2025年9月28日日曜日

ザ・フー キッズ・アー・オールライト

秋晴れ。角川シネマ有楽町ジェフ・スタイン監督作品『ザ・フー キッズ・アー・オールライト』を観ました。

オープニングの "My Generation" から "I Can't Explain" "Baba O'Riley" "Shout and Shimmy" "Young Man Blues" の5曲の各年代のTV番組や各地のライブ映像を、インタビューやナレーションを挟まず畳みかける、その勢いで一気に惹きつけられる。

1979年公開の本作は、最も英国らしいロックバンドのドキュメンタリーではあるが、クロニクルなヒストリーではない。The Whoという現在進行形のアトラクションをThe Whoヲタクの監督が布教しようという意欲作なのだ。

先月観た『ザ・フー ライヴ・アット・キルバーン1977』はこのドキュメンタリーのために撮られたものだが、わずか2カット、しかもピート・タウンゼントのMCと演奏終了後に4人のメンバーが観客に挨拶する数秒だけしか使われていない。 "Baba O'Riley"と"Won't Get Fooled Again" はキルバーンの5ヶ月後に撮り直したもので、ロジャー・ダルトリーのボーダーのピタTなど3人の衣装は同じだがキース・ムーンのシャツが異なる、打ち込みモニター用ヘッドホンを頭が激しく振っても吹っ飛ばないように黒い粘着テープでぐるぐる巻きにしている。ピートのブラックトップのレスポールはキルバーンでは「3」のステッカーが貼られたものを弾いていたが今作では「1」と「5」、風車ピッキングで腕を振り過ぎて、シャツの右脇下の破れが広がっている。ドラマーたちにフォーカスした昨年公開のドキュメンタリー映画『COUNT ME IN 魂のリズム』でも "Who Are You?" の録音風景がフィーチャーされていたが、そのときもキースは頭に黒いテープを巻いていました。

メンバー以外では、リンゴ・スターのいい人っぷりとケン・ラッセル監督のヤバさが際立つ。歌番組の司会者ラッセル・ハーティは腰が引けながらも必死で食らいついていく。メンバー4人はテレビのトークコーナーではちゃらんぽらんな態度を貫くが、ファンの質問には真摯に答える。

初期の代表曲 "My Generation" は本作中に3つのバージョンが収録されており、最後の1967年モンタレー・ポップ・フェスティバルのライブ映像の後半には、いろいろな会場でいろいろなギターを破壊するピート・タウンゼントの姿が次々にインサートされます。そしてキース・ムーンはドラムセットを破壊する。

ギターアンプに仕込んだ火薬の爆発音こそ大きいがものの数秒で終わり、ギターもドラムも壊してしまえばあとは無音です。ライブのエンディングを盛り上げるノイズを出し続けることができるのはジョン・エントウィッスルのベースだけ。そのポーカーフェイスの裏側の気苦労に思いを馳せました。楽器は丁寧に扱いましょう。

 

2025年9月27日土曜日

レッド・ツェッペリン:ビカミング

秋晴れ。TOHOシネマズ日比谷バーナード・マクマホン監督作品『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観ました。

機体にLZ129と記された飛行船ヒンデンブルク号の墜落を知らせる1937年のニュース映画。そしてナチスドイツの台頭、ノルマンディ上陸作戦、パリ解放、第二次世界大戦終結。白黒の報道映像から "Good Times Bad Times" のイントロが始まる。レッド・ツェッペリンの4人のメンバーは1944~1948年に生まれた。

ギターのジミー・ペイジは十代のうちからロンドンでスタジオミュージシャンとして The KinksThe Rolling StonesThe Whoなど、メジャーな作品に関わっていた。ベースのジョン・ポール・ジョーンズ(ジョンジー)も同業で、二人は『007ゴールド・フィンガー』の主題歌でも演奏している。ボーカルのロバート・プラントは窃盗で食いつなぎながら住所不定の暮らしをしていた。ドラムのジョン・ボーナムはプラントのハイスクール時代の友だち。

ギタリスト仲間のジェフ・ベックに誘われ、サイケデリック・ブルース・ロック・バンドのヤードバーズに加わったペイジだが、ある日のミーティングで解散を告げられる。スタジオミュージシャンとしてショッピングモールのBGMを1日何十曲位も録音するのにうんざりしていたペイジは自分のアイデアを形にするバンドメンバーを探し始める。

1970年代のイギリス音楽界を代表するロックバンドの結成から2ndアルバム "Led Zeppelin Ⅱ" 、続くロイヤル・アルバート・ホールのライブによって本国でブレークするまでを存命の3人の現在の映像と1980年に亡くなったドラムのジョン・ボーナム(ボンゾ)のインタビュー音声で辿るドキュメンタリーフィルムです。

「飛行機に乗ったら、銀器、ジントニック、人間、今まで盗んでいたものが目の前にたっぷりある。ママの元にはもう戻れない」(プラント)。1968年9月、デンマークのグラズサクセ市のティーンクラブにおける初ライブ演奏からヴァニラ・ファッジと回った空席の目立つ全米ツアー、サンフランシスコのフィルモアで初めてソールアウトしたライブの対バンはカントリー・ジョー&ザ・フィッシュタージマハルだった。

ペイジもプラントもジョンジーもボンゾのインタビュー音声を聞かせると表情が緩みます。懐かしさと友情と親愛の混ざった3人の表情だけでこの映画を観る価値がある。あとジミー・ペイジの声が意外と高いです。

シングルカットをせず、MVも制作しなかったレッド・ツェッペリンの公式映像は少なく、貴重なフッテージとライブ音源がデジタルリマスタリングで超クリアになったのは現代のテクノロジーの恩恵。ジョン・ポール・ジョーンズはレッド・ツェッペリン加入前はFender VI(6弦ベース)を弾いていたとか、初全米ツアーでボンゾはメインアクトのカーマイン・アピスの手癖を真似ていたとか、『レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ(The Song Remains The Same)』を飯田橋や池袋の名画座で繰り返し観た十代の自分に教えてあげたいです。

エンドロールで流れるエディ・コクランのロカビリーナンバー "C'mon Everybody" と "Somethin' Else" のカバーの4人のテンションと音圧は異常。席を立たずに最後まで聴きましょう。

 

2025年9月23日火曜日

マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて

秋晴れ。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2025" で、サンドリーヌ・ボネール監督作品『マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて』を観ました。

「自分に何が起こるかわかるような気がするの。少し退屈で現実的ではないの」。19歳のマリアンヌ・フェイスフルがカメラに向かって答える。1946年末、英国軍諜報部員の父とユダヤ系オーストリア人の母の間でロンドンで生まれたマリアンヌは、17歳で結婚し男児をもうける。

夫の知人のパーティでザ・ローリング・ストーンズの当時のマネジャー、アンドルー・オールダムにスカウトされ芸能界入り。1964年、新進気鋭のジャガーリチャーズによる "As Tears Go By" でレコードデビューする。次々にヒットを飛ばすが、1966年に離婚し、ミック・ジャガーの恋人となる。

2025年1月に78歳で亡くなった英国の伝説的スターを二世代下のフランス人俳優が2017年に撮ったTVドキュメンタリーです。撮影時マリアンヌは70歳。「初期の活動は省略しないで。誇りに思っているの」と自身のアイドル時代を肯定するが、ミック・ジャガーの恋人だった期間はツアーもレコーディングも行動を共にするものの1970年に破局、薬物依存に苦しみホームレス同然の路上生活から発見される1975年まで8年間自身の作品は発表していない。

「私は傲慢の罪を背負っている。七つの大罪のうち嫉妬以外は全部かしらね」と豪快に笑い、映画俳優でもある女性監督が大先輩に切り込む。業界歴の長い主人公マリアンヌは、被写体に遠慮して掘り下げの甘いドキュメンタリーは面白い作品にならないと知っている。だからどんなに答えづらい質問にも真摯に向き合い、素の姿を晒そうとするのだが、どうしても耐えられない一線があり、憔悴し「カメラを止めて」と懇願する。監督は質問を止めるが、カメラは回し続ける。そこにレジェンドの真の素顔が覗く。62分というコンパクトなサイズながら、波乱万丈過ぎる半生を冷徹な眼差しで記録したスリリングな佳作といえましょう。

1980年に名盤 "Broken English" で本格的にカムバックしたとき、煙草とアルコールとヘロインで潰れた咽喉から絞り出すドスの効いたダミ声に驚きました。未だ依存症からは脱却していないと言いながら、小規模なクラブでワインを嗜む品の良い観客の前でジャズやブルーズを歌う晩年の姿に、小さくても平穏な光を見たように感じました。

 

2025年9月21日日曜日

Eno

秋晴れ。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2025" で、ギャリー・ハストウィット監督作品『Eno』を観ました。

PCのバグ的な画面から白鳥や乳牛のいる田園風景に転換する。デニムのボタンダウンシャツを着た75歳のブライアン・イーノが「真面目に話をしよう」とカメラに向かって笑う。

「人は予想外の出来事を警戒する。偶然を楽しむことを人々に促すのが私の仕事だ」。楽器が演奏できず作詞作曲もできなかったイーノがグラムロックバンド ROXY MUSIC に加入する。否、イーノが参加したことによって ROXY MUSIC はグラムロックバンドになった。派手なメイクと奇抜な衣装はそのほうが見栄えがしたから、とこともなげに言うイーノ。

1946年生まれのイーノが25歳のときに ROXY MUSIC でデビューしてから2024年の撮影当時まで50年にわたるキャリアを自ら振り返るドキュメンタリーフィルムの冒頭には「GEN4-177 20250921 TOKYO」とプロンプトが表示される。Generative AIによって上映毎に編集が変わります。

「ノートを記すのは、多くの人と同じように思考を整理するため、私が注目していたことに注目するためだ」。カントリーサイドの自宅の作業デスクに積み上げられた膨大な手書きのメモ。「ANOTHER GREEN WORLDの "Spirits Drifting" は泣きながらレコーディングした」。バンドを解雇されソロデビューしたものの何をすべきかわからず途方に暮れた日々。

「私の音楽で評価されるのはゆるやかさだ。自分を停止する機会を作っている」。アンビエントミュージックの発想は交通事故で入院中に故障したステレオで聴いたバロック音楽から。だが「私は瞑想ができたためしがない。瞑想するには神経質過ぎると言われた」と言う。

多くのミュージシャン、バンドをプロデュース(というより共同作業)し、U2を世界的バンドに引き上げた功績があるが、心惹かれたのはやはりベルリンのデヴィッド・ボウイの『ヒーローズ』のセッションです。「イーノは楽器もほとんど演奏しないし、基本的に何もしない。イーノと仕事をするのは楽しかった」とボウイ。笑顔のロバート・フリップ。『オブリーク・ストラテジーズ』と呼ばれるカードから任意の1枚を引いて、思索的に創造性を引き出していた。トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンとのコラボレーションにも心弾みましたが、DEVOをもっと観たかったな(他バージョンではあるらしい)。

マイクロソフト社からWindows95のわずか3.5秒の起動音の発注があったときの気持ち、ジョニ・ミッチェルがアンビエントアルバムを作りたいと電話してきたのに当時アンビエントに辟易していて断ったことを後悔している(「ジョニ、いつでも電話して」)など、チャーミングなエピソードもありました。

僕的ハイライトは、鍵盤でぱらぱらっと弾いたメロディをアプリケーションソフトに通して音数を1/3に減らすところ。イーノの真骨頂過ぎる。2021年8月にアテネの古代神殿で "Before And After Science" (1977) 所収の "By This River" を訥々と歌う75歳のイーノ。その声は45年前と変わらず、当時は抑揚のない平坦な歌だと思っていたのに、歌い手の特権性を排除したかったと聞いた現在は逆にとても心を打つのでした。

 

2025年9月14日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

真夏日。『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック』に出演しました。ご来場のお客様、配信ライブをご視聴くださった皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、あらためましてありがとうございました。

ノラバーには8年前の開店当初から何度もお世話になっていますが、僕自身としては昼間に出演するのは初めてです。先月は二度、Chiminさんマユルカとカナコのお昼のライブに観客としてお邪魔しました。

9月14日は、2015年の『ultramarine』以来、カワグチタケシ10年ぶりの新詩集『過去の歌姫たちの亡霊』の刊行日ということで、これまでの6冊の詩集から秋の詩を1篇ずつと、新詩集の全10篇を朗読しました。

  4. ビザンティウムへ船出して(W.B.イエイツ 高松雄一訳)
  5. ビザンティウムへ地下鉄で
11. 星月夜 Cyndi Lauperに

「ビザンティウムへ地下鉄で」は、PCの古いデータから最近見つけた2009年の作品です。アイルランドの大詩人W.B.イェイツ関連のイベントのためにイェイツの「ビザンティウムへ船出して」を下敷きにして書き一度だけ朗読しました。イェイツは1865年生まれ、僕とはちょうど100歳違いです。

外はまだ残暑ですが、日の傾きは秋。ノラバーさわやかポークカレー季節の野菜と果物のサラダ、食後にはノラバープリンノラブレンドコーヒー。配信ライブのデザートミュージックは以下5篇を披露しました。タイトルの後ろにアルファベットの人名が付いているのが、新詩集に収録されている作品です。


ビリー・ホリディからビリー・アイリッシュまで、古今の女性シンガーをモチーフにした連作詩集の成り立ちは3K Podcastで話していますので、Apple MusicSpotifyAmazon Audibleのストリーミングプラットフォームからお聴きいただけます。当日ご来場のお客様へのお土産に、詩集に登場する歌姫たちが主人公の映画レビュー選集を制作しました。

90分間ひとりの詩人の声を聴いてもらう。ワンマンライブが開催できることはとても恵まれていること。オファーをくださるノラさんには感謝しております。ノラバーに集う気持ちの良いお客様も大好きです。次回の出演は来年1月11日(日)夜に決まりました。ご都合よろしければ是非お運びください。

2025年9月5日金曜日

遠い山なみの光

雨上がり。ユナイテッドシネマアクアシティお台場石川慶監督作品『遠い山なみの光』を観ました。

1982年のイギリス、グリーナム近郊の静かな村で暮らす悦子(吉田羊)の家にロンドンでライターをしている次女ニキ(カミラ・アイコ)が帰省する。グリーナムの空軍基地周辺で起きている核兵器に反対する女性たちの抗議行動の記事を書いたニキは、母の出身地である長崎の原爆について書くことを編集者に勧められる。ニキに促されて、悦子は重い口を開く。

1952年の長崎。悦子(広瀬すず)は橋の下で男子たちにいじめられていた少女万里子(鈴木碧桜)を助け河原のバラック小屋へ送ると、派手な身なりの母親佐知子(二階堂ふみ)がいた。初対面の悦子に仕事の紹介を頼む佐知子は東京都下の出身で戦前から長崎で英語通訳の仕事をしており、近いうちに米兵フランクとアメリカに渡るという。

数日後、悦子が傷痍軍人の夫二郎(松下洸平)と暮らす団地に、悦子の元上司であり校長を退職した二郎の父(三浦友和)が福岡から訪れる。

1954年長崎で生まれ1960年に家族と渡英したカズオ・イシグロが1982年に出版した長編小説第一作の実写映画化は、落ち着いた色調とゆっくりと流れる時間の中に不穏さを滲ませ、情感と緊張感を併せ持つ作品になりました。広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊(英語上手!)、カミラ・アイコが抑制の効いた見事な芝居をしています。

この映画を観て考えたことがあります。人には物語が進むにつれ後で描かれるエピソードほど真実だと思い込む習性があるのではないか、ということです。渡英した悦子の語りによる物語はニキの発見によって逆の視点から再構成され、フラッシュバックのように映画の終盤に映像化される。我々は後者を真実だと捉え、それまでの悦子の語りを小津映画の笠智衆原節子を投影したような願望と妄想混じりのフィクションと位置付けます。そこで、真実は最後に明かされる、というミステリーの約束事を盲信しているのではないか、という疑念が湧きました。

「誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ」というポール・オースターの『スモーク』の台詞の通り、二つの物語はどちらもフィクションであり、観客である我々が好きな結末を選べばいい、というメタ構造を持っている。それは、タイトルバックとエンドロールで二度にわたり流れるNew Order の "Ceremony" (1981) の歌詞 "They find it all, a different story / Notice whom for wheels are turning" (人はそれぞれ異なる物語を見出す/誰の為に歯車が回っているかを示す)にも示唆されています。

ポーランド出身のパヴェル・ミキウェティンが手掛けたサウンドトラックも素晴らしく、自死した長姉景子の部屋のドアをはじめてニキが開けるときに鳴る柱時計とカメラのストロボ音とピアノの単音で緊迫感が最高潮に。

原作小説のタイトル "A Pale View Of Hills" は原爆投下時の閃光を連想させますが、書籍と同じ邦題の『遠い山なみの光』が僕にはなぜか憶え辛い。1955年の長崎端島を舞台にした『海に眠るダイヤモンド』と重ねて観るのも面白いと思いました。

 

2025年9月3日水曜日

不思議の国でアリスと Dive in Wonderland

9月の熱帯夜。丸の内ピカデリー篠原俊哉監督作品『不思議の国でアリスと Dive in Wonderland』を観ました。

「みんなと同じようにしているのにうまくいかないんだよね。今日はそういうの全部忘れたくて来たから」。就活に悩む大学4年生の安曇野りせ(原菜乃華)はローカル線を乗り継いで、亡き祖母(戸田恵子)が遺したテーマパーク "Wonderland" を訪れる。完成間近のパークは祖母が大好きだった『不思議の国のアリス』の世界を体験できるというもの。

個室に通されたりせがテスト運用中のVRデバイスを装着すると、正装した白ウサギ(山口勝平)が現れ、りせのスマホを持ち去ってしまう。りんごに姿を変えたスマホを取り戻すために白ウサギを追いかけて、りせは不思議の国に迷い込み、小さなアリス(マイカ・ピュ)に出会う。

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』をベースに置いてはいますが、まったく別のお話、架空のVRアトラクションのアニメ化と考えるべきだと思います。

自己肯定感、同調圧力、SNS、就活、現代の若者が直面する様々な課題をVR内の体験による成長で克服しようということなのですが、どんなに振り回されても、空中で放り出されても、水流に巻き込まれても、ハートの女王(松岡茉優)に首を刎ねよと脅されても、冷静に考えれば、試験運用中とはいえテーマパークのアトラクションという安全が確保された空間内での体験以上のものではないんですよね。もちろん映画を観ている我々もスクリーンのこちら側という二重の安全圏にいるわけですが。

「へんてこなことが起きたあとって、普通のことがつまらないわ」。原作のアリスは想像を絶する出来事に戸惑い、それが度を越して開き直り、また不思議の国の喧騒を冷ややかに傍観したりするのですが、本作のアリスはシャイな主人公りせをVRアトラクションにどんどん引きずり込む積極的なキャラで、日米ハーフの子役マイカ・ピュさんの明るい声質がよく合っています。主人公りせを演じた原菜乃華さんも発声が明瞭で聴き取り易かったです。

P.A.WORKSの優しい色調のカラフルなアニメーションも目に楽しい。肥大化した承認欲求が爆発して半透明になった主人公りせとその背景を墨絵風に描いた対比も効果的でした。

全11Chapterで構成されていて、第10章の "In The Court Of Crimson Queen" はキング・クリムゾンロバート・フリップの配偶者TOYAHのアルバムタイトルですね。コトリンゴさんの劇伴、小林うてなさんの劇中曲、SEKAI NO OWARIエンディングテーマもそれぞれよかったです。

 

2025年9月2日火曜日

水辺にて

9月の熱帯夜。所沢音楽喫茶MOJOで開催されたChiminさんの企画ライブ『水辺にて』に行きました。

Chiminさんのステージは、加藤エレナさんのピアノと井上"JUJU"ヒロシさんのテナーサックスによるインスト曲、Carla Bleyの "Lawns" で始まりました。

そしてChiminさんが登場し、JUJUさんのパーカッシブなフルートに導かれてマイナーブルーズの「茶の味」へ。続く夏曲「sakanagumo」「シンキロウ」。

1980年代にはいろいろな店で使われていましたが、現在はヴィンテージ楽器と呼ばれる打弦式電子ピアノ YAMAHA CP70 のクリアでノスタルジックな音色にエレナさんはロータリースピーカーのようなゆるいトレモロをかけて空間を波打たせ、Chiminさんがやや抑えめな声で応え、JUJUさんが時折鋭く切り込む。

「わかりやすいことは信用できへんな」というMCから「あさはこわれやすいがらすだから/東京へゆくな ふるさとを創れ」という谷川雁の詩篇の一節を朗読し、1stアルバムの「たどりつこう」へと繋ぐ。地元所沢の家族的な空気感の中でリラックスした歌唱でありながら、その歌声の向こう側に滲む静寂がChiminさんの音楽を美しく際立たせます。

『水辺にて』はMOJOさんで不定期に開催されるChiminさん企画のツーマンライブで、前回2024年10月のゲストはノラオンナさんでした。

今回招かれたのは mizquiさん。初めて生で聴きました。シングルカッタウェイのエレガットに乗せて、スローブルースからスタートし、レゲエ、フォークロックとバラエティのあるリズムで、こぶしを効かせたブルースから少女のような透明感のあるウィスパー、力強いファルセットと、多彩な声質、豊かな声量、正確なピッチがすみずみまで完璧にコントロールされている。

オリジナル曲の歌詞は性的な隠喩を時折含むが、歌声の技巧の精巧さゆえにさらっと聴かせる技量を持ち、聴き応えがあります。

アンコールでChiminさんとデュエットしたソウルフラワーユニオンの「満月の夕」(山口洋lyrics ver.)も優美で、心の柔らかい部分にじんわりと染み込みました。

 

2025年8月29日金曜日

ザ・フー ライヴ・アット・キルバーン1977

猛暑日。TOHOシネマズ日比谷ジェフ・スタイン監督作品『ザ・フー ライヴ・アット・キルバーン1977』を観ました。

「1年ぶりのライブだから、どうなることやら」というロジャー・ダルトリー(Vo)のぼやきとともに1965年のデビューシングル曲 "I Can't Explain" でステージが始まる。

ロンドン北西部キルバーンのキャパ800名の映画館ゴーモントステイトで1977年12月15日に開催されたライブは、スタイン監督により制作中だったバンドのドキュメンタリーフィルム『キッズ・アー・オールライト』に最新の演奏シーンを入れるためのもので、当日朝にキャピタル・ラジオで告知された。

機材トラブルでお蔵入りしていた幻のフィルムが今世紀に入って発掘されたということで、実際にピート・タウンゼント(Gt)が序盤に自身のHIWATTのアンプヘッドを押し倒し「最悪だ、撮影する意味がない。カメラマンに帰ってもらおうか」とマイクに向かって言うシーンもカットされずに残っています。野次を飛ばす客を「大口を叩くクソガキども、俺のギターを奪ってみろ」と挑発する。

生涯最期から二番目のライブとなったキース・ムーン(Dr)は、アナログシーケンサーで同期する "Baba O'Riley" "Won't Get Fooled Again" では律儀にヘッドホンを着用しているが、全体的にミスが多い。ロジャーは代表曲 "My Generation" で歌詞を飛ばす。怒り心頭なピートにしてもフレーズがもつれるのに、撮影を意識してアクションだけは終始キメまくる。そしてひとり淡々と責務を果たすジョン・エントウィッスル(Ba)。

そんな問題だらけの演奏なのに、だからこそ、技術や完成度だけではないロックの魅力が詰まったライブです。The Whoはこのときデビューから12年、スタジアム級になったバンドの30代前半の4人のメンバーがフレッシュな初期衝動を保っているのを奇跡と言わずしてなんと言おう。

おそらく当時最新のレーザー光線でエンディングを迎え、映画用に4人がステージで肩を組むが、ブラックトップのレスポールデラックスを投げ捨てたピートに笑顔はない(キースは満面)。9月26日公開の『キッズ・アー・オールライト』がますます楽しみになりました。

 

2025年8月24日日曜日

ノラバーお昼の生うたコンサート&デザートミュージック

猛暑日。二週続けて西武柳沢へ。『ノラバーお昼の生うたコンサート&デザートミュージックマユルカとカナコの回に行きました。

1曲目はノラバー店主ノラオンナさんの楽曲「僕のお願い」。昨年11月のノラさんのトリビュートライブ『とまり木にて7』で披露されたカバーですが、一度きりのイベント用のアレンジが再現されるのは、マユカナさんとノラさん、両者のファンとしてとてもうれしい。

「僕のお願い」のコーダに添えられた控えめな二声のフーガを引き継ぐかたちで2曲目の「流浪の日々」はカナコさんが全編ハモる二声のしりとり歌で、ここからはすべてmayulucaさんのオリジナル曲。「夜明け前」の高速スリーフィンガーとゆったりした歌唱旋律の共存、「幸福の花びら」の協和と不協和音を往復する半音下降など、ナイロン弦に張り替えたmayulucaさんの正確且つスリリングなギタープレイを聴覚的にも視覚的にも間近で堪能しました。

mayulucaさんとは同じ大学の1年先輩にあたり、舞台女優としても春先に観た『ガラスの動物園』のローラ役が印象深かった西田夏奈子さんのヴァイオリンとコーラスが、がっちりした骨格とおおらかさを併せ持つmayulucaさんの音楽に澄んだ広がりを加えます。

アネモネ」のスキャット、「月の下、僕はベランダに」では風鈴や巻き尺などで客席も参加し、元来パーソナルな手触りのあるmayulucaさんの音楽の一部になれるのが楽しい。

前週のChiminさんの回に引き続き遅めのお昼のメニューは、季節の野菜と果物のサラダノラバーさわやかポークカレーです。デザートタムにほろ苦いカラメルソースが大人味のノラバープリンノラブレンドコーヒーノラさんの丁寧な手仕事は二週続けて食べても食べ飽きない。どころか新たな発見があります。

Instagram配信ライブのデザートミュージックは「今を生きよ/過去を抱いて/過去を慰めて」と歌う、出来立ての新曲「空ばかり見ていた」から始まり、6/15(日)の僕のノラバーライブにいらしたカナコさんにお声掛けいただき、「都市計画/楽園」をマユルカさんのギターとカナコさんのヴァイオリンに乗せて朗読させてもらいました。この3人で同時に音を重ねるのは、池ノ上ボブテイルで開催した『マユルカとカナコとタケシ』以来6年ぶり。とても気持ち良かったです。

 

2025年8月21日木曜日

ChaO

猛暑日。ユナイテッドシネマ豊洲青木康浩監督作品『ChaO』を観ました。

20XX年の上海。新米記者のジュノー(太田駿静)はアイドルの取材に遅れそうになり、路線バスの窓から人魚専用の空中水路に飛び乗る。水圧に押し流され吐き出された埠頭で荷物の積み下ろしをする男が、ジュノーが子どもの頃から愛読している『人間と人魚の交流史』で紹介されたステファン(鈴鹿央士)であることに気づく。

超凡船舶有限公司の設計部門に勤務していたステファンはスクリューに魚を巻き込まないエアージェットを製品化することが夢だが、シー社長(山里亮太)の不興を買い、甲板清掃業務に左遷されてしまう。人間世界との友好交渉が決裂して、海に戻る人魚族ネプトゥーヌス国王(三宅健太)の立てた大波に飲み込まれたステファンは気づくと病院にいて、ネプトゥーヌスの王女チャオ(山田杏奈)の求婚を受けることになる。

「心底地上の人間に心を許したら、水中でなくても人の姿になれるんだよ」。ステファンとチャオの結婚が現在の人魚と人間が共存する世界のはじまりだった。アンデルセン童話の『人魚姫』の翻案は、『魔法のマコちゃん』『リトル・マーメイド』『スプラッシュ』『崖の上のポニョ』と枚挙にいとまないですが、オリジナルストーリーの本作では人魚姫が陸上でもほぼ魚の形態をとっていることと、それによって人の姿と引き換えに声を失うという設定が不要のため、会話ができる(人の姿になっても)という点が特徴的だと思います。

声優としての大きな役は初めてだと思いますが、山田杏奈さんが、良く言えば純真無垢、悪く言えば常識知らずなプリンセスを魅力的に演じており、異形の姫がかわいらしく思えてきます。実写でも『リラの花咲くけものみち』の獣医志望の純朴な農大生から『早乙女カナコの場合は』の小悪魔的なギャルまで役の幅が広いのに加え、声の演技での活躍も今後期待できるのではないでしょうか。劇中歌も素敵でした。

STUDIO 4℃制作の劇場版映画を観るのは『海獣の子供』以来、『ハーモニー』の淡彩の狂気よりも、猥雑な街並みの緻密な描写は『鉄コン筋クリート』に近い。後半のロボットの暴走やカーチェイスの躍動感、挑戦的な画角とカメラアクションの独創性は流石。エンドロールも必見です。

3D音響も素晴らしいので、映画館で観てこその作品だと思います。

 

2025年8月17日日曜日

ノラバーお昼の生うたコンサート&デザートミュージック

真夏日。西武柳沢へ。『ノラバーお昼の生うたコンサート&デザートミュージックChiminさんの回に伺いました。

8月の午後2時半の日射がバス通りに面したノラバーの大きな窓のすりガラスを通すと柔らかく感じられます。1曲目は「すべて」ギター弾き語りのスローバージョンでふわりとライブが始まりました。歌詞に季節を暗示するワードはないのですが、バンドセットのダブビートの印象で僕にとっては夏曲です。

「泣きつかれ/こわれ果てても歌うんだろう」と歌う19歳ではじめて書いた曲「目と目」。Chiminさんの歌声を聴くといつも感じる背筋の伸びた適切な心地良さに汗がすっと引く。先週体調を崩して心配していたアルバイトの看板インコ梨ちゃん2号も元気いっぱいです。

続く「言葉ひとつ」と真夏の花ノウゼンカズラを歌った「シンキロウ」は岡野勇仁さんのエレピが加わる。耳に馴染んだ加藤エレナさんのクリスプなピアノがChiminさんとオーディエンスの背中を押し勇気づけるようなプレイだとすると、岡野さんは音響的にも心象的にも穏やかに包み込むような演奏でありながら、抒情に流れない理知的な音律を感じます。転がるようなKORGの音色を活かした「茶の味」のオブリガートや「残る人」のロマンチックなイントロダクションも素敵でした。

昨今メディアを賑わす排外主義というワードに在日コリアン3世であるChiminさんが心を痛めていないか、すこし気になっていました。「ホロアリラン」「海が好き」のハングルの響きは凛として優しかったです。

お昼のノラバーのお食事タイムは、季節の野菜と果物のサラダノラバーさわやかポークカレーです。店主ノラオンナさんが試作を重ねて辿り着いた酸味のあるカレーはお肉がほろほろで夏休みの遅めのランチにうってつけの味。そして生クリームとチェリーが乗った大人味のノラバープリンノラブレンドコーヒー

傾き始めた真夏の日差しの中でデザートミュージックの配信が始まると「」「時間の意図」「雨がやんだら」と聴きたかった楽曲が続けて演奏され、この幸せな時間が終わらなければいいのに、と思いました。

 

2025年8月16日土曜日

彼女たちのアボリジナルアート

真夏日。京橋アーティゾン美術館で開催中の『彼女たちのアボリジナルアート オーストラリア現代美術 ECHOES UNVEILED Art by First Nations Women from Australia』を鑑賞しました。オーストラリアの先住民であるアボリジナルの女性アーティスト7人と1団体の作品を展示するプログラムです。

大航海時代にイギリスから植民した白人たちにアボリジニは人間とはみなされず、戸籍も作られなかった。200以上の原語、300以上のクラン(部族)に分れ大陸に点在していたアボリジナルの伝統的価値観においては、神事でもある芸術の作り手は男性に限られ、女性の創作物は日用雑貨もしくは土産物と考えられていた。

人種と性的役割という二重の抑圧を受けた女性作家たちですが、世代によって価値観が異なるように感じました。第二次世界大戦前に生まれ、前述の理由で生年が不明確なエミリー・カーマ・イングワリィ(1910頃‒1996)やノンギルンガ・マラウィリ(1938頃‒2023)は作品制作にあたり男たちの許可を得る必要があった。部族の伝統を踏まえつつ意図せずそこから逸脱していくような作風です。

半面、戦後生まれ、且つ白人による同化政策後の世代、ジュディ・ワトソン(1959‒ )、マリィ・クラーク(1961‒)らは、白人風の名前で何人かは混血であるが、それゆえに自らのルーツを探る過程で芽生えた被差別民族としてのアボリジナルの立場から文化収奪に対するデータに基づく告発が作品の制作動機になっています。イギリスによる核実験で故郷を侵されたイワニ・スケース(1973‒)のウラニウムを混入したガラス作品は強いインパクトがありました。

また、イギリスの政策により親元から奪われ、キリスト教義に基づく同化教育を強制された子どもたちの名前を木の枝に焼き付けたジュリー・ゴフ(1965‒)の立体作品「1840年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナルの子どもたち」の足元には剥がれ落ちた木の皮が散乱しており、過去の過ちが現在に続くものであることを訴えているようです。

一方で、マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ(1924頃‒2015)は、前者の世代に属しながら、高齢者施設の創作プログラムへの参加からまったく異なる独自の抽象表現を持つ巨大な作品群を制作し、その色彩感覚、空間構成力はアボリジナルを遥かに超えて宇宙的な広がりを獲得しています。

作家たちの言葉も含蓄のあるものが多かった。その一部を紹介します。

「深い意味は男たちのもので、これはただの水――私が見る水です。水を描く時はただの水を描きます。波が押し寄せて岩に砕ける、その水で泡になり、砕けて飛び散る。それが私にとっての水です」ノンギルンガ・マラウィリ

「ウランはエネルギーの一種です。地球にはエネルギーがあり、このエネルギーが抽出されると地球は病んでしまいます。そして人類も病んでしまいます」イワニ・スケース

「私たちは文化を失ったわけではありません。ただその一部は休止状態にあって、呼び起こされるのを待っている。私のアートは、私たちの文化活動を再生させること、その強さと回復力を人々に改めて認識させることです」マリィ・クラーク

アーティゾン美術館の常設展示は、印象派、後期印象派を中心に名品が並びます。中国出身のザオ・ウーキー(1920-2013)の作品がまとまって展示されており、エッジの効いた抽象表現がクールでした。

 

2025年8月15日金曜日

The Summer あの夏

終戦の日。ヒューマントラストシネマ有楽町ハン・ジウォン監督作品『The Summer あの夏』を観ました。

「危ない、よけて!」。サッカー部の女子部員スイ(ソン・ハリム)が蹴ったボールがイギョン(ユン・アヨン)に当たり、眼鏡が壊れて、イギョンは鼻血を出して倒れる。翌日から一週間イギョンの教室にスイからいちご牛乳が届けられた。自室の窓辺に空の紙パックを並べ、校庭で摘んだ花を生けるイギョン。

「目が茶色いんだね」「犬みたいな目とからかわれたの」。名将ヒディンク監督率いるサッカー韓国代表がW杯日韓大会で大活躍した2002年の夏。下校中のダム湖に架かる橋の上で二人は、はじめて手をつないだ。

活発なスポーツ少女スイと内向的な優等生イギョン。感情表現は方向性こそ違えどどちらも不器用。秋を迎え、冬を過ぎ、卒業したふたりは首都ソウルへ。イギョンは大学の寮に入り、練習中の十字靭帯損傷で実業団入りを諦めたスイは自動車整備工の専門学校に進学する。新しい生活で小さなすれ違いがほころびを広げる。

対称的な性格のショートカット女子同士の夏のサイダーのような恋愛物語が、36歳の女性監督の繊細な筆致で描かれています。韓国のアニメが日本で公開されることはまだ少ないですが、日本のアニメ映画のエンドロールに韓国の制作スタジオのクレジットは常に見るところであり、セルタッチのテクニカルな面でも非常にレベルが高い。

ハン監督のインタビューによるとスタジオジブリの『海がきこえる』に影響を受けたという本作においても、キャラクターの表情の機微、指先の表現、色彩設計や背景の美しさは特筆に値します。生楽器中心の控えめな劇伴もよかったです。

 

2025年8月13日水曜日

ギルバート・グレイプ

真夏日。新宿武蔵野館12ヶ月のシネマリレー』にてラッセ・ハルストレム監督作品『ギルバート・グレイプ』を観ました。

「アーニー、チキンは?」「チキンはいらない。コーンは食べる」。ギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は幹線道路脇の草むらで弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)とキャンピングトレーラーのキャラバンを待っていた。州都デモインの大会に毎年向かう彼らは何もない町を通り過ぎるだけ。

だがその年、ベッキー(ジュリエット・ルイス)と祖母(ペネロープ・ブランニング)を乗せたトレーラーだけが、キャブレーターの故障によりエンドーラに留まることになる。

父の自死以降自宅の居間を出ず体重が200kgを超えた母ボニー(ダーレン・ケイツ)、勤務先の火事で職を失い家事を一手に引き受けている姉エイミー(ローラ・ハリントン)、吹奏楽部に所属する反抗期の高校生の妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)、重度知的障害の弟アーニー、5人家族の暮らしを個人経営の食料品店の給料で支えるギルバート。10歳まで生きられないと医者に言われたアーニーの18歳の誕生日までの夏の一週間を描く、気まずさと優しさに溢れた作品です。

スウェーデン出身のハルストレム監督が1993年に撮ったこの映画をいろいろなメディアで何度観たかわかりません。前回は2022年8月に池袋シネ・リーブルのリバイバル上映に行きました。繰り返し観ても新しい発見があるのは、自分が変化しているからでもあると思います。

わずか一週間に一年分にも相当するような出来事があり、それが無理なく自然に繋がっていきます。コスプレしていないジョニー・デップとひょろひょろのディカプリオ、サイコ系以外のジュリエット・ルイスの主役3人の芝居の非の打ち所のなさはもちろんですが、ギルバートといつもつるんでいる幼馴染、葬儀屋のボビー(クリスピン・グローヴァー)と修理屋タッカー(ジョン・C・ライリー)の地元のツレ感、ギルバートの雇用主であるラムソン夫妻の哀しみ、バーガーバーンの開店祝いのステージで "This Magic Moment" を演奏するエレンのブラスバンドの絶妙な下手さ、炎や水の寓意に満ちたカット、ロングショットの多用による茫漠とした寂寥感と自然美の共存に痺れました。

家族のことばかり考えて、自我を表現する言葉を持たないギルバート。彼らの暮らすアイオワ州はトランプ大統領の再選時に注目されたラストベルト3州の西側に隣接しています。かつては機械工業で栄えたラストベルトより、過去一度も隆盛を経ていない更に忘れ去られた土地に生きるホワイトトラッシュの閉塞感が、政治的には保守化に向うのが、肌感覚でわかります。

 

2025年8月9日土曜日

冬冬の夏休み

真夏日。新宿武蔵野館候孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品『冬冬の夏休み』デジタルリマスター版を観ました。

台北の小学校の卒業式、6年生代表の答辞と仰げば尊しの合唱から映画は始まる。台湾の新学年は9月からなので、卒業式の翌日に夏休みが始まります。

小学校を卒業した冬冬(王啓光)と幼い妹の婷婷(李淑楨)は、父(楊徳昌)とともに、母(丁乃竺)の病室を訪ねる。消化器系疾患の手術をする夏休みの間、銅羅で病院を営む母方の祖父(古軍)の家に兄妹は預けられる。迎えに来た叔父(陳博正)は、別の駅で恋人(林秀玲)を見送る間に電車を逃し、冬冬と婷婷はふたりきりで銅羅駅に降り立つ。叔父を待つ間、台北から持参したラジコンカーで遊んでいた冬冬は地元の子どもたちとすぐに打ち解け、ラジコンカーを亀と交換する。

台湾ニューシネマの旗手であり、その後多くの国際映画祭の常連となる巨匠で、2023年に引退した候孝賢監督の1984年作品のデジタルリマスター版のリバイバル上映です。

思春期手前の少年が田舎で出会う同世代や大人たちから受け取り、また自身でつかみ取る何か、言葉では形容しがたい経験と認識を優しく描いています。子どもたちが都会のおもちゃ欲しさに一様に亀を差し出したり、川遊びで仲間外れにされた腹いせに婷婷に服を流され下半身に芋の葉を巻いて全速力で帰宅したり、叱られて正座させられたままうつぶせに眠ったり、笑えるシーンも多々ありますが、おそらく知的障害を持つ若い女性ハンズ(楊麗音)の存在が物語に豊かな陰影をもたらしている。懐かしくも心温まるバケーションムービーです。

台湾巨匠傑作選2024』で観たエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の『台北ストーリー』は、候孝賢監督が主演していましたが、本作は逆にエドワード・ヤン監督が主人公兄妹の父親役を演じています。

母親の病気により田舎暮らしをする子ともたち、幼い妹が見つからず家族総出で探すシーンなど、いくつかのエピソードは1988年公開の『となりのトトロ』に影響を与えていそうです。エンドロールで山田耕筰作曲の「赤とんぼ」が流れると一気に山田洋次感が出ました。

 

2025年8月4日月曜日

水の中で深呼吸

猛暑日。新宿シネマカリテにて安井祥二監督作品『水の中で深呼吸』を観ました。

コースロープがまだ張られていない競泳用プールに仰向けに浮かび、波紋を作りながらゆっくり横切っていくショートカットの葵(石川瑠華)は高校1年の水泳部員。「上がるよ」と同級生の日菜(中島瑠菜)に手を引かれたときに感じたときめきに戸惑う。

昌樹(八条院蔵人)は葵の幼馴染で部活の1年先輩。放課後に葵の部屋をしばしば無造作に訪れる。葵に恋心を抱いているが、自分が恋愛対象として見られていないことを知っている。

1年生だけが部活後のプールサイドにデッキブラシをかけていたところにわざわざペットボトルを捨てたことを注意した日菜に暴言を吐いた理奈子先輩(伊藤亜里子)に葵がキレて、2週間後に1年生と2年生が400mリレーで競って、1年が勝ったら2年生も掃除をする、2年が勝ったら今まで通り1年は2年の言いなりになる、という勝負を賭ける。

「水の中は苦しい。けど水の外も苦しい。でも飛び込まなくちゃ。自分の足で」。キャプテンの玲菜先輩(松宮倫)は水泳の実力も部内一だが人知れず地道なトレーニングをしている。コースロープが張られ、葵は同級生の胡桃(倉田萌衣)と梨花(佐々木悠華)の協力を得るが、もう一人のリレーメンバーが決まらない。

山岳を背景にした田園地帯の公立共学校の水泳部のひと夏の物語。自身のジェンダーアイデンティティに揺れる主人公とチームのゆるい絆と小コミュニティ内の息苦しい恋愛模様。74分というコンパクトなサイズの中に、十代の感情の振れ幅がよく描かれており、青さも酸っぱさも身に覚えがあります。昔ながらの個人経営のパン屋の店先に置かれたベンチで部活後の時間を過ごすのは僕にも懐かしさのある夏の風景でした。

腹筋バキバキでひとりだけ身体の仕上がった昌樹は水泳部内で女子をとっかえひっかえするクズですが、その底にある満たされない焦燥は、多寡やアウトプットの違いこそあれ、多くの十代が通過するところです。

泳ぐ選手たちの体幹がしっかり通っていて、水上と水中のカメラワークも目に心地良いのですが、劇伴が映像を弛緩させてしまっているような気がしました。特にレースシーンでは、水音や泳ぎ終えたあとの荒い息遣いや心拍音だけを聴かせるほうが緊張感が出せたと思います。エンドロールのビートレスなアンビエントミュージックはとても素敵でした。

 

2025年8月1日金曜日

感じ合う世界のpiece

真夏日。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんのワンマンライブ『感じ合う世界のpiece』に行きました。

客電が落ち、MANDA-LA2では定位置の舞台下手奥に置かれたグランドピアノに向かい、夏休みの心象を描いた短いイントロダクションから、レゲエのリズムの「真夏の日」「feelin'」とサマーソングが3曲続く導入。「今日は感じ合える時間が作れたらいいなと思います」と言う。

センターマイクに移動してガットギターで「朝の気持ちは昼には消えた」と歌う「夏空」へ。毎年4月11日に同じMANDA-LA2で開催している周年ライブが2025年は自宅からの配信のみで、僕は東京ミッドタウン日比谷のスターバックスで視聴しました。年末のゴスペルクワイアを除けば、1年4ヶ月ぶりに生で聴くmueさんのきらきらしているのに耳にやさしい歌声が全身に染み渡りました。

以前SNSで発信していた Abbey Road のB面のような連なる断片の響和は冒頭3曲とセカンドセットの「神様との約束」「砂粒程の奇跡を感じられる世界」「遠い場所からやって来たインスピレーション」のブロックで実現できていたと思います。

バンドセットの広がりや浮遊感も素敵ですが、今回のようなソロ弾き語りはより自由でリラックスした素の姿に近いのではないでしょうか。メロディメイカーとしてもスタイルを確立しているmueさんのシンガー面での充実ぶりがうかがえます。

どちらかというと感情や心象風景や抽象概念を歌詞にすることが多いmueさんが、共作曲やカバー曲で季節感のある風景や人の姿を歌うときの映像喚起力の強さに気づかされました。自作曲では情景を描いても次の瞬間に内面に入ってしまう傾向が強いので、もっと風景や表情を描写する歌を聴いてみたいと思いました。

「かつてLove & Peaceを歌いたいと思っていたとき自分の中にはPeaceがなく、Pieceしかなかった。今はPieceがPeaceに近づきつつある」と言う。変化し続けているからこそ、長く歌い続けていても失われないフレッシュネスが、会場を多幸感で充たしていました。

 

2025年7月31日木曜日

海がきこえる

真夏日。アップリンク吉祥寺望月智充監督作品『海がきこえる』を観ました。

「僕が里伽子と出会ったのは2年前、高校2年の夏。こんな日だった」。JR中央線吉祥寺駅のホームから物語は始まる。大学1年生の杜崎拓(飛田展男)は電車で羽田空港へ向かい、旅客機で故郷の高知に帰る。

中高一貫の進学校の高校2年生の杜崎は夏休みにアルバイト中の居酒屋で松野豊(関俊彦)から電話を受け、早退して夏休み中の教室で待つ松野に会う。東京から来た転校生の武藤里伽子(坂本洋子)が1階の職員室で説明を受けているところを教室の窓から見下ろす。

杜崎と松野の出会いは更に2年遡る中学3年のとき。校内放送で突然告げられた京都への修学旅行の中止。松野の抗議文を読んだ杜崎はその大人びた考えに尊敬の念を抱いた。

高二の二学期に転校してきた里伽子は体育も勉強もできて目立つ存在だが、クラスに馴染めずにいた。地味でおとなしい小浜裕実(荒木香恵)とクラス委員の松野だけが里伽子を気にかけていた。やがて季節は冬。中高で一本化された修学旅行の行先はハワイ。ホテルのロビーで杜崎は里伽子に「お金貸してくれない?」と突然言われ、アルバイトで稼いだうちから6万円を貸す。

氷室冴子氏が『月刊アニメージュ』に1990~1992年に連載した原作小説スタジオジブリが日本テレビ40周年記念作品としてアニメ化し1993年に地上波放送された本作を劇場リバイバル上映で観ました。台詞は八割方土佐弁です。

ヒロイン里伽子が主人公杜埼とその親友松野を心情的にも物理的にも振り回す。里伽子の不安定さは思春期そのものでもあるが、現在だとメンヘラもしくはサイコパス寄りにカテゴライズされそうで、共感できないのがいい。そもそも物語に「共感」を求めすぎる風潮を僕は疑問視しています。自分が経験できない別の人生を想像力を駆使して体験できるのが物語であって、理解できない、共感できない人物と出会えることも物語の醍醐味だと思っています。

宮崎駿が初めて関わらなかったジブリ作品である本作で描かれる思春期の揺れは『耳をすませば』や『猫の恩返し』の源流となり、笑わないヒロイン像はのちに『コクリコ坂から』で結実する。

作画は流石のジブリクオリティ。緻密で美しく古さをまったく感じさせない一方で、永田茂が手掛けたサウンドトラックのYAMAHA DX-7Fairlight CMI系統のデジタル音による生楽器の模倣の平板さは逆に、『もののけ姫』(1997)以降のジブリ作品の音響の奥行と陰影の深さを再認識させます。

羽田空港からモノレールに乗り浜松町駅でJR山手線に乗り換え新宿駅の小田急線の改札へ。成城学園前駅は線路がまだ地上を走っており、都庁は建ったばかり。吉祥寺駅のホームからTAKA-Qや横書きのオデオン座の看板が見える。往年の吉祥寺を描いた作品を吉祥寺の映画館で鑑賞できて楽しかったです。

 

2025年7月21日月曜日

詩を興ずる者あれば詩に傾倒する者もあるvol.1


ご来場いただいた皆様、オープンマイクに参加してくれたみんな、ゲスト出演者の小夜さん、藤谷治さん、ラズベリー、企画段階からサポートしてくださったURAOCBさん、主催者さいとういんこさん、LIVE BAR BIG MOUTHオーナー田井さん、ありがとうございました。

JR線でモバイルバッテリーの発火事故があり、新宿駅を通る電車が運転休止というアクシデントにより、開演時間を若干遅らせましたが、8名がエントリーしたオープンマイクの1時間弱から幸せな気持ちになりました。一番手のジュテーム北村氏が僕の「」をカバーし、自作に「彼は還暦、俺は古希」というフレーズを織り込んだのを呼び水に、身に余るほどのトリビュート、オマージュ、コメントで祝ってもらいました。

ゲストの3組も素晴らしかった。祖師ヶ谷大蔵の商店街の夏祭りの合間を縫って駆けつけ、変わらぬポジティブなバイブスで盛り上げてくれた幼馴染のラズベリー。20年ぶりに会えてうれしかったよ。小夜さんは僕の詩をサンプリングした新作と『四通の手紙』からの抜粋、最後は「夜の庭」の連詩を二人で朗読しました。僕にとって下北沢といえば2000年から14年間にわたり詩の教室の講師をやらせてもらった書店フィクショネス店主の藤谷さんです。その後店を閉じて専業小説家となり、今年出版した『エリック・サティの小劇場』から「第十章ジムノペディ」を朗読してくださいました。

いんこさんと去年の誕生日に巻いた「SPOKEN WORDS SICK 5」と2023年の「クリスマスイブの前の日に」、URAOCBさんが加わり三人で「NAKED SONGS vol.14」、計3篇の連詩を披露しました。

ソロパートの朗読作品は以下10篇です。

6. コインランドリー
7. 糸杉と星の見える道    Billie Holiday
8. 眠るジプシー女 Linda Ronstadt
9. 星月夜    Cyndi Lauper
10. 夜警 Billie Eilish

終演後にはたくさんのプレゼントをもらい、URAさんが用意してくれたハート型のラズベリームースのケーキのろうそくを吹き消し、ラブリーなガールズ&ボーイズと写真を撮り、詩集にサインを求められ、こんなにちやほやされることは生涯ないだろうなってぐらいちやほやしてもらいました。みなさん本当にありがとうございました。

 

2025年7月8日火曜日

この夏の星を見る

七夕。ユナイテッドシネマ豊洲山元環監督作品『この夏の星を見る』を観ました。

2014年、小学5年生の亜紗(松井彩葉)がFM土浦の科学番組に送った質問が取り上げられ、スタジオから電話がかかってきた。質問に答えた茨城県立砂浦第三高校天文部顧問の綿引(岡部たかし)は、月までの距離は38万km、紙を42回折ると月に届くと教えてくれた。

2019年春、砂浦三高に入学した亜紗(桜田ひより)は迷わず天文部の扉を叩く。同時に入部した1年生の凛久(水沢林太郎)は、ナスミス型望遠鏡を自作したいと言い、ふたりはペアを組んで上級生たちとスターキャッチコンテストに挑む。

2020年が明け、世界中に猛威を奮った新型ウィルスはCOVID-19と名付けられ、砂浦三高は臨時休校になった。長崎県五島の県立泉水高校3年の円華(中野有紗)の自宅は旅館、東京からの観光客を受け入れていたことで近隣住民から誹謗中傷を受け、祖父母と同居する親友の小春(早瀬憩)からも距離を置かれていた。五島へ離島留学していた興(萩原護)は東京の自宅に戻っている。渋谷区立ひばり森中学に進学した安藤(黒川想也)は学年唯一の男子生徒。サッカー部が廃部になり、同級生の天音(星乃あんな)の執拗な誘いで科学部に入部する。

コロナ禍の2021年に新聞連載された辻村深月原作小説の実写化は『ケの日のケケケ』『VRおじさんの初恋』の森野マッシュが脚本を手掛けていると聞いて観に行きました。たかだか4~5年前なのにもう忘れかけていた、色々な形態のマスクや濃厚接触者、ソーシャルディスタンスというワードを見聞きして喉元過ぎればを感じました。

指定された企画の望遠鏡を自作して、出題者がコールする星を見つけるスターキャッチコンテストを、茨城と長崎と東京をオンラインで結んで開催する。ひと夏の青春の物語はひと夏で終わらずに冬まで続きます。続く、というのは良いことだという概念は先の見えないパンデミックの渦中で悪い意味で価値転換してしまいました。この映画を観ている青春をとうに過ぎた僕は青春の有限性に輝きを見出したくて、二度と来ない夏をコロナで台無しにされた彼らを憐れんでしまいそうになるのですが、知恵を絞って工夫して、結果的に忘れられない夏に昇華してしまったことを称えるべきだと思います。

中野有紗は『PERFECT DAYS』、早瀬憩は『違国日記』、それぞれ主人公の姪を演じた五島の二人の実力は本物。マスク着用1の目だけの芝居で、小春(早瀬憩)にいたってはオンラインミーティングのカメラがオフなのに、友愛も鬱屈も疎外感も余すことなく表現している。そのふたりがすれ違いの果てに堤防の上でマスクを外して抱き合い和解するシーンには暴力的なまでに心を掴まれる。実写とCGを重ねた星空も綺麗で七夕に観るにはうってつけの映画でした。

劇中に流れるニュース映像の小池百合子都知事の声に違和感を持ちましたが、エンドロールに清水ミチコの名前を見つけて腑に落ちました。安倍晋三首相の声は誰が演じているのでしょうか。

東日本大震災のすこし後、僕もJAXAのウェブサイトでISS(国際宇宙ステーション)を調べて、何度も肉眼で光跡を追いかけました。約90分で地球を1周するISSは流れ星よりは相当遅いですが、旅客機よりはかなり早いので、手製の望遠鏡で捉えるのは高難易度だと思います。
 
 

2025年7月6日日曜日

ルノワール

曇りのち晴れ。TOHOシネマズ シャンテにて早川千絵監督作品『ルノワール』を鑑賞しました。

色々な国や民族の子どもたちの泣き顔が次々に映し出されるVHSテープを暗い部屋のテレビ画面で観ている沖田フキ(鈴木唯)は小学5年生。停止ボタンを押し、取り出したテープを紙袋に入れて、マンション1階のゴミ捨て場に持っていくと、フォーカスやフライデーが捨ててある。知らない男に話しかけられるが無視して部屋に戻る。

父親(リリー・フランキー)は末期がん、浴室で吐血して救急搬送される。母親(石田ひかり)は企業の管理職、行き過ぎた指導を部下が人事に訴えメンタルトレーニングの外部研修を受講させられる。

1987年の夏、11歳の少女フキが、それぞれ問題を抱える複数の大人たちと関わって成長する物語、ということになるのですが、具体的な成長ポイントが明示されないのがいいと思いました。それでも我々観客はフキの大人に対する接し方や観察するまなざしや感情を向けられたときの表情の変化に成長を感じることができます。

映画の時代設定を象徴するツールとして、テレビの超能力特番とそれに影響を受けたフキたちのテレパシーの実験、SONYのウォークマン、キャンプファイアでYMORYDEENを踊るシーンなどが採用されたと思うのですが、1987年というよりもなぜか1979年を強く感じました。

英会話教室で出会った同世代の裕福な美少女チヒロ(高梨琴乃)と、森のくまさんの輪唱で関係性を深めるのは、早川監督の実体験なのか、とてもいいアイデアであり、最も心温まるシーンになっています。一方、不穏さを補完するためか、室内の足音の音響が強調されているように感じて、集合住宅歴40年の身にはすこし心配になりました。

主人公の事務所の先輩で同じマンションの上階に暮らす若い未亡人を演じた河合優実の芝居がたったワンシーンなのに深く印象に刻まれます。夫を亡くした自責と空虚さを視線と声のトーンで演じ切る技術に痺れました。中島歩は今作でも怪しいです。

 

2025年7月2日水曜日

Chimin TRIO

熱帯夜。吉祥寺Stringで開催されたChiminさんのライブに伺いました。

加藤エレナさんのピアノと井上 "JUJU" ヒロシさんのテナーサックスによるインスト曲 Carla Bleyの "Lawns" で始まったライブ。テナーとピアノの右手のユニゾンがしっとりと夜露を含んだ柔らかな芝生を描写する。5月に高円寺Yummyでも聴いた佳曲です。

グレーのシアサッカー地のジャンプスーツ姿のChiminさんが加わり、ロマンティックなピアノのイントロに導かれミドルテンポのサンバ「残る人」、JUJUさんがストリング・ビーズと小ぶりなマラカスでリズムを刻む。

「夏の日に作った曲を歌います」というMCからの「シンキロウ」は、ちょうど今咲いているノウゼンカズラの色彩が鮮やか。「死んだ男の残したものは」のカバーで前半は終わりました。

後半もピアノとテナーサックスのインストセッションから、夏曲「チョコレート」へ。同じくEP盤『流れる』収録の「sakanagumo」へ。初期の3枚と名盤『住処』の間に位置するターニングポイントとなった小品は、このあとレトリカルに抽象性を高めていく歌詞とソウルフルで多彩な歌唱が拮抗する手前で、海底の真珠のように控えめに輝いている。

そしてこのメンバーでは初めて演奏するという「たどりつこう」は2004年の1stアルバム『ゆるゆるり』から。「不安だとかぬけだせない夜だとか/まざりながらまた朝は来るから」という19歳で書いた歌詞が6年後に「sakanagumo」で「悲しい涙があふれる/夜があっても無くても」と変奏されるとき、その「無くても」という文節の存在にソングライターとしてのジャンプアップを感じるのです。

先週の『うたものがたり』に続いてChiminさんのコンディションがとても良く、且つ、セットリストの重複がないリピーターにはうれしい構成で、『うたものがたり』の7曲と今回の12曲とアンコール「呼吸する森」まで、全20曲のステージとして心から堪能できました。

「音楽に救われた」とはよく聞く言説ですが、そもそも救いを求めるような窮地を経験していないので、実感として僕はよくわかりません。それでもChiminさんの音楽を聴くといつも感じる美しさや心地良さは、仮に僕が窮地に立っていたのなら「救い」と思うものかもしれないです。

 

2025年6月24日火曜日

うたものがたり

熱帯夜。地下鉄を乗り継いで。門前仲町chaabeeで開催されたライブ『うたものがたり』に行きました。

ピアニストで世界100ヶ国以上の音楽を演奏しているワールドミュージッカー岡野勇仁さんの企画で不定期に開催しているシリーズに今回はChiminさんEri Liaoさんがご出演されました。

1曲目の「すべて」は、EP『流れる』のスローバージョン。裸足のChiminさんはギター弾き語りで、chaabeeの真っ白な壁を背景に澄んだ歌声がゆったりと響きます。続く「目と目」を聴くのは11年前の Poemusica Vol.26 以来か。今回MCで初めて作曲した歌と聞き、完成度の高さに驚愕しました。

Chiminさんは大阪生まれの在日コリアン3世、Eri Liaoさんは台日ハーフ、というセットを意識してか「海が好き」「ホロアリラン」のハングル楽曲のカバーを挟み、岡野さんとデュオの2曲、計7曲を歌いました。「」に岡野さんが付けたエレピのオブリガートが可憐で、スーパースローな「時間の意図」の和声は加藤エレナさんのクリスプなピアノプレイとはまた異なり楽曲にアトモスフェリックな広がりを添えています。

Chiminさんのコンディションも抜群で、歌声は陰影が更に深く、透き通るファルセットは伸びやか、Martinギターのブライトで繊細な音色も相俟って、初めて聴くみなさんの気持ちもしっかり掴んでいました。

Eri Liaoさんは岡野さんのエレピとデュオで。フォスターの「金髪のジェニー」北京語訳、常磐炭坑節、台湾の歌姫テレサ・テンのカバー、ゴスペルと幅広い楽曲群をアジア的な発声で次々に歌い継ぎます。博覧強記な岡野さんとのトークも楽しい。

台湾先住少数民族のタイヤル族がルーツのEri Liaoさんが操る咽喉声は、同じく台湾先住の海洋民アミ族の歌詞のないコール&レスポンスで構成された伝統曲のスキャットで、chaabeeの古いガラス戸を震わせて強烈な印象を残しました。「情熱傾けて取り組んでみよう」というカオリーニョ藤原さんの「人生の花」のカバーの突き抜けた明るさが眩しい。

会場のchaabeeさんは、2019年春に『同行二人 #卯月ノ朝』でお世話になったお店です。二階が住居スペースの町工場をリノベーションしたヴィンテージ物件は音響が素晴らしく、心地良く音楽に集中することができました。オーナーの藤田ミミさんにも久々にご挨拶できてよかったです。

 

2025年6月22日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

夏至翌日の熱帯夜。二週続けて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』猫の日、mandimimiさんの回にお邪魔しました。

1曲目は "Tell Me If"。「水色の言葉たち/アスファルトに映る/紫の濡れた土/来年の再会を待っている」。昨年完成した12か月の花言葉をテーマにした歌曲集 "FLOWER SPELLS" 収録の6月の花、紫陽花の歌から始まりました。

続いて "Par Avion" "Morning Message" "A Vermillion Sky" の3曲。いずれもヴァーミリオン色が基調となっています。空の色の時間帯的には日本語の茜色に近いですが、黄味がかった茜色に対して、微かに青味が混じるヴァーミリオン。そして「青い森/星の輝き」と歌う "Forever Forest" へと連なる色彩のグラデーション。

尾崎豊の "I Love You" はmandimimiさんが歌うと二匹の子猫の歌に聞こえる。セカンドヴァースのリハーモナイズにより、原曲の持つパトスやセンシュアルなトーンが濾過されて、優しさだけが残ります。

淡いタッチのピアノは控えめな音量で、柔らかな歌声とともに空間を満たす。その感触はとてもパーソナルで、実際には複数のオーディエンスが耳をそばだてているにも関わらず、ひとりひとり個別に対面して語りかけてもらっているような親密さがあります。

煮込みハンバーグがメイン料理のノラバー御膳は、月替わりのメニューのため先週と同じ献立ですが、続けて食べても食べ飽きることがないのは、丁寧な手作業に向き合う我々も感覚を研ぎ澄まして味わうので、新たな発見があるからだと思います。

mandimimiさんが6月13日の明け方に見た夢を題材にした新曲 "Dinner Table" と4曲のカバー曲で構成されたデザートミュージックもドリーミィなララバイで、先週の自分のライブの疲れからか凝り固まった肩と首筋、そこから派生した鈍い頭痛も気づけばすっかり治っていました。

 

2025年6月16日月曜日

リライト

真夏日。松居大悟監督作品『リライト』を観ました。

主人公大槻美雪(池田エライザ)は県立塩戸田高校の3年生。一学期後半に転校してきた園田保彦(阿達慶)と付き合い始めるが、未来に帰ると保彦に言われ20日後に別れる。保彦は美雪が書いた小説を読んで300年後の未来から来たと言う。美雪はその小説を書くことを約束し、保彦から受け取った錠剤を飲んで10年後の自分に会いに行き、小説を書くように説得する。

10年後、小説家になり結婚した美雪がやっと書き上げた『少女は時を駆ける』の出版は難航している。実家に帰り、10年前の自分が訪ねてくるのを待つが現れない。小さな街なので美雪の帰省の噂はすぐに広まり、同級生たちが連絡してくる。クラスの世話焼き役だった茂(倉悠貴)は同窓会を企画し、事故死したムードメーカー室井(前田旺志郎)以外の33名全員を集めようと奔走していた。

タイプリープものといえばのヨーロッパ企画上田誠が脚本を書き、監督は『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟。原作の舞台は静岡ですが、映画は尾道。主人公の母親役に『ふたり』の石田ひかり、高校の担任教師に尾美としのり。天寧寺、御袖天満宮の石段、ラベンダーの香り、故大林宜彦監督尾道三部作へのオマージュ作品となっています。

機能不全家族で育ったコミュ障の文学少女友恵を演じる橋本愛は別格の存在感だが、久保田紗友山谷花純大関れいか森田想前田旺志郎ら若手巧者のなかで映画初出演の阿達慶(ジュニア)の棒芝居が逆に未来人らしくて絶妙。男子生徒役では倉悠貴の可愛さが際立っています。

池田エライザはお人形のような愛くるしい顔立ちで軽めの作品に起用されることが多い印象でしたが、『古見さんは、コミュ症です。』『海に眠るダイヤモンド』『舟を編む』など、近年は役の幅を広げており、NHKの歌番組で見せた松田聖子の「Sweet Memories」のフライングVの弾き語りも様になっていました。深夜の尾道のアーケード街を大人になった同級生たちと歩く姿は美雪の鬱屈を自然に表現していて格好良いです。

 

2025年6月15日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

雨上がり。高田馬場で乗り換えて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』に出演しました。

翌日6月16日は60歳の誕生日。というわけで、還暦前夜祭にお集まりいただいた満員のお客様、インスタライブを視聴していただいた全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、アルバイトのインコ梨ちゃん2号さん、どうもありがとうございました。おかげさまでいい時間を過ごすことができました。

 1. 言葉と行為のあいだには(長田弘
 2. 死  あるいは詩(那珂太郎
 3.
10. ボイジャー計画
12. 観覧車 
13. 水玉
14. 花柄

60分の本編は上記15篇で構成しました。僕が生まれた1965年に出版された詩集、長田弘の『われら新鮮な旅人』と那珂太郎の『音楽』から1篇ずつ。主題に共通点があり、且つ両者とも音韻が緻密に練り上げられており美しい。詩の朗読を聴くという行為は、つい言葉の意味を追いかけることをがんばりがちですが、声と音を味わうものでもあると思います。雨期や夏至を舞台にした4篇、詩集『新しい市街地』、『ultramarine』掲載の連作詩作品を聴いていただきました。

今回ご来場のお土産に制作した『カワグチタケシ映画レビュー選集vol.1』には、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでソングライターだったブライアン・ウィルソンが主役の作品が2本入っています。製本が終わった数日後に82歳で逝去の報が届いたため、以前翻訳したザ・ビーチ・ボーイズの1966年の歴史的名盤『ペット・サウンズ』収録の "God Only Knows"(邦題:神のみぞ知る)の歌詞を朗読しました。

夏のノラバー御膳といえば、とうもろこしごはん、トマト山かけ。定番のきんぴらごぼう、ポテトサラダ、大根油あげ巻、かぶの一夜漬け、メインは煮込みハンバーグ。デザートに固めのノラバープリンと滋味深いノラブレンドコーヒー。お客様も演者もみんなでおいしくいただきながら、見知った仲もはじめての方同士も会話が弾みます。

そして30分間のインスタグラム配信ライブでは以下5篇を朗読しました。

2. オランピア Edith Piaf
3. 日傘をさす女 Amy Winehouse
4. 星月夜 Cyndi Lauperに(新作)

還暦のお祝いに集まっていただく皆様に失礼のないように、普段なかなか着ない赤い服をと思って、フードつきのフィッシングベストを用意しました。中のTシャツは10年近く前に下北沢で購入して袖を通していなかったザ・ビーチ・ボーイズの『スマイル』(1967)をおろしました。

十代で詩を書き始めたときにはこんなにも長生きして詩を書き続け人前で朗読をしているビジョンは持っていませんでした。40歳を過ぎたあたりから「あと10年はできるかな」と思い始め、それを毎年更新している感があります。これからフィジカル面は衰退していくでしょう。それでも書きたい詩がある限り、読者やオーディエンスが存在する限り、続けていくんだろうな、とあらためて思いました。しばしお付き合いいただけますと幸いでございます。

 

2025年6月7日土曜日

秋が来るとき

夏日。TOHOシネマズ シャンテにてフランソワ・オゾン監督作品『秋が来るとき』を観ました。

教会の鐘の音。石段を上るハイヒールの靴音。祭壇ではハスキーボイスのアフリカ系神父が福音書のマグダラのマリアをめぐるイエスとパリサイ人の対話を唱えている。

ミシェル(エレーヌ・バンサン)はブルゴーニュの村の家庭菜園で人参を収穫する。雨が降り出したので部屋に戻り料理を始めると、パリに住む一人娘のヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)から電話。秋の休暇に孫のルカ(ガーラン・エルロス)を連れて車で帰ってくると言う。ミシェルは近所に住む旧友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)を収監されている息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)の面会に連れて行き、ふたりは雨上がりの森へきのこ狩りに出かける。

田舎暮らしで充実した老後を過ごす親友同士の丁寧な暮らしを描いたほっこり系のヒューマンドラマかと思いきや、そこはオゾン監督。ゆったりとした時間の流れのそこここに不穏な空気を滲ませます。サスペンスでもあり、ホラー味もあり、総じてコメディでもある。緊張の途切れない物語になっています。

ミシェルとマリー=クロードの過去の職業から派生する母子間のわだかまり。パリでキャリアを積んでいるヴァレリーはミシェルに対していつも苛立っているのに対して、田舎の失敗者であるヴァンサンは鷹揚で母想いという皮肉。いくつかの不運と不幸な出来事が描かれますが、医師も警官も「よくある話です」で済ませてしまう。

「良かれと思ってしたことが裏目に出てしまう」と嘆くミシェルを「良かれと思うことが大事なの」と励ますマリー=クロードの優しさが染みます。

すべてうまくいきますように』(2021)『私がやりました』(2023)に続く本作も、あえて伏線を回収せずに余韻を残すフランス映画の伝統を踏まえつつ、新鮮なテイストを加える57歳のオゾン監督の円熟した手管が冴える一本です。