2022年7月28日木曜日

偶然と想像

夜のにわか雨。早稲田松竹濱口竜介監督作品『偶然と想像』を鑑賞しました。

「魔法(よりもっと不確か)」「扉は開けたままで」「もう一度」という各々20代、30代、40代女性を主人公とした約40分のショートフィルム3篇からなります。

3つの物語のあいだにはストーリー的にも登場人物的にもつながりがなく独立しているのですが、偶然と想像というテーマでひとつの大きなバイブスを形成しているように感じました。

「怒っているとしたらこの運命にかな」「リズムがあるじゃない? 私たち、口喧嘩してても」(魔法(よりもっと不確か))、「言語化できない未決定な領域に踏み止まる才能です」(扉は開けたままで)、「一番大事なことのために戦わなかった後悔」(もう一度)。

隅々までよく練られた緊張感のある戯曲(とあえて呼びたい)を持つこの作品における濱口監督の演出は舞台演劇的。台詞の発声が明瞭で抑揚を強調せず、基本的にひとりの役者の声を相対するもうひとりの役者の声に重ねることがない。感情や身体性よりも言葉の意味をより強く打ち出してきます。

そのなかで異色を放つのが、映画冒頭のタクシー内における雑誌モデル芽衣子(古川琴音)とヘアメイクつぐみ(玄理)の親友同士の長尺の会話。つぐみの恋バナにつっこみを入れる芽衣子のタイム感が絶妙に心地良く、古川琴音さんの技術の高さ、センスの良さが光ります。恒松祐里さんと並んでこの世代では群を抜いているのではないでしょうか。

各篇の幕間とエンディングに流れるシューマンの『子供の情景』以外、生活音と俳優の声だけの音響です。淡々と進む展開だからこそ、インターネットの遮断された世界で最後に交わされる女性ふたりの抱擁が感動的です。

 

2022年7月23日土曜日

メタモルフォーゼの縁側

真夏日。TOHOシネマズ日本橋狩山俊輔監督作品『メタモルフォーゼの縁側』を観ました。

真夏日。夫の三回忌を終えた喪服の市野井雪(宮本信子)が陽炎の立つ横断歩道を渡ってくる。涼を求めて入った書店でBLコミック『君のことだけ見ていたい』を手に取る。レジを打つ高校生アルバイトの佐山うらら(芦田愛菜)は隠れ腐女子。祖母と孫ほど世代の異なるふたりの友情が始まる。

芦田愛菜さんのお芝居がすごい。スクールカーストの中の下あたりでぱっとしないうららに100%同化しており、芦田愛菜という本来は強い演技主体を微塵ものぞかせない。そのことで芦田愛菜ブランドを強固なものにしているという逆説。

雪の自宅の縁側でBLを語る生き生きとした瞳、怖じ気づいてコミティアの会場から帰り溢れる悔し涙、幼馴染みのイケメン河村紡(高橋恭平)に対する自身の気持ちを測りかね、その恋人でカースト最上位の橋本英莉(汐谷友希)に向ける完全に死んだ目は、CMやバラエティで見せる溌剌とした姿とは別人のもの。振れ幅の大きなそれらをひとつながりの人格として統合させ且つ作為をまったく感じさせない。

宮本信子、光石研生田智子ら、熟練の名優たちの演技が作られたものに見えてしまう。しかも芦田さんは彼らの演技を潰しには行かず、常に融和の可能性を見いだそうとする。うららとは台詞のやりとりのないBL漫画家コメダ優役の古川琴音が光ってみえたのはそのせいか。

モノローグを廃した岡田惠和の脚本と芝居の力を信じた狩山俊輔監督に応えて、役者たちが表情、発声、身体性で登場人物の内面を真摯に表現した良作です。

ブルースデュオT字路sの劇伴もいい。エンドロールで流れる芦田愛菜と宮本信子のデュエットでカバーしたT字路sの「これさえあれば」の芦田さんの歌声が芝居と同じぐらい素晴らしい。将来の夢が叶って医師になっても、歌うことだけは止めないでもらえたらと思います。

 

2022年7月17日日曜日

キャメラを止めるな!


自称「早い、安い、質はそこそこ」な映画監督レミー(ロマン・デュリス)は、日本でヒットした30分ワンカットのゾンビ映画のリメイクのオファーをB級映画専門チャンネル「Z」から受ける。

ゾンビ映画の撮影中の廃墟に本物のゾンビが現れ俳優たちも撮影スタッフもゾンビ化して撮影現場はパニックに陥ってしまう。

2017年の上田慎一郎監督作品『カメラを止めるな!』をフランスでリメイクするにあたり、追加されたのは上記のリメイクの依頼という二重三重の入れ子構造。日本側のプロデューサーマダム・マツダ役に竹原芳子(オリジナル作品時の芸名はどんぐり)の通訳役(成田結美)があらたにキャストに追加されています。

冒頭は完成した30分ワンカットのゾンビ映画、中間部約45分が撮影開始までのトホホな過程、最後の30数分がメイキングのドタバタという構成はオリジナル版と同じで、台詞も基本的には同じ。役者がフランス人、イギリス人、イタリア人ほか多国籍なのに劇中劇の役名が日本語のまま、監督はヒグラシ(仏語発音だとイグラシ)、主演のふたりはチナツ(マチルダ・ルッツ)とケン(フィネガン・オールドフィールド)とへんてこで、まず笑いを誘います(この伏線は後に回収される)。

俳優陣はみな芸達者で、特に主人公レミーの妻ナディア(ベレニス・ベジョ)のハジけっぷりが完全に振り切れていて爽快なのと父と同じ監督志望の娘ロミー(シモーヌ・アザナビシウス)が鬱屈しながらも両親に敬愛の情を持つ思春期の微妙な揺れをよく表現していました。この母娘役はアザナビシウスの実の妻子でもあります。

『カメラを止めるな!』はB級映画愛に溢れた傑作ですが、本作もオリジナル版へのラヴ&リスペクトに加え、フランス映画らしいアイロニィとオシャレ感もあるエンターテインメントとして、しっかり楽しめる作品に仕上がっており好感が持てます。

 

2022年7月12日火曜日

野生の少年

小雨の夜。生誕90周年『フランソワ・トリュフォーの冒険』からもう一本。角川シネマ有楽町で『野生の少年』デジタルリマスター版を観ました。

1798年、南仏アヴェロン。森にきのこ狩りに来た農婦が汚れきった全裸の少年(ジャン=ピエール・カルゴル)を発見する。猟犬を連れた村人に捕らえられた少年は四足歩行し言葉を話すことができない。幼くして親に捨てられ山中で木の実や草を食べ川の水を飲み独力で数年生き延びた。

少年はパリに移送され国立聾唖学校に入れられる。同級生たちに虐げられ、貴婦人たちの見世物にされる。イタール博士(フランソワ・トリュフォー)は少年をパリ郊外クルテイユの自宅に引き取り、ヴィクトールと名付けて、教育を施す。

トリュフォー監督作品の中ではメジャーではなく僕もはじめて観ました。18世紀末、フランス革命直後の啓蒙主義の時代背景を想像すると、イタール博士の指導はもっとスパルタだったのではないかと思うのですが、映画のイタール博士はヴィクトールを力で組み伏せることなく、心理的にも過大な負荷はかけない。できないことをさせようと何度か仕向けてもできないときは絶妙な頃合いですっと引き下がります。2022年の人権意識からするとぎりぎりな感じですが、撮影された1969年の感覚ではヴィクトールの人間性に過不足なく配慮していたのでしょう。

トリュフォー監督の芝居が達者で、イタール博士はヴィクトールのことを単なる研究対象ではなく、家族として愛情をもって接していたことが伝わります。トリュフォー作品はすべからく女性讃美映画だといわれますが、本作も例外ではなく、家政婦ゲラン夫人(フランソワーズ・セニエ)はどんなときでもヴィクトールを100%受容し、近所に住む酪農家レムリ夫人(アニー・ミレール)は食器を壊されても彼を温かく迎え入れます。

それだけに、いつかヴィクトールが野生に戻り、森に帰ってしまうのではないか、と感情移入し、はらはらしながら観ました。

ネストール・アルメンドロス撮影の白黒画面のカメラワークがハイコントラストで美しく、1969年というドローンのない時代にどうやって撮ったのだろうと思う上空からの俯瞰ショットが印象的な映画です。

 

2022年7月3日日曜日

アントワーヌとコレット/夜霧の恋人たち

にわか雨。角川シネマ有楽町フランソワ・トリュフォー監督作品『アントワーヌとコレット』『夜霧の恋人たち』4Kデジタルリマスター版を鑑賞しました。

今回の生誕90周年『フランソワ・トリュフォーの冒険』では52年の生涯で約30本の映画を監督したうちの12本が上映されています。

『アントワーヌとコレット』は『大人は判ってくれない』の3年後。14歳だったアントワーヌ・ドワネル少年(ジャン=ピエ―ル・レオー)は17歳になり、少年鑑別所を出てフィリップスレコードの工場に勤めている。ネクタイを締めて出勤し、レコード盤をジャケットに詰めたり、プレスしたりしている。

成年音楽同盟が主催したピエール・シェフェールのコンサートで大学生のコレット(マリー=フランス・ピジエ)を見初め、彼女と両親が暮すアパルトマンの向かいの安ホテルに引っ越す。

『夜霧の恋人たち』は更に6年後。23歳のアントワーヌは失恋の痛手で陸軍に志願するが、素行不良と命令義務違反で除隊になり、その足で向かったのはクリシー街の娼館。ガールフレンドのクリスチーヌ(クロード・ジャド)の両親にホテルの夜勤を紹介され、すぐに解雇される。解雇の原因になった探偵社にスカウトされ、高級靴店に捜査員として潜入する。

フランソワ・トリュフォーはアントワーヌ・ドワネルが主役の映画を5本撮っており、うち2作目と3作目。1962年にオムニバス映画『二十歳の恋』の一話として制作された『アントワーヌとコレット』は白黒、1968年の『夜霧の恋人たち』はカラーフィルムを使用しています。『大人は判ってくれない』はシリアスでリリカルな名作ですが、つづく2本はコメディ色が強く、テンポの良いスラップスティックな場面が多く笑える。


恋人アントワーヌの新しい職を父親に聞かれて「詩人?」と答えるクリスチーヌ。「詩人以下だ」と父。「詩人以下(の仕事)なんてあるの?」とクリスチーヌ。

落ち着きがなく責任感に欠けるアントワーヌ・ドワネルは社会不適合者だが、映画の登場人物の皆に愛され、観客にも愛される。正しさに縛られるよりも、やりたいことをやりたいように、生きたいように生きろ、とトリュフォーをはじめヌーヴェルヴァーグの作家たちから思春期の僕は教わった。忘れかけていたことを思い出させてくれました。