2022年9月13日火曜日

ルードボーイ:トロージャン・レコーズの物語


1956年、元警察官のデューク・リードはジャマイカの首都リヴィングストンで酒屋を始めたが、店は閑古鳥が鳴いていた。レコードプレーヤーと巨大なスピーカーを設置し大音量で流したところ、若者たちが集まり大盛況。リード・サウンド・システムと名付けられた。

リード・サウンド・システムでは当初アメリカのR&Bのレコードをかけていた。1959年、ジャマイカで新しく生まれたリズム、スカのレコードを制作するようになる。

1962年、ジャマイカ共和国が大英帝国から独立。前後して多くのジャマイカ人たちが職を求めてイギリスに移住するが、NCP(No Colored People)のスタンプが押された求人票ばかりだった。

1963年、インド系ジャマイカ人リー・ゴプサルトロージャン・レコーズをロンドンで創業。ジャマイカ移民コミュニティで共有されていたスカやその発展形であるレゲエのレコードをリリースした。トロ―ジャンとはトロイ人、転じて勇敢な者の意。

「多文化共生社会は1960~70年代のダンスフロアで生まれた」。白人中産階級から謂れなき差別を受けたジャマイカ人でしたが、彼らの音楽を支持して同じクラブで踊ったのは白人労働者階級最下層のスキンヘッズの若者たちでした。1980年代以降はネオナチ、排外主義のイメージが強いですが、1960年代のスキンヘッズは移民にシンパシーを感じていたんですね。

移民二世のドン・レッツ(ex.Big Audio Dynamite)はレゲエを「故郷なき僕らの人生のサウンドトラック」と言う。若きリー・スクラッチ・ペリーの革新的なダブサウンドもトロージャン発。1970年代に入りヒットチャートを意識してストリングスアレンジを施したメローなナンバーをリリースし出した頃から人気に翳りが見え、1975年に経営破綻する。ルーツ、ダブ、ラヴァーズ、ダンスホールという現代レゲエの4カテゴリーがトロージャンには既に備わっていました。

貧しい移民たちの若き日の姿は8mmにもVHSにも残っていないのでしょう。現代の俳優が再現しています(歌声は本人)。

タイトルのルードボーイとはHIP HOPでいうところのGANGSTAのこと。「ルードボーイはライオンより強い」と歌うジャマイカのデリック・モーガン の"Rudie Don't Fear" 、ダンディ・リビングストンがロンドンから "A Message To You Rudy" で「将来のことも考えようぜ」とアンサーし、白人パンクバンドのザ・クラッシュが "Rudie Can't Fail"で「しくじるなよ、ルーディ」と被せる。

演者側の人種混合は次世代に実現する。その代表格である2TONEからは、The Specials / Fun Boy ThreeNeville StapleThe SelectorPauline Black がインタビューに答えています。

 

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