2020年10月18日日曜日

星の子

曇天。TOHOシネマズ日比谷にて大森立嗣監督作品『星の子』を観ました。

主人公林ちひろ(芦田愛菜)は中学3年生。生後、皮膚疾患で常時泣き叫び続け、母親(原田知世)はストレスMAX、父(永瀬正敏)が勤務先の先輩から紹介された「金星のめぐみ」というペットボトルの水でちひろの皮膚炎はやがて回復。そこから両親はニューサイエンス系の新興宗教にのめり込んでいく。

長姉まーちゃん(蒔田彩珠)は両親との確執から家出し男と暮らしている。「どこが好き?」とちひろに尋ねられ「しいて言えば溜息とか?」と答える。

新任数学教師の南(岡田将生)に憧れるちひろは授業をろくに聞かずに先生の似顔絵ばかり描いているが、その落書きノートはかつて母が産後の苦悩を綴った十年日記の余白だ。

制作会見で記者に「信じるとは?」と訊かれた芦田愛菜さんの理知的な返答はメディアで称賛されました。恋をすることで自分や家族と異なる価値観の存在を知り、葛藤しながらも日常は続き、両親を信じつつ同時に疑問も抱く。

2017年に野間文芸新人賞を受賞した今村夏子の原作が昨年末に文庫化された際、既に映画化が決まっており芦田さんの帯が巻かれていたので芦田さんの顔を主人公に当てて読みました。

もともと口数の多くない役ですが、泣きながら全力で走って帰宅するカット、ホームルームで南先生に叱責されたときの説明のつかない感情がこみ上げて溢れ出す表現など、科白のないシーンでも揺れる思春期の少女を芦田さんが作為を感じさせない自然な演技でリアルに彫り出してくる。親友なべちゃん(新音)の歯に衣を着せぬ感じもいい。

教義について詳細な描写はあえて避けられていますが、中間幹部らしき昇子さん(黒木華)が言う「あなたがここにいるのは自分の意思じゃない、受け取ったメッセージに従っているだけ」という非常に運命論的な科白が印象に残ります。

満点の星空を見上げるラストシーンに重なる世武裕子のピアノ。それにしても、母娘というのは物理的に距離が近いものだな、と思いました。


2020年10月4日日曜日

真夏の夜のジャズ 4K

金木犀の候。恵比寿ガーデンシネマバート・スターン監督作品『真夏の夜のジャズ 4K』を鑑賞しました。
 
米国ロードアイランド州ニューポートはその名の通りの港町。洒落た別荘が建ち並ぶビーチリゾートでもある。1954年に始まり現在も続く野外フェスの第5回1958年の記録映画です。大学生だった1980年代にVHSの粗悪なコピーで断片的には観たことがあるのですが、今回4Kリマスターされたということであらためて全編を通して観ました。

1曲目はジミー・ジュフリー・スリーで "Train and the River"。ジュフリーのテナーサックス、ボブ・ブルックマイヤーのバストロンボーン、ジム・ホールのギターというリズムレストリオの脱構築ブルース。つづくセロニアス・モンク、終盤のチコ・ハミルトン・クインテットあたりのアブストラクトな演奏が当時の最先端音楽だったのだと思います。

際立つカメラワーク。ブルックマイヤーを背景にジュフリーの横顔をひたすら長回しする。ジャズの愛好家なら楽器を操る指先にも注目したいはずだが、完全スルーで画角に入らない。モンクの鍵盤も映らない。撮影当時29歳の気鋭のファッションカメラマン、スターン監督の美学が全編に貫かれています。

そして真っ赤なズートスーツに口の端でリードをハスにくわえる金髪のジェリー・マリガンは、ポール・シムノンか、シド・ヴィシャスか、と見紛う格好良さ。

裕福そうな白人中心のファッショナブルな美男美女を揃えた客席の前列部分は実は仕込みだったという話は以前からありましたが、真偽の程はわかりません。1958年はモータウン創業の年チャック・ベリーの今作への出演に象徴されるロックンロール黎明期、まだぎりぎりジャズがユースカルチャーだった時代。ライブ毎に過剰な即興が課せられるストレスを麻薬と酒でスポイルしたジャズのダークサイド、Rebel Musicの要素を排除したこの作品には、こだわりの蕎麦屋のBGMにジャズが流される現代に続く何かがあると言ってもいいのではないでしょうか。

ルーズでドラッギーなジャズを聴き続けた耳に、チコ・ハミルトン・クインテットのチェロ奏者ネイサン・ガーシュマンが薄暗いリハーサル室でひとり上半身裸で弾くJ.S.バッハ無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードが清涼に染み渡ります。

4Kテクノロジーということでは、マヘリア・ジャクソンの吐く息まで映し出しますが、温暖化以前は夏でも夜は息が白くなったのか、昨今の世相を映して飛沫なのかは定かではありません。

この1958年のニューポートジャズフェスティバルにはマイルス・デイヴィスも出演しています。しかも翌年にあの超名盤 "Kind Of Blue" をレコーディングするのと同じジョン・コルトレーンビル・エヴァンスを擁するクインテットですが、映画はそのことには毛ほども触れません。気難しいマイルスが完璧主義を発動させ、すべてボツにしたのだろうと容易に想像がつきます。