2022年6月25日土曜日

ベイビー・ブローカー

2022年最初の猛暑日。ユナイテッドシネマ豊洲是枝裕和監督作品『ベイビー・ブローカー』を鑑賞しました。

舞台は現代の韓国釜山。滝のような雨水が流れる急な石段を登ってソヨン(イ・ジウン)は、坂道の上の教会に設置されたベイビー・ボックス(日本でいう赤ちゃんポスト)に我が子ウソンを捨てに行く。それを覆面パトカーから見ていた女性警官スジン(ペ・ドゥナ)は「捨てるなら産むなよ」と吐き捨て、玄関の床に置かれた赤子をボックス内の籐かごに移す。教会の職員ドンス(カン・ドンウォン)は違法ベイビー・ブローカー。クリーニング店主サンヒョン(ソン・ガンホ)と組んで、捨て子を里親に紹介し、仲介料を得ている。

翌日後悔したソヨンが戻ってくる。ギャンブルで作った借金返済のため金が必要なサンヒョンは、いい里親に育てられたほうが子どもは幸せだ、とソヨンを説得し、ドンスと3人で里親探しの旅に出る。人身売買の現行犯逮捕を狙うスジンと後輩警官イ(イ・ジュヨン)は、4人が乗ったクリーニング店のワゴンを尾行する。

上記6名と途中から合流する児童養護施設在住のサッカー少年ヘジン(イム・スンス)の7名が主なキャスト。異なるバックグラウンドと異なる事情で小児売買に関わる旅の過程でそれぞれの生き方が魅力的に描かれ、各々の不完全さが愛おしくなるロードムービーです。

実は自身も児童養護施設出身のドンスが、ソヨンとふたりきりの観覧車の密室で、自分を捨てた実母に対する本音を吐露する。「許さなくていい」と言うソヨン、「代わりに君を許す」と答えるドンス。たがいに優しくあろうとする姿が切ない。ひとつの失敗をもって社会から完全に消し去ろうとする、あるいは消えたいと願う、昨今の風潮に対する問題提起と捉えました。

ばらばらの目的を持って並行する線を最後にひとつのメッセージに収束させ、且つ問いかける監督の剛腕。子役の自然な演技の引き出し方はさすが。監督以外は基本的に韓国のキャストとスタッフです。ピアノといくつかの弦楽器を使用したチョン・ジェイルの音楽が素晴らしい。

ホルモンの串焼き、プチトマト、辛ラーメン。張り込み中の車内のスジンとイの食事シーンが豪快。同監督の『空気人形』(2009)とはまた違うペ・ドゥナのガサツさが最高にチャーミングです。

 

2022年6月19日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート

夏日。西武新宿線でひさしぶりに西武柳沢まで。ノラバー日曜生うたコンサートmayulucaさんの回にお邪魔しました。

18時半、2008年リリースの1stアルバムの1曲目にしてタイトル曲の「君は君のダンスを踊る」でライブはスタートしました。夏至2日前の明るい窓を背景に、mayulucaさんの心地良い声とギターでゆっくりと暮れていく時間を味わう。

コロナで2年間休止していたノラバー日曜生うたコンサート。その間ノラバーサンデーモーニングコンサートと名前を変えて日曜午前中の配信ライブを継続しており、オーディエンスとして出演者として僕も参加させてもらいましたが、会場で演奏を聴くのは2019年8月以来。コロナ前ここで最後に聴いたのもmayulucaさんでした。

初期には存在した楽曲の展開が、2nd『待ち焦がれているその朝は』(2011)、3rd『幸福の花びら』(2015)と進むにつれ薄まってどんどんミニマルになる。「空白のページ」の半分以上が空白(休符)なギターリフと「細かな傷のついた宝石を/掬いあげたの」とはじまる8行しかない歌詞。研ぎ澄まされた作品群にも関わらず親しみを感じるのは、MCの少しかすれた低めの声とにこやかな表情のおかげもあると思います。

約1時間13曲の終盤には2ndから「覚悟の森」を東京郊外の実家の裏山で録音した野鳥の声、葉ずれ、mayulucaさん自身の足音に重ねて歌う。

コロナ前のノラバー弁当はノラバー御膳にアップグレードされ、店主ノラオンナさんのアイデアと丁寧な仕事が更に光を増しています。大人味のカラメルソースをかけホイップクリームとチェリーの載ったノラバープリンとバニラアイスが運ばれ、今回の再開後からデザートミュージックと銘打たれたインスタライブが追加されました。

従来は10名限定だった生うたコンサートがディスタンス確保のため4名限定のプラチナシートとなった補完として、残念ながらノラバーの席をゲットできなかった方も配信ライブが視聴できる。

当日が父の日ということで、函館でバスの運転手をしていたノラさんの亡きお父様にちなんで、バスの運転手に尋ねる「出発」から再開したデザートミュージックは全6曲。会場の我々にとっては30分間のたっぷりめのアンコールという趣向です。コロナ禍において配信ライブで発表された新曲「裏庭」「あなたにとって光とは」をはじめて生演奏で聴けたのがうれしかったです。

 

2022年6月11日土曜日

私はワタシ over the rainbow


HIV陽性者ネットワークJaNP+代表でご自身もHIVポジティブをカミングアウトしていた長谷川博史さんが2022年3月7日に69歳の若さでお亡くなりになられました。

ゲイ・アクティヴィストの側面と並行して長谷川博史さんは、髭のドラァグクイーン・ピンクベア>として女装詩の朗読パフォーマンスをされ、僕も何度も共演したり、僕が編集委員をしていたフリーペーパーPOETRY CALENDAR TOKYOに寄稿していただいたり、生前大変お世話になり、またリスペクトしています。

彼をフィーチャーした、LGBTQ、セクシャルマイノリティのドキュメンタリーフィルム『私はワタシ over the rainbow』の追悼上映会を開催したいと、さいとういんこさんから相談され、協力を即答しました。

上映前に、いんこさんは今日のために書いた追悼詩を、僕はピンクベアさんの詩作品「visible/物言えぬ者の存在証明」と「熊夫人の告白2/血の問題」の2篇を朗読しました。

映画はその「熊夫人の告白2/血の問題」をライブ会場で朗読する車椅子のピンクベアさんから始まります。同性愛者、性転換者、無性自認者、その家族、50数名のインタビューで構成され、一言で性的少数者と言っても様々な志向と立場と感覚と考え方があり、ひと括りにはできないし、すべきではない、共存の可能性に向き合うことの重要性を伝えていると感じます。

異性愛者で選挙に行かない人がたくさんいるように、性的少数者でもセクシャリティを表明しない人のほうが圧倒的に多いはず。スクリーンに映る50数名はけっして少ない人数ではないですが、その背後には声を上げない数百万人の少数者が(国内だけでも)存在していることも忘れてはならない。

国際交流NGOピースボートの通訳Matt Douglasさんの「僕はゲイでセクシャルマイノリティ、日本では外国人としてマイノリティだけど、オーストラリアに帰れば(白人として)マジョリティに属する。誰もが複雑なアイデンティティを持つことを認識し合えば、どのマイノリティにも優しくなれる」という言葉が僕には一番響きました。

  

2022年6月10日金曜日

犬王

夏日。TOHOシネマズ日本橋湯浅正明監督作品『犬王』を観ました。

14世紀終盤の南北朝時代。室町幕府三代将軍足利義満(柄本佑)は北朝の正統性を裏付けるために、源平の合戦で安徳天皇とともに海に沈んだ三種の神器のひとつ、草薙剣が欲しかった。

その依頼を受けた壇ノ浦の漁師一族イオの頭(松重豊)と息子の友魚(森山未來)は素潜りで財宝を見つける。船に上がり剣を抜くと、イオの身体は上下半身まっぷたつに分断され、友魚は視力を失ってしまう。

現在の能楽は、当時はまだ申楽と呼ばれていた。京の都で観世一門と人気を分ける比叡座の三男(アヴちゃん)は異形の子。瓢箪の面をつけられ、家族からも犬同様に扱われていたが、琵琶法師の谷一(後藤幸浩)に弟子入りし、覚一座に入門して友一と名を変えた友魚と六条大橋の上で出会い、自らを犬王と名乗ることを決めた。

平家の亡霊から物語を受け取り、ビートの利いたオリジナル曲とスペクタクルなダンスの演出で庶民の人気を得る犬王と友一。鴨川の河原の野外劇場は京都を代表するエンターテインメントとなる。

古川日出夫原作小説、同じサイエンスSARU制作ということで、テレビアニメ版『平家物語』のスピンオフとも位置付けられる。『平家物語』は山田尚子監督、キャラクター原案高野文子、『犬王』は湯浅監督と松本大洋。音楽は牛尾憲輔から大友良英に置き換わりました。

水のアニメーション表現には定評のある湯浅監督だけあって、壇ノ浦の合戦のグラフィカルな描写、友魚が潜る海水の質感、水墨画のような大雨の筆致、異なるテイストで魅せます。アヴちゃんの歌唱も素晴らしい。友魚との最後のパフォーマンスとなった寝殿造りのワイヤーアクションは長大な薄布が空にたなびき、『プリシラ』の砂漠を爆走するバスの屋根でリップシンクするテレンス・スタンプを思い起こさせます。

足利義満は天下統一のため、覚一検校の正本以外の平家物語を禁じ、背くものに刑罰を与えた。友魚の命を守るために独自の演目を捨てることを将軍に誓う犬王。だがその祈りが届くことはなかった。

二人のマイノリティアーティストの出会い、そして栄光と転落。体制に都合の良い正史の陰には、庶民の愛した数多くの傍系がある。しかし、エンタメは政治の前では無力である。客観的な視点ながらも、敗者の側に寄り添う野木亜紀子の脚本が優しいです。

友魚はライフステージの変化により、友一、友有と二度名前を変える。亡父の言葉でもあり、自身の科白としても「名前がわからないと見つけにくい」と言う。名付けとは魂を与える行為であると同時に呪いにもなる。また人格を識別する記号としての名前の重要性にも気づきました。

 

2022年6月5日日曜日

帰らない日曜日

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町エバ・ユッソン監督作品『帰らない日曜日』を観ました。

1924年3月30日日曜日。主人公ジェーン・フェアチャイルド(オデッサ・ヤング)は孤児院育ち。テムズ河畔の郊外ビーチウッド邸に暮すニヴン家でメイドをしている。ニヴン夫妻がシェリンガム、ホブデイ、ニヴンの地元三名家のガーデンランチに出かけるためオフになったジェーンは、仕事中は編み込みにしてまとめている髪を解き、身分違いの恋人ポール・シェリンガム(ジョシュ・オコナー)のもとへと自転車で風を切って向かう。

エバ・ユッソン監督の前作『バハールの涙』は、イラクのクルド人自治区の砂漠地帯でイスラミック・ステートと戦う女性兵士とフランス人女性戦場写真家を描いた作品でした。転じて本作では100年前の英国の緑豊かな田園を背景にゆったりとした時間が流れる。しかしながら、そこには第一次世界大戦の影が差し、ニヴン家の二人息子とシェリンガム家の三人兄弟のうち兄二人は戦死しており、一人生き残った三男ポールも心に深い傷を負っている。上流階級といえども、上流階級だからこそ、若きジェントルマンたちは志願兵となって戦場に向かった。

主人公ジェーンを演じたオーストラリア出身の24歳、オデッサ・ヤングの魅力が際立つ。午後の日が差す部屋でジェーンの前にポールがひざまづき、ゆっくりと靴を脱がし、靴下を脱がすクローズアップは、性交シーンよりエロチックです。情事のあと、一人で邸宅に残されたジェーンは全裸で広間や図書室を探索し、書架からスティーヴンソンの『誘拐されて』を手に取る。そのまま厨房でミートパイを手づかみで食べ、壜ビールをらっぱ飲み。げっぷすらもチャーミングに魅せる。

若き日の恋人との秘密の逢瀬、メイドを辞め書店員から作家になったジェーンの束の間の幸福な家庭生活、数々の賞を受けて作家として成功したが偏屈な老境のジェーン。3つの時系列を観客が違和感なく往来できるのは監督の手腕。ヘアメイクや衣装スタッフも良い仕事をしています。

 

2022年6月4日土曜日

エコー・イン・ザ・キャニオン

6月。ヒューマントラストシネマ渋谷odessa vol+アンドリュー・スレイター監督作品『エコー・イン・ザ・キャニオン』を観ました。

2015年10月12日にロサンゼルズの Orpheum Theatre で開催されたトリビュートコンサート『エコー・イン・ザ・キャニオン』。そのステージショットに、ト1965~1970年頃にローレル・キャニオンに暮したミュージシャンたちをホスト役のジェイコブ・ディランWallflowers)が訪ねたインタビュー映像がインサートされます。

インタビュー部分に関しては、先月公開され、当時の映像を使用した『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』と重なる人選も多いですが、現在の姿が映ります。ローレル・キャニオンに出ていなかったのがブライアン・ウィルソンリンゴ・スター、すこし下の世代のトム・ペティ。逆が、クリス・ヒルマンリンダ・ロンシュタットジョニ・ミッチェルといったあたりです。

なので、当時のオリジナル音源が次々流れるというよりは、ジェイコブ・ディランのルーツ探しのビジョンクエストという趣向が強い。

ジェイコブ・ディランのリビングルームで同じソファに向かって左からレジーナ・スペクターベック、ジェイコブ、キャット・パワーが並んで座って、当時のLP盤を並べ選曲するシーンの画の強さ。更にライブ本番には、フィオナ・アップルノラ・ジョーンズが加わる豪華布陣。

中でもベックの存在感は別格でThe Byrdsの"The Bells Of Rhymney"(ピート・シーガーの孫カバー)のギターを持たずにスタンドマイクに向かう姿の所在なささえも格好良いです。

ブライアン・ウィルソンが現在の姿でバッハチャック・ベリージョージ・マーティンの影響についてさらっと語るところ、エンドロールのニール・ヤングギターソロの現役感は流石でした。