2024年1月28日日曜日

サン・セバスチャンへ、ようこそ


「書きかけの小説を中断して、妻とサン・セバスチャンに行くことにした」というインタビューシーンから映画が始まる。主人公モート・リフキン(ウォーレス・ショーン)はニューヨークの大学で映画学を教えている。若い頃から作家志望だが、いまだ一冊も小説を書き上げていない。

「この時代の批評家は現実を描いた映画なら何でも評価する」。モートの妻スー(ジーナ・ガーション)は映画会社の広報担当。担当している若いフランス人の社会派映画監督フィリップ(ルイ・ガレル)に恋している。

「政治は一過性だ。大事なことがこぼれ落ちる」と言うモートはヨーロッパの古典映画の芸術性を何より重んじている。神経質なモートは胸の痛みを感じ、受診した医師ジョー・ロハス(エレナ・アナヤ)に恋心を抱く。

北スペインのビーチリゾート、サン・セバスチャンで毎年9月に開催される国際映画祭の一週間を舞台にしたロマンチック・コメディです。老境を迎えてもなお自分探しをしている主人公が痛い。映画館を出るとき前を歩く若いカップルの彼女が「おじさんのつぶやき映画だったね」と言っていました。

88歳のウディ・アレン監督がハリウッドで干され、ヨーロッパで映画を撮り続けている。比較的近年に同監督がヨーロッパを舞台にして撮った『恋のロンドン狂騒曲』(2010)、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)、『ローマでアモーレ』(2012) の傑作群と比べると、目の醒めるようなアイデアも爆笑シーンもないですが、お祭りの始まるわくわく感と最終日の寂寥感は存分に味わえます。

主人公モートの夢や妄想に登場する過去の名作映画では『突然炎のごとく』がやっぱり好きだな、と思いました。音楽は本作も最高です。

 

2024年1月12日金曜日

カラオケ行こ!

快晴。TOHOシネマズ日本橋山下敦弘監督作品『カラオケ行こ!』を観ました。

本降りの雨に濡れて肌に貼りついたシャツに背中の刺青が透けて映る。成田狂児(綾野剛)は大阪の裏通り南銀座に事務所を置く四代目祭林組若頭補佐。

中学三年生の岡聡実(齋藤潤)は合唱部部長。大阪府大会3位で全国大会を逃した。ももちゃん先生(芳根京子)が楽屋に忘れたトロフィーを取りに帰ったコンサートホールの大階段で「カラオケ行こ!」と成田に迫られる。組長(北村一輝)の誕生日に毎年開かれる組のカラオケ大会で最下位になると過酷な罰ゲームが待っている。合唱コンクールで一番上手かった学校の部長に教われば間違いない、と言われる。

成田狂児の十八番はX JAPANの「」。初めは狂児を恐れ、蔑む聡実だったが「裏声が気持ち悪いです」と一刀両断。いくつかのエピソードを経て心を通わせていく二人。後輩和田(後聖人)のジェラシー、彼らを見守る副部長の中川(八木美樹)の包容力。僕はプラトニックなBLコメディとして鑑賞しました。

成田はじめ組員たちが心優しく、ひとりだけヤバいのがいるのですが既に破門されている。聡実と成田それぞれ両親との関係性、漫画原作にはない映画を観る部、サイドストーリーもしっかりメインテーマと絡まり、無駄なシーンがない。野木亜紀子の最近作と比べて社会課題色は薄いですが、上記の意味で見事な脚本です。コンクールのためにがんばってきたのに変声期でボーイソプラノが上手く歌えない聡実には、基礎も何もないが必死に歌う狂児がまぶしく見えたのしょう。顧問役で芳根ちゃんの起用とエンドロールのリトグリは、両者の出世作である2015年のTBSドラマ『表参道高校合唱部』へのオマージュか。

聡実の母親(坂井真紀)が、夕飯時に自分の鮭の塩焼きの皮を剥がして、父親(宮崎吐夢)の茶碗に盛られた白飯の上に乗せるだけの衝撃のスローモーション。他家には理解できないその家族だけのルールってあるよね、って思いました。

リンダ リンダ リンダ』『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』『オーバー・フェンス』『ぼくのおじさん』と、山下作品はそれなりに観ているほうだと思いますが、今作はかなり上位に入ります。

 

2024年1月7日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

正月七日。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックカワグチタケシ冬の朗読に出演しました。

いつもお世話になっているノラバーの新年最初のライブを任せていただき光栄です。あらたまった気持ちで臨むことができました。ご来店のお客様、デザートミュージックの配信をご視聴いただいたお茶の間の皆様、おいしいお料理でおもてなししてくださったノラバー店主ノラオンナさん、あらためましてありがとうございます。


冬の朗読というサブタイトルをノラさんにつけていただいたので、冬の詩でセットリストを組みました。ノラバーのアイコンでもあるセキセイインコの梨ちゃん2号が拍手のタイミングを先導してくれました。

ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、きんぴらごぼうの定番おかずに、月替わりのつくねたれ、菜の花からし和え、かぼちゃそぼろあんかけ、梅ごはん、ほうれんそうととうふのみそ汁の2024年1月のノラバー御膳は変わらず滋味でした。かぼちゃと菜の花にWinter to Springを感じます。

30分間のインスタ配信ライブ「デザートミュージック」は本日のご来場者様特典であるカワグチタケシ新作小詩集『fragments』に収録した以下6篇をお届けしました。

1. 永遠の翌日
2. スターズ&ストライプス
3. 名前
5. 十一月の話をしよう
6. 道路にまつわる断章 fragments on the road(新作)

2016~2023年に書いた詩作品のうち、共通する制作過程を持つ6篇です。思いついたフレーズや読んだ本の一節、テレビや映画で聞いて印象に残った言葉などをメモ帳やスマホに記録しておいた断片が組み合わさって、世界が立ち上がるようなときがあります。その瞬間を掴まえて詩作品にするという手法にも近年取り組んでいます。

配信が終わったらノラバープリンとノラバーブレンドコーヒーの時間です。お客様それぞれのお雑煮事情を伺ったり、店主ノラさんとお客様二人が20年前にスリーマンライブで共演していた話で盛り上がったり、楽しくにぎやかなデザートタイムを過ごしました。

 

2024年1月6日土曜日

冬ごもりの食卓

冬晴れ。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmue冬のワンマンライブ『冬ごもりの食卓』に行きました。

mueさんが例年4月11日に開催しているバンドセットのライブが2023~2024年には4回。4/11(火)『ごめんね。仲直りをしよう。』、7/11(火)『どんな気持ちも感じたままに踊る』、10/11(水)『思ったとおりにする魔法』と同じく熊谷太輔さん(dr)、市村浩さん(b)、タカスギケイさん(g)の3人がバックアップ。僕も4回全部に参加できたことがうれしいです。

回数が増えると内容が薄まるのかというのは全くの杞憂で、いずれのライブも定番曲からある意味解放されて、普段バンドセットでは聴けないレア曲満載のファンには堪らない構成です。オリジナル曲では、8年前の作品なのにボカロ的な節回しが特徴的な「東京コースター」、mueさんの高音が一番きらきら聴こえる「トリガー」、タイトルに反して流麗な旋律の「がんばらない」、「都会のジャングル」のキメ。はじめて聴いた小島麻由美E.クラプトンのカバー。

本人は割と苦手意識があるようですが、MCも最高でした。「もしかしてみなさんの心に届かない曲かもしれません」なんて、いまだかつてライブのMCで聞いたことのないすごいことを言う。そしてその個人的な曲を少なくとも僕の心にはしっかり届けてしまう。マジカルな音楽の力。

アンコールの「旅するように」を含め全20曲。超有能且つ優しさ溢れる男子3名のサポートを受けて、歌声の力強さが際立つ。1本ずつ独立したコンセプトを持ちつつ、4本のライブを総合してmue musicの全容を提示してもらったように感じます。『地球バンドで、君は何をする』というライブタイトルが発表された次回4/11(木)にどんな集大成を見せて新しいフェーズに入っていくのでしょうか。とても楽しみです。

 

2024年1月3日水曜日

ポトフ 美食家と料理人


1884年、フランス。明け方に郊外の邸宅の庭で野菜を収穫するウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)。邸宅の主ドダン(ブノワ・マジメル)が目覚め、厨房にやって来る。女中のヴィオレット(ガラテア・ベルージ)と3人でオムレツとサラダを料理し、ヴィオレットの姪ポーリーヌ(ボニー・シャニョー=ラボワール)も加わって同じテーブルで朝食を摂る。

ドダンは有閑階級のガストロノミー(美食家)、ウージェニーは住み込みの料理人。4人は美食家仲間のための昼食の準備に取り掛かる。

昼食が供されるまでの約30分。最小限の台詞とステディカムの長回しでずっと料理の過程を追う圧巻のオープニングです。エンドロールを除いて劇伴音楽はなく、厨房で炭火のはぜる音、野菜を洗う水音、包丁の音、沸騰する鍋、油のはねる音、食器の当たる音、料理人たちの息づかい、窓の外の鳥のさえずりが音楽以上に音楽的に使用されています。

貴族の美食家と労働者階級の料理人という雇用関係にありながら、20年以上のパートナーシップを継続し、恋人でもあるが、ウージェニーはドダンの求婚を何度も断っている。二人は対等であり、第三共和政下においても女性の参政権がまだなかった19世紀末を現代的に翻案している面があるとは思いますが、互いに対する信頼と恋愛以上の絆で結びついている二人の関係性は心地良い。

トラン・アン・ユン監督はデビュー作の『青いパパイヤの香り』でも調理と食事のシーンを美しく描写していましたが、ベトナムからフランスに舞台を移した本作でも同様かそれ以上に描いています。本作の衣装担当で妻であり俳優のトラン・ヌー・イエン・ケーに捧げているのは、美食家と料理人を映画監督と俳優に重ね合わせている面もあるからでしょう。

初めて味わうブルギニョンソースの材料を次々に当てる絶対味覚の持ち主ポーリーヌ役が映画デビューとなる12歳のボニー・シャニョー=ラボワールのまっすぐに透き通った眼差しが美しい。今後フランス映画界のアイコン的存在になるのではないかと思います。

 

2024年1月1日月曜日

PERFECT DAYS

雨上がりの元日。TOHOシネマズ錦糸町オリナスヴィム・ヴェンダース監督作品『PERFECT DAYS』を観ました。

夜明け前。曳舟の木造アパート二階、老婆が通りを掃く箒の音で平山(役所広司)は目を覚ます。布団をたたみ、歯を磨き、鋏で髭を整え、鉢植えに霧吹きし、仕事着に着替える。ユニフォームの背中には The Tokyo Toiletの文字。靴箱の上の鍵束と小銭をポケットに入れ、ドアを開けて空を見上げる。

自販機でBOSSを1缶買って、ダイハツの青い軽バンに乗る。 首都高に乗って、カセットテープをカーステレオに入れる。今朝の選曲はアニマルズの「朝日の当たる家」。

渋谷区の公衆トイレ清掃員の日常のルーティーンを繰り返し詳細に描く。毎日同じ代々木八幡宮の境内で同じコンビニのサンドイッチを食べ牛乳500mlを飲み、仕事後は銭湯に浸かり、自転車で隅田川を渡り浅草の居酒屋へ行く。寝床でフォークナーの『野生の棕櫚』を数ページ読む。一日の出来事を夢でぼんやり反芻する。

車中の選曲は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドオーティス・レディングパティ・スミスヴァン・モリソンと変わり、フォークナーを読み終わったら幸田文パトリシア・ハイスミスと変わっても、生活は変わらない。変わらない生活だが、ふたつとして同じ日はない。

「なんでずっと今のままでいられないんだろう」と「何も変わらないなんてそんなバカなことはないですよ」の狭間で登場人物も観客も揺れる。自室の膨大な書籍とカセットテープ、家出した姪のニコ(中野有紗)を迎えに来た母親、つまり平山の妹(麻生祐未)と交わす会話から暗示される過去から、これは現代の貴種流離譚だと思いました。一方で、最後に呪いが解けて王子様に戻ることはなく、清掃員の日々のディテールをエンドロールまで繰り返し描くことで、社会インフラを陰で支えるエッセンシャルワーカーに光を当てる。


柄本時生の最初の台詞まで12分、主演の役所広司が声を発するまで更に3分、その後も極端に少ない台詞で、複数の登場人物の画面には描かれない物語を観客の脳内で補完させる演出が流石です。鑑賞後の会話が尽きないので、デートムービーに最適と言えましょう。