1957年チリ共和国の首都サンティアゴで生まれたジャーは、幼少期をフランス領マルティニークで過ごし、1973年に帰国。その年にチリはピノチェト将軍(プリンプリン物語のルチ将軍のモデル)による軍事クーデターで独裁政権となった。1982年以降はニューヨークに拠点を移し政治性と詩学を共存させた作品を発表し続けている。
ジャーの作品は鑑賞者が当事者であることを強いる構造を持っている。鏡を覗き込まなくては見られない写真作品「エウロパ」(1994)の被写体はボスニア紛争の被害者ですが、写真と写真の間の鏡には鑑賞する自らの姿が映る。最新作の「明日は明日の陽が昇る」(2025)は床に置かれた日章旗と天井から吊られた星条旗が水平に向き合う。星条旗は大人の胸の高さにあるため、腰を屈めて下から覗き込まなければ見えないが、子どもや車椅子ユーザーは視線の高さで見ることができます。
展示作品で強く印象に残ったのは、2つの巨大な映像作品です。サイモン&ガーファンクルの名曲と同題の「サウンド・オブ・サイレンス」(2006)は、飢餓に喘ぐスーダンで撮影した「ハゲワシと少女」で1994年にピュリッツアー賞を受賞したが批判に晒されて同年ガス自殺した写真家ケヴィン・カーターの生涯を白抜きの文字だけで綴り、受賞作をストロボの一瞬だけ映す作品。パラグラフの間に繰り返し挿入される「ケヴィン/ケヴィン・カーター」という無音のリフレインの痛切な響きに詩を感じる。その写真の版権をビル・ゲイツの米コービス社が握っているというアイロニー。
「ヒロシマ・ヒロシマ」(2023)は都市の上空から早朝に撮られたと思われるドローン映像。真上から見下ろす原爆ドームのあの美しい円蓋は意外にも楕円でトゲトゲしているんだな、と思う。背景が暗転しドームの骨格が高速で回転すると楕円は真円に錯視され、スクリーンが上がって裏に隠されていた工業用扇風機から我々は風を受ける。大18+小5=計23基のファンから吹く風はイカツい見れくれに反して優しい。
作品を鑑賞する、あるいは享受する、ということに対する疑念をジャーは呈しているのですが、その間接的な提示の手法を無意識に分析し、批評してしまう自身を顧慮させるというループに世界のままならなさを感じることこそが "YOU AND ME AND THE OTHERS" だと思い至るのでした。


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