雨に濡れて回転する歯車と爆撃機の爆弾投下にミュートされたトランペットが重なるタイトルバックが終わると、主人公二人がチェックのビキニ姿で木材の壁にもたれて座り「どれも無駄、みんな無駄、全部駄目」「朽ちていく世の中で、私たちも悪くなる」と言うと、場面は草原に変わる。
金髪ショートボブにひなぎくの花冠をかぶったマリエ1(イヴァナ・カルバノヴァー)と黒髪ツインテールのマリエ2(イトカ・ツェルホヴァー)。パパ活相手の高齢男性にはヤルミラ、マルジェラなどと呼ばせている。
1966年にチェコスロバキア社会主義共和国で製作された本作は、1991年の日本公開以降お洒落ガーリィムービーとしてサブカル勢に支持されてきました。残念ながら僕は未見でしたが、今回60周年にあたり4Kレストア版が公開されたので、張り切って初日に鑑賞しました。
手足を動かすと木の関節の軋む音がする水着の二人が、草原に生えた一本のりんごの樹からもぎとった果実を食べるとアパートメントの一室という現実世界に転生するのは、旧約聖書のモチーフを男女ではなく、女女で再現している。1990年代のライオットガールムーブメント以降はフェミニズムの文脈において語られました。もちろんその色彩は濃いのですが、オープニングの無音の爆撃がエンディングに爆発音を伴い再生される、また随所に社会主義体制下における抑圧の象徴と体制を挑発するような語気を感じる。
「怖いのは私たちが誰からも見えていないこと」と言う主人公たちの台詞から、二人は生きていない(どんなに暴れても現実社会に影響がない)のでは、いないことにされているマイノリティの存在を代弁しているのかも、など多面的な解釈ができるのも名作たる所以でしょう。
チェコ・ヌーヴェルバーグの女性監督ヴェラ・ヒティロバは本作で発禁処分を受けると7年間の活動停止を強いられた。『地下鉄のザジ』(1960)に近いテイストですが、表現手法が雑多で前衛的。モノクロと単色カラーとフルカラー、3Dを眼鏡をかけずに観るような色彩のずれ、カットアップ、コラージュ、カラフルな悪夢のように脈絡を無視したストーリー展開、青りんごや飽食の寓意。アヴァンギャルドではあるのですが、映像にドライヴ感があるので飽きずに観られます。
当時、社会主義国チェコスロバキアでは、映画は国家予算で製作される国の所有物だったため権利関係が複雑で、というお話がアフタートークでありました。権利関係はもちろんですが、政府の意向に沿う作品しか作れないというのはとても息苦しいだろうな、と思いました。


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