2020年1月26日日曜日

BOOKWORM Library 1/26 at 幡ヶ谷Jicca

冷たい雨が降り出しそうなぎりぎりの曇り空。幡ヶ谷jiccaで開催された BOOKWORM Library に参加しました。

「人は自分の好きなものについて語るとき、とても上手く語ることができる」というミヒャエル・エンデの言葉をコンセプトとするオープンマイクBOOKWORMに参加するようになってから20年以上経ちます。

DJが自分のアガる曲を回すように、言葉や知をシェアする。この日は16人がマイクに向かい声と言葉を発しました。

それはアクトやパフォーマンスというよりも日常会話に近い。ひとりが話しているのをみんなが聴いているから狭義の対話とは言えないのだが、BOOKWORMにおいては聴くという行為に対して皆が自然と能動的になり、それぞれの聴き方で受容しようとする。そのことによって生まれるコレスポンダンスは音声による対話よりも豊かだ。

「家族の日常をネパールを通して確認しに行っている」という写真家飯坂大さん坂井あおさんが朗読した木皿泉。主催のひとり山﨑円城さん(画像)がかけた出来立ての12inch「灰色と惑星」。totoさん(左利き)が紹介した羽生善治と吉増剛造の対談。「好きなものがひとつに決められないのが自分だからカフェをやっている」といういな暮らし鈴木萌さん。僕は最近読んだ2冊、今村夏子さんの『星の子』と芦田愛菜著『まなの本棚』を紹介しました。芦田さんは『星の子』映画化の主役が決まっています。

最後に話したカズエさんの「好きなことについて話すならBOOKWORMの話をしたい」という語り出しから、写真家大竹英洋さんとの偶然の再会に至るストーリーも印象に残りました。

jiccaのトリちゃんの最高なお料理と同じように、誰もが自分だけの声と語り口を持っており、そのこと自体に価値があるのだと思います。今回BOOKWORMとLibraryのダブルネームということでMCを務めたリュウくんもお疲れさまでした。

 

2020年1月19日日曜日

リチャード・ジュエル

冬晴れ。ユナイテッドシネマ豊洲クリント・イーストウッド監督作品『リチャード・ジュエル』を観ました。

1986年、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ。中小企業庁の備品係23歳のリチャード・ジュエルポール・ウォルター・ハウザー)は、法執行官を目指す正義感の強い堅物だが妙に気が利くところがある。弁護士ブライアント(サム・ロックウェル)の好物であるスニッカーズを絶妙なタイミングで補充し、信頼関係を築いていた。

いくつか職を変えたジュエルは10年後の1996年、AT&T社が受託したアトランタオリンピック記念公園の野外ライブの警備員になった。ケニー・ロジャースのあと、当時大流行していたマカレナ、そしてジャック・マック&ザ・ハート・アタックの演奏中に爆弾事件が起きた。死者2名、怪我人100名以上を出したが、不審物を発見し観客を避難させたことで被害が最小限に食い止められたため、ジュエルは一躍英雄扱いされる。

犯人像のプロファイリングと前職の上司の証言により、FBIはジュエルを容疑者のひとりとして秘密裏に捜査を進めていたが、枕営業により捜査官ショウ(ジョン・ハム)が特ダネ記者キャシー・スクラッグス(オリビア・ワイルド)にリークしてしまい、一転ジュエルはマスメディアに追われる立場になってしまった。

母ボビ(キャシー・ベイツ)と弁護士ブライアントとジュエルの3人ががっちりと組み、無実を勝ち取るまでの88日間の実話に基づきます。デブでマザコンで愛国的で銃砲を愛好するホワイトトラッシュ(日本的に言うとワーキングプア)の主人公は、リベラルな知識層から見たら怪しいの一言。その先入観と視聴率ありきのメディアの暴力に対してイーストウッド監督は一石を投じています。

研ぎ澄まされた脚本、重厚な演出、俳優陣もみな気持ちの入った熱演をしています。なかでもイケイケのゴシップハンターが真実に気づき改心する様を視線と表情で演じたオリビア・ワイルドは上手いなあ、と思いました。

監督自身ジャズを好み、作曲や演奏をたしなむそうですが、本作のアルトゥーロ・サンドヴァルのスコアは緊迫感がありながら出過ぎず埋もれすぎず『グラン・トリノ』や『ジャージー・ボーイズ』に比肩する素晴らしさです。
 
 

2020年1月13日月曜日

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢

2日続けて角川シネマ有楽町へ。ニルス・タヴェルニエ監督作品『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』を観ました。

1873年、フランス共和国ドローム県オートリーヴ。郵便局員のシュヴァル(ジャック・ガンブラン)は無口で人嫌い。映画の冒頭で妻を亡くし、一人息子はリヨンの親戚に引き取られていく。しばらく経って新しい担当地域に住まう未亡人フィロメーヌ(レティシア・カスタ)と再婚し、娘アリス(ゼリー・リクソン)が誕生する。

しかし寡黙なシュヴァルは娘に愛情を示すことができない。新聞で読んだアンコールワット寺院発見の記事、郵便配達中に崖からを滑らせたときに掘り出した奇妙な形状の石をヒントに、郵便配達の傍ら、愛する娘のためにたったひとりで石を集め石灰を溶いて宮殿を作りはじめる。

「自然の生命から学びました。木々や風や鳥たちがはげましてくれます」「君が目にするのはある田舎者の作品だ」。実在の人物ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァル(1836-1924)の後半生を描いた実話です。1879年に始まった宮殿建設は娘アリスの病死後も1912年まで33年間に亘って続く。ガウディと同時代ですが、建築の知識も経験もなく、設計図すら書かなかったシュヴァルの宮殿は、過剰で偏執的な外観を持ち、現代の用語でいえばアウトサイダーアートということになると思います。

はじめは幼い娘のために公園の遊具のようなものを自作していたつもりが、情熱がエスカレートしてしまう。我々が日々建築を見て言う、耐震性が、とか、機能性が、とかどうでもいいな、と思わされます。映画の作りそのものも本当に必要な要素だけで構成されており、例えば2人の妻も息子も死因の説明がない。それもまたこの素晴らしい作品の成立のためにはどうでもいいな、と感じました。

ニルス・タヴェルニエ監督は1965年生まれの54歳。僕と同い年です。お父上のベルトラン・タヴェルニエ監督が1980年代に撮った『田舎の日曜日』や『ラウンド・ミッドナイト』には当時夢中になりました。調べてみたらまだご存命でしたが、その子ども世代がベテランの領域に入ってきているのが感慨深いです。

これまた『家族を想うとき』と比較してしまうのですが、現代の宅配便が企業から消費者への味気ない一方通行なのに対して、郵便は個人から個人へ、そしてまたその返信であり、時間をかけて繰り返される往還と、それを支える郵便配達人の存在は、失われつつあるロマンティシズムであると思いました。

 

2020年1月12日日曜日

ティーンスピリット

寒さが緩んだ曇天の日曜日。角川シネマ有楽町で、マックス・ミンゲラ監督作品『ティーンスピリット』を鑑賞しました。

2018年、英国ワイト島。酪農を営むポーランド系移民の娘ヴァイオレット・ヴァレンスキ(エル・ファニング)は17歳。高校に通いながら家業を手伝い、夜と週末はウェイトレスのアルバイト。母マーラ(アグニェシュカ・グロホウスカ)に聖歌隊以外で歌うことを禁じられていたが、酔っ払った老人がピアノ伴奏でダニーボーイを歌うようなパブで時々こっそり歌い家計の助けにしていた。

そんな場末のパブで彼女に声をかけた老酔客ヴラド(ズラッコ・ブリッチ)は、実はクロアチア出身の元有名オペラ歌手ヴラジーミル・ヴラコヴィッチ。ふたりは二人三脚で全国的なオーディション番組 UK TEEN SPIRITの頂点を目指す。

スクールカーストの下層にいて、ロンドンの本戦に向かうときも左手の甲にはバイトのメモがびっしり。ありがちなシンデレラ・ストーリーで主人公の葛藤も薄口ですが、エル・ファニングがスクリーンに投影されると、その画力の強さですべて帳消しにしてしまう。テンションが炸裂する決勝の歌唱シーンにはぞくぞくしました。

一方、山羊の乳搾りをしたり、馬の世話をしたり、草原で寝転んだりするヴァイオレットも美しい自然光で撮影されており、どっちが幸せなんだろうな、と考えてしまいました。英国の経済格差を描いた点は先週観た『家族を想うとき』と共通しますが、ケン・ローチ作品の直後だけに、本作のブレークスルーはファンタジーに見えます。

鮮やかな色彩、ドライヴ感溢れるカット割り、ブリブリの重低音を強調した音響設計はめちゃ格好良く、いまの十代に受け入れられると思いました。

 

2020年1月3日金曜日

家族を想うとき

三賀日のひとときを映画館の暗闇で過ごすようになって10数年。2020年の1本目はユナイテッドシネマ豊洲ケン・ローチ監督作品『家族を想うとき』を鑑賞しました。

2018年英国北部の旧炭鉱街ニューキャッスル。職を転々としているリッキー・ターナー(クリス・ヒッチェン)は、職業安定所の紹介で宅配業者と業務委託契約を結び、訪問介護士の妻アビー(デビー・ハニーウッド)の乗用車を売ってフォルクスワーゲンの大型バンを手に入れる。

個人事業主なので日報もノルマもないと言われたが、実態は過酷な長時間労働であり、社員マネジャーのマロニー(ロス・ブリュースター)の裁量によって業務量と収入は大きく左右されてしまう。

「懸命に探しても、もがけばもがくほど大きな穴に落ちていく」。eコマースの隆盛と高齢化を下支えする物流と介護。現代の先進国が最も直面している課題が労働者階級を蝕んでいます。夫婦の気持ちのすれ違い、反抗期の息子セブ(リス・ストーン)との断絶、理不尽なクレーム、居眠り運転、配達中の暴漢。つぎつぎに降りかかる災難。社会構造の問題でもあるのですが、「主人公は運に見放されているなあ」と思ってしまうのは、僕がとても恵まれた境遇にいるからなのでしょう。

原題の "Sorry, we missed you" は、不在票に印刷されているメッセージ。幼い娘ライザ(ケイティ・プロクター)がそこに「パパの下着を弁償して」と書き加える。純粋で素直なライザの存在が、救いのない物語で唯一の光明です。

役者はいずれもオーディションで選ばれた労働者階級出身者だそうです。みな気持ちの入った熱演で、83歳の巨匠ローチ監督の手腕も光る。ニューカッスルサポーターの配達先の住人が、リッキーのマンチェスターユナイテッドのユニフォームに気づき、20年以上前の試合のことを持ち出し本気で罵倒するシーンは笑えます。