2022年12月28日水曜日

かがみの孤城

仕事納め。ユナイテッドシネマ豊洲原恵一監督作品『かがみの孤城』を観ました。

2006年5月、主人公安西こころ(當真あみ)は南東京市立雪科第五中学校の一年生。もともと自己肯定感の高いほうではなかったが、同級生からいじめに遭い不登校に。母(麻生久美子)はそんなこころの気持ちが理解できない。フリースクール心の教室の喜多嶋先生(宮﨑あおい)は優しく接してくれたが、こころの足は向かない。

ある日の夕方、自室の姿見が光を発する。触れてみると吸い込まれ、絶海の孤島に建つ城塞のバルコニーに放り出される。狼の仮面を被った少女オオカミさま(芦田愛菜)に導かれた大広間には6人の先客がおり、いずれも中学生で学校に行っていない。上階には個室、来年3月30日まで9時から17時という時間だけ守れば好きなときに来ても来なくてもいい、17時を過ぎても帰らないと狼に食われる、と言う。

辻村深月が2017年にポプラ社から出版した長編ファンタジー小説のアニメ映画化。7人の中学生の心情が細やかに描かれており好感を持ちました。城に行きっぱなしではなく、自室(現実世界)との間を本人意思で行き来でき、城でも思い思いにしたいことをして過ごせる設定が息苦しさを感じさせません。

願いを叶える鍵を見つけるとそこで仲間と過ごした記憶を失ってしまう。上映時間を30分残した時点でこころが鍵を探し当てるクライマックスが来て、大丈夫かなと思いましたが、そこから他の6人のトラウマになっている事象に焦点を移し、エンドロールまでしっかりつないで飽きさせず、むしろ時間が足りないぐらいでした。

古城の大理石の大広間、厨房、個室の微妙なリヴァーヴ感の違い、仮面越しでわずかにくぐもった話し声、音響効果を担当した庄司雅弘氏の繊細で確かな仕事ぶりが映像のリアリティ作りに大きく貢献しています。

 

2022年12月25日日曜日

クリスマスの午後に

クリスマスの午後に下高井戸ぎゃるりでんぐりにて開催されたPoetry Reading Live "On Christmas Day In The Afternoon"『クリスマスの午後に』に出演しました。

2020年12月27日『クリスマスの翌々日に』、2021年12月26日『クリスマスの翌日に』に続き、さいとういんこさんと共催する朗読二人会が3年目を迎えました。ご来場のお客様、ぎゃるりでんぐりオーナー詩子さん、写真を提供してくださった藤田みち子さん、そしていんこさん、あらためましてありがとうございました。

2. 宿り木(岸田衿子
6. MissingTerry, Blair and Anouchka)カワグチタケシ訳

以上が僕のセットリストです。会場が画廊なのでゴッホラファエロルソーの絵画作品からタイトルをもらった3篇(2、3、4)とクリスマスの詩3篇(1、2、6)で構成しました。"Missing" は12月18日に63歳で逝去した英国のミュージシャンテリー・ホールThe Spacials、ex.Fun Boy Three、ex.Colour Field)のクリスマスソングを翻訳したものです。

いんこさんの朗読が冴えわたっていました。柔らかなユーモアでチャーミングにくるんたプロテストソング。いんこさんにとってマクドナルドは自由経済の象徴。ある意味で災厄をもたらす存在でありながら、孤独を癒す場所でもある。いつまでたっても紛争の絶えない世界で、戦争が現実になってしまった2022年、そこに平和の希望を託す。

いんこさんと編む連詩も3篇目になりました。LINEで1~2行ずつ何十往復する制作過程はどこに向かうかわからないスリリングなものですが、今年の作品『クリスマスの午後に』も穏やかで優しい対話篇に仕上がりましたので、朗読もそのニュアンスを重視しました。

昨年からご希望のお客様に自作他作問わず詩を朗読してもらうコーナーを設けています。「こんなに質の高いオープンマイクある!?」と、いんこさん。作品(選び)も朗読も、そしてなによりひとりひとりの声が素晴らしかったです。

2022年の詩のお仕事の大変良いしめくくりができました。来年も是非ともよろしくお願いいたします。

 

2022年12月11日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート

郊外私鉄で西武柳沢まで。ノラバー日曜生うたコンサートmayulucaさんの回に行きました。

12月らしく「きよしこの夜」で始まったこの日のライブ。由木康訳の歌詞は2タイプあるのですが「すくいのみ子は/まぶねの中に/ねむりたもう/いとやすく」という文語調の初期バージョンで歌うところがmayulucaさんらしい。ミニマルな旋律が清澄な歌声によく似合います。

つづいて "The First Noel" 17世紀のクリスマスキャロルをオリジナルの英詞で。mayulucaさんの歌声に店主ノラオンナさんがバーカウンターからハーモニーを重ねる。その流れで演奏された自作のオリジナル楽曲も心なしかholyな響きを帯びて聴こえます。

2022年はノラバーで3回mayulucaさんのライブを聴きましたが、そのときどきのコンディションをMCで話してくれて、楽曲制作や演奏に関する微細な感覚の違いはあれど、発見と安心を同時に感じ、また聴きたいと思わせてくれるのは、音楽に対する誠実さ、真摯な姿勢が常に変わらないからだと思います。

前回9月の台風の夜のライブでは、作者とデュオで披露されたノラさんの「梨愛」を今回はソロで歌って、オリジナル曲とは違う声域も新たな魅力でした。

12月のノラバー御膳は、かぼちゃサラダ、さばのみりん煮、きんぴらごぼう、つくね山葵添え、玉子焼、大根の油揚げ巻、茄子味噌、さつまいもごはん、豆腐とわかめの味噌汁。

食後のInstagram Live「デザートミュージック」はまだレコーディングされていない最近の作品中心に最後は再び "The First Noel" でしめやかに終え、年末らしいライブになりました。

年末の話をしたあとで恐縮ですが、新年早々に僕もノラバーで朗読します。ご予約受付中ですので、ご都合よろしければ是非お越しください。

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ノラバー日曜生うたコンサート
出演:カワグチタケシ
日時:2023年1月8日(日)
   18時開場、18時半開演
会場:ノラバー
   東京都西東京市保谷町3-8-8
   西武新宿線 西武柳沢駅北口3分
料金:6,000円
  ●ライブチャージ
  ●7種のおかずと味噌汁のノラバー御膳
  ●ハイボールとソフトドリンク飲み放題
  ●デザートプリンとノラブレンドコーヒー
   以上全部込みの料金です。
☆完全予約制、先着6名様限定の超プレミアム・ディナーショー!
 ご予約⇒ nolaonna@i.softbank.jp
☆更にご来場のお客様にはもれなくノラバー限定カワグチタケシ
 新作小詩集 “The Ghosts Of Diva Past” をプレゼント!
 歌姫たちに捧げる作品集です!
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2022年12月10日土曜日

ハロー、ハロー、ネイバーズ

師走。白山の名店JAZZ喫茶映画館にて、Pricilla Label presents 石渡紀美 新詩集『ハロー、ネイバーズ』刊行記念朗読会 "ハロー、ハロー、ネイバーズ" を開催しました。

ご来場のお客様、年末のお忙しい中、ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます。

『ハロー、ネイバーズ』は石渡紀美さんの第五詩集にあたります。2021年秋から打ち合わせを始め、収録作品選択、編集、荒木田慧さんの表紙画と挿画、装幀、紙選び、製本の仕上がり確認、これらすべてをオンラインと郵送を用いて非対面で進行させた初めてのプリシラ製品です。

2022年3月5日の初版刊行以降も10月のTOKYOポエケットまで紀美さんとお会いする機会がありませんでした。このたび実際に同じ空間を共有してみなさんにこの詩集の誕生を祝っていただけたことを大変うれしく思います。

ミュージシャンでいえばレコ発ライブ。新作の収録作品を収録順にお披露目するという僕の一番好きなスタイルの構成でした。朗読だけではなく、その作品の成り立ちや込められた思いをMCで話してもらい、僕自身含め、会場のお客様もより理解を深め、詩集への愛着が湧いたのではないかと思います。

素晴らしい挿画を描いていただいた荒木田慧さんも会場にいらして、詩の言葉から受け取ったものを平面作品にしてアウトプットする過程を開示してくださったのも印象に残りました。

石渡紀美さんのすこし癖のある低めの声の朗読は生で聴いてこそ最大の魅力が伝わります。ゆるめで楽しいMCから詩作品の朗読に入るときの第一声で会場の空気が変わるのがひしひしと伝わり「ああ、これこれ! この感じ!」と静かにテンションが上がりました。

JAZZ喫茶映画館さんにはいつも最高のライブ環境をご用意いただき感謝しております。あらためまして大変お世話になりました。2023年1月にも同店にて石渡紀美さんと小夜さんのツーマンライブが予定されております。みなさま是非お越しください。

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出演:小夜石渡紀美
日時:2023年1月28日 (土) 
   16:00開場 16:30開演
料金:1500円+ドリンクオーダー
会場:JAZZ喫茶映画館
   東京都文京区白山5-33-19
ご予約・お問い合わせ:

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2022年12月4日日曜日

ザ・メニュー

冬晴れ。ユナイテッドシネマ豊洲マーク・マイロッド監督作品『ザ・メニュー』を鑑賞しました。

小型船に乗り込み短いクルーズをする11人。ホーソン島にある予約の取れない超高級レストラン・ホーソンに渡る。主人公マーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)は若き美食家タイラー(ニコラス・ホルト)に連れられて来た。メートルドーテルのエルサ(ホン・チャウ)が船着き場からレストランまで、帆立貝の漁場、畑、燻製小屋、従業員寮を案内する。

「ひとつだけお願いがあります。食べるな。味わうのです。すべてを受け入れ、赦してください」。天才シェフ・スローヴィク(レイフ・ファインズ)の哲学が詰まったフルコースが供されるが、皿が進むごとに不穏な空気が高まり、スーシェフ・ジェレミー(アダム・アルダークス)考案の料理「混乱」でカタストロフに一気呵成になだれ込む。

「金持ちの傲慢は文化だが、私の店にも責任がある」。レストランの客席とオープンキッチンが舞台のシチュエーション・ブラック・コメディ。行き過ぎたシェフのこだわり、軍隊のように統率の取れた厨房、俗物しかいない客席。富裕層はステータスの奴隷となり、ステータスに殉死する結末を最後には自ら選択してしまう。

その中で唯一の招かれざる客マーゴだけが料理に手をつけない。チーズバーガーを食べる指に黒いマニキュア。『ラストナイト・イン・ソーホー』ではお人形然としていたアニャ・テイラー=ジョイの生命力溢れる演技が光ります。

厨房スタッフの幾何学的に計算され完璧にシンクロしたアクションとメタリックな意匠は、デイヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』みたいでいた。

 

2022年12月3日土曜日

ミセス・ハリス、パリへ行く


1956年、ロンドン。家政婦のエイダ・ハリス(レスリー・マンヴィル)の元に第二次世界大戦を英国空軍で戦った夫の遺品の指輪が届く。失意の中でも仕事の手を抜かないハリス夫人は雇い主のセレブ(アナ・チャンセラー)の部屋でクリスチャン・ディオールのドレスに一目惚れし、パリでオートクチュールを作ることを決心する。

ポール・ギャリコ原作小説をロマンチックコメディ映画のフォーマットに乗せて極上のエンタテインメントに仕立てた本作。ドレス代と渡航費の金策、パリのメゾンでの冷遇、帰国後に親切心が招いた悲劇。繰り返し訪れる窮地に、ハリス夫人は持ち前のポジティブ思考と利他精神で周囲の人々の好意を呼び、胸のすくような解決を導きます。

時代背景も絶妙で、清掃員のストライキでゴミが山積するパリの街で廃れていく貴族文化の矜持を保とうとするサシャーニュ侯爵(ランベール・ウィルソン)、オートクチュールの伝統を頑なに守りたいマダム・コルベール(イザベル・ユペール)、ブランド存続のために香水やストッキングなど庶民が買えるアイテムの導入を主張する会計係のフォーベル青年(リュカ・ブラボー)とサルトルの『存在と無』を通じて意気投合する専属モデルのナターシャ(アルバ・バチスタ)の瑞々しい恋心、ハリス夫人の心の支えであるアフリカ系の親友バイ(エレン・トーマス)ら、魅力的な脇役たちも時代の転換点をいきいきと動く。

「ドレスは驚きと歓びのためにデザインされている」。ディオールが全面協力した華やかな衣装、弦楽中心の典雅で流麗なラエル・ジョーンズスコアは『ローマの休日』や『麗しのサブリナ』などロマンチックコメディの伝統を継承していますが、主人公が若者ではなく、初老の未亡人というところもいまの時代にマッチしていると思います。鑑賞後にあたたかく幸せな気持ちになれる、2022年クリスマスのデートムービー決定版と言っていいのではないでしょうか。

 

2022年11月25日金曜日

ビー・ジーズ 栄光の軌跡


2019年、合衆国フロリダ州マイアミ。「家族を亡くすことは人生の一部だ」という73歳のバリー・ギブのモノローグから映画は始まる。ドラマーだった父ヒューのもと、ローティーンの頃からオーストラリアで芸能活動を始めた長兄バリー、双子のロビンモーリスのギブ三兄弟は、1967年に家族でイギリスに帰国。

当時ブライアン・エプスタインNEMSを離れ、クリームのマネジメントをしながら自身のレーベルRSOを立ち上げたロバート・スティグウッドの元、"New York Mining Disaster 1941" でデビュー。続く "To Love Somebody" はオーティス・レディングに当て書きした提供曲だったが、レコーディング直前に26歳のオーティスが飛行機事故で亡くなってしまったため、ビー・ジーズの持ち歌となった。その後も流麗な旋律と清新な和声でヒット曲を連発する。

「兄弟の歌声は誰にも買えない楽器だ」とインタビューに答えるノエル・ギャラガーは、同時に家族でバンドを続けることの困難を語ります。コールドプレイクリス・マーティンは「僕たちの世代はバンドには浮き沈みがあることを知っている。世界的な成功を収めた最初の世代である彼らの戸惑いは想像を絶する」と言う。

バリーとロビンは対立しがちでモーリスがいつも仲裁役でした。ロビンは1969年に脱退するが、2年後に戻ってきます。その後アルコールとドラッグに溺れた数年の低迷期を経て、アメリカに渡り再ブレイクする。ダンスナンバーにシャウトを入れたい、というプロデューサーのアリフ・マーディンのアイデアをスタジオで様々試したうちのひとつがファルセット。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の大成功によりビー・ジーズの代名詞となる。

やがてディスコブームはアンチを生み、シカゴの極右ラジオDJスティーブ・ダールが1979年にMLBホワイトソックスのホームスタジアムで開催したヘイトイベント "Disco Demolition Night" 以降、ビー・ジーズは二度目の低迷期を迎えるが、バーブラ・ストライサンドケニー・ロジャーズセリーヌ・ディオンらの大御所たちが楽曲提供依頼で彼らを経済的にサポートした。

昨今公開数の多いミュージシャンのドキュメンタリー映画のなかで、今作は取材、撮影、編集等、非常にしっかりした作りになっており、クオリティが高いです。翻訳監修が吉田美奈子さんということで音楽用語の字幕も違和感がない。

意外だったのは、三兄弟だけでなく、ロンドン時代はヴィンス・メロニー(Gt)とコリン・ピーターセン(Dr)、マイアミではデニス・ブライオン(Dr)、アラン・ケンドル(Gt)、ブルー・ウィーバー(Key)とのセッションにより楽曲制作が進められていたこと。三兄弟を含めた5人組もしくは6人組のバンドと言っていいと思います。

"Stayin' Alive" のレコーディング時にブライオンが家族の介護のため一時的にマイアミのスタジオを離れなくてはならなくなり、苦肉の策でオープンリールテープデッキにより世界初のドラムループが生まれたエピソードは熱い。

2017年、双子の弟たちと四男のアンディを亡くしソロになった71歳のバリー・ギブが英国グラストンベリーフェスで歌う "Stayin' Alive" は高音もしっかり出ており、ステージ前のいかつい警備員たちも全員踊り出す光景に心温まりました。

 

2022年11月23日水曜日

母性

勤労感謝の日。TOHOシネマズ日本橋廣木隆一監督作品『母性』を観ました。

休耕田を俯瞰するドローン映像から映画は始まる。第一部は「母の真実」。ルミ子(戸田恵梨香)は24歳。油絵教室で出会った田所(三浦誠己)は作風が暗く苦手だったが、母(大地真央)が称賛したことから交際を始め、結婚する。森の中の新居に引っ越し、娘(永野芽郁)を出産する。そして台風の夜、悲劇が起こる。

第二部は「娘の真実」。娘の幼少期から台風の夜の悲劇までを娘目線で描く。第三部の「母と娘の真実」では、夫の実家に身を寄せた三人家族と義母(高畑淳子)、義妹(山下リオ)の関係性を戸田恵梨香と永野芽郁の視点で交互に描写する。

湊かなえの原作小説が無駄のない脚本と抑制の利いた演出で重厚な映画に仕上がっています。コトリンゴさんのミニマルな劇判も効果的。俳優陣の演技が素晴らしく、特に主演の戸田恵梨香にとって今後は本作が代表作と呼ばれるようになるのではないでしょうか。

「母の真実」は、教会の懺悔室で神父(吹越満)にルミ子が告白した過去の悔恨を物語化したという枠組みです。ルミ子と母の会話は「~だわ」「~かしら」「~してよ」というチェーホフ(の翻訳)然とした古風な戯曲調で、ルミ子の美化された記憶を象徴するかのよう。娘を愛能うかぎり大切に育てたというが、母は自身の価値観を妄信、隷属させてしまっていることに気づいていない。

「娘の真実」は一転して現代的で自然な口語体になり、同じシチュエーションを同じ台詞で演じていても戸田恵梨香の表情、声色、所作、すべてが異なり狂気じみて映る。調度も服装も料理も「母の真実」とは細部がことごとく異なる。やがて娘は「余裕や遊びを人から感じ取っても自分には必要ないと思う人間」に育つ。

「私たちの生命を未来に繋げてくれてありがとう」という呪いが世代を超えて継承されることに底知れない恐怖を感じました。高畑淳子がべらぼうに性格の悪い姑を見事に演じ切っていますが、そのパワーをもってしても母娘の呪いを断ち切ることができない。

ラストシーン近くでルミ子が一度だけ「清佳」と娘の名前を呼びます。名前で呼ばないということは独立した人格として存在させていないのと同義だな、と思いました。

どの登場人物にも僕は感情移入することができませんでしたが、この事実こそが本作の訴えるものであり、本作の価値であると強く思います。


2022年11月11日金曜日

すずめの戸締り


舞台は現代の宮崎県。小高い丘の上の戸建住宅に叔母の環(深津絵里)と暮らす主人公の岩戸鈴芽(原菜乃華)は自転車で坂を下って登校中に左目に泣きぼくろのあるロン毛のイケメン宗像草太(松村北斗)とすれ違う。「ねえ君、このあたりに廃墟はない? 扉を探しているんだ」。尋ねられた鈴芽は山の中腹にある廃業した温泉リゾートを教える。

温泉リゾートの中心に位置する浅い噴水池に古い木の扉から巨大な赤い力が噴き出して荒れ狂っていた。ミミズと呼ばれるその現象は土地に災厄をもたらす日本列島の下を蠢く力。草太は全国各地を旅して後ろ戸(扉)を閉じ、災害を未然に防ぐ閉じ師の家系を継ぐ者。鈴芽の部屋で怪我の手当てを受けた際、要石でもある白猫のダイジン(山根あん)の呪いで三本足の椅子に姿を変えられてしまう。

君の名は。』で巨大隕石、『天気の子』で気候変動を主題にした新海誠監督が今作では大震災を正面から描いています。宮崎→愛媛→神戸→名古屋→東京→福島→宮城と移動するロードムービーでもあり、旅をする鈴芽と自走する椅子である草太は行く先々で人々の親切に触れる。

ガール・ミーツ・ボーイを描いていても、新海監督の本質はSF作家なのだと思います。物語は壮大で、アニメーション表現はダイナミック且つ精妙。見ごたえがあるのですが、主要人物の心情の機微まで期待するのはお門違いなのかも。鈴芽が命を賭してまで椅子になった草太を守りたいという強い思いに至る道筋が僕には見えませんでした。

「大事な仕事は人から見えないほうがいいんだ」という草太の台詞は新海監督の矜持なのかな。岩戸鈴芽の名は、洞窟に引き籠った天照大御神に歌舞音曲で天の岩戸を開けさせた天鈿女命から。後ろ戸は仏堂の背後の入口のこと。閉じ師が唱える神道の祝詞。保守回帰は更に極まる。

草太の同級生芹沢役の神木隆之介、鈴芽の亡き母椿芽役の花澤香菜、神戸のスナックのママ役の伊藤沙莉、脇役の声優がリアリティのある良いお芝居をしています。

  

2022年11月3日木曜日

デュラン・デュラン:ハリウッド・ハイ


ハリウッド大通りからサンセットドライブへ、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説の舞台の真昼のストリートビューから映画は始まる。

ロジャー・テイラー(Dr)、ニック・ローズ(Key)、サイモン・ル・ボン(Vo)、ジョン・テイラー(Ba)、デュラン・デュランの現在のメンバー4人の個別インタビューと1982年の2ndアルバム "RIO" のアメリカ盤をREMIXしたプロデューサーのデイヴィッド・カーシェンバウムとニックの対談により、バンドヒストリーと全米進出時のエピソードを振り返る冒頭10分。

そこからは全12曲の演奏をナレーションやテロップなしのフル尺で。ヴァインストリートのキャピトルレコード本社の斜向いの低層ビルの屋上で2022年3月に行われたライブは、上記4名に加え、ドミニク・ブラウン(Gt)、アナ・ロス(Cho)、エリン・スティーブンソン(Cho)によるもの。招待された300名程の観客は西海岸の白人富裕層。1985年の007の主題歌 "A View To A Kill" に始まり、1982年の全米第3位曲 "Hungry Like The Wolf" に終わりますが、その2曲と "Notorious"(1986)以外は昨年リリースした新譜収録のナンバー中心。"Ordinary World" ではキャピトルタワーをウクライナの国旗色にライトアップする。40年間コンスタントに活動しているだけあって演奏も現役感溢れるタイトなものでした。

メンバー4人とも還暦を過ぎ、たっぷり感が出てきましたが、その中でジョン・テイラー(62)のスタイルの良さが際立つ。1980年代の少女たちを熱狂させたマット・ディロン似の端正な容貌に皺が増えてキース・リチャーズ的渋みが加わった。サイモン・ル・ボン(64)は現在のほうが声量も技術も増し、フェミニンな雰囲気を持つ美少年だったニック・ローズ(60)は相変わらずアイラインを引いているがそれが逆に老婆感を漂わせる。ロジャー・テイラー(62)は普通におじさんです。

ニューロマンティックとは何だったのか。代表的なバンド VisageSpandau Ballet、後期Ultravoxらはいずれも世紀末ヨーロッパの退廃的ダンディズムやロココの煌びやかさをカリカチュアライズしたスタイルを採用したが、デュラン・デュランはブラック・ミュージックに接近することでグローバルな成功を得て、その過程で演奏技術を高め、息の長い活動をしている。

クイーンチープ・トリックジャパン、デュラン・デュラン。最初に日本でブレークしたバンドは当時硬派のロックファンから下に見られることが多かったのですが、僕はどのバンドも大好きでした。

 

2022年10月29日土曜日

天間荘の三姉妹

秋晴れ。北村龍平監督作品『天間荘の三姉妹』を観ました。

「ようこそ天間荘へ」老舗旅館の若女将で長女のぞみ(大島優子)のアップで映画が始まる。そこに入ってくる次女かなえ(門脇麦)との会話から、初対面の異母妹小川たまえ(のん)を迎えるために鏡に向かって笑顔の練習をしていることがわかる。タクシーの助手席にはガイド役のイズコ(柴咲コウ)。飲酒運転のトラックに轢かれて臨死状態のたまえの魂が現世と彼岸のモラトリアムである三ツ瀬町を訪れる冒頭部分には引き込まれます。真面目で慎重な長女、自由奔放な次女、天真爛漫な三女という人物造形も基本を外していない。

天間荘の長期滞在客である財前様(三田佳子)と若くして自死未遂した優那(山谷花純)の担当仲居となることを大女将天間恵子(寺島しのぶ)に命じられたたまえが、かたくなだったふたりの心をほぐし生きる決断をさせる。ここまでが90分。続く45分が三ツ瀬町民たちの鎮魂。最後15分が現世のたまえと優那の物語です。

宿の板前に中村雅俊、タクシードライバーの永瀬正敏、ほかにも大島容子不破万作平山浩行高良健吾柳葉敏郎と主役級の大物俳優たちが続々登場します。

150分という長い上映時間に比して、主要登場人物たちが衝突から和解に至る過程が性急過ぎる。このキャストならもっと表情で語らせることができたはず。ファンタジー世界を構築するうえでは世界観が必要だが、現世と三ツ瀬を往来する行程が、タクシー、漁船、人魂、門と一貫していないのは原作漫画通りだったとしても映画的文脈においては痛い。走馬灯のCGも不要。

のぞみ、かなえ、たまえの名前は欽どこわらべなのかな。三姉妹はいいお芝居をしています。柴咲コウの死神もはまり役。のんの扱いに『あまちゃん』オマージュが多々感じられたのはよかった。旧三ツ瀬水族館は天然の入り江でイルカを飼育している下田海中水族館、改装後のシーンは八景島シーパラダイスですね。

 

2022年10月22日土曜日

詩の朗読会 3K14

夏日。30年ぶりに江古田へ。Cafe FLYING TEAPOTで開催された詩の朗読会3K14に出演しました。

2000年6月に西荻窪のBookcafe Heartlandでカワグチタケシ、究極Q太郎小森岳史、イニシャルKの3人で始めた3K朗読会。2006年門前仲町天井ホール(現在は両国に移転)の3K11 featuring ワニラから12年の長いブランクを経て、2018年10月に千駄木古書ほうろう(現在は湯島に移転)の3K12で再開してから、50音順且つ年齢順のオーダーでお届けしています。

カワグチタケシは以下の8編を朗読しました(Qさんと小森さんのセットリストもnoteに掲載されています)。

2.
6. ノック(アウト)(小森岳史)
7. あんまり長いと読めないだろうから適当な長さの詩(究極Q太郎)

今年から始めたドキュメンタリーもしくは伝記映画を観て書く連作「過去の歌姫たちの亡霊」シリーズもアレサ・フランクリンで5篇になりました。あと何人分か書いたら冊子にしたいと思います。

二番手の究極Q太郎は、宮沢賢治の「春と修羅」の暗唱から、実はこれ2000年の3K初回のオープニングと同じ。エモい。人を食った筆名でパフォーマンスも好き勝手にやっているように見えてなかなか一筋縄ではいかない。どこまでが計算でどこからが天然なのか、よくわからないところが魅力でもあります。僕が朗読した「あんまり長いと読めないだろうから適当な長さの詩」はおそらく20代の終わり頃に書かれた詩ですが、親切とアイロニーの共存が絶妙です。

三番手の小森岳史(画像)とは、Qさん不在の12年間、共にTKレビュー(ふたりのイニシャルがTKなので)というゲストを2組入れたリーディングショーを開催してきました。レナード・コーエンルー・リードの歌詞や今回3K14のために現代歌壇界のプリンシパル飯田有子さんが書き下ろしてくれた短歌五首を朗読しました。最近数年書き継いでいる大雪でフライトが止まった大空港を舞台にした散文詩「空港3:スパイな二人」はウィット溢れるカンバセーション・ピース。続きが楽しみです。

小森さんが朗読した飯田有子さんはじめ、さいとういんこさんますだいっこうさん豊原エスさん村田活彦さん石渡紀美さんという錚々たる執筆陣からnoteにもらったコメントは一生の宝物です。村田さんがtwitterで「大人な朗読」と書いてくださいましたが、三者三様の大人げなさがあって、これからもその大人げなさを前面に出していきたい所存でございます。ご来場のお客様、FLYING TEAPOTさん、ありがとうございました。

 

2022年10月21日金曜日

クリエイション・ストーリーズ 世界の音楽シーンを塗り替えた男

夏日。新宿シネマカリテニック・モラン監督作品『クリエイション・ストーリーズ 世界の音楽シーンを塗り替えた男』を観ました。

1970年代後半、大英帝国スコットランドの小都市グラスゴー。十代のアラン・マッギーレオ・フラナガン)はデイヴィッド・ボウイに憧れ、妹の化粧品でメイクしてラケットをギター代わりに自室で踊っているところを父親(リチャード・ジョブソン)に見とがめられる。

テレビに映ったセックス・ピストルズに衝撃を受け、街角で新聞売りをしているときに声をかけてきたボビー・ギレスピーキアラン・ロウレス)、同級生のアンドリュー・イネスジャック・ピーターソン)とパンクバンド The Drainsを結成する。

The Jesus and Mary ChainPrimal ScreamMy Bloody ValentineTeenage FanclubOasisを見出したクリエイション・レコーズ代表アラン・マッギー(ユエン・ブレムナー)がインタビューで当時を回想するという設定のノンフィクションムービー。冒頭に「ほとんど実話だが、犯罪者保護のため変えた人名もある」と案内があり、登場人物は役者が演じていますが、音楽は実際の音源を使用しています。

ミュージシャンではなく裏方を主役に据えているわけですが、マッギー自身、Primal Screamの前身となったThe Drains以降、The Laughin' AppleBiff Bang Pow!等のバンドで演奏しており、レーベルの初期スタッフはTelevision PersonalitiesThe Timesのメンバーが務めている。

僕自身はクリエイションより一世代前のラフ・トレード4ADファクトリーがジャストな世代ですが、クリエーションには前述のビッグネーム以外にもいいバンドが多数いて、The LoftThe Wheather Prophetsなんか好きだったな。

ダニー・ボイル製作総指揮らしいドラッグ・ムービーでもあり、ありとあらゆる薬物に手を染めたマッギーは自宅トイレでアレイスター・クロウリーの幻影に怯える。クリエイションの株式をソニーに売却した後の英国労働党に傾倒したマッギーと監督ニック・モラン自身が演じるマルコム・マクラーレンの初老の男ふたりが公園を散歩し、マルコムが「すべての創造と文化は退屈への反作用だ」と説くシーンにしみじみ。

フリーメーソン会員の父親役を同郷の先輩バンド The Skidsのボーカリスト、リチャード・ジョブソンが演じているのも熱いです。

 

2022年10月14日金曜日

四畳半タイムマシンブルース

にわか雨。ユナイテッドシネマアクアシティお台場にて夏目真悟監督作品『四畳半タイムマシンブルース』を観ました。

下鴨幽水荘は貧乏学生たちが暮らす京都市左京区のヴィンテージアパート。三回生の「私」(浅沼晋太郎)は、映画サークルMISOGIで監督としてB級作品を大量生産する1年後輩の明石さん(坂本真綾)に恋心を抱いている。

「私」が下鴨幽水荘で唯一クーラーのある209号室に引っ越した数日後、歯科衛生士羽貫さん(甲斐田裕子)が栓をせずに置いたコーラを悪辣な同級生小津(吉野裕行)がリモコンにこぼしてクーラーは動作しなくなる。8月12日、真夏のボロ下宿で暑さに耐えかねた仲間たちはタイムマシンで1日過去に遡り、壊れる前のリモコンを奪回することを思いつく。

TVアニメ化された森見登美彦の小説『四畳半神話大系』の貧乏臭い設定と自堕落な登場人物たちが、2005年に瑛太上野樹里実写映画になった京都の劇団ヨーロッパ企画の舞台『サマータイムマシンブルース』のストーリーでサイエンスSARUの色彩豊かで平面的な意匠に乗って好き放題する爽快なバケーションムービーです。

そもそもの話、『四畳半神話大系』も同原作者の『夜は短し歩けよ乙女』もアニメ化に際してヨーロッパ企画の上田誠が脚本を執筆しているので、特別なコラボレーションというよりは必然の流れと言っていいでしょう。

「私たちは未来を知ることはできない。知らないということは何でもできるということ。つまり自由ということです」。登場人物全員が不完全で愛おしく、金は無いけれど、時間だけはふんだんにある(と当時は信じていた)青春のモラトリアムを経験した我々にとっては、イタさとシンパシーを伴うノスタルジーを90分間楽しめる一本になっていると思います。

板塀の影の暗さが京都の真夏の日差しを強調する。鴨川の流れ、疎水、銭湯、シャツを絞った汗など、サイエンスSARUらしい水の描写。こちらも『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』と同じ大島ミチルの管弦楽を中心とした劇伴がとにかく素晴らしいです。

 

2022年10月10日月曜日

CUICUIのTENMEI

スポーツの日。下北沢へ。CLUB251にて開催された CUICUIのTENMEIに行きました。

CUICUIがライブ演奏するのは2年半ぶり。コロナ直前の2020年2月2日の高円寺ShowBoatHUMAN TAIL企画『漂流者たちの夜 vol.3』以来です。CUICUIのメンバーの別プロジェクトと対バンというのがこの日の趣向。残念ながらAYUMIBAMBIさん(B、Vo)がコロナ陽性で急遽出演が叶わなくなってしまいました。

AYUMIBAMBIさんとマキ・エノシマさん(Gt)が普段別名でサポートしているApril in 85は、アベユウイチさん(Vo&G)のソロプロジェクトでエレクロニカを土台に置いたノイジーなエイトビートロック。KokiさんNAMELESS)の高めのスネアが絶妙に気持ち良く入る。手弾きっぽいベース音が聞こえていたのは、サンプリングでしょうか。

IIOTERIE-GAGAさま(Key&Vo)が別名で展開するポストロックバンド。エリーニョさんのハードエッジなオルタナティブサイド。高橋ケ無さんSOUR)のソリッド且つエモーショナルで鬼気迫る縦乗りドラムプレイがサウンドのコアか。曲間も激しくリズムキープしている。この日が二度目のライブ。2020年11月29日のデビューを見たので全通です。

瑞穂玲(ルィスィリュー)さん(Dr&Vo)が別名で在籍しているResponseは、パーティ感もあるギミック多めのロックンロールを聴かせます。21年間メンバーチェンジなしというまとまりが、みづほさんの手数が多くて豪快でヘヴィなタイム感のドラムを中心にした堅固なバンドアンサンブルにはっきりと表れている。1曲ゲスト参加したマキさんのシューゲイジングなギターもよかったです。

最後にCUICUI。出囃子がまさかのシンディ・ローパー(前回ライブはFGTHRelax)。AYUMIBAMBIさんの穴を埋めたのはルィスィリューさんのパートナーでもあるベーシストRyosukeさん。サポートを前日に決めたとは俄かに信じがたい安定感とグルーヴでしたが、一方でCUICUIのパンキッシュで破天荒な勢いはAYUMIBAMBIさんのベースとボーイッシュな歌声とMC込みのステージングあってのものだと再認識させられました。

またこの日はマキ・エノシマさんの生誕祭も兼ねており、虎柄のアロハ(April in 85)、シルバーのTシャツ(Response)、そしてCUICUIの白衣装と三度のお色直し、CUICUIではセンターマイクで貴重なボーカルを取りましたが、ご本人は「真ん中に立ちたくないし、歌いたくないし、喋りたくない」という。承認欲求や顕示欲、自己肯定感とは異なる地点で音楽を楽しみたいというCUICUIの発案者でリーダーでもあるマキさんのpurityがバンドのattitudeに与えるもの。

新曲「ぼくたちのナツ」もERIE-GAGAさまのソングライティングが冴えわたり、「サマーガールニッポン」にも比肩する新たなサマーアンセムが誕生しました。

 

2022年9月26日月曜日

ロックンロール・ハイスクール

月曜日。シネマート新宿ロジャー・コーマン製作総指揮、アラン・アーカッシュ監督作品『ロックンロール・ハイスクール』を観ました。

1979年、米国西海岸LAのヴィンス・ロンバルディ高校に赴任したトーガー校長(メアリー・ウォロノフ)はロックンロールは有害だと考えており、女子生徒リフ・ランデル(P・J・ソールズ)が校内放送でザ・ラモーンズのレコードを爆音でかけ全校生徒が馬鹿騒ぎしているのを見て、オーディオケーブルを切断し、罪をかぶった親友ケイト・ランボー(デイ・ヤング)とともに反省室へ呼び出す。

リフはジョーイ・ラモーンが大好き。自分で作詞作曲した "Rock 'n' Roll High School" をツアーでやって来るラモーンズにどうしても渡したい。これがメインプロット。理系メガネ女子(メガネをはずすと実は美少女)のケイトはアメフト部主将トム・ロバーツ(ヴィンセント・ヴァン・パタン)に恋しているが、いつも天気の話しかしない童貞のトムは親友リフのことが好きで、ケイトはなんとか自分に振り向かせたい、というサブストーリー。ですが、全編通じてスラップスティックで、B級映画王ロジャー・コーマンとその弟子筋の悪ノリにラモーンズのやかましくてアホっぽい楽曲とパフォーマンスが重なり、極限まで誇張されたハイスクールシチュエーションコメディに仕上がっています。

ラモーンズのロックンロールが実験用マウスに与える悪影響を実証する際にトーガー校長が操作するフェーダーの目盛りが、一番下にパット・ブーン、上位はテッド・ニュージェントレッド・ツェッペリンローリング・ストーンズザ・フー、と並び、最上位にラモーンズ。炎上する高校を背景にしたケイトとトムのドラマチックなキスシーンは『風と共に去りぬ』のパロディでしょう。

1979年のラモーンズは、ジョーイ・ラモーン(vo)、ジョニー・ラモーン(G)、ディー・ディー・ラモーン(b)、マーキー・ラモーン(Dr)のベストメンバー。本人役で登場し、ライブシーンでは、電撃ビバップティーンエイジ・ロボトミーカリフォルニア・サンピンヘッド(GABBA GABBA HEY!)シーズ・ジ・ワンを演奏。マーキー以外の3人は既にお亡くなりになられています。

ライブシーンの他に、ジョニー・ラモーンのアコースティック・ギターと(モズライトではなく)リッケンバッカー12弦をフィーチャーしたミディアムバラード "I Want You Around" や The Beach Boys の "Do You Wanna Dance" のカバーなど、思いがけずラモーンズの音楽性の幅広さに気づかされました。

ラモーンズ以外に、アリス・クーパーMC5ヴェルヴェット・アンダーグラウンドトッド・ラングレンDEVOニック・ロウなんかもかかります。劇伴にBent Fabric、不意打ちのようにブライアン・イーノが何度か聴こえて都度びっくり。

ラモーンズといえば現在ではNYパンクロックの代名詞的存在ですが、劇中ではパンクとは呼ばれずあくまでもロックンロールバンドとして扱われており、当時の感覚としてはそうだったのかもしれません。登場人物の台詞に "Punk" が使われるのおそらく1回だけ。校舎を占拠したリフに向かってトーガー校長がメガホンで「ならず者!」と罵倒する場面のみだと思います。

ラモーンズのTシャツ割引もあるので、持っている方は是非新宿へ!

 

2022年9月18日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート

台風接近中。ノラバー日曜生うたコンサートmayulucaさんの回に伺いました。

夏の終わりに、ということで「熱風」から始まったこの日のライブ。カウンターの鳥かごのセキセイインコ梨ちゃん2号のさえずりとお店の前の道路を通る車のタイヤが雨をはね上げる音が混ざる。タイトルに反して穏やかで涼しげな曲調なのは、歌うmayulucaさんがすこし離れたところから熱風に吹かれている自分を眺めているから。あるいはすこし未来から過去の自身の感情を反芻しているから。

コロナ前のノラバー生うたコンサートはマイクを使わない完全な生声、生音でした。再開後は配信を併用しているため音量は控えめですがPAを通します。「月の下 僕はベランダに」ではミュートを効かせたギターリフをショートディレイでクリスプに響かせる。

続いてmayulucaさんは「きこえる」の前に同曲の歌詞からの引用を含む僕の詩「森を出る」を朗読してくださいました。ありがとうございます。澄んだ歌声とは違うすこしだけハスキーな中音域のmayulucaさんの地声で聴く朗読が心地良くて僕は大好きです。

アンリ・ルソーに着想を得た「緑色の夢」、奈良美智さんの『48 GIRLS』からの朗読と進みます。

ノラバー店主ノラオンナさんの供するノラバー御膳をみんなでしみじみ味わい、配信のデザートミュージックへ。今夜のドレスコードは赤。ノラバーのカウンターも赤。mayulucaさんが持参した赤い風鈴やカウベルで我々観客も演奏に参加して、最後はノラオンナさんの「梨愛」をふたりのハーモニーで。台風の夜は楽しく更けていきました。

 

2022年9月17日土曜日

ワイルド・スタイル

土曜日。新宿シネマカリテにてチャーリー・エーハン監督作品『ワイルド・スタイル』を観ました。

主人公レイモンド(リー・キニョネス)は地下鉄の操車場に毎夜忍び込んで列車の車体にスプレーでグラフィティを描く覆面グラフィティライター "ZORO" 。コンテンポラリーアートのバイヤーやコレクターにも注目される存在だが、職業軍人の兄には穀潰しと蔑まれ、恋人ローズ(レディ・ピンク)ともぎくしゃくしている。

NY市サウスブロンクスの荒廃した公営住宅を背景にした、グラフィティ、DJ、ラップ、ブレイキン。HIP HOPの4つのエレメントは1982年の制作当時に既に完成していたこと、ヒスパニックも重要な役割を果たしていたことがわかります。

グラフィティライターたちは役名で芝居し、コールドクラッシュファンタスティック5ビジービーダブルトラブルクールモーディらラッパー、DJグラントマスターフラッシュは実名で登場。ドキュメンタリーとドラマが渾然一体となり、HIP HOPカルチャー黎明期の熱気を伝える。

ラストシーンの野外音楽堂のライブのテンションでステージ上も客席も映画館も最高潮に盛り上がり、ドラマパートの伏線の放置は、グルーヴがすべて帳消しにしてくれます。

ラップのリリックが政治性を帯びたり内省的なものが出てきたりするのはこのあとのこと。俺のラップが一番ヤバいとか、俺が一番レディたちにモテるとか、案外普通のことしか言っていない。リリックの字幕も丁寧です。

 

2022年9月15日木曜日

MONK モンク

木曜日。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2022" にてマイケル・ブラックウッドクリスチャン・ブラックウッド監督作品『MONK モンク』を鑑賞しました。

1968年、ニューヨークのジャズクラブVillage Vanguardで額に汗を滲ませてピアノと向き合うセロニアス・モンク。自作曲であり当時既にスタンダードナンバー化していた "Round Midnight" から映画は始まる。そしてコロムビアレコードのスタジオのモンク・カルテット。"Boo Boo's Birthday" を演奏しているので、アルバム "Underground" のセッションと思われる。

今年1月に観た同監督の『モンク・イン・ヨーロッパ』と二部作のこの作品も同時公開していたのですが、日程的に逃していたのを今回あらためて2本続けて観ることができました。

スタイリッシュなモノクロ映像にナレーションやテロップはなく、ミュージシャンを追い続ける。演奏する佇まいや指先、表情が言葉以上に雄弁に伝えるエモーションがある。ステージで楽屋でスタジオで路上で空港で51歳のモンクはやたらと回転しています。背骨を軸に両手を広げてぐるぐると、時にふらつきながら。

1950年代に名声を確立し、撮影当時にはどこに行ってもレジェンドとしてリスペクトされていますが、長く患っていた双極性障害の悪化によって、"Underground" と同じ1968年にリリースしたビッグバンド作品 "Monk's Blues" を最後に1982年に64歳で亡くなるまで実質的な音楽活動をしていません。その意味でこの2本のフィルムは音楽的最晩年を記録したものと言えます。

高度な知性と理論に裏打ちされたモンクの音楽ですが、それに反して極めて粗野な外観をしています。当時の聴衆がその相反性をどう感じていたのか、思いを馳せずにはいられませんでした。


2022年9月13日火曜日

ルードボーイ:トロージャン・レコーズの物語


1956年、元警察官のデューク・リードはジャマイカの首都リヴィングストンで酒屋を始めたが、店は閑古鳥が鳴いていた。レコードプレーヤーと巨大なスピーカーを設置し大音量で流したところ、若者たちが集まり大盛況。リード・サウンド・システムと名付けられた。

リード・サウンド・システムでは当初アメリカのR&Bのレコードをかけていた。1959年、ジャマイカで新しく生まれたリズム、スカのレコードを制作するようになる。

1962年、ジャマイカ共和国が大英帝国から独立。前後して多くのジャマイカ人たちが職を求めてイギリスに移住するが、NCP(No Colored People)のスタンプが押された求人票ばかりだった。

1963年、インド系ジャマイカ人リー・ゴプサルトロージャン・レコーズをロンドンで創業。ジャマイカ移民コミュニティで共有されていたスカやその発展形であるレゲエのレコードをリリースした。トロ―ジャンとはトロイ人、転じて勇敢な者の意。

「多文化共生社会は1960~70年代のダンスフロアで生まれた」。白人中産階級から謂れなき差別を受けたジャマイカ人でしたが、彼らの音楽を支持して同じクラブで踊ったのは白人労働者階級最下層のスキンヘッズの若者たちでした。1980年代以降はネオナチ、排外主義のイメージが強いですが、1960年代のスキンヘッズは移民にシンパシーを感じていたんですね。

移民二世のドン・レッツ(ex.Big Audio Dynamite)はレゲエを「故郷なき僕らの人生のサウンドトラック」と言う。若きリー・スクラッチ・ペリーの革新的なダブサウンドもトロージャン発。1970年代に入りヒットチャートを意識してストリングスアレンジを施したメローなナンバーをリリースし出した頃から人気に翳りが見え、1975年に経営破綻する。ルーツ、ダブ、ラヴァーズ、ダンスホールという現代レゲエの4カテゴリーがトロージャンには既に備わっていました。

貧しい移民たちの若き日の姿は8mmにもVHSにも残っていないのでしょう。現代の俳優が再現しています(歌声は本人)。

タイトルのルードボーイとはHIP HOPでいうところのGANGSTAのこと。「ルードボーイはライオンより強い」と歌うジャマイカのデリック・モーガン の"Rudie Don't Fear" 、ダンディ・リビングストンがロンドンから "A Message To You Rudy" で「将来のことも考えようぜ」とアンサーし、白人パンクバンドのザ・クラッシュが "Rudie Can't Fail"で「しくじるなよ、ルーディ」と被せる。

演者側の人種混合は次世代に実現する。その代表格である2TONEからは、The Specials / Fun Boy ThreeNeville StapleThe SelectorPauline Black がインタビューに答えています。

 

2022年9月4日日曜日

さかなのこ

残暑。TOHOシネマズ日比谷にて沖田修一監督作品『さかなのこ』を観ました。

夜明け前、天井の高い洋館のヘッドボード付き寝台で目覚めたミー坊(のん)は青と黄色のウェットスーツに着替え玄関を出る。漁船に乗り込みバラエティ番組の収録に臨む。

時は遡り小学生のミー坊(西村瑞季)は魚に夢中。母親(井川遥)と水族館に通い、蛍の光が鳴り終わるまで水槽の前を離れない。海水浴に来て大蛸を捕まえるが、家で飼いたいというミー坊をスルーして、父親(三宅弘城)は路肩に叩きつけて締め、家族みんなでゲソを浜焼きにして食べる。

さかなクンの自伝的エッセー『さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~』を原作にした本作で、総長(磯村隼斗)、カミソリモミー(岡山天音)、狂犬(柳楽優弥)のヤンキー高校生役に実力派アラサー俳優を配し、性別も年齢も超越したミー坊(=さかなクン)の純粋さを記号的に強調させています。そういう意味では歌舞伎っぽい。

同じく沖田修一監督の昨年夏公開作品『子供はわかってあげない』は田島列島のカオスでリリカルな原作漫画を上白石萌歌細田佳央太で実写化した青春映画の傑作でしたが、本作はほぼ同じ上映時間でありながらやや冗長に感じます。さかなクン本人が幼少期のミー坊に影響を与える役で出演していて、さかなクン以外の何者でもないビジュアルのため、主人公の設定の理解を難しくしてしまっているのも要因のひとつかと思います。

阿佐ヶ谷姉妹のマネージャーになったり永野芽郁の共同経営者になったりとひっぱりだこの前原滉が総長の右腕的ヤンキーを演じています。大人になった同級生モモコ役の夏帆(左利き)が変わらずかわいいです。

 

2022年8月28日日曜日

家庭

8月最後の日曜日。角川シネマ有楽町フランソワ・トリュフォー監督作品『家庭』を観ました。

キャメルのコートから伸びる脚とハイヒールとヴァイオリンケース。パリの石畳を歩くクリスチーヌ(クロード・ジャド)を捉えるローアングルのカメラから始まる。

アントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエ―ル・レオー)は25歳になり、『夜霧の恋人たち』で恋人だったクリスチーヌと結婚した。クリスチーヌは自宅で近所の子供たちにヴァイオリンを教え、アントワーヌはアパルトマンの中庭で白いカーネーションに赤や黄色のインクを吸わせて染め、近所の花屋に卸している。隣の部屋には声楽家とその妻が暮している。

アントワーヌは、米国資本のハイテク企業(当時の)に転職するが、命じられた仕事は会社の敷地内の池に浮かべた模型の船をリモコンで操作すること。視察に来た日本企業の経営者の娘KYOKO(松本弘子)と浮気するが、意思疎通ができず、別居中のクリスチーヌに逢い引き先のレストランから電話をかけて愚痴をこぼす。

「辛抱が肝心よ。男はみんな子供なの」。大人になって結婚して子供が生まれても相変わらず落ち着かないアントワーヌ。アパルトマンの住人たちもみな落ち着きがない。

基本はスラップスティックコメディですが、ビストロの親父が言う「ボードレールは詩人になる前は花屋だった」自説、絞殺魔(クロード・ヴェガ)が実は『去年マリエンバートで』のものまねが得意な芸人だったり、三行半がゴダール(トリュフォー脚本)の『勝手にしやがれ』など、ヌーヴェルヴァーグ的な引用過多にニヤリとさせられます。

判る奴だけ判ればいい、というペダンチックな小ネタだけでなく、絞殺魔のライトモチーフのエレキベースの不穏なルート音、チューリップが開花しKYOKOが仕込んだ愛のメッセージの付箋が飛び出して浮気がバレて、怒ったクリスチーヌが白塗り、和服、日本髪、正座でアントワーヌの帰宅を迎えるシーンなど、チープでストレートな笑いも取りに来る。

それを差別と言う勿れ。52年前の倫理観を反映した映画ですから目くじら立てず、軽快なテンポに乗って笑い飛ばすのが作品に対する礼儀と言えましょう。

 

2022年8月26日金曜日

バイオレンスアクション

驟雨。ユナイテッドシネマアクアシティお台場瑠東東一郎監督作品『バイオレンスアクション』を観ました。

菊野渓(橋本環奈)は日商簿記2級合格を目指す専門学校生、デリヘルを装ったぷるるん天然娘特急便のケイとして殺し屋のアルバイトをしている。依頼を受けて向かった先はSMホテル。アイドルの卵を拉致した男たちを殲滅する。

学校帰りの通学バスで足りない小銭を払ってくれたテラノ(杉野遥亮)は広域暴力団伝馬組の会計士。組の跡目争いの渦中に親友を失ったテラノは13億円を横領し、ケイはテラノをターゲットとする依頼を受ける。

映画の冒頭数分でMAN WITH A MISSIONに乗せて10人以上が殺される。モーションキャプチャCGを多用したアクション、小刻みなテンポのカットアップ、カラフルでポップな色彩はMV的で、殺戮の凄惨さや殺される者の恐怖や痛みは描かれない、というより橋本環奈の可愛さが全部帳消しにしている。主演女優橋本環奈を鑑賞することに特化した映画と言っていいと思います。その意味で全く退屈することなく、あっという間の上映時間でした。

グロリア』(1980)、『ニキータ』(1990)など、女性が屈強な野郎どもを殺しまくる映画は枚挙にいとまなく、『ハンナ』(2011)、『ガンパウダー・ミルクシェイク』(2021)をこのブログでも取り上げていますが、長身スレンダーなシアーシャ・ローナンカレン・ギランとは異なり、橋本環奈のケイはちんちくりんでややぽっちゃり、ハンナやサムのように殺し屋になったバックボーン(奇しくも親との関係性が濃密)にも言及されない。

「わたしは大丈夫。希望を持ってるから。小さくてもそれを持つのいいことだ」というケイはあくまでも媒介として存在し、依頼者やターゲットの事情や人間臭さを際立たせる。もうひとり常人離れした敵対組織のラスボス的存在みちたかくん(城田優)とともに物語にファンタジー&コメディ感を与えています。

店の看板が「らーめん」なのに店長(馬場ふみか)のTシャツが「らぁめん」だったり(原作第4話では"RAMEN")、ケイが病院の自販機で買ったジャスミンティが開けたばかりなのに2割がた飲みかけだったり、いろいろと詰めが甘いところがありますが、総じて楽しく鑑賞できました。

専門学校の同級生りっかを実写版『ゆるキャン△』の箭内夢菜、『蜜蜂と遠雷』で若き天才ピアニストを演じた森崎ウィン鈴鹿央士のコンビを敵対させるのも面白かったです。

 

2022年8月21日日曜日

歌枕 あなたの知らない心の風景

曇り時々雨。東京ミッドタウンGALLERIA3階サントリー美術館にて『歌枕 あなたの知らない心の風景』展を鑑賞しました。

和歌に詠まれた地名が実景から和歌のイメージに転換して抽象化、記号化され「歌枕」となる。平安時代中期(10世紀)に編纂された勅撰歌集『古今和歌集』に紀貫之が書いた仮名序「秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば帝の御目に錦と見たまひ春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける」をルーツとする。

第一章「歌枕の世界」、第二章「歌枕の成立」、第三章「描かれた歌枕」、第四章「旅と歌枕」、第五章「暮らしに息づく歌枕」という展示の流れが滑らか。

第二章は書の掛軸中心の展示です。竜田川の紅葉、吉野の桜の他にも、和歌の中で、地名と土地を象徴する事物が結びつく。例えば、因幡山⇒松⇒待つ、三笠山⇒傘⇒雨、塩釜⇒浦⇒恨み、八橋⇒蜘蛛手⇒定まらない気持ち、というように地名から派生した音韻が特定の感情を想起するようになる。室町時代(16世紀)『勅撰名所和歌要抄抽書』により、歌枕の地名が確定し、同時に非歌枕の地名が生まれる。

第三章では歌垣の名所が絵画と和歌で表現される。吉野川⇒激流⇒激しい恋、富士山⇒季節を超越した冠雪⇒永遠、というように地名が概念化し、江戸中期の狩野探雪松川十二景和歌画帖』に至っては実景を見ずに画を描き歌を詠むように更に地名の概念化が進み、江戸末期の長谷川雪旦画『江戸名所図会』においては「歌枕以外は名所にあらず」とエクストリームな思想に到達する。

数多く展示されている屏風絵や巻物など、横長のフォルムの絵画作品のほとんどが雲の上から俯瞰する構図で描かれている。神の視点。絵師の超越的な存在を象徴するようでもあります。昨今のドローン空撮の動画に興奮とノスタルジアを同時に感じるのは、平安から江戸まで千年に亘って俯瞰構図が我々のDNAに刻まれているからなのでしょうか。

屏風絵は和室に正座した視線で見るのが一番美しいと言われますが、柳橋、水車、網代で表わされた宇治、武蔵野の荒涼としたすすき野に月、金粉、銀粉の輝きが一番増すのは美術館のガラスケースの前で中腰になって床上1mほどから鑑賞したときです。

現代において特定の強いイメージを持つ地名といえば、紛争地帯や抑留地、惨事の現場などネガティブなものが多く、僕も詩作において扱うことがありますが、できれば地名が呼び覚ますイメージは、いにしえに倣い風雅なものであってほしいと思いました。

 

2022年8月13日土曜日

ブライアン・ウィルソン 約束の旅路

台風間近。TOHOシネマズ日比谷シャンテブレント・ウィルソン監督作品『ブライアン・ウィルソン 約束の旅路』を観ました。

今年80歳になるブライアン・ウィルソン(左利き)はThe Beach Boysのリーダー。弟2人デニスカール、従兄マイク・ラヴ、同級生アル・ジャーディンの5人バンドで、ソングライティング、編曲、プロデュース、ベース、ボーカルを担当していた。米国ポップミュージックの最重要人物のひとりです。

ミュージシャンのインタビューといえば自宅のカウチやスタジオのコンソール前が定番だが、本作では旧知のジャーナリスト、元ローリングストーン誌編集者ジェイソン・ファインが運転するポルシェでロサンゼルスのゆかりの地を巡りながら自らのキャリアを語る助手席のブライアンをダッシュボードからとらえた映像が大半を占める。

両作とも本人が制作に携わっているため、そのライフストーリーは伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(2015)と大きく異なる点はないが、早逝した弟デニス・ウィルソンが生前唯一リリースしたソロアルバム "Pacific Ocean Blue" を初めて全編聴くシーンやThe Beach Boysの "Holland" (1973)のために渡欧をセッティングしたジャック・ライリーが3年前に亡くなっていたことを知らされたときの落涙など、胸に迫るシーンがあります。

アメリカのショービズ・ジャーナリズムといえば、歯に衣着せず、聞きにくいところもずけずけ切り込むという印象がありますが、本作では長く統合失調症を患うブライアンの精神状態に配慮してか、高圧的な父親からの虐待、薬物依存、"Pet Sounds"、"Smile" 制作時の他メンバーとの確執、精神科医ユージン・ランディとの共依存とも洗脳ともとれる関係性とそこからの離脱といったダークサイドについてはあっさり触れられる程度でした。

同時代、次世代のミュージシャンのコメントでは、クラシック音楽の指揮者グスターボ・ドゥダメルが異色で新鮮なのと「南カリフォルニアについて再定義し、世界に広めた」と評するブルース・スプリングスティーンがロジカル&クール且つリスペクトに溢れている。音源では、スタジオのドン・ウォズが "God Only Knows" のマルチトラックマスターテープからコーラスパートを抜き出して聴くシーンが白眉です。

The Beach Boys の最大の特徴は1960年代のロック界の主流であった社会や体制に対する反抗的な態度を前面に出さず、むしろ積極的に資本主義市場経済にコミットしたことだと思います。Rebelというアウトプットはむしろ健全であり、表面的なRebelよりも音楽のQualityを純粋に突き詰めていったブライアン・ウィルソンは、深い闇を内面に抱えてしまった。若さと成熟の軋みによって生まれた作品群が時代を超えてエヴァーグリーンな輝きを放つのは皮肉でもあり希望でもあります。

 

2022年8月12日金曜日

映画 ゆるキャン△

山の日。TOHOシネマズ錦糸町楽天地京極義昭監督作品『映画 ゆるキャン△』を観ました。

志摩リン(東山奈央)は名古屋のしゃちほこ出版で営業部から編集部に異動になりタウン誌『しゃちほこさんぽ』の記者をしている。高校の同級生で野外活動サークル(通称:野クル)の部長だった大垣千明(原紗友里)から「今、名古屋にいるのだが」というLINEを受け取る。千明は東京のイベント企画会社を辞めて地元に帰り、やまなし観光推進機構に勤めている。

酔った勢いでタクシーを飛ばし夜明け前に着いた先は山梨県南巨摩郡富士川町高下の青少年自然活動センター跡地。東京のアウトドアショップに勤める各務原なでしこ(花守ゆみり)、横浜でトリマーになった斉藤恵那(高橋李依)、地元山梨の鰍沢で小学校教員をしている犬山あおい(豊崎愛生)。高校時代のキャンプ仲間に声を掛け、理想のキャンプ場作りが始まる。

終始ローテンションな一匹狼のリンを主人公に置いたことがこのシリーズの成功要因かもしれません。熱血な千明も天真爛漫ななでしこもリンの領域には無理に踏み込まない。温厚なあおいとマイペースな恵那。5人がゆるくつながるときに生じるチルで優しい空気。

なでしことあおいが中心になって作る食欲をそそるキャンプ飯の数々は社会人になって予算に余裕が出て食材も調味料も充実しています。一方で、なでしこが勤め先に初めて来店した女子高校生に「最初は泊まらなくてもいいし、焚き火して食事はインスタントでも楽しいですよ」というアドバイスも真理を突いている。

キャンプで三食作って食べて片付けてを全部やるとそれだけで一日費やしてしまいます。登山や川遊びやおしゃべりやハンモックにのんびり揺られる時間を作るには、カップ麺やレトルトに頼っていい。

劇場版ならではの背景の細やかさも。松竹映画の富士山から劇中の夕暮れの富士山のシルエットにモーフィングして、花火が上がるオープニングが最高です。

 

2022年8月6日土曜日

ギルバート・グレイプ


舞台は1980年代のアイオワ州エンドーラ。草原の真ん中にぽつんと建つ家にギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は家族と暮している。

父親は7年前に自殺し、ショックで母親(ダーレーン・ケイツ)は過食になり、200kg超の巨体で何年も家を出ていない。弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)は重度の知的障害のあるトラブルメイカー、高校生の妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)は生意気盛り。姉エミー(ローラ・ハリントン)が家事を担い、小さな食料品店で働くギルバートと家庭を支えている。

10歳まで生きられないと医師に診断されたアーニーが18歳の誕生日を迎える6日前。ベッキー(ジュリエット・ルイス)と祖母(ペネロープ・ブランニング)がトレーラーハウスでエンドーラに現れる。誰もが通り過ぎるだけの町だが、キャブレターの故障により町外れの湖畔にしばらく滞在することになる。

「音楽のないダンスのような町」と自ら評する故郷で自我を殺して家族のために生きるギルバートは、「見た目はどうでもいい、何をするかが問題なの」というベッキーに望みを尋ねられても「妹が大人になること、ママにはエアロビクス、アーニーには新しい脳」と家族のことしか思いつかない。自分は? と再度促されてやっと絞り出した答えが「いい人間になりたい」。

ギルバートは誰に向かってもけっして問いを投げることをしない。諦観しすべてを受け入れようとしている。1993年の制作当時にその呼称はなかったか、知られていなかったが、これはヤングケアラーの物語。

TCG系列の都内3館で始まった『12ヶ月のシネマリレー』の1本目として上映中の本作は、『スモーク』『天使の涙』と並んで、僕のライフタイムベストムービー1990年代部門に必ずランクインする作品です。

すべてのカットが美しく且つリアリティを持ち、無駄なシーンがひとつもない。役者たちが全員はまり役で完璧な芝居をして、カメラワークも音楽も素晴らしい。地平線まで何もない広大な景色が狭いコミュニティで生きる若者だちの閉塞感を増幅し、小さな気まずい事件が次々に起こるのだが、最終的に心温まり優しい気持ちになれるという奇跡の一本。

VHSに始まってDVDやBS放送も含め7~8回は観ている作品で、ディカプリオの早熟の天才ぶりに都度圧倒されてきましたが、今回あらためて映画館の大スクリーンで観て、ジョニー・デップの繊細な演技と美術の精妙さに感動しました。

 

2022年7月28日木曜日

偶然と想像

夜のにわか雨。早稲田松竹濱口竜介監督作品『偶然と想像』を鑑賞しました。

「魔法(よりもっと不確か)」「扉は開けたままで」「もう一度」という各々20代、30代、40代女性を主人公とした約40分のショートフィルム3篇からなります。

3つの物語のあいだにはストーリー的にも登場人物的にもつながりがなく独立しているのですが、偶然と想像というテーマでひとつの大きなバイブスを形成しているように感じました。

「怒っているとしたらこの運命にかな」「リズムがあるじゃない? 私たち、口喧嘩してても」(魔法(よりもっと不確か))、「言語化できない未決定な領域に踏み止まる才能です」(扉は開けたままで)、「一番大事なことのために戦わなかった後悔」(もう一度)。

隅々までよく練られた緊張感のある戯曲(とあえて呼びたい)を持つこの作品における濱口監督の演出は舞台演劇的。台詞の発声が明瞭で抑揚を強調せず、基本的にひとりの役者の声を相対するもうひとりの役者の声に重ねることがない。感情や身体性よりも言葉の意味をより強く打ち出してきます。

そのなかで異色を放つのが、映画冒頭のタクシー内における雑誌モデル芽衣子(古川琴音)とヘアメイクつぐみ(玄理)の親友同士の長尺の会話。つぐみの恋バナにつっこみを入れる芽衣子のタイム感が絶妙に心地良く、古川琴音さんの技術の高さ、センスの良さが光ります。恒松祐里さんと並んでこの世代では群を抜いているのではないでしょうか。

各篇の幕間とエンディングに流れるシューマンの『子供の情景』以外、生活音と俳優の声だけの音響です。淡々と進む展開だからこそ、インターネットの遮断された世界で最後に交わされる女性ふたりの抱擁が感動的です。

 

2022年7月23日土曜日

メタモルフォーゼの縁側

真夏日。TOHOシネマズ日本橋狩山俊輔監督作品『メタモルフォーゼの縁側』を観ました。

真夏日。夫の三回忌を終えた喪服の市野井雪(宮本信子)が陽炎の立つ横断歩道を渡ってくる。涼を求めて入った書店でBLコミック『君のことだけ見ていたい』を手に取る。レジを打つ高校生アルバイトの佐山うらら(芦田愛菜)は隠れ腐女子。祖母と孫ほど世代の異なるふたりの友情が始まる。

芦田愛菜さんのお芝居がすごい。スクールカーストの中の下あたりでぱっとしないうららに100%同化しており、芦田愛菜という本来は強い演技主体を微塵ものぞかせない。そのことで芦田愛菜ブランドを強固なものにしているという逆説。

雪の自宅の縁側でBLを語る生き生きとした瞳、怖じ気づいてコミティアの会場から帰り溢れる悔し涙、幼馴染みのイケメン河村紡(高橋恭平)に対する自身の気持ちを測りかね、その恋人でカースト最上位の橋本英莉(汐谷友希)に向ける完全に死んだ目は、CMやバラエティで見せる溌剌とした姿とは別人のもの。振れ幅の大きなそれらをひとつながりの人格として統合させ且つ作為をまったく感じさせない。

宮本信子、光石研生田智子ら、熟練の名優たちの演技が作られたものに見えてしまう。しかも芦田さんは彼らの演技を潰しには行かず、常に融和の可能性を見いだそうとする。うららとは台詞のやりとりのないBL漫画家コメダ優役の古川琴音が光ってみえたのはそのせいか。

モノローグを廃した岡田惠和の脚本と芝居の力を信じた狩山俊輔監督に応えて、役者たちが表情、発声、身体性で登場人物の内面を真摯に表現した良作です。

ブルースデュオT字路sの劇伴もいい。エンドロールで流れる芦田愛菜と宮本信子のデュエットでカバーしたT字路sの「これさえあれば」の芦田さんの歌声が芝居と同じぐらい素晴らしい。将来の夢が叶って医師になっても、歌うことだけは止めないでもらえたらと思います。

 

2022年7月17日日曜日

キャメラを止めるな!


自称「早い、安い、質はそこそこ」な映画監督レミー(ロマン・デュリス)は、日本でヒットした30分ワンカットのゾンビ映画のリメイクのオファーをB級映画専門チャンネル「Z」から受ける。

ゾンビ映画の撮影中の廃墟に本物のゾンビが現れ俳優たちも撮影スタッフもゾンビ化して撮影現場はパニックに陥ってしまう。

2017年の上田慎一郎監督作品『カメラを止めるな!』をフランスでリメイクするにあたり、追加されたのは上記のリメイクの依頼という二重三重の入れ子構造。日本側のプロデューサーマダム・マツダ役に竹原芳子(オリジナル作品時の芸名はどんぐり)の通訳役(成田結美)があらたにキャストに追加されています。

冒頭は完成した30分ワンカットのゾンビ映画、中間部約45分が撮影開始までのトホホな過程、最後の30数分がメイキングのドタバタという構成はオリジナル版と同じで、台詞も基本的には同じ。役者がフランス人、イギリス人、イタリア人ほか多国籍なのに劇中劇の役名が日本語のまま、監督はヒグラシ(仏語発音だとイグラシ)、主演のふたりはチナツ(マチルダ・ルッツ)とケン(フィネガン・オールドフィールド)とへんてこで、まず笑いを誘います(この伏線は後に回収される)。

俳優陣はみな芸達者で、特に主人公レミーの妻ナディア(ベレニス・ベジョ)のハジけっぷりが完全に振り切れていて爽快なのと父と同じ監督志望の娘ロミー(シモーヌ・アザナビシウス)が鬱屈しながらも両親に敬愛の情を持つ思春期の微妙な揺れをよく表現していました。この母娘役はアザナビシウスの実の妻子でもあります。

『カメラを止めるな!』はB級映画愛に溢れた傑作ですが、本作もオリジナル版へのラヴ&リスペクトに加え、フランス映画らしいアイロニィとオシャレ感もあるエンターテインメントとして、しっかり楽しめる作品に仕上がっており好感が持てます。

 

2022年7月12日火曜日

野生の少年

小雨の夜。生誕90周年『フランソワ・トリュフォーの冒険』からもう一本。角川シネマ有楽町で『野生の少年』デジタルリマスター版を観ました。

1798年、南仏アヴェロン。森にきのこ狩りに来た農婦が汚れきった全裸の少年(ジャン=ピエール・カルゴル)を発見する。猟犬を連れた村人に捕らえられた少年は四足歩行し言葉を話すことができない。幼くして親に捨てられ山中で木の実や草を食べ川の水を飲み独力で数年生き延びた。

少年はパリに移送され国立聾唖学校に入れられる。同級生たちに虐げられ、貴婦人たちの見世物にされる。イタール博士(フランソワ・トリュフォー)は少年をパリ郊外クルテイユの自宅に引き取り、ヴィクトールと名付けて、教育を施す。

トリュフォー監督作品の中ではメジャーではなく僕もはじめて観ました。18世紀末、フランス革命直後の啓蒙主義の時代背景を想像すると、イタール博士の指導はもっとスパルタだったのではないかと思うのですが、映画のイタール博士はヴィクトールを力で組み伏せることなく、心理的にも過大な負荷はかけない。できないことをさせようと何度か仕向けてもできないときは絶妙な頃合いですっと引き下がります。2022年の人権意識からするとぎりぎりな感じですが、撮影された1969年の感覚ではヴィクトールの人間性に過不足なく配慮していたのでしょう。

トリュフォー監督の芝居が達者で、イタール博士はヴィクトールのことを単なる研究対象ではなく、家族として愛情をもって接していたことが伝わります。トリュフォー作品はすべからく女性讃美映画だといわれますが、本作も例外ではなく、家政婦ゲラン夫人(フランソワーズ・セニエ)はどんなときでもヴィクトールを100%受容し、近所に住む酪農家レムリ夫人(アニー・ミレール)は食器を壊されても彼を温かく迎え入れます。

それだけに、いつかヴィクトールが野生に戻り、森に帰ってしまうのではないか、と感情移入し、はらはらしながら観ました。

ネストール・アルメンドロス撮影の白黒画面のカメラワークがハイコントラストで美しく、1969年というドローンのない時代にどうやって撮ったのだろうと思う上空からの俯瞰ショットが印象的な映画です。