和歌に詠まれた地名が実景から和歌のイメージに転換して抽象化、記号化され「歌枕」となる。平安時代中期(10世紀)に編纂された勅撰歌集『古今和歌集』に紀貫之が書いた仮名序「秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば帝の御目に錦と見たまひ春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける」をルーツとする。
第一章「歌枕の世界」、第二章「歌枕の成立」、第三章「描かれた歌枕」、第四章「旅と歌枕」、第五章「暮らしに息づく歌枕」という展示の流れが滑らか。
第二章は書の掛軸中心の展示です。竜田川の紅葉、吉野の桜の他にも、和歌の中で、地名と土地を象徴する事物が結びつく。例えば、因幡山⇒松⇒待つ、三笠山⇒傘⇒雨、塩釜⇒浦⇒恨み、八橋⇒蜘蛛手⇒定まらない気持ち、というように地名から派生した音韻が特定の感情を想起するようになる。室町時代(16世紀)『勅撰名所和歌要抄抽書』により、歌枕の地名が確定し、同時に非歌枕の地名が生まれる。
第三章では歌垣の名所が絵画と和歌で表現される。吉野川⇒激流⇒激しい恋、富士山⇒季節を超越した冠雪⇒永遠、というように地名が概念化し、江戸中期の狩野探雪『松川十二景和歌画帖』に至っては実景を見ずに画を描き歌を詠むように更に地名の概念化が進み、江戸末期の長谷川雪旦画『江戸名所図会』においては「歌枕以外は名所にあらず」とエクストリームな思想に到達する。
数多く展示されている屏風絵や巻物など、横長のフォルムの絵画作品のほとんどが雲の上から俯瞰する構図で描かれている。神の視点。絵師の超越的な存在を象徴するようでもあります。昨今のドローン空撮の動画に興奮とノスタルジアを同時に感じるのは、平安から江戸まで千年に亘って俯瞰構図が我々のDNAに刻まれているからなのでしょうか。
屏風絵は和室に正座した視線で見るのが一番美しいと言われますが、柳橋、水車、網代で表わされた宇治、武蔵野の荒涼としたすすき野に月、金粉、銀粉の輝きが一番増すのは美術館のガラスケースの前で中腰になって床上1mほどから鑑賞したときです。
現代において特定の強いイメージを持つ地名といえば、紛争地帯や抑留地、惨事の現場などネガティブなものが多く、僕も詩作において扱うことがありますが、できれば地名が呼び覚ますイメージは、いにしえに倣い風雅なものであってほしいと思いました。
0 件のコメント:
コメントを投稿