2026年8月14日金曜日

左利きの少女

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町ツォウ・シーチン監督作品『左利きの少女』を観ました。

シネスコサイズの画面いっぱいに映し出されるカレイドスコープ。高架橋を渡る軽トラの助手席で万華鏡を除く5歳のイージン(ニーナ・イエ)は、母シューフェン(ジャネル・ツァイ)、長女イーアン(マー・シーユエン)と共に台北に帰ってきた。

シューフェンは通化街夜市の一角を借りて麺店を出し、イージンを四維幼稚園に入れる。イーアンは、原付でイージンの送り迎えをしながら、怪しい檳榔西施のアルバイトを始める。仕事で疲れて眠っているシューフェンの枕元の電話が鳴る。借金を残して失踪した夫が末期ガンで入院している病院を見舞うと、人工呼吸器につながれて話のできない状態だった。

幼いイージンは、保守的な祖父(アキオ・チェン)に左利きであることを咎められ「悪魔の手」と言われ気に病むが、やがて自身の左手を自身とは別人格として捉える。夜市でアクセサリーやぬいぐるみを左手で万引きするが、盗んだのは自分ではなく悪魔だと思い込むが、そのおかげで祖母の窮地を救ったりもする。

長く米国でインディーズ映画のプロデューサーを務め、オスカーとパルムドールをW受賞した『ANORA』のショーン・ベイカー監督と20年以上タッグを組んできたツォウ・シーチンの初監督作品です。ツォウ監督自身が台北出身(現在はアメリカ国籍)、左利きとのこと。本作の共同脚本、編集をベイカー監督が担っています。

生活に疲れ切ったシングルマザー、高校では学年TOP3の成績でビジュも女神だったが父親の失踪で人生詰んでやさぐれた娘、天真爛漫で狡さも併せ持つ少女という3人のメインキャストが、リアルな湿度感を伴い魅力的に描かれています。

父親を見舞って罵倒したイーアンに「もし今日のことをママに言ったらクレヨンを捨てるからね」と脅され瞼いっぱいに涙を溜めるイージンの愛くるしさ。2016年生まれのニーナ・イエは台湾の人気子役ということですが、芝居っぽさのない自然な表情を引き出したツォウ監督の演出の力もあると思います。

全編iPhoneによる撮影で、イージンの目線の低さで極彩色の夜市を駆け巡り、人物のクローズアップも通常のカメラより近くで撮れるため、微細な表情の変化だけでなく、肌の質感や息遣いまで伝わり、親密な感触の映像にすることに成功しています。画質も遜色ないですが、三姉妹と母親のアフタヌーンティと高級海鮮料理店における還暦祝いのシーンだけ若干解像度が落ちる気がしました。

本作は長姉イーアンの成長譚でもあります。ハイティーンという設定で超スレンダーボディにピンク・フロイドのホルターネックマー・シーユエンはモデル出身なのかな。右上腕に2行の英文タトゥーは自前のようです。檳榔西施の後輩シャオピン(リズ・チェン)もかわいい。夜市の麺店の隣で怪しげな便利グッズを実演販売するジョニー(フランキー・ホァン)が心底いいやつで全力で応援したくなりました。

 

2026年8月2日日曜日

気狂いピエロ 2Kレストア版

猛暑日。シネスイッチ銀座ジャン=リュック・ゴダール監督作品『気狂いピエロ 2Kレストア版』を観ました。

真っ黒な画面に赤い「A」の文字が9つ。「B」「C」がひとつずつ、5つの「D」が加わり、2つの「E」はブルー。そして「JEAN PAUL BELMONDE/ET/ANNA KARINA/DANS/PIERROT LE FOU/UN FILM DE/JEAN LUC GODARD」が浮かび上がるクールなタイトルバックに重なる画家ベラスケスの評伝のナレーション。眩しい陽光に照らされたテニスコート。

泡の立ったバスタブに横たわり、傍らに幼い娘を呼び寄せ、フェルディナン・グリフォン(ジャン=ポール・ベルモンド)が『美術史』のベラスケスのページを読み聞かせる。スペイン語講師のフェルディナンドはテレビの仕事を辞め失業中。裕福なイタリア人のマリア(グラッツィエラ・ガルバーニ)と共にパーティに出席するために雇ったシッターはフェルディナンの元恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)だった。

パーティでは、男たちは自動車について、女たちはデオドラントについて、空虚な会話をひたすた繰り広げている。現実には未完となった『悪の華』の撮影を控えた米国人監督サミュエル・フラー(本人)とボードレールについて(通訳付きで)話を交わすが、退屈してひとりで先に帰宅し、マリアンヌを送って一夜を共にした翌朝、夥しい銃器が置かれ、OAS(極右秘密軍事組織)と壁に殴り書きされた彼女の部屋には刺殺された男の死体があった。

ゴダール監督作品で最も知られた今作は、1960年の長編デビュー作『勝手にしやがれ』から数えて10作目、1965年に公開されています。気難しい巨匠のイメージに反して生涯で50本近い映画を監督し、1970年頃までは年2本ペースで量産している。

パリからニースへ、盗んだ車を乗り換えながら破滅に向かう無軌道な逃避行、という筋立ては単純ながら、出典が明示されるものもされないものも次から次へと繰り出される過去の映画、文芸、美術などの引用、突然のミュージカルシーン、珍奇な劇中劇、時系列の不自然な編集などから難解な印象が強い。ガソリンを入れる金も尽き、スタンドの店員を殺してしまうほど困窮してもなお、シーン毎に洒落た衣装に着替える主人公ふたり。

青と赤を基調とした鮮烈な色調の中で、映画にとって、あるいはフィクションにとってリアリティとは何か? と繰り返し問い掛けられているような作品です。『007』シリーズや『ネヴァーエンディングストーリー』を愛好していた十代の僕にとって、全く経験の無い未知の方向からやってきた『気狂いピエロ』は、「わからない、でも、だからこそ知りたい」という妖しい魅力を放ち、「ストーリーはメッセージや教訓や感動や恐怖の伝達に全振りすべきで、その基盤にはリアリティが必要だ」という多数派の価値観がすべてではない、と教えてくれた作品でした。

ちなみに、ヌーヴェルヴァーグの作品群で一番好きだったのは、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962)、最も衝撃を受けたのはテレ東の大晦日深夜枠で観たアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)で、僕が観た1980年代には既に古典的名作でした。1960年代は2020年代の60年前。1980年代から見た60年前、1920年代の映画といえば『カリガリ博士』や『メトロポリス』などの無声映画。今回リマスター版で『気狂いピエロ』を観た10~20代の受け取り方が気になるところです。

 

2026年7月30日木曜日

勝手にしやがれ 4Kレストア版

ゲリラ豪雨。シネスイッチ銀座ジャン=リュック・ゴダール監督作品『勝手にしやがれ 4Kレストア版』を観ました。

「B級映画社モノグラム・ピクチャーズに捧ぐ」。主人公ミシェル・ポワカール(ジャン=ポール・ベルモンド)は、高級車を盗んで転売することで生計を立てている。マルセイユで盗んだアルファロメオをパリに運ぶ田舎道で、検問を強行突破してオートバイの警官に追われ、グラブコンパートメントに見つけたリボルバーで警官を射殺して逃げる。

「俺はバカだ。だからやらなくちゃならない」。パリに帰ったミシェルはセフレのリリアン(リリアン・ダヴィッド)のアパルトマンを訪ね、仕事に向かうリリアンが着替えているあいだに財布から金をくすね、キオスクで新聞を買って、馴染みのカフェでビールを飲む。南仏で知り合ったジャーナリスト志望の新聞売りアルバイトのアメリカ人パトリシア・フランキーニ(ジーン・セバーグ)と再会し、行動を共にする。

1960年に公開されたゴダール監督の長編第一作が、リチャード・リンクレイター監督の『ヌーヴェルヴァーグ』の公開に合わせて再上映されています。2020年に60周年記念でオリジナルネガから4Kレストアされたモノクロ映像とサウンドトラックは細部までクリアで、40年前にVHSで観たときとは比べものにならないです。当時は革命的だった路上のゲリラ撮影もジャンプカットも第四の壁も現在では見慣れた表現手法になりましたが、野心溢れる映画作りの疾走感は2026年の目で見ても際立ちます。

アメリカのハードボイルド映画を原型にしているものの、衣装や音楽のチープシックな雰囲気はフランスならでは。ポワカールが(そしてラストシーンではパトリシアが)親指で唇を拭うアクションは『マルタの鷹』のハンフリー・ボガートを真似ていますが、本家はそこまで頻繁にはしていないので、『ヌーヴェルヴァーグ』でオーブリー・デュランがくどいほどベルモンドの顔真似をするのはオマージュなんですね。

警官殺しで指名手配されても呑気なポワカールのチェーンスモーカーぶりは、現代の目で見ると常軌を逸した依存で、腰を撃たれてよろけながら走っても煙草を吸い続ける。やたら新聞を買うのもスマホ依存(=情報依存)が重なります。

そしてなにより、ジーン・セバーグの輝きが半端ない。このとき20歳。セシルカット(髪型)は前出演作『悲しみよこんにちは』の役名から来ていますが、ベリーショートの金髪でNew York Herald Tribune 紙のロゴTシャツやクリスチャン・ディオールボーダーワンピースを小粋に着こなします。細過ぎないのがいい。

ハードボイルドや西部劇、フォークナー野生の棕櫚』(悲しみと虚無しかないのなら悲しみを選ぶ)、ディラン・トマスの『仔犬のような芸術家の肖像』、モーツァルトクラリネット協奏曲。サンプリングカルチャーは日本においては、高橋源一郎を通過して、渋谷系に結実した。

トリュフォーの『大人は判ってくれない』と並びヌーヴェルヴァーグの誕生を告げた『勝手にしやがれ』は邦題のセンスが異次元。当時の配給会社の宣伝担当者に心より喝采を贈りたいです。原題 "À Bout De Souffle" を直訳すると「息切れして」、英題は "Breathless" 。ポワカールが運転しながら観客に向かって「海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ」というシーンがあります。蛇足ながら『大人は判ってくれない』の原題 "Les Quatre Cents Coups" は「400発の打撃」(The 400 Blows) です。

 

2026年7月28日火曜日

mue ワンマンライブ

夕立ち。吉祥寺MANDA-LA2にてmueさんワンマンライブでした。

「雨の日はいいことがある/こだわりを捨てて」と最近恒例になりつつある鼻歌から始まったライブは3/4拍子の「午後の雨」、そして5/8拍子の「夏空」へと続く。緑茶色のリネンのワンピースのmueさんが今回はひとり。ガットギターの弾き語りです。

会場の外、吉祥寺は熱帯夜。タイからラオスへ小舟で渡り、インドへ「正しいトゥクトゥクドライバーの選び方」。アントニオ・カルロス・ジョビンの "Vivo Sonhando" (夢を見ながら生きる)。「夏なんです」では昭和の日本のカントリーサイドへ。世界各地の夏の光景をめまぐるしく巡りました。

4月11日の周年ライブで宣言した毎月ワンマン実行して、季節の微妙な移ろいを音楽に乗せて届けてくれるのは、とてもうれしいことです。

それに加えて今はmueさんのコンディションが僕の知る限り過去一良好。ギターもピアノもブライトで抜けがよく、歌声は全音域、全声量が艶やか。成熟とフレッシュネス、パッションとチルが絶妙にバランスしているのは、コンスタントなアウトプットが良い方向に作用しているのだと思います。迷走するMCはリピーターにとっては既に風物詩ですが、演奏に入ったときの確信に満ちた音楽の輝き、そのギャップに心を掴まれます。

流麗な美メロの「ひとりでいられる」、初期の名曲「はっぴいえんどのそのあと」が聴けたし、超高速ビートルズメドレーで賑やかに締めて、マイフェイバリットmueナンバーのひとつ「気の向くままへ」のアンコールもうれしかったです。

今回最大の個人的発見は、Tracy Chapmanの "Talkin' Bout A Revolution" です。今年4月に刊行した僕の新詩集『fragments』の冒頭詩「永遠の翌日」は「革命の話をしよう」で閉じます。この詩を書いたとき、松本隆の『風のくわるてっと』とジャン=ジャック・ルソーの『エミール』は念頭にあったものの、1988年のこの曲のことはすっかり忘れていました。忘れていても潜在意識の中には確かに存在していた。そのことを強く引き出してくれる音楽の力を、mueさんのピッコロのように軽やかな口笛の間奏を聴きながら、思わずにはいられませんでした。

 

2026年7月14日火曜日

海辺の一日 4K

猛暑日。角川シネマ有楽町エドワード・ヤン(楊德昌)監督作品『海辺の一日 4K』を観ました。

波の音。朝日の逆光に6人のシルエットが浮かび上がる。場面は転じて佳莉(シルヴィア・チャン)の部屋、ベッドサイドのデジタル表示は11:44を指している。ラジオからベートーヴェンのピアノ協奏曲。ウィーンを拠点に欧州で活躍するピアニスト蔚青(フー・インモン)が13年ぶりに帰国し台北で演奏し、明日は日本公演だという。

調律を確認する蔚青にオーストリア人のマネジャーが佳莉のメッセージを伝える。蔚青は対談をキャンセルし、佳莉とホテルのラウンジで会う。佳莉は、蔚青と13年前に別れた恋人佳森(ミンシ・アン・ツォー)の妹である。

佳莉が語り始める空白の13年間の物語。佳森は蔚青と別れ、開業医である兄妹の父親(ナン・チュン)の勧める相手と結婚して家業を継いだ。医者の息子との縁談を持ちかけられた佳莉は大雨の夜に家出し、同級生の徳偉(デビッド・マオ)と台北の安アパートで暮らし始める。徳偉が勤務する不動産投資ファンドは成功し、暮らし向きは飛躍的に向上したが、夫婦関係はぎくしゃくしている。

1980年代の台湾ニューシネマを代表するエドワード・ヤン監督の長編第一作は日本では今回が劇場初公開です。60年代の仏ヌーヴェルヴァーグ、70年代の米ニューシネマにも共通するパッションは、商業映画とは一線を画したリアルな手触りをフィルムに活着させること。

監督デビュー作としては異例の2時間47分という長尺がまったくダレないのは、過去の話の中で更に過去を回想する三重構造を見事に提示してみせた監督の力量はもちろんですが、同じく撮影監督デビューとなった豪州出身のクリストファー・ドイルの画面構成、色彩感覚、動体捕捉力によるものが大きいです。全カットがクールで危うい均衡を保っている。このあと香港に拠点を移し、ウォン・カーウァイ監督作品に画期的なカメラワークで貢献し、世界的にブレークします。『欲望の翼』のスローモーションや『天使の涙』の広角レンズには衝撃を受け、心底痺れました。

本作でも、徳偉が荒々しく運転するメルセデスベンツのカーチェイスは終始運転手目線という斬新なもの。「時間の力は絶対だ。恐ろしいほどに」と、病室の徳偉が最期の力を振り絞って、シーツやベッドのフレームやステンレスの什器をなぞる指先のクローズアップの残酷なまでの美しさ。

回想シーンの冒頭でまだ高校生だった佳莉が着ている緑色の制服は『ヤンヤン 夏の想い出』や『ひとつの机、ふたつの制服』でヒロインたちが通う名門、台北市立第一女子高級中学のもの。早世したヤン監督の長編映画は全7作。『海辺の一日』(1983)『牯嶺街少年殺人事件』(1991)『台北ストーリー』(1985)『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)を観たので、残り3本でコンプリートです。

 

2026年7月13日月曜日

ヌーヴェルヴァーグ

真夏日。ヒューマントラストシネマ渋谷にてリチャード・リンクレイター監督作品『ヌーヴェルヴァーグ』を観ました。


エリック・ロメールコーム・ティユラン)、ジャック・リヴェットジョナス・マルミー)がタイプライターを叩くカイエ編集部で、ゴダールはデスクの引き出しの金庫から紙幣をくすね、トリュフォーの『大人は判ってくれない』が出品されているカンヌ映画祭へ行く。

1959年のパリ。ヌーヴェルヴァーグの創成期を舞台に、ジャン=リュック・ゴダールが監督第一作『勝手にしやがれ』を製作する過程を追った、史実に基づくフィクションは、『勝手にしやがれ』と同じ白黒1:1.37の画角で撮影され、フィルム上のノイズやキューマークまで再現されています。

「最高の批評方法は自分で映画を撮ること」。戦場カメラマンのラウル・クタールマチュー・パンシナ)を雇うが、これが当たる。戦闘中の動体を追っていたクタールは、街中でのゲリラ撮影にうってつけ。手持ちカメラはリール音が大きくて同録ができないが、それを逆手に取り、カメラの背後で思いついたセリフやアクションをリアルタイムで役者に大声で伝え、演じさせるゴダールの即興演出が生まれる。

[未熟な詩人は模倣し、成熟した詩人は盗む(T.S.エリオット)]。上映開始から40分は、資金集めやキャスティングなど、ドタバタな準備を描く。クランクイン後は「○日目」とテロップが入り、撮影の20日間を日別に描くのは、リンクレイター監督らしい表現です。

天才の型破りで予測不能なわがままに振り回される、という見方もできますが、ゴダールも役者たちも裏方もみな一様に無邪気で前向きで楽しそうな印象が強く残りました。決められた手順に沿って清々と撮影を進めるより「今日はアイデアが尽きた」と突如打ち切るのは、はた迷惑ではありますが誠実な態度にも思われます。

当時を演じる役者陣の衣装、ヘアメイク、細かな動きや画角、パリの街並み、自動車、インテリア、小道具などの再現度が偏執狂的で、その意味ではゴダールの即興性とは対極の細部まで緻密に設計され作り込まれた作品です。アメリカ人女優のジーン・セバーグゾーイ・ドゥイッチ)の夫との会話以外の台詞はすべてフランス語で、トリュフォーもロメールもリヴェットも、いかにも言いそうなことを言うのが楽しい。ジャン=ポール・ベルモンドを演じたオーブリー・デュランの顔真似はちょっとやり過ぎなぐらいですが、だんだん笑えてきました。

 

2026年7月12日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

真夏日、西武柳沢へ。『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージックmayulucaさんの回に行きました。

開演時刻14時半にmayulucaさんが取り出したのは、円筒形のオルゴール。赤いきのこの傘の下でうさぎたちが、W.A.モーツァルトのオペラ『魔笛』のプリンセス・パミーナと鳥刺しパパゲーノの二重唱「愛を知る者たちには」に乗って踊るイントロダクションから「君は君のダンスを踊る」へ。

2曲目の「きこえる」の「陽の沈む音だろう」という歌詞は、僕の「森を出る」という詩で引用させてもらっています。続く新曲「虹の中にいる」は今年4月に東京に大きな虹が出たときに、普段は強い言葉で罵り合うSNSにそのときだけは多くの虹の画像が共有されているのを見た「わたしなりのPeace Song」だと言う。

「彼と彼女のそれぞれ」は3人の登場人物がいるんですね。物語を描く彼と遠い町を旅する彼は同一人物だと勘違いしていました。「昼下がり」の「君のこと/好きになってしまったようで/君も僕を/好きになってくれるといいな」という歌詞に「大好きよ、トリラブユー」と答えるノラバーのバイトインコの梨ちゃん3号も絶好調。毎週カウンターでGOOD MUSICを浴びて、音楽の機微を会得しつつあるようです。

青空」「あなたにとって光とは」「箱庭」の3曲は、おそらく次回作の軸になる楽曲群だと思っています。本編ラストの「アネモネ」は恒例になった客席参加型。「デザートミュージック」では、インスタライブのコメント欄にコーラスで参加する方も。

そして、ノラバー店主ノラオンナさんのアイデアが光る季節の果物と野菜のサラダはしゃきしゃきのスイカとベビーリーフとかいわれ。先々週のChiminさんのライブでもいただいたノラバーさわやかポークカレーもダークチェリーが乗ったノラバープリンもまったく飽きのこない味です。

ノラバーの東向きのすりガラスの大きな窓から優しい光が差し込んで、空を見上げる人と空を描いたmayulucaさんの歌声と正確なギターを柔らかく照らす。鳥のおしゃべりとコーヒーの香り。穏やかな時間の流れに身を任せる夏の午後のノラバーでした。

 

2026年7月11日土曜日

癒しのサロンコンサート vol.1 ~ Summer 2026

真夏日。西武池袋線でひばりが丘へ。Studio La Subalaで開催された『癒しのサロンコンサート vol.1 ~ Summer 2026』で、Chiminさん(Vo)、野本晴美さん(Pf)、井上 "JUJU" ヒロシさん(As、Fl)の演奏を聴きに行きました。

La Subalaさんは住宅街の一戸建て。一部吹き抜けの広いダイニングルームのステージに野本さんJUJUさんが登場し、6/8拍子のスウィングナンバーで会場をあたため、Chiminさんを呼び込む。リリカルなピアノのイントロに導かれた1曲目は2004年のデビュー盤収録の「たどりつこう」。野本さんの左足の踵がバックビートを踏む。

言葉ひとつ」は先々週ノラバーで聴いた繊細な表現から一転、力強く歌い上げる。そして「まるで昔のことのように」「茶の味」と2012年の名盤『住処』収録曲が続く。野本晴美さんこそが『住処』でピアノを弾いているご本人。今日のライブではトリオ用にリアレンジされているものの、要所要所で立ち現れるアルバムのフレーズに心震えます。

野本さんとChiminさんの共演は、表参道にあったPRACA112014年に聴いていますが、その後Chiminさんがライブから離れていたけっして短いとは言えない数年間、何百回とリピートして聴いていた『住処』のアトモスフィアが2026年の初夏に、瑞々しい輝きを保ったままアップデートして再現されていることに胸が熱くなりました。

後半の「残る人」「時間の意図」「」も『住処』のナンバー。サンバのリズムの「残る人」ではJUJUさんがフルートの歯切れ良いタンギングで応え、スローな「時間の意図」「」は野本さんの左足の四分音符が床伝いに響くことで、楽曲に内在する静かなグルーヴを感じる。そしてリハーモナイズされた「住処」のイントロ。

「野本さんのピアノありきでJUJUさんが編曲した」というMCの通り、Chiminさんの濁りないロングトーンに寄り添うJUJUさんの管楽器のウォームな息遣いと野本さんのピアノのひんやりとしたタッチがアルバムのトーンを決定づけていましたが、ライブでは、あるいは十数年後に聴いたためか、野本さんのピアノから乾いているのに柔らかい優しさを受け取りました。

2部冒頭のデュオはCarla Bleyの "Lawns"。以前、同曲の加藤エレナさんのピアノを「夏の夜露を含んだ芝生」と形容したことがありますが、野本晴美さんのピアノに、日の傾きかけた公園の芝生を駆ける子どもたちの姿を想像しました。

 

2026年7月10日金曜日

トロフィー

真夏日。テアトル新宿孫明雅監督作品『トロフィー』を観ました。

木製の床に西日が差している。バレエシューズの足元、軽やかなターン。カメラは視線を上げ、生徒たちの満面の笑顔を写す。舞台は現代、荒川沿いの東京下町。東京朝鮮第一初中級学校の中等部3年生のソヒ(恒那)は在日コリアン4世、朝鮮舞踊部に所属している。全国大会に向けて顧問(ちすん)が発表したテーマは「芽生え」、主役に親友リョニ(原田花埜)が選ばれ、ソヒは二番手を務めることになった。

地元の公立中学との交流会が開かれ、ペアを組んだ日本人中学生未来(梨里花)とソヒはBTSの同じバッジをつけていることで意気投合する。未来は観光でソウルに行ったことがあり、BTSの東京ドーム公演にも当選していた。ソヒの父サンジュ(井浦新)は朝鮮民主主義人民共和国籍でソヒたちの学校の校長だが学校経営は厳しく、大韓民国籍の母ミリョン(市川実和子)はパートで家計を支えているが、故障した洗濯機を買い換えられないほど困窮している。

未来はソヒにハングル語を教わるかわりにフリマサイトの使い方を教え、ソヒの自宅にある中古品を売ってファンクラブの会費とライブのチケット代を作ろうと提案する。父が所有していた北朝鮮歌謡のCDが5,000円で売れたことで勢いづいたソヒは、父が引き出しに保管していた勲章を無断でオークションに出品したところ50,000円の値が付いた。

長編第一作となる孫監督は大阪出身の在日コリアン3世。是枝裕和監督の弟子筋です。大きな事件は起きないが、ささいな表情や仕草に登場人物たちの感情の揺れを映すことに長けています。未来を初めて自宅に招いたとき、帰宅したサンジュの表情の変化を見て「未来も在日だよ、言葉はアレだけど。ソン・ミレイ」と噓をつく。そう言われた未来の微妙な表情。母ミリョンは嘘をすぐに見抜き、未来の帰宅後、コインランドリーの帰り道にソヒに尋ねるが決して責めない。

テレビからミサイル発射のニュースが流れ、家族の食卓に割り切れない空気が流れる。排外主義者のYouTubeを視聴して「北朝鮮って悪い国なの?」と小学生の弟テイリ(千就)に聞かれ「北朝鮮って言うなよ。ウリナラだよ」と答えるサンジュ。ミリョンは「アッパ(パパ)は遠くを見ているの。昔はそれがかっこいいと思ってたんだけどね。足元も見てほしいよね」と言う。3世である親世代は、自身のコミュニティを「同胞」と呼ぶ。かつて住居や就職で差別された過去があるのだ。

是枝組の常連俳優であるYOU、未来の祖父で鉄工場の社長を演じるきたろう。ふたりのベテランの示す矜持がいい。主役の恒那さんの透明感。思春期の生意気さと不安定な感情。冒頭の朝鮮舞踊の練習場面では貼り付けたような不自然な笑顔が、主役リョニの怪我により不意に任されたセンターの重圧と自身の嘘によって失われるが、ラストの競技会の舞台では心からの表情に感じられました。

 

2026年6月29日月曜日

ガラクタの城 meets 廃品回収車

月曜夜。吉祥寺MANDA-LA2へ。mue×タカスギケイガラクタの城 meets 廃品回収車』を聴きに行きました。

「アウトプットが足りないから」と始まったmueさんの毎月ライブの3回目は、4月11日のバンドセット、5月20日のソロ弾き語りに続き、ギタリストのタカスギケイさんとのデュオ。「今ごろ君は知らず/お月さまと眠ってる/今夜も僕だけが/君のことを思ってる」という歌詞のmueさんにはめずらしいラブソング「お月さまと」でスタートしました。

続く4ビートの「蜘蛛の糸」。いつものエレガットではなく、4月に初披露した真赤なGibson ES-335を全編にフィーチャーし、直挿ししたRoland Jazz Chorus 120(ギターアンプ)のコーラスエフェクトできらきらした音色を響かせます。煙草やコカコーラといったシンボリックなアイテムが歌詞に描かれた3曲目のブルースナンバーでは1弦のグリッサンドのみで押し通す豪快なギターソロも。

共演機会の多いタカスギケイさんと呼吸の合ったアンサンブル。「Woman "Wの悲劇"より」の空間処理、「朝の15分の静寂」のサビではピッチシフターを通した重厚なベース音が効果的でした。

後半はピアノの前にポジションを移し、Jackson5の "Never Can Say Good-Bye" で再開。「ボロボロ」の的確なオブリガート、曲の入りでキーを見失い迷走するかに見せてきっちり着地した「大きな流れをつくる」など、ピアノ演奏技術の向上が昨今著しい。

英語詞の「Light Up The Future」では歌詞の和訳を、ジャズとアンビエントを揺らぎながら行き来するようなタカスギケイさんの流麗なソロギターインプロヴィゼーションに乗せて廃品回収車に寄せた自作詩を、朗読する場面がありました。僕は朗読が本職ではない人の朗読が大好物なので、とてもよかったです。また聴きたい。

「ガラクタの城」を冠したライブは過去2回、2015年2016年にいずれも新高円寺STAX FREDで聴いています。そのジャンク感、未完成な輝きと比較すると、2026年のガラクタの城は円熟味がありました。最低限の決めごとが必要なアンサンブルというフォーマットのせいもあるとは思いますが、mueさんご自身の10年間の経験に裏打ちされた音楽家としての成熟を感じました。

 

2026年6月28日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

台風の翌日。西武柳沢駅に着くころに雨は上がり『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージックChiminさんの回に行きました。

1曲目の「うたかた」は2006年の2nd『ぽむぽむ』収録曲。アルバムでは特徴的なスティールパンの分散和音が、Chiminさんの爪弾くガットギターで再現されます。自分で曲を作り始めたばかりで簡単なコードしか知らなかったと言うが、音楽の豊かさがそこには確かに存在しています。

いまの季節にぴったりな「雨が止んだら」「目と目」をしっとりとメドレー構成で繋ぎ、ノラバー店主ノラオンナさんのリクエストで「」。近年はピアノで歌われることが多いスーパースローナンバーをギターのリフに乗せると原型がビートレスではないことに気づかされる。改題した新曲「ひとつのページ」も雨にまつわる歌です。

前回6月11日のライブでは冒頭1曲だけだったガットギターの弾き語りが全編という僕の希望が叶ったのと、楽曲のコアがダイレクトに感じられるのも弾き語りの醍醐味です。例えて言うなら、アリーナ級の技術と表現力を持つシンガーが奏でる極上のリビングルームミュージック。「言葉ひとつ」のサビの抑制されたウィスパーボイスにも痺れました。

Chiminさんがひとつのライブで4曲もカバーを歌うのもレアなこと。どんとドリヴァル・カイミザ・フォーク・クルセダーズヴァン・モリソン、いずれも原曲は男声ですが、Chiminさんの澄んだ声で聴くとまったく違う表情を見せます。

ノラバーの看板インコ梨ちゃん3号の語彙は4月に会ったときより更に増え、お昼の生うたコンサートの定番メニュー、大きな白いお皿に三日月型のカレーと半球状に盛られた白飯のノラバーさわやかポークカレーはさながら魔法陣のようでおいしさもマジカル。どの季節にも合いますが、梅雨時は格別です。

 

2026年6月13日土曜日

KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ

真夏日。ユナイテッドシネマアクアシティお台場マギー・カンクリス・アペルハンス共同監督作品『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』を観ました。

「あなたたちはポップスターであると同時にハンターなのよ」。舞台は現代の韓国ソウル。人々の魂を奪うデーモンから街を守るために、歴代の3人組ガールグループが、ホンムーンと呼ばれる結界を音楽の力で維持してきた。現在はソングライターのルミ(アーデン・チョー)、コレオグラファーのミラ(メイ・ホン)、作詞担当でラッパーのゾーイ(ユ・ジヨン)の3人で構成されるHUNTR/Xがアリーナツアーをしながら任務に当たっている。

昨年6月にNetflixで公開後3カ月間の視聴数が歴代1位の3億回超となり、アカデミー賞長編アニメーション賞受賞、劇中歌 "GOLDEN" がアカデミー賞とグラミー賞をW受賞した世界的ヒット作の期間限定劇場公開です。

このミュージカル3DCGアニメの歌唱パートは台詞の声優とは異なり、ルミをEJAE、ミラをオードリー・ヌナ、ゾーイをレイ・アミが演じており、これが感動的に素晴らしい。まず冒頭のチャーター機内で客室乗務員に化けたデーモンと闘うシーンで3人が歌うDOPEなHIPHOPチューン "How It's Done" のフロウに撃ち抜かれました。

ガールエンパワーメントやシスターフッドというキーワードは現在のK-POPカルチャーと親和性が高く、夭折したアイドルを母に持つが実はデーモンとハーフのルミ、デーモン側のメンズアイドルサジャ・ボーイズのセンターでありながら母と妹を見捨てた過去を後悔し記憶を消したいジヌ(アン・ヒョソプ)という設定が、ストレートな勧善懲悪ストーリーに影を落とす匙加減が絶妙。

"GOLDEN" は構成に残る名曲。アニメ本編MVも素晴らしいのですが、中の3人がステージで歌う実写版HUNTR/Xも圧倒的。いくつか視聴した動画のなかではアカデミー賞授賞式The BRIT Awards 2026がよかったです。アメリカ製作のため、科白は全て英語、歌詞は全曲英語(一部ハングル)のテロップが付きます。

エンドロールの後半TWICEジヒョさんジョンヨンさんチェヨンさんの3人が普段着でレコーディングする姿が映るので、ONCEのみなさんは映画館の照明が点くまで席を立たないのが吉です。

 

2026年6月12日金曜日

Michael マイケル

夏日。ユナイテッドシネマアクアシティお台場アントワン・フークア監督作品『Michael マイケル』を観ました。

1966年、米国インディアナ州ゲイリー。黒人低所得者向け住宅のリビングルームでジャクソン家の5人兄弟、ジャッキー(Cho)、ティト(G)、ジャーメイン(b)、マーロン(Cho)、マイケル(Vo)は "Big Boy" を練習させられている。指導しているのは父親のジョセフ・ジャクソンコールマン・ドミンゴ)。7歳のマイケル(ジュリアーノ・ヴァルディ)は歌うのに飽きて窓に顔をつけて通りを眺めるが、父ジョセフに厳しく咎められる。母ケイト(ニア・ロング)が柱の陰から心配そうに見守っている。

初ステージを成功させて帰宅した兄弟をリビングに集め、細かいミスを指摘し練習させようとするのに反論したマイケルの尻をベルトで執拗に鞭打つジョセフ。

マイケルといえばジャクソン。ジョンやポール、ミックとキースのようにアイコン化したスーパースターのデビューから1988年の "BAD World Tour" におけるロンドンウェンブリースタジアム公演までの22年間(7~29歳)を描いた伝記映画は、主役をマイケルの甥(ジャーメインの息子)ジャファー・ジャクソンが演じています。

幼少期からショービズ界に浸かり同年代の友だちがいないマイケルは父親の暴力という現実から逃避するために「ピーター・パン」や「オズの魔法使い」などの児童書にのめり込み、心を開ける相手は動物たちと母ケイトだけ。その環境が育んだ感性は作品づくりにおいて独特の世界観を築いたが、人格形成面ではマイナス面が大きかったはず。駄菓子屋であんずボーをちゅーちゅー吸ったり、放課後マックで宿題をしたり、友だちと過ごした時間は無駄じゃなかったんだな、と思いました。

はじめての整形手術は『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』のあいだ。バブルス君は意外と早い時期に同居を始め、自宅の庭にキリンがいますが、あまり深く掘り下げられません。我々世代は1980年代に『スリラー』『BAD』からヒットを連発するマイケルをリアルタイムで見ていましたが、本作以後の世界を生きてきたより若い方たちは、スポーツ紙の一面に「顔面崩壊」と書かれたり、自宅をネバーランドと称して大勢の子どもたちを住まわせたり、奇行ばかりが取りざたされる変人という認識なのかもしれません。

悪役を父ジョセフに絞ったことが物語を非常に分かりやすくしている反面、「次は目を見て話す」と言いながら、レコード会社の重役や弁護士に頼って、父親と対峙しようとしないマイケルの弱さをきちんと描いているところは好感が持てる一方、顧問弁護士ジョン・ブランカマイルズ・テラー)とジョセフが雇った運転手兼ボディガードのビル・ブレイキーリン・ダレル・ジョーンズ)は少々美化されているのではないかと思います。

歌唱シーンの歌声は、マイケルとジャファーのミックスとのこと。ジャクソン5のドサ回り先のペニーアーケードで「アイル・ビー・ゼア」を歌い白人女子たちをも虜にするマイケル、モータウンレコードベリー・ゴーディラレンズ・テイト)が父ジョセフに「あんたはスケジュール調整だけしてくれ」と言うところ、クインシー・ジョーンズとの初レコーディングセッションの「今夜はドント・ストップ」、「今夜はビート・イット」のMVの撮影のためギャングスタにコネのあるビルの手引きでアンダーグラウンドのストリートダンサーたちをスカウトする場面など、心躍るシーンが多々あります。

ラトーヤジェシカ・スーラ)はたびたび登場しますが、兄弟姉妹でマイケルの次に売れ今もなお現役の妹ジャネットは名前すら出ないのは大人の事情でしょうか。モータウンのA&R担当スザンヌ・ド・パッセを演じたローラ・ハリアーの美しさには息を呑みました。

 

2026年6月11日木曜日

Chimin TRIO

梅雨の晴れ間。吉祥寺Stringsで開催されたChiminさんのライブに行きました。

まずはひとり弾き語りで「蛇口」を歌う。Chiminさんがガットギターで歌うのをはじめて聴きました。柔らかい弦の響きが「湿った6時前」という歌詞にぴったりです。

2曲目の「世界」から加藤エレナさん(Pf)と井上"JUJU"ヒロシさん(Fl、Pic)が加わる。JUJUさんはこのセットでは、ソプラノサックス、アルトサックス、バリトンサックスを吹くことが多いのですが、この日は全編フルートを演奏。3曲目「言葉ひとつ」の前半だけエレナさんのクラシカルな響きのピアノにピッコロを合わせていました。

ひさしぶりに間近で聴くエレナさんのピアノは「シンキロウ」のアウトロのフォーバースではJUJUさんのフルートとスタッカートの掛け合いが小気味よく、「チョコレート」「」はいつもよりテンポを若干落としてレガートでゆったりと聴かせます。

「この曲(「シンキロウ」)を書いたときは、花の名前とか人間関係とか(若くて)何も知らなかった」と言い、花の名前と人間関係が並列なところが実にChiminさんらしいな、と思う。

ジムノペディの響きのあるピアノから「ぽつりぽつりと雨が降る夜に/古い詩集を探している/小さな文字で私の身体は/ひとつの島だと書かれている」と石垣りんを引用して歌い出す新曲「ひとつだけ」は典雅で可憐なワルツ。長いスランプを抜ける光が見えたとご自身が語る通り、広がりを感じる作品です。そして同じく三拍子の佳曲「住処」でライブは終わり、アンコールはレゲエ・アレンジの「たどりつこう」。梅雨時の湿った夜にChiminさんの美声が溶け出すようでした。

僕はChiminさんの弾くギターが好きです。技巧を前面に出すことはなく、最小限の音数で何かを確かめるように控えめに音楽を進める、ピッキングが丁寧で出音が綺麗。今回は1曲だけでしたが、次回6月28日(日)のノラバー公演は全編弾き語りということなので、とても楽しみです。

 

2026年6月7日日曜日

箱の中の羊

入梅。ユナイテッド・シネマ豊洲是枝裕和監督作品『箱の中の羊』を観ました。

波の音。港の風景に「遠くない未来」のテロップが重なる。主人公の音々(綾瀬はるか)は建築士。自宅の中庭のレモンの樹にホースで潅水していると日用品がドローンで届く。夫の健介(大悟)は工務店の社長。飼い猫のオセロはもう1週間帰ってこない。「恋人でもできたんちゃう?」と健介。

息子の翔を7歳で亡くして2年。RE birth Ltd.から届いたDMを開くとオオミズアオのホログラムが飛び立ち、亡くなった家族の動画や画像からヒューマノイドを制作するサービスのモニターを募集しているという。「ハイエナやな」と健介は言うが、ショールームで観たPR動画に音々は涙する。後日、配送車の助手席からヒューマノイドの翔(桒木里夢)が降りてくる。

はじめ音々は翔を我が子同様に溺愛するが、健介は距離を置く。時が経つにつれ、音々は自身の執着ゆえに恐れを感じ、逆に健介はすこしずつ息子を受け入れはじめる。

箱の中の羊」はサン=テグジュペリの『星の王子さま』からの引用ですが、僕にはその隠喩が理解できませんでした。不時着した操縦士が砂漠で出会った王子に羊の絵をせがまれて描くが、王子に何度もダメ出しされてげんなりした操縦士は箱の絵を描き、中に羊が入っている、と言うと王子は納得する、という挿話です(この場面を朗読する綾瀬はるかは素晴らしい。ちなみに内藤濯訳ではなく池澤夏樹訳です)。

音々は言う「箱の中の羊は翔じゃなくて私だったのかもしれない」。ヒューマノイドとなった我が子に再会して揺れる心情に、自分自身の罪悪感を再認識させられたということでしょうか。

家族を描いていても家族讃歌にならないのが是枝作品です。余貴美子演じる音々の母親の嫌な感じは『海街diary』の大竹しのぶに通じ、『真実』のカトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュ母娘のままらない関係性の変奏のよう。異母妹すず広瀬すず)を受け入れた『海街diary』三姉妹の長女綾瀬はるか)は、ホスピス勤務の看護師で人の死を常に見つめている。

精巧なヒューマノイドは『空気人形』でペ・ドゥナが演じたラブドールの進化形とも考えられますが、空気人形の内面が所有者である主人公の妄想なのに対して、17年後の本作では感情表現(らしきもの)をするAIがフィジカルを持つことで影響力が格段に増したように感じました。

大悟さんが演技がとても自然で予想外にはまり役なのと、星野真里清野菜名田中泯中島歩ら脇役陣も光る。音々に新居の設計を発注する野呂佳代さんは現在最も輝いている俳優といっていいと思います。

 

2026年5月24日日曜日

ヴィヴァルディと私

曇天。シネスイッチ銀座ダミアーノ・ミキエレット監督作品『ヴィヴァルディと私』を鑑賞しました。

漆黒の画面に小鳥のさえずり。石造りの明るい中庭で制服の少女たちが生まれたばかりで母猫の乳を飲む子猫たちを見つける。嬌声を聞きつけた院長(ファブリツィア・サッキ)は子猫を麻袋に詰め込み、少女たちが懇願するのを一顧だにせず、運河に投げ捨てる。

1716年のヴェネツィア共和国。ピエタ養育院は、孤児に専門教育を施した楽団の演奏で収入を得ていた。ライバルのデレリッティ慈善院の楽団の評価が高まり、貴族や豪商の寄付が流れていることに危機感を持った院長は、ピエタ院から独立したものの有力なパトロンを得られず食い詰めていたアントニオ・ヴィヴァルディミケーレ・リオンディーノ)を楽長として呼び戻す。出生直後に捨てられピエタ養育院で育ったチェリチア(テクラ・インソリア)にヴァイオリンの才能を見出し、首席奏者に抜擢する。

中世の暗黒期は脱していたとはいえ、バロック時代の欧州における女性の不自由さをあらためて痛感させられます。孤児たちが教会で演奏する際は祭壇の裏の格子の奥、演奏会で人前に出るときは仮面を着けなくてはならない。職業選択の自由はなく、海を埋め立てた都市国家ヴェネツィアにおいて更に閉鎖的な養育院は、貴族や上級軍人に嫁ぐ(実質的には女性側に選択権のない人身売買)か、自分を捨てた母親が迎えに来なければ出ることができない。

母親は一縷の望みを賭けて、捨てる赤子に細密画のカードの半分を握らせ、そのカードは院の書庫に丁重に保管されるが、残り半分を持って引き取りに来られることは稀だ。喘息持ちで病弱なヴィヴァルディの指導の下、婚儀を忌避してピエタ院に残りたいがためにチェチリアがとった行動が悲劇を生む。自由が困窮と一体なのが切ない。

薄暗い養育院、大聖堂のステンドグラス、濡れた石畳と運河の淀んだ水面。貴婦人の絢爛豪華な衣装、男たちのウィッグは地位の象徴。少女たちの舞台衣装と普段着のお仕着せ。美術が素晴らしく、ヴェネツィア出身のオペラ演出家が撮った映像に更なる厚みを与えています。もちろん音楽も。現代のプロ演奏家に慣れた耳には少々粗があるアンサンブルがリアルです。

ヴィヴァルディといえば『四季』とりわけ『春(RV.269)』ですが、作曲されたのは本作の約10年後のこと。劇中で演奏されるのは『ラ・フォリア(トリオ・ソナタ集 作品1 第12番 ニ短調 RV.63)』、『戦勝カンタータ(蛮族の王ホロフェルネスを討伐した勝利のユディータ RV.644)』、デンマーク王に献呈した 『12のヴァイオリン・ソナタ op.2』の3曲です(死の床にある貴族の私室で仮面の少女たちが演奏する鎮魂歌の曲名はわかりませんでした)。

村上春樹の『1973年のピンボール』の中で、ヴィヴァルディの『調和の幻想』のエピソードは最も印象に残る場面ですが、ちょうど映画の時期に作曲されています。

 

2026年5月20日水曜日

mue ワンマン

夏日。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんワンマンライブに行きました。

先月11日の25周年ワンマンライブ『Story of the 411 Road』から1ヶ月という近年のmueさんにしては異例のハイペース。「今日はタイトルのない気楽なワンマンなので、ゆっくり過ごしてください」というMCで幕を開けました。1曲目の「朝もやのHigh」、続く「共有の時」、チャーリー高橋さんのカバー「田の神さま」と、ライブでは初めて聴く楽曲が続く。いずれも佳曲。

毎年4月11日アニバーサリーライブはリズムセクションと共に可憐且つ大きなグルーヴを届けてくれますが、今日のステージにはmueさんひとりだけ。ガットギターとピアノの弾き語りで、客席と対話しながら、親密で穏やかな空気を作ります。夏にKALDIで買った夏季限定のエスニック袋麵を食べるタイミングを逸して、晩秋を迎えた食卓の悲哀をコミカルに綴った「パクチーで食べた」は客席のクラップに乗せてアカペラで。

「あなたに会えない今日の私は/どう過ごしたらいいのかな」と歌う25年前に書いてライブでは一回だけしか、もしくは一度も歌っていない無題の曲。現在は二人称に「君」を使うことが多いが「あなた」と歌うとラブソング味が一気に増す。初共演した2012年以来、mueさんのライブには結構通っているほうだと思いますが、聴いたことのない作品がまだまだあって、引き出しの多さが伺えます。

また、思い出深い2015年のカバーライブ sugar, honey, peach +love でも歌ってもらった "(They Long To Be) Close To You"、"Smile" の2曲は染み入るものがありました。

「アウトプットが圧倒的に足りないので、25周年イヤーの今年はライブをたくさんしたい」と言うが、2023年は固定メンバーで四半期毎バンドセットワンマン、2025年前半はYouTubeを(ほぼ)毎日更新していました。ミュージシャンのアウトプットはオーディエンスにとってのインプット。好きな音楽がいろいろな形態で聴けるのは喜ばしいことです。

次回は6月29日(月)に同じくMANDA-LA2にて。2015~2016年に新高円寺STAX FREDで聴いたレア曲満載ライブガラクタの城』の続編ということで、期待が高まります。

 

2026年5月16日土曜日

霧のごとく

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町チェン・ユーシュン(陳玉順)監督作品『霧のごとく』を鑑賞しました。

1953年(民国42年)戒厳令下の台湾中部嘉義近郊の農村。14歳の阿月(ケイトリン・ファン)は、反体制運動に加担して追われサトウキビ畑に隠れている兄育雲(ツェン・ジンホア)に食事を届けに来た。潜伏して3カ月。育雲は、阿迷と阿水、2つの水滴が蒸発し、雲になって砂漠に雨を降らせる物語を聞かせ、腕時計を阿月に残し逃げるが、秘密警察に捕えらえられる。

1年後、両親の墓参から帰宅した阿月に兄の訃報が届く。銃殺刑で遺体は台北の極楽斎場にあるが、引き取りには銃弾料、保管料、埋葬料、運搬料などで一家の数ヶ月分の生活費にあたる大金が必要と言われる。僅かな貯金と兄の形見の腕時計を持ち、汽車を乗り継いで到着した台北で、女衒に騙され遊郭に売られそうになった阿月は、輪タクの車夫の趙公道(ウィル・オー)に助けられる。

人間は異なる思想の人間を恐れ、排斥しようとする。現在も世界中で起こる軍事独裁による粛清が、悪意のない市民を巻き込む。公道は退役軍人であるが、広東省出身の外省人。上官が反体制分子だったこともあり、台北ネイティブからも軍部からも疎まれ社会の底辺に追いやられている。

100%の善人も100%の悪人もいない本作の空気感は、どこか滑稽味があります。阿月と公道が共に過ごしたのはわずか3日間。その数日間が永遠の礎となる。華やかな観光要素こそなく、むしろ重苦しい題材ではあるが、これは『ローマの休日』の翻案なのではないでしょうか。自転車二人乗りで貧しい裏通りを疾走し、間抜けな悪党たちやお人好しの巡査と大捕り物を演じる。

阿月の長姉で台北に養子に行きナイトクラブ蝶彩のショーガールになった秀霞を演じる9m88R&Bミュージシャン。同時代の日本に置き換えたら吉永小百合がやりそうな役です。阿月たちを2度助ける高金鐘(リウ・グァンティン)は実在の義賊をモデルにしており、彼が登場するコメディパートもローマの休日感を補強しているように感じました。2026年の私的ベストムービー候補に挙げたい傑作です。

 

2026年5月8日金曜日

ビリー・アイリッシュ HIT ME HARD AND SOFT : THE TOUR (LIVE IN 3D)


開演18時間前、カナダのケベック市にある18,000人収容のアリーナCentre Vidéotron のステージセットの設営から映画は始まる。2024年9月から2025年11月に開催され150万人を動員したビリー・アイリッシュのワールドツアー "HIT ME HARD AND SOFT : THE TOUR" の劇場版映画化です。

360度客席に囲まれたステージ中央に設置された発光する巨大な立方体は『2001年宇宙の旅』を思わせる。シンセベースの重低音が会場を震動させ、自身のツアーグッズのバスケットシャツとベースボールキャップを身に着けたビリーの姿が立方体のLEDに透けて、"Chihiro" を歌い出すと客席のヴォルテージはマックスへ。レコーディングされたアンニュイなウィスパーはライブ仕様のストレートなシャウトに置き換えられている。

10代から20代前半の白人女子が中心の観客は、"when the party's over" でステージにしゃがみこんだビリーが一人コーラスのループを作る際に黙らせる以外、全曲シンガロング。もしくはスマホを掲げて動画を撮るか、泣くか、それら全タスクを同時にこなすか。

最初は気になった観客の歌声が、ギリシャ悲劇のコロスやゴスペルのコーラスにも似た聖性を帯びて聞こえてくるミラクル。「誰もがここでは安全」とビリーは言う。SNSで時折見かける「隣席の歌がうるさい。あんたの歌を聴きにきたわけじゃない」論争に対するひとつのアンサーを見た気がします。

インサートされるジェイムズ・キャメロン監督によるインタビューショットで「嫌なことがあると最後列の観客のことを考える」と答えるビリー。『ビリー・アイリッシュ 世界は少しぼやけている』(2021)のチック症に悩む自己肯定感の低い猫背の少女はそこにはもういない。

女声コーラスのエイヴァとジェインは背中に名前が刺繍されたラルフローレンの赤いポロシャツとチャコールグレーの膝丈プリーツスカート。4人の男性ミュージシャンもおそろいのネイビーのポロシャツ。ピックと指弾きを使い分け超重厚な低音部を支えるソロモン・スミスのベース。終盤2曲に登場しピアノとギターを弾く兄フィニアスの慈愛のまなざし。

なによりビリー本人がこれだけ短期間でビッグネームになったにも関わらず、少しも自分を見失っていないように見える。ハンディカムを掲げ、熱狂する観客と自撮しながら疾走する姿を見てそう感じました。

3D映像に関してはそこまででもないな、2Dでもよかったかも、と思って観ていたのですが、エンディングの紙吹雪が手に届きそうなくらい近くまで舞ってきたとき、会場にいる一体感を得られたので、やはり3Dで観てよかったです。

 

2026年5月5日火曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2026 LES FLEUVES ③

子供の日。すっきり晴れて東京国際フォーラムは大賑わい。クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2026 LES FLEUVES(大河)」最終日3日目は有料公演を3本鑑賞しました。

■公演番号:322〈川辺での沈思
ホールC(ヴルタヴァ)12:00~13:00
ショパン:夜想曲op.37-1
ショパン:子守歌 op.57

2023年2024年と同様に、まず演奏者本人によるプログラムの意図の解説あり。全14曲60分構成は、ショパンの3曲を中心に、前半はショパンが愛した1685年生まれのバロックの3巨匠、「主よ、人の望みの喜びよ」で短調から長調に眩しく転換して、ショパンに影響を受けた印象派の作品を並べています。それは小品集というよりひと続きの組曲。1500人の観衆が水を打ったように聞き耳を立てていました。

■公演番号:344〈セーヌ川
ホールG409(ガンジス)15:15~16:05

図らずもピアニスト母子を続けて聴くことに。こちらはフォーレとその弟子筋を中心としたアンソロジープログラムです。たまたま最前列センターやや下手のピアニストの両手がよく見える良席でした。近距離とドライな音場が相俟ってクリアに響きます。演奏技巧は確かなのですが、ピアノがめちゃ上手い同級生が放課後に音楽室でリクエストに応えて弾いてくれているような親しみやすさがあります。

ホールA(ロワール)18:30~19:15
小林愛実(Pf)

LFJ2026の仕上げは再びホールAでオーケストラを。この冬ピアノ小品をずっと聴いていたシベリウス(フィンランド)とイントロは誰でも知っているグリーグ(ノルウェイ)の北欧詰め合わせです。これもたまたま最前列で、ペダルを踏む音まで聞こえる。小林愛実さんのピアノがパワフルなこと。そして弱音が可憐。20年近く前に同じホールで確かチャイコフスキーを聴いた故ブリジット・エンゲラーの記憶が重なります。

今年も充実した3日間になりました。出演者、スタッフならびに会場ボランティアのみなさん、どうもありがとうございます。来年また会えますように。

 

2026年5月4日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2026 LES FLEUVES ②

みどりの日。新緑の東京国際フォーラムへ。クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2026 LES FLEUVES(大河)」2日目は有料公演2本を聴きました。

■公演番号:233
ホールD7(ポー)13:30~14:20

2009年パリ生まれのアリエル・ベックは17歳。技術に裏打ちされた理知的なアプローチと正確無比なタッチはシフの若い頃を思わせ、ロマン派よりバッハが似合う感じがします。フレッシュで明晰なイギリス組曲でした。ミックスルーツなのかな、きれいにカールした長い黒髪にラメの入ったダークグレーのタイトなワンピースは実写版リトル・マーメイドのリアル版(実写版のリアル版って…)。アンコールはメンデルスゾーン舟歌でした。お父上は詩人のフィリップ・ベック氏だそうです。

■公演番号:247
ホールG409(ガンジス)21:45~22:30

G409はホールというよりも会議室。演奏の始まりは音響が超ドライだったのに、徐々に残響を増したのはベテランカルテットの技術。アンコールで再度演奏されたヴァルタヴァは、チェロのピチカートで表現される水源の一滴から並々と流れる悠久の大河を眼前にするようでした。神経質な天才肌、お母さん、パーティガールの女子3人、チェロのギョームはポニーテール、髭、眼鏡、Uネックシャツ、素足にローファー、というフランス人イケオジ要素全部盛りです。

桐朋学園大学で20~21世紀音楽を研究している沼野雄司教授講演会『〈流れ〉から読む現代音楽の世界』を11:00~12:00にホールB5(黄河)で聴講しました。ジョン・ルーサー・アダムススティーヴ・ライヒジェルジ・リゲティなど。日中戦争時に抗日カンタータがさかんに作られたとか。沼野先生のユーモラスな語り口は学生さんたちにもきっと人気だと思います。

 

2026年5月3日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2026 LES FLEUVES ①

憲法記念の日。毎年ゴールデンウィークに東京国際フォーラムで開催されているクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」。今年のテーマは「LES FLEUVES(大河)」、河川をモチーフにしたプログラムが組まれています。

3日間のフェスの初日は有料公演3本を鑑賞しました。

ホールA(ロワール)12:45~13:30
山下一史(指揮)

わが郷里千葉県で唯一のプロオケは1985年創立。僕は1986年に東京に転居したので1年しか重複しておらず、今回はじめて演奏を聴きました。ゆったりとしたテンポで始まった田園交響楽は、甘く優しく優雅な音色ですが、第四楽章の雷雨の場面はちゃんとどかどかしています。ソリストとしても活躍しているコンサートマスター神谷未穂さん、上品な響きのファゴット奏者柿沼麻美さんほか女性の活躍が目立つオケです。

■公演番号:144〈ステュクス~三途の川
ホールG409(ガンジス)15:30~16:15

展覧会の絵に川のイメージはなかったのですが、生死を分ける川ですね。ムソルグスキーが親友の鎮魂のために書いた曲です。1960年代生まれの僕たちにとって、EL&P冨田勲がこの曲のベンチマーク。生きているうちに原曲を生演奏で聴けてよかったです。五十嵐薫子さんのキレのある演奏。テュイルリーの庭のスタッカートがころころしています。アンコールのレスピーギの「甘美なワルツ」も素敵でした。

ホールC(ヴルタヴァ)18:00~18:45

去年も同じ組み合わせでシューマンを聴き、とてもよかったので楽しみにしていました。プラハ近郊の湖畔の別荘で書かれた楽曲は、第一、第三楽章はチェロ、第二楽章をヴィオラ、カルテットではバックアップにまわりがちな楽器が主題を演奏します。舞台上手から、伏し目がちなシャイボーイ、社交的な元気女子、お調子者のムードメーカー、冷静沈着なリーダー、後方から見守る顧問、みたいな絵面も面白かったです。

20年以上フェスをリードしてきた総合プロデューサーが第一線を退いて、少々雰囲気が変わりましたが、演奏のクオリティはしっかり保たれていると感じました。明日はバッハとスメタナです。


2026年4月29日水曜日

オールド・オーク

曇天。ヒューマントラストシネマ有楽町ケン・ローチ監督作品『オールド・オーク』を観ました。

2016年、英国北部ダラム近郊、炭鉱が閉鎖されて荒廃した海辺の町にシリアからの難民の乗せたバスが到着する。それを見た町の住人たちは「ここはまるでゴミ捨て場だ」と不快感を隠さない。旧英国領キプロスの不動産投資会社が空家を安く買い叩き、難民支援団体に転売している。

バスの窓から一眼レフを向けた若い女性ヤラ(エブラ・マリ)が降りてくると、ニューカッスルユナイテッドFCのレプリカシャツの男がヤラのカメラを奪い、手を滑らせてアスファルトに落ちたカメラは壊れてしまう。

寂れた町の最後に残ったパブ THE OLD OAK のボックス席では、中年の常連客たちが昼からビールを飲み、移民に対するヘイトを吐き出しており、店主TJバランタイン(デイブ・ターナー)は苦い顔はするものの口を挟まない。更に高齢の常連が「彼女がお前に何も迷惑をかけてないだろ」と窘める。

ヤラが壊れたカメラを持って THE OLD OAK を訪ね、弁償させたいので壊した男を教えてほしいと言う。TJは不景気になってから長く開けていない奥の広間にヤラを案内し、叔父の形見のカメラを3台見せるが、ヤラは受け取らない。2台売れば修理代になる、とTJはヤラのカメラを預かる。

シングルマザーと社会保障をテーマにした『わたしは、ダニエル・ブレイク』、宅配ドライバーと介護従事者の夫婦が主人公の『家族を想うとき』に続く本作は、昨今の欧州諸国の右傾化と排外主義が如何に市民生活を蝕み、分断しているのか、という点を浮き彫りにするのみならず、産業の空洞化、プアホワイト、子どもの貧困、ジェンダーギャップ、ブレクジット、古参と新規、など同時並行し10年後の現在も解決しておらず、むしろ苛烈さを増している社会課題を、その中で生きなくてはならない市井の人々の日常を通じて描くことで、2026年の日本においても我々は切実な自分事としてスクリーンに向き合わざるを得なくなる。

小学生の女の子に「大丈夫、いいことは長く続かない」と嘆息させてしまう社会に絶望するのではなく、「慈善ではなく連帯を(Solidarity, not charity)」「共に食べ連帯しよう(Eat together, stick together)」繰り返されるこれらのメッセージ、難民たちが感謝を込めて店に贈ったタペストリーに刺繍された「Soridarity, Strength, Resistance」の文字は、90歳を超えたケン・ローチ監督が次世代に託した祈りなのでしょう。

TJが飼っているジャーマンシェパードの子犬マラ(本名Lora)の愛くるしさはもうひとつの救い。マラ(Marra)は英国北部炭鉱地方の方言で「親友」「相棒」「仲間」を意味するそうです。

 

2026年4月26日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

初夏の日差し。『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージックカワグチタケシ新詩集『fragments』刊行記念ライブにご来場のお客様、ライブ配信をご視聴くださった全宇宙のお茶の間の皆様、いつも素敵なおもてなしで迎えてくれるノラバー店主ノラオンナさん、看板インコ梨ちゃん3号、ありがとうございます。

春分を超え夏至にはまだ早い、一番ちょうどいい季節に新しい詩集の門出をみなさんに祝っていただきました。  

昨年秋に出版した『過去の歌姫たちの亡霊』は2021~2025年に書いた詩が収録された、2015年の『ultramarine』以来10年ぶりの詩集でした。その半年後に完成した『fragments』の10篇は2016~2025年に書いたものです。10人の女性シンガーをモチーフにして書いた「歌姫」とは異なり、タイトル通り複数の言葉の断片を並べたときに生まれる響きを(それは意味であったり、音であったり、色彩や温度であったりするのですが)掬いあげるような書き方をしています。


今回のライブは、過去10作の各詩集から冒頭の一篇を年代順に並べ、そのあとに新詩集の全篇を朗読するという構成を取りました。30年の変化と変らないコアを感じてもらえたのではないかと思います。生後6か月を迎えますます語彙の増えた梨ちゃん3号が元気に合いの手を入れてくれました。僕の気持ち的には2MCでしたが、3号はどう思っていたのかな。

春らしく甘く熟した苺をあしらった季節の野菜とフルーツのサラダノラバーさわやかポークカレーノラバープリンにも苺が乗ってノラブレンドコーヒー、というお昼のライブの定番メニューは何度でも食べ飽きないおいしさです。配信ライブのデザートミュージックでは、新刊の後半5篇を朗読しました。

1. ビザンティウムへ地下鉄で
3. 白木蓮
4. 路上にまつわる断章
5. 日々

みなさん『fragments』を手に取ってくださって、 自分の詩集の奥付にこんなにまとめてサインをしたのはいつぶりだろう。ライブのあとは、綺麗なネイルで3号を手なずける方、ノラバーのオリジナルキャップを試着して嬌声を上げる方、静かにワイングラスを傾ける方、思い思いに今日を楽しむ姿を眺めて幸福な気持ちになりました。

今日から始まったリリースツアーのファイナルは9月20日(日)。再びノラバーに帰ってきます。初秋の4連休の2日目の夜をいまから開けておいてくださいね。

 

2026年4月21日火曜日

ノラオンナ59.9ミーティング「ピンスポット」

吉祥寺STAR PINE'S CAFEで開催された『ノラオンナ59.9ミーティング「ピンスポット」』にお邪魔しました。

受付から更にワンフロア降りると、ぐっと明度を抑えた会場に流れる郷愁を帯びたアイリッシュの調べ。ステージ右下の物販テーブルで矢島絵里子さん(Fl)と橋本安以さん(Fdl)の生演奏です。白い衣装のふたりは、ノラオンナさんが事前にSNSで「奏でる物販天使」と紹介していたのですが、想像以上に天使です。

2004年4月21日に松本隆氏風待レコードからデビューしたノラオンナさんは、2016年以降は毎年STAR PINE'S CAFEで特別なライブを開催しています。還暦イヤーの2026年は上述の矢島絵里子さん橋本安以さんに加え、外園健彦さん(Gt)、中川五郎さん(Vo&Gt)と5人編成のライブを予定していましたが、外園さんの長期療養により12月に延期、今年の4月21日は小西康陽さんとノラさんのツーマンに変更になりました。

照明が落ちて客席は完全な闇の中に。金ボタンのブレザーを着た猫背の小西さんが座るピアノスツールにピンスポットが一本。ヘンリー・マンシーニ名曲野宮真貴さんのために小西さんが和訳した「ムーンリバー」。続いて夏木マリさんへ楽曲提供した「決められた以外のせりふ」は芥川比呂志氏のエッセイ集のタイトルから。有近真澄さんに書いた「女の都」は長崎市のバスの終点(町名は「めのと」と読むらしいです)。Kenny Rankinの "Haven't We Met" は、古川麦さんmueさんの軽快な演奏とは180度方向性が異なり、Leonard Cohenのような趣きがあります。

ビックリマンシールの仙人のような白髪に白髭の小西さんは、老いに抗わない覚悟を決めたかのよう。その一方でかつて東京の風景をきらきらと輝かせた瑞々しさを現在も保ち続けている。

代わってバリトンウクレレを抱いたノラオンナさんの1曲目はピチカート・ファイヴの1996年のヒット曲「ベイビー・ポータブル・ロック」。続いて「夜にもたれて」をアカペラで歌い始めると空気は夜の匂いを纏う。「バニラの香り」から「流れ星」まで新旧のグッドメロディ11曲を弾き語りで。いつものノラさんでありつつ、より濃密で凝縮された空気感は、STAR PINE'S CAFEの高い天井を波打つ水面に見立てて海の底で歌うセイレーンを思わせる。「」「めばえ」と中盤に続けて歌った2曲には確かに hymn(聖歌)の響きがありました。

人間は群で暮らす動物なのに、時にひとりになりたがる。ひとりの時間の豊かさ。その豊かさをまた誰かと分かち合い、再びひとりに戻る。矢島絵里子さんと橋本安以さんが加わったアンコールの「野菜のはしっこ」を聴きながら、そんなことを考えた春の夜でした。

 

2026年4月18日土曜日

Doodle Do

下北沢MOZAiCで開催された Oh my! 1st full album "Doodle" RELEASE TOUR "Doodle Do" (BAND SET / 3MAN)CUICUIを聴きに行きました。

レコ発ツアーの初日とあって、地下フロアはぎっしり。二番手CUICUIの1曲目は2017年のデビューシングル曲「彼はウィルコを聴いている」。ボーカル&キーボード ERIE-GAGA様の頭サビからRuì Suì Liuさんのフロアタム4連打が響くと空気が一転 CUICUI色に染まる。

ぼくたちのナツ」「サマーガール日本」とメローな夏曲が続き、ハードドライヴィンな「ゆびさしちゃん」「僕にはカレーがあるからね」の2曲で会場のテンションをマックスまで押し上げて、ラストはOh my!モリユイさんのフェイバリットだという「皆殺しの天使」で締める30分全6曲、メインアクトに対するリスペクトを感じるセットリストです。

2024年10月以来、1年半ぶりのライブは、ベースAYUMIBAMBIさんの歌声の透明感とMAKI ENOSHIMAさんの主張あるギタープレイ、終始フロア最前列で踊るoh my! モリユイさんの満面の笑顔が印象に残りました。

惑星アブノーマルは現在、ボーカルTANEKOさんのソロプロジェクトってことでいいのかな。ドSなステージキャラを演じているのに品の良さが滲む。サポートピアノはジャジーなのですが、声のピッチが測ったように正確なのはクラシック音楽の素養がある方なのでしょうか。ソングライティングにシューベルトみを感じます。

本日の主役oh my!モリユイさんの圧倒的センター感。王道の8ビートロックンロールに歌声が本当によく通る。立ち姿が端正で、技術がとんでもなく高いうえにパッション全開なので、応援せずにはいられない。自身のレコ発だからといってつらつら聴かせず、びしっとタイトに決めて余韻を残すスタイル。勉強になりました。

レコ発ライブはやはりお祝いムードが和やかで、いいものだなと思います。僕の前作詩集『過去の歌姫たちの亡霊』のいくつかある制作動機のひとつが、ココ・シャネルの評伝チューンでもあるCUICUIの「皆殺しの天使」であることを終演後、ソングライターのERIE-GAGA様に直接お伝えできたこともうれしかったです。