2022年4月26日火曜日

リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス


1946年、アリゾナ州トゥーソンで家電の発明家の父親と当時の女性としてはめずらしい理系大学卒の母親の間に生まれたリンダ・ロンシュタット。曾祖父はドイツ系移民のミュージシャンで曾祖母はメキシコ人だった。

1964年、アリゾナ州立大学を中退し、ヒッピーカルチャー花開くロスアンゼルスに出て、カントリー色の濃いフォークトリオ、ストーン・ポニーズを結成。抜きん出た歌唱力と人目を惹く童顔でウェスト・ハリウッドのカフェ・トルバドールのオープンマイクで評判となり、キャピトルレコードと契約する。

トリオ解散後、ソロデビューしてから2011年にパーキンソン病で引退するまで40年以上のキャリアを当時のライブ映像、本人のTVインタビュー、同時代のミュージシャン、プロデューサーの現在のコメントで回顧するドキュメンタリーフィルムです。

「なぜ歌うのかと聞かれたら、鳥が鳴くのと同じと答えるわ」。ニール・ヤングの全米ツアーのオープニングアクトでのちのイーグルスをバックバンドに従え、主役を食って20代前半でアリーナ級の成功を収めるが、独立したいというバンドの意向を受け入れ、カバーソングをシングル化して後押しする。

エミル―・ハリスカーラ・ボノフボニー・レイットら同世代女性ミュージシャンとシスターフッドとも呼べる協調関係を築き、男性中心のロック界をしなやかに渡っていく。アリーナツアーで疲弊するバンドとファンの現状を憂慮し、人気絶頂のなかツアーを休止、劇場でオペラ公演に出演、その後、ジャズカントリーマリアッチとスタイルを変貌させ続け、いずれも高いクオリティでチャートに賑わせる。

成功しても謙虚さを失わず、自己の現状とビジョンに対して常に客観的で冷静な視点を持つ聡明な人物だったことを知り、リンダのことが好きになりました。

リンダ・ロンシュタットのパブリックイメージは、1977年のヒット曲 "It's So Easy" や1978年の "Living In The USA" のアルバムジャケットのスカジャン、ホットパンツ、ローラースケート姿で邦題通りのミス・アメリカなのだと思いますが、僕にとっての最高傑作は巨匠ネルソン・リドルと録音したジャズスタンダード集 "What's New?" (1983) 。背伸びしてジョン・コルトレーンエリック・ドルフィを聴いて頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた十代の僕に、甘く感傷的な弦楽アレンジでジャズの美しさを優しく教えてくれたリンダを恩師だと思っています。

 

2022年4月23日土曜日

猫の心のなかの街

四月の夏日。ギャラリー銀座で開催中の佐久間真人展『猫の心のなかの街』にお邪魔しました。

愛知県在住の人気イラストレータ―佐久間真人さんの東京の個展にはじめてうかがったのは確か2009年か2010年のこと。以前は銀座七丁目のギャラリー・ボザール・ミューで毎年2月に開催されていました。

ボザール・ミューのご高齢のオーナーが引退後、2016年から二丁目のギャラリー銀座に場所を移して継続していましたが、昨年は新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止、更に今年2月のまん延防止等重点措置を経て、今回4月に時期をずらし2年ぶりに開催されました。

佐久間さんは出版物の挿画や装幀を多く手掛けており、日本人作家や翻訳のミステリのお仕事が中心なのですが、最近は時代小説の表紙と挿画で和のテイストや東欧の架空の少数民族を描いたスラブ風の細密画など、実績に安住しないで表現の幅を拡げているところが人気の秘訣だと思います。

一昨年2020年4月の村田活彦さんとの朗読二人会『同行二人#言葉とともに A POETRY READING SHOWCASE X』は佐久間さんの連作イラストレーション『言葉とともに』とコラボレ―ションでした。直前に発出された最初の緊急事態宣言ため、急遽会場のCafe GINGER.TOKYOさんからの無観客配信ライブとなり、作品をお借りした佐久間さんに直接お礼を言えてなかったので、今回ご挨拶できてよかったです。

佐久間さんも当日の配信をご視聴いただいていたとのことで「面白かったです。ああいう見せ方もあるんだな、と思いました」とうれしいコメントをもらいました。あの頃は確かに誰もが配信ライブの方法を模索しており、我々もぶっつけ本番に近いものでしたが、それだけに忘れかけていた初期衝動を取り戻す良い機会になったといまでは思っています。

いつお会いしてもにこやかな佐久間さんとセピアにくすんだ色彩が心地良くずっと眺めて謎解きをしたくなるような細部にこだわった作品群に囲まれる贅沢な時間は僕にとっても年一回のギフトです。

 

2022年4月21日木曜日

ノラオンナ56ミーティング ~ララルー~

雨の夜。吉祥寺STAR PINE'S CAFEで開催された『ノラオンナ56ミーティング ~ララルー~』に行きました。

ノラバー店主であり、ノラオンナレコード代表、いつもお世話になっているノラオンナさんのデビュー日である4月21日に毎年開催されるアニバーサリー・ライブは、一昨年、昨年と配信になりましたが、3年ぶりに会場で生演奏を楽しみました。

1曲目は "Stay Home"。そして「無邪気なふたり」「薔薇色パラッパ」「君とデート」とバリトンウクレレの弾き語りが続き、アルバムタイトル曲「ララルー」から水ゐ涼さんのリリカルなピアノが加わる。

前作『めばえ』と最新作『ララルー』といういずれも小品を中心とした組曲的アルバムを再構成した一部。コロナ禍1年目の2020年に制作された4枚の私家盤 "NORA BAR BOOK" のCD-R盤制作のお手伝いをした記憶が蘇ります。2020年春は誰もが暗中模索、試行錯誤中でしたが、夏、秋、冬と季節が進むにつれ、コロナ禍における表現手法を確立してきたのは、同世代のノラさんも例外ではありませんでした。

橋本安以さんのヴァイオリンと古川麦さんのフレンチホルンとノラさんのウクレレと歌による中盤の三重奏はエストニアの作曲家アルヴォ・ペルトの宗教曲のような佇まい。ミニマルな響きの中に不安定な陰影が潜んでいます。

二部の冒頭は『ララルー』レコーディングメンバー7人による驚愕のダンスで観客の度肝をユルく抜き、音源とは真逆の生楽器演奏によるファンキーな「梨ちゃんソング」で幕を開ける。港ハイライトのメンバーでもある柿澤龍介さん(Dr)、藤原マヒトさん(Ba、Syn)におきょんさん(Per)が加わったリズムセクションは時折エレクトロニカ的アプローチを交え、水ゐ涼さん、橋本安以さん、古川麦さんの上モノがフレッシュに躍動するゴージャス&ウォームなフルバンドサウンドで祝祭的に盛り上げる。

僕がはじめてノラさんの音楽に触れたのは2012年3月。下北沢Workshop Lounge SEED SHIPで開催されたPoemusica Vol.3で共演したときでした。あれから10年。一度短く切った髪はあのころのように腰まで届く長さに伸びました。

56歳になったいまも変化し続けながら、根底にある旋律の美しさと研磨された言葉を変わらず追求している。その姿勢をリスペクトしており、またこれからどんな歳の重ね方をされるのかとても楽しみです。

 

2022年4月8日金曜日

ダイナソーJr. /フリークシーン


「昔の心境なんてなかなか思い出せない。どんな気持ちだったか」。アメリカの国民的引きこもり詩人エミリ・ディキンソンの故郷マサチューセッツ州アマースト。雪の国道を運転しながらJ・マスキスが言う。

ハードコアとグランジの橋渡しをしたスリーピースバンド ダイナソーJr. の1983年の結成から約40年間を振り返るドキュメンタリーフィルムです。ソニック・ユースと並び米国オルタナティブロックの始祖と呼んでも差し支えない。1991年のメジャーデビュー盤 "Green Mind" と、ソロになったJが2000年にリリースした "More Light" は、僕の生涯ベストアルバムTOP40に必ず入ります。

Jは前身のハードコアパンクバンドDeep Woundではドラムを叩いていた。高校生のJは歯科医だった父親の運転でリハーサルやライブを往復した。そこにギタリストとして加わったルー・バーロウ。Deep Wound解散後、ドラムスのマーフが参加して、Jはギター、ルーはベースにコンバートし、ダイナソーが誕生する。

Jの才能が開花し、よりメロディックによりノイジーにサウンドを進化させ、ボストンだけでなくニューヨークにも進出してインディバンドとして成功を収めるが、ツアーのストレスからメンバー間の人間関係が悪化、メジャーデビュー寸前にルーがクビになる。その後、ドラッグと金銭問題でマーフも脱退し、1997年に解散する。

Jはヒッピーやドラッグが大嫌いでストレートエッジなハードコア。ヒッピーパンクを自称しマリファナを吸うマーフ。内向的で寡黙なルーが感情を露わにしたとき、バンドが崩壊した。VHSの洗い画質ではあるが、1980年代のライブ映像が多く残っており、ぬるい演奏に激高したJが本番中にルーに掴みかかりギターを捨ててステージを去る姿は衝撃でした。

インタビューに答える同世代のミュージシャンたち。「バンドは病んだ家族。独特の奇妙な習慣や儀式がある」というキム・ゴードン(ソニック・ユース)の慧眼。背後に小さなミラーボールが映っている。

フランク・ブラックピクシーズ)は、激しい身振り手振りで擬音を叫びながら「バンドは一体の大きな生き物、マーフは脚、Jが右腕でルーが左腕、大きな頭がJで小さな頭がルー」と異常なテンションでまくしたてる。胴体については言及されないが、それが音楽そのものであることは理解できます。

そして、2005年にオリジナルメンバーで再結成し現在に至る。2015年にNYで開催された30周年7DAYS公演の演奏の純度強度が半端なく、わだかまりを越えた先に純粋に音楽で結びついたのだな、と感慨深いものが。マイ・ブラディ・ヴァレンタインケヴィン・シールズヘンリー・ロリンズ(元ブラック・フラッグ)との共演もいい。

爆音上映とは謳っていませんが、かなりの大音量で、映画館の外の新宿の街の喧噪が遠いのがライブハウスから出たときに感じる静寂のようで懐かしくなる。

ちなみに、J・マスキスは僕と同じ1965年生まれ。他に同年生まれのミュージシャンは、SlashGuns N'Roses)、Trent ReznorNine Inch Nails)、Dr. DreBjörk知久寿焼奥田民生ウルフルケイスケ岡村靖幸、とヘッドライナー級が揃っていて自慢です。

ギター譜が掲載された日本語の雑誌、おそらくリットーミュージック社のGuitar Magazineのページが何度か映る。Jのギターを採譜しようなんて真面目なんだか酔狂なんだかわからないことを考えるのは日本人ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。

 

2022年4月3日日曜日

やがて海へと届く

春の雨。ユナイテッドシネマ豊洲にて中川龍太郎監督作品『やがて海へと届く』を観ました。

2016年の東京。レインボーブリッジが見えるレストラン ブライトコーストのフロアチーフ湖谷真奈(岸井ゆきの)は勤務中、自身でも気づかぬうちに涙を流している。

5年前に北へ旅立ったまま行方不明になった親友のすみれ(浜辺美波)との出会いは2005年春、大学の新勧だった。内気な真奈と社交的な美少女すみれ、初対面の先輩に「お人形みたい」と言われ「よく言われます」と返す強さも持つ。

雨の夜、家出したすみれは一人暮らしの真奈の部屋で1年余り過ごす。「歩くの好き/迷うのも好き」「私たちには世界の片面しか見えてないと思うんだよね」。真奈の部屋でも旅先でも教室でも、すみれはいつもビデオカメラを回している。レンズ越しじゃないと会話できないんだろ、と恋人の遠野(杉野遥亮)に見抜かれたことを裏付けるように、最後の一人旅にはカメラを持っていかなかったことで、真奈の手元に記録が残される。

「帰らないと/電車は来ないよ/歩いて帰りな/振り向かないように/立ち止まらないように」。上映開始1時間後に示されるキーワードによって、冒頭とエンディングに繰り返されるWIT STUDIO制作のアニメーションの意味が全く違って見えます。

アニメーション以外にも、陸前高田市民のインタビュー、早朝の海辺での歌唱、すみれ視点による物語の再生と、構成要素を盛り込み過ぎて、焦点がぼやけた印象がありますが、浜辺美波の泣きぼくろ、ビデオカメラの小さなディスプレイに映る岸井ゆきのの微細な目線の揺れなど、スマートフォンの画面サイズではわからない細部は映画館の大きなスクリーンで観る意味がある。

学生時代のすみれはいつもワンピースを着ていて、はじめて真奈と海に行ったときに着ていた水色のワンピースは本当によく似合っている。半袖から覗く二の腕が意外にぷにぷにしているのも好感が持てます。ぶっきらぼうなシェフ国木田を演じた中崎敏もよかったです。