2025年9月21日日曜日

Eno

秋晴れ。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2025" で、ギャリー・ハストウィット監督作品『Eno』を観ました。

PCのバグ的な画面から白鳥や乳牛のいる田園風景に転換する。デニムのボタンダウンシャツを着た75歳のブライアン・イーノが「真面目に話をしよう」とカメラに向かって笑う。

「人は予想外の出来事を警戒する。偶然を楽しむことを人々に促すのが私の仕事だ」。楽器が演奏できず作詞作曲もできなかったイーノがグラムロックバンド ROXY MUSIC に加入する。否、イーノが参加したことによって ROXY MUSIC はグラムロックバンドになった。派手なメイクと奇抜な衣装はそのほうが見栄えがしたから、とこともなげに言うイーノ。

1946年生まれのイーノが25歳のときに ROXY MUSIC でデビューしてから2024年の撮影当時まで50年にわたるキャリアを自ら振り返るドキュメンタリーフィルムの冒頭には「GEN4-177 20250921 TOKYO」とプロンプトが表示される。Generative AIによって上映毎に編集が変わります。

「ノートを記すのは、多くの人と同じように思考を整理するため、私が注目していたことに注目するためだ」。カントリーサイドの自宅の作業デスクに積み上げられた膨大な手書きのメモ。「ANOTHER GREEN WORLDの "Spirits Drifting" は泣きながらレコーディングした」。バンドを解雇されソロデビューしたものの何をすべきかわからず途方に暮れた日々。

「私の音楽で評価されるのはゆるやかさだ。自分を停止する機会を作っている」。アンビエントミュージックの発想は交通事故で入院中に故障したステレオで聴いたバロック音楽から。だが「私は瞑想ができたためしがない。瞑想するには神経質過ぎると言われた」と言う。

多くのミュージシャン、バンドをプロデュース(というより共同作業)し、U2を世界的バンドに引き上げた功績があるが、心惹かれたのはやはりベルリンのデヴィッド・ボウイの『ヒーローズ』のセッションです。「イーノは楽器もほとんど演奏しないし、基本的に何もしない。イーノと仕事をするのは楽しかった」とボウイ。笑顔のロバート・フリップ。『オブリーク・ストラテジーズ』と呼ばれるカードから任意の1枚を引いて、思索的に創造性を引き出していた。トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンとのコラボレーションにも心弾みましたが、DEVOをもっと観たかったな(他バージョンではあるらしい)。

マイクロソフト社からWindows95のわずか3.5秒の起動音の発注があったときの気持ち、ジョニ・ミッチェルがアンビエントアルバムを作りたいと電話してきたのに当時アンビエントに辟易していて断ったことを後悔している(「ジョニ、いつでも電話して」)など、チャーミングなエピソードもありました。

僕的ハイライトは、鍵盤でぱらぱらっと弾いたメロディをアプリケーションソフトに通して音数を1/3に減らすところ。イーノの真骨頂過ぎる。2021年8月にアテネの古代神殿で "Before And After Science" (1977) 所収の "By This River" を訥々と歌う75歳のイーノ。その声は45年前と変わらず、当時は抑揚のない平坦な歌だと思っていたのに、歌い手の特権性を排除したかったと聞いた現在は逆にとても心を打つのでした。

 

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