2019年、合衆国フロリダ州マイアミ。「家族を亡くすことは人生の一部だ」という73歳のバリー・ギブのモノローグから映画は始まる。ドラマーだった父ヒューのもと、ローティーンの頃からオーストラリアで芸能活動を始めた長兄バリー、双子のロビンとモーリスのギブ三兄弟は、1967年に家族でイギリスに帰国。
当時ブライアン・エプスタインのNEMSを離れ、クリームのマネジメントをしながら自身のレーベルRSOを立ち上げたロバート・スティグウッドの元、"New York Mining Disaster 1941" でデビュー。続く "To Love Somebody" はオーティス・レディングに当て書きした提供曲だったが、レコーディング直前に26歳のオーティスが飛行機事故で亡くなってしまったため、ビー・ジーズの持ち歌となった。その後も流麗な旋律と清新な和声でヒット曲を連発する。
「兄弟の歌声は誰にも買えない楽器だ」とインタビューに答えるノエル・ギャラガーは、同時に家族でバンドを続けることの困難を語ります。コールドプレイのクリス・マーティンは「僕たちの世代はバンドには浮き沈みがあることを知っている。世界的な成功を収めた最初の世代である彼らの戸惑いは想像を絶する」と言う。
バリーとロビンは対立しがちでモーリスがいつも仲裁役でした。ロビンは1969年に脱退するが、2年後に戻ってきます。その後アルコールとドラッグに溺れた数年の低迷期を経て、アメリカに渡り再ブレイクする。ダンスナンバーにシャウトを入れたい、というプロデューサーのアリフ・マーディンのアイデアをスタジオで様々試したうちのひとつがファルセット。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の大成功によりビー・ジーズの代名詞となる。
やがてディスコブームはアンチを生み、シカゴの極右ラジオDJスティーブ・ダールが1979年にMLBホワイトソックスのホームスタジアムで開催したヘイトイベント "Disco Demolition Night" 以降、ビー・ジーズは二度目の低迷期を迎えるが、バーブラ・ストライサンド、ケニー・ロジャーズ、セリーヌ・ディオンらの大御所たちが楽曲提供依頼で彼らを経済的にサポートした。
昨今公開数の多いミュージシャンのドキュメンタリー映画のなかで、今作は取材、撮影、編集等、非常にしっかりした作りになっており、クオリティが高いです。翻訳監修が吉田美奈子さんということで音楽用語の字幕も違和感がない。
意外だったのは、三兄弟だけでなく、ロンドン時代はヴィンス・メロニー(Gt)とコリン・ピーターセン(Dr)、マイアミではデニス・ブライオン(Dr)、アラン・ケンドル(Gt)、ブルー・ウィーバー(Key)とのセッションにより楽曲制作が進められていたこと。三兄弟を含めた5人組もしくは6人組のバンドと言っていいと思います。
"Stayin' Alive" のレコーディング時にブライオンが家族の介護のため一時的にマイアミのスタジオを離れなくてはならなくなり、苦肉の策でオープンリールテープデッキにより世界初のドラムループが生まれたエピソードは熱い。
2017年、双子の弟たちと四男のアンディを亡くしソロになった71歳のバリー・ギブが英国グラストンベリーフェスで歌う "Stayin' Alive" は高音もしっかり出ており、ステージ前のいかつい警備員たちも全員踊り出す光景に心温まりました。
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