2019年2月24日日曜日

家へ帰ろう

埃っぽさに春の兆しを感じる日曜日。シネスイッチ銀座パブロ・ソラルス監督作品『家へ帰ろう』を観ました。

2015年ブエノスアイレス。88歳のアブラハム・ブルステイン(ミゲル・アンヘル・ソラ)は引退したテーラー。大勢の孫たちに囲まれているが、翌日には老人介護施設に入れられ、具合の悪い脚を切断されてしまうだろう、という前夜、地下チケット屋で入手した航空券でスペインに飛ぶ。

アブラハムはポーランドのウッチ出身のユダヤ人。ナチスのホロコーストで両親と幼い妹を亡くし、自身は強制収容所を脱走。アルゼンチンに亡命した。キャリアの最後に仕立てた背広を命の恩人である幼馴染に贈るための旅を描くロードムービーです。

70年経った現在も、ドイツの土地を踏みたくない、祖国の名を口にしたくない、と言う。トラウマというよりもはや憎悪。

飛行機で隣に座ったオルタナ系鍵盤奏者レオナルド(マルティン・ピロヤンスキー)、マドリッドのホテル経営者マリア(アンヘラ・モリーナ)、パリ出張中のドイツ人文化人類学者イングリッド(ユリア・ベアホルト)、ワルシャワの看護師ゴーシャ(オルガ・ボラズ)の4人に旅の途中で出会う。いずれも第一印象は最悪だが、自然と心を開き、アブラハムの助けとなる。

重たいテーマながら、ラテンらしいユーモアが全編にちりばめられており、演出もスピーディで、気持ちの良い映画です。派手なブルーのストライプと赤いベルベット、自ら仕立てた2着のスーツの見事な着こなし。旅の途中はナイキだが、最後に旧友と再会するときにはぴかぴかに磨いたドレスシューズに履き替えているのが最高にエモいです。



2019年2月11日月曜日

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

建国記念の日。TOHOシネマズシャンテダニー・ストロング監督作品『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を鑑賞しました。

1939年。ニューヨーク市立大学を中退した二十歳のジェローム・デイヴィッド・サリンジャーニコラス・ホルト)は、ストーククラブに入り浸り酒とナンパに明け暮れる無為な日々を送っていた。

精肉業で成功した厳格なユダヤ人の父に反対されながら、母親の支援を受けてコロンビア大学のクリエイティブライティングコースに再入学。担当教授ウィット・バーネットケビン・スペイシー)と出会う。

「作家の声が物語を圧倒すると、物語を乗っ取ってしまう」「作家に必要な第二の才能は不採用に耐えることだ」。若きサリンジャーの成長譚であるとともに、教師であり文芸誌の編集者であるウィットとの関係性、邂逅と薫陶、共感と確執に重点を置いて描いています。

ニューヨーカー誌に短編が載ることになり、いままで目もくれなかった劇作家ユージン・オニールの娘ウーナ(ゾーイ・ドゥイッチ)が急接近してくるが、徴兵されD-DAY(ノルマンディ上陸作戦)やアウシュビッツ強制収容所の解放など、凄絶な戦闘行動に従軍している間に30歳以上年上のチャーリー・チャップリンと結婚してしまう。泥まみれの塹壕で彼を唯一支えたのは、のちに『ライ麦畑でつかまえて』に結実するホールデン・コールフィールドの物語を綴ることだった。

『ライ麦畑』の成功により大戦後のセンシティブなアングリーヤングマン代表的な扱いを受け、東洋思想に嵌まった後半生の隠遁生活などからコミュ障でエキセントリックな印象が強いサリンジャーですが、『ミッドナイト・イン・パリ』のスコット・フィッツジェラルドフィリップ・シーモア・ホフマンが演じた『カポーティ』なんかと比べると「生きることの苦しみを偽ることなく伝えたい」と言うとてもまともな人。

十代の頃、20世紀アメリカ文学の金字塔ってことで『ライ麦畑でつかまえて』を読んで全然夢中になれなかったのですが、ニューヨーカー誌の編集長やベテラン編集者が「作家意識が前に出過ぎで読むのが疲れる」と言うのを聞いて、作品本来の意図とは逆の意味で、僕は独りじゃなかった、と思わせてくれる映画でした(『ナインストーリーズ』『フラニーとゾーイー』は好きです)。

 

2019年2月3日日曜日

ナチス第三の男

節分の午後TOHOシネマズシャンテセドリック・ヒメネス監督作品『ナチス第三の男』を観ました。

1929年独キール。海軍少尉ラインハルト・ハイドリヒジェイソン・クラーク)は将来を嘱望されていたが、女性問題で失脚し不名誉除隊となった。婚約者リナ(ロザムンド・パイク)はナチ党員。その紹介で入党、反対勢力の大粛正とユダヤ人虐殺で実績を上げ、ヒトラー、ヒムラー(スティーブン・グレアム)に次ぐ党ナンバー3まで昇りつめ、ナチ統治下のプラハを任された。

一方、チェコスロヴァキアのレジスタンス、ヨゼフ(ジャック・レイナー)とヤン(ジャック・オコンネル)がハイドリヒ暗殺のために、亡命先のロンドンから飛び立った英国空軍機から豪雪のチェコスロヴァキア山中にパラシュートで降下する。

ローラン・ビネの小説『HHhH プラハ、1942年』の映画化。台詞は英語、映画の原題は "The Man With The Iron Heart" です。

前半はハイドリヒの物語。エリート士官が挫折を経てナチスの思想にのめりこみ、反対勢力や疑わしき者は容赦なく殺す。その経緯を短いエピソードの積み上げで上手く描写しています。彼が率いたナチスSS(親衛隊)、ゲシュタポ(秘密国家警察)の冷徹な非道ぶりには憎しみや嫌悪を超えて、無気力すら覚える。

後半はチェコのレジスタンスたちが主人公。英国軍とのパワーバランス、暗殺計画、実行、ナチスの報復。志を持つ男たちが圧倒的な物量に敗北するリアリズム。手持ちカメラの躍動的な画角でスリリングに切り取っています。

そして女たちはいずれの側でも翻弄され、時代の奔流に飲み込まれていく。ハイドリヒの妻リナもヤンの恋人アンナ(ミア・ワシコウスカ)も美しく、強く、人間的に描かれている。

残念なのは、前半と後半が別の映画のように見えてしまうところ。救いのない物語ではありますが、ラストカットでヨゼフとヤンの輝かしい青春の1ページに巻き戻したことが、やり直しの利かない人生に微かな光明を与えてくれます。