2021年10月23日土曜日

スターダスト

秋晴れ。TOHOシネマズ シャンテにてガブリエル・レンジ監督作品『スターダスト』を観ました。

1971年、ワシントンD.C. ダレス国際空港の税関で24歳のデイヴィッド・ボウイジョニー・フリン)は足止めをくらっていた。3rdアルバム『世界を売った男』のプロモーションのための全米ツアーに招かれたはずが、興業ビザは用意されておらず、女装のボウイに審査官の疑念の目が向けられた。

数時間後、ようやく入国審査をパスしたボウイをマーキュリーレコードのA&Rマンであるロン・オバーマンマーク・マロン)がピックアップするが、ライブのブッキングはおろかホテルの予約すらされておらず、宿泊先はオバーマンの実家。新譜は音楽ジャーナリストに「悲惨、陰鬱、不可解」と烙印が押され、オバーマン以外のマーキュリーレコ―ドの社員からも不評だった。

デイヴィッド・ボウイが1972年に発表したロック史上の名盤『ジギー・スターダスト』でブレイクする以前の下積み時代を描いた映画ではありますが、ボウイの遺族側から楽曲の使用許可が下りなかったことで、実在のミュージシャンを主人公にした映画としては変わり種となったと言ってていいと思います。その条件で、どうモチベーションを保って制作したのか、監督のインタビューをいくつか読んでみたところ、グレーテストヒッツMV的な束縛から解放されてボウイの内面を掘り下げることができた、ということではありましたが。。

兄弟で観に行ったライブ会場で突然倒れ、統合失調症で入院する兄テリー(デレク・モラン)。精神疾患を持つ親族が他にも複数おり、いつか自分も精神に異常をきたしてしまうのではないかという強迫観念を持つボウイ。兄の見舞いで見た役を演じることによって障がいの苦痛を軽減するセラピーから生まれた別人格ジギー・スターダスト。という流れは確かに理解できました。

自身ミュージシャンでもあるジョニー・フリンがコンタクトレンズでオッドアイを再現しボウイ役を好演しています。オリジナル作品をいくつか聴いてみましたが、声質と発声がボウイに似ていると思いました。One believer can change the world. という自らの言葉を現実にしたオバーマンとのバディもののロード・ムービーとしては悪くないです。

笑えるところもあります。

①ロンドンのパーティ会場のVIPルームで詩を朗読してバンギャたちにキャーキャー言われる小太りのマーク・ボランジェームズ・ケイド)。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライブでテンションの上がったボウイが打ち上げで暑苦しく歌詞を讃えた相手がルー・リードではなく後任のダグ・ユールだった(オバーマンはその場で気づいていたが面白がって後で教えた)。

③ジギー・スターダストの初回公演の本番前、アンジージェナ・マローン)が用意したサテンやスパンコールの衣装を本気で嫌がるザ・スパイダース・フロム・マーズのメンバーたち。特にミック・ロンソンアーロン・プール)の拒絶っぷりがひどい。

 

2021年10月19日火曜日

ジャズ・ロフト

夜のにわか雨。Bunkamuraル・シネマで、サラ・フィシュコ監督作品『ジャズ・ロフト』を観ました。

報道写真家ユージーン・スミス(1918-1978)は出版社との摩擦、家族との離別により、郊外の豪邸を出て、NY市マンハッタン6番街821番地、花問屋街に建つ老朽化したアパートメントに住まいを移しスタジオとする。そこにジャズマンたちが集まり、夜更けから明け方までセッションを繰り広げた。

1957~65年、8年間の記録を膨大なポートレートと、当時を知るミュージシャン、写真家、元隣人、音楽ジャーナリスト、研究者たち、50人以上の証言を編集したドキュメンタリーフィルムです。

「常にジャズは居場所を求めていた」「当時は演奏できる場所は少なかったが、クリエイティブな空間があると評判になっていた」。

映画は大きく3つのパートで構成されています。第一にユージン・スミスの栄光と挫折、第二にズート・シムズを中心とするジャムセッション、第三に "The Thelonious Monk Orchestra At Town Hall" のセロニアス・モンクホール・オーヴァートンによるリハーサル。

ユージーン・スミスは動画を撮影しておらず、ロフトの風景はモノクロのスチール写真のカットアップと音声によって表現されます。スミス自身が高価な機材を購入し録音したテープは演奏だけでなく会話や電話の音なども録音状態が良く、当時の空気が生々しく伝わってくる。特に、モンクの "Little Rootie Tootie" のエキセントリックな和声をピアノで解析しホーンアレンジに昇華するオーヴァートンとのやりとりは興味深い。ミュージシャン以外に、サルバドール・ダリノーマン・メイラーの姿も写っています。

ジャズにはつきもののドラッグですが、朝まで眠らずに仕事を続けるためにユージーン・スミスはアンフェタミンを常用していた。おそろしいほどのエナジーが渦巻き、「25歳でバーンアウトしてしまった」というドラマーのロニー・フリーの言葉にマスネのオペラ『マノン』のアリアが重なる終盤は痛々しいです。

スミスの写真の技法についても言及されています。現像した印画紙が乾く前に漂白剤を浸した綿棒で擦ることでハイライトをつけて、あのドラマチックな陰影を作っていたんですね。知りませんでした。

 

2021年10月17日日曜日

サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~


主人公ルーベン・ストーン(リズ・アーメッド)は2ピースデスメタルユニットBLACK GAMMONのドラマー。ギター/ボーカルのルー(オリビア・クック)とは恋人同士で、トレーラーハウスに乗って旅をしながらライブハウスで演奏する日々を送っている。

ある日、ライブの物販準備中に聴覚の異変に気づく。身の周りのあらゆる音がくぐもって聞える。医者にかかると、既に聴覚の70~80%は失われており、回復させるには4~8万ドルと高価なインプラント手術が必要だと言われる。ルーは、事実が受け入れられず自暴自棄になるルーベンを、ベトナムで戦闘中の爆発により失聴したジョー(ポール・レイシー)が山奥に建てた聾者のグループホームに連れて行く。共同生活する大人の聾者の多くは依存症もしくは依存症経験者だった。

従軍看護師の母親と米国中の基地を転々としながら育ったルーベンは根無し草。手首に多数のリスカ痕のあるルーとトレーラーハウスだけが安息地だったのでしょう。そこから切り離され、外界と連絡を禁じられたホームの閉塞感、毎朝5時にテーブルひとつしかない部屋でノートに文字を綴らなければならない苦行。自分自身と正面から向き合うのは容易いことではありません。

他の入所者や聾学校の生徒たちとの交流から徐々に心を開き、手話を身につけていく過程は希望が見えますが、ルーベンの求める未来はそこにはなかった。

2021年度アカデミー賞音響賞を受賞した本作品は音響効果が見事の一言。難聴者に聞こえている世界を体感することができます。僕自身、30代前半に左耳の突発性難聴を患ったことがあり、片耳で一時的とはいえ同様な聴覚を持った経験からリアルに感じられました。インプラント後のパーティの喧噪や大聖堂の鐘の音の金属的な聴覚は耐えがたく、話されている言葉の意味はわかっても人声や生活音の心地良さが失われてしまうことについての是非を考えさせられる。失聴はハンディキャップではなく静寂の中にこそ平穏があるという、ジョーの言葉が響きます。

バリアフリー上映ということで、聴覚障害を持つ方にもわかるように、台詞の上に役名が表示され(不調和な音が響き出す)(メタル音楽の演奏)(ひずんだ)(穏やかな)といった括弧付きの字幕が表示され、聞こえない人が映画をどう観ているのか、一端を垣間見ることができます。一点(悲しげなBGM)は僕には悲しげには聞こえませんでした。

タイトルは『サウンド・オブ・メタル』ですが、メタルの概念が爆発的に拡大細分化している現在、一概に言えない面があるにせよ、ルーベンがIRON MAIDENMETALLICAではなく、YOUTH OF TODAYパーカーEinstürzende NeubautenG.I.S.M.のTシャツを着ているのに象徴されるように、BLACK GAMMONの音楽はハードコア、ポストパンク寄り。トレーラーハウス内にはGAUZE自殺のポスターが貼ってあり、米ハードコアシーンで1980年代の日本のパンクロックがリスペクトされていることがわかります。

 

2021年10月9日土曜日

TOVE/トーベ

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町にて、ザイダ・バリルート監督作品『TOVE/トーベ』を観ました。

映画は1944年第二次世界大戦下のフィンランドの首都ヘルシンキの防空壕から始まる。30歳のトーベ・ヤンソンアルマ・ポウスティ)は、油彩抽象画をそっちのけで画用紙に小さな妖精たちの走り書きばかりしている。国民的彫刻家の父ヴィクトルロベルト・エンケル)は保守的な芸術観の持ち主で娘を認めようとしない。

ホームパーティで出会った左派議員で新聞社勤務の妻帯者アトス・ヴィルタネンシャンティ・ルネイ)と不倫関係にありながら、自身の個展のレセプションで声をかけてきた市長の娘で舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラークリスタ・コソネン)とも肉体関係を持つ。トーベにとってヴィヴィカははじめての同性の恋人だった。

ムーミンの作者トーベ・ヤンソンの約10年間を描いた伝記映画ですが、物語やキャラクターの誕生秘話というよりも、バイセクシュアルであるトーベの複雑な恋愛感情に焦点を当てた演出です。現在はリベラルで高福祉、多様性を重んじる印象のあるフィンランドでも、1971年まで同性間の性行為が違法とされていました。
 
たいていの集まりには遅刻して到着するトーベ、個展に出品したくわえ煙草の自画像を父親に裏返しにされてしまうトーベ、法を犯しても愛するヴィヴィカに裏切られても自分の意思を貫くトーベを映画監督でもあるアルマ・ポウスティがチャーミングに演じています。

北欧映画らしい色調の美術と衣装が魅力的なのと、殊に音楽が素晴らしいです。蓄音機から流れるデューク・エリントンカウント・ベイシーのビッグバンドジャズ、当時のシャンソンマッティ・バイの控え目なピアノ中心の劇伴で、各場面で実際に奏でられている音楽と主人公たちの脳内で鳴っている音楽が音響処理的に区分されている。市長の誕生日の夜に雪の積もったバルコニーでトーベとヴィヴィカが踊っているとガラス扉が開いてフロアで演奏しているジャズが流れ込んでくるシーンやエッフェル塔を想うトーベが実際にパリに到着した途端にリバーブがドライに転換するところは痺れました。