涙ながらにぬいぐるみに問いかける鱈山(細川岳)。苦しさを誰かに吐き出したいが、吐き出した相手を苦しめたくない。映画で描かれるHSP傾向の大学生たちに似た思考を持つ愛すべき友人が僕にもいます。

「傷ついていく七森や麦戸を優しさから解放するために私はぬいぐるみとしゃべらない」。ぬいサーに所属し主人公と恋愛関係にありながら、多数派のジェンダー観に疑問を持ちつつ、陽キャ勝ち組イベントサークルでも存在を認められる白城さん(新谷ゆづみ)のタフネスとバランス感覚。

「嫌なこと言う奴は嫌な奴のままであってくれ」。不用意に傷つけたことを謝る旧友の手をふりほどく七森。ジョンのサンが手がけたアブストラクトなトイミュージックともいうべき劇伴も効果的。暖かな蜂蜜色の画面に優しさと優しさの持つ脆さと残酷さを描き、成長至上主義に対するアンチテーゼを声高に主張するのではなく柔らかく提示した金子監督の気概と手腕を感じました。

なによりも映画を通じて考えさせられたのが、言葉を声にして出すことの意味です。生のままでは重層的で散漫で時には自身の内で対立する感情、思念、思考。声に乗せることで、夥しい無数の点が一本の線になる。生身の人間に話すときのように望まぬ合いの手も入らない。それがぬいぐるみに話しかける一番の効用ではないでしょうか。

一方で、単線化の過程において失われるものももちろんあって、それを掬い上げるのは詩の重要な役割のひとつだと思います。

 

2023年5月13日土曜日

推しが武道館いってくれたら死ぬ

小雨。ユナイテッドシネマ豊洲大谷健太郎監督作品『推しが武道館いってくれたら死ぬ』を観ました。

舞台は現代の岡山市。主人公えりぴよさん(松村沙友理)は、7人組ローカルアイドルChamJamのサーモンピンク担当市井舞菜(伊礼姫奈)のトップオタ。偶然通りかかった七夕まつりのステージで射抜かれて、ライブは全通、特典会で積みまくるために、高校時代の赤ジャージで通している。

「舞菜のすべてが私に生きる意味を与えてくれる」「私の人生には舞菜の1分1秒が必要なんです」という、えりぴよさんの過剰な愛情が他の舞菜推しを遠ざけ、舞菜の特典会待機列は7人のメンバーの中でいつも一番短い。

平尾アウリ先生の漫画原作のTVアニメ実写ドラマは両方観ていました。ほぼ同内容の両者はどちらかというとドルオタ(アイドルオタク)の悲しくも可笑しい習性を中心に描いたコメディですが、ドラマと同キャストの劇場版では葛藤するアイドル像に軸足を移した感じがします。

「推し方に正解はない」と後輩を励ますリーダーれお(中村里帆)推しの古参オタくまさ(ジャンボたかお)。「私、えりぴよさんのことを何も知らない」と嘆く舞菜を「アイドルがファンのプライベートを知らないのは当然ですよ」と慰めるもうひとり舞菜推し女子オタ玲奈(片田陽依)。「パンは誰でも焼けるけど、舞菜ちゃんを応援できるのはあんただけでしょ」とえりぴよさんの背中を押すバイト仲間の美結(あかせあかり)。みんな優しい。

ストーリー展開もドラマ版から大きくスケールアップすることなく、一応東京には行くものの、五反田で路上ライブしたり、日本武道館と間違えて足立区綾瀬の東京武道館を見に行ったりする程度。その中で登場人物たちはすこしだけ成長する。アイドルとオタク、すなわち人前に立つ人と応援する人の理想的な関係性を描いたファンタジーと言っていいと思います。僕自身ライブパフォーマンスする立場として、また一介のアイドル好きとして、共感できる部分が多かったです。

地上アイドルの最高峰といっても過言ではない乃木坂46の初期メン松村沙友理が地下アイドルのオタクを演じる配役の妙。その振り切った芝居に、近年コメディエンヌとして才能を開花させている小芝風花矢作穂香と並ぶ存在になり得るポテンシャルを感じました。

眼力の強い舞菜のクローズアップ、風鈴棚の下で玲奈の手紙を読む舞菜、映像がとても綺麗です。ラストシーンで「ずっとChamJam」「Fall in Love」「私たちが武道館にいったら」の3曲をフル尺で聴けるのもアイドル映画の定型へのリスペクトがあり好感度が高いです。

 

2023年5月6日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023 ③

朝から気温が高く、風が強いです。東京国際フォーラムのクラシック音楽フェス『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023』は最終日を迎え、人出が増えて、盛り上がりを見せています。

今日はホールCでピアノ・ソナタを5曲鑑賞しました。

ホールC(エレオノーレ)10:00~11:10

32曲あるベートーヴェンのピアノ・ソナタの最後の3曲。今回最も楽しみにしていたプログラムです。31番3楽章フーガの上昇下降音型に込めた作曲家の意図など、演奏前にピアニスト自身による楽曲の解説が同時通訳付きで約15分。クラシックのコンサートではめずらしいことですが、効果的でした。32番の前には、生涯最後のソナタの最後の音符が16分休符であることをシェイクスピアの『ハムレット』の最期の台詞 "The rest is silence" を引用して解説。演奏の最後には約1500人の聴衆が各々の内に静寂を噛み締めました。


ロケンローを一番感じるベートーヴェンのピアノ・ソナタが「ワルトシュタイン」、エイトビートでごりごり押しまくる第1楽章が痛快です。レバノン出身の名匠は明晰なタッチで学究的アプローチ。サブタイトルは疾風怒濤ですが、天井の高いホールの2階席に届くのは弾力のある柔らかな音像。ケフェレックより更にエレガントな演奏です。明暗のコントラストが鮮明で、第2楽章前半の静寂から一転、終盤のリフレインはまばゆい光を放っていました。

3日間の祭典が終わりました。3年の空白を経て大幅な規模縮小があったものの再開されたことがうれしいです。本国ナントの2024年のテーマは "Origine" 古楽と民族音楽とのこと。シュ・シャオメイ梁美沙さんカンティクム・ノーヴム。LFJで出会った才能との再会をいまから楽しみにしています。

 

2023年5月5日金曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023 ②

チルドレンズデイ。今日も東京国際フォーラムへ。4年ぶりに再開したクラシック音楽の祭典『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023』の2日目は有料公演2本と無料プログラムの講演会に参加しました。


濃いピンクのドレスを纏い大股でステージ中央に進んだ芸歴60年、79歳のレジェンドが奏でるソナタは意外にも大袈裟なところのない端正で現代的なバランス感覚を備えたベートーヴェンでした。第7番も「吹き荒れるパトス」というより精巧な工芸品のよう。一転アンコールのエルガー愛の挨拶」はポルタメントとタメをたっぷり効かせたノスタルジックな演奏スタイルで。遊び心と余裕を感じさせます。

ホールD7(アントーニエ)15:15~16:00

全16曲(+単楽章の大フーガ)があるベートーヴェンの弦楽四重奏曲のうち、最晩年に書かれた第13番以降の作品は明確な主題提示がなく、哲学的で難解な印象です。特に7つの楽章が連続で演奏される第14番は最難関ですが、生演奏に触れて理解が深まりました。第5楽章のピチカートのリレーはビジュアル的にも面白い。個々の楽器演奏に難しいところがない一方でアンサンブルには途轍もない集中力が求められる。若い4人の演奏家のやり切った表情がそれを物語っていました。

コンサートのあと18:30~19:30はホールB5(ジュリエッタ)にて、音楽評論家萩谷由喜子さんの講演会『ベートーヴェンと宮沢賢治』を聴講しました。宮沢賢治が大正時代に蓄音機で聴いていたベートーヴェンのSP盤を聴く貴重な体験。「冬と銀河ステーション」に登場するJosef Pasternack指揮ビクター交響楽団の「運命」(1916年録音)は現代の耳にはアレな感じですが、遺品のプフィッツナー指揮ベルリン新交響楽団の「田園」(1920年録音)には心躍る。あの有名なポートレートのポーズがベートーヴェンを真似たものとは知りませんでした。

 

2023年5月4日木曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023 ①

五月晴れ。毎年5月の連休に東京国際フォーラムで開催されるクラシック音楽フェス「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」がコロナによる休止期間を経て4年ぶりに開催されました。

2023年のテーマは中止になった2020年と同じベートーヴェン。3日間で6つの有料公演の前売券をゲット。初日は2公演を鑑賞しました。

ホールD7(アントーニエ)13:45~14:35

ネイビーブルーのカットソーのジップアップブルゾンにトップサイダーの白いレザーデッキシューズを履いた細身男子3人と同じくネイビーのサロペットの女子1人がすたすたと登場。神経質で天才肌のリーダー冗談好きな皮肉屋しっかり者のまとめ役情に厚い熱血漢。キャラ立ちした若い4人が、確かな技術でスピード感溢れる演奏を繰り広げます。イマドキの譜面はタブレットをフットペダルでめくるんですね。


2022年のロン=ティボー国際コンクールを制した21歳のピアニスト亀井星也の王子様感。音もきらきら弾んでいます。指揮者の松本宗利音は29歳。ご両親がカール・シューリヒトのファンなのかな。交響曲第7番といえば『のだめカンタービレ』で千秋先輩のライトモチーフになった第一楽章のきらびやかなリフレインを思い浮かべる方が多いと思いますが、僕はリチャード・ドレイファスが高校の音楽教師を演じた『陽のあたる教室』で使われた陰鬱な第二楽章が好きです。

コロナ前に比べると、海外オーケストラが来日せず、ホールの数が減り、ガラス棟地下のフリーゾーンもないので、祝祭感は少々薄れましたが、まずはフェスが再開できたこと、才気迸る生演奏を間近で聴ける環境が戻ったことをとてもうれしく感じます。