2026年8月2日日曜日

気狂いピエロ 2Kレストア版

猛暑日。シネスイッチ銀座ジャン=リュック・ゴダール監督作品『気狂いピエロ 2Kレストア版』を観ました。

真っ黒な画面に赤い「A」の文字が9つ。「B」「C」がひとつずつ、5つの「D」が加わり、2つの「E」はブルー。そして「JEAN PAUL BELMONDE/ET/ANNA KARINA/DANS/PIERROT LE FOU/UN FILM DE/JEAN LUC GODARD」が浮かび上がるクールなタイトルバックに重なる画家ベラスケスの評伝のナレーション。眩しい陽光に照らされたテニスコート。

泡の立ったバスタブに横たわり、傍らに幼い娘を呼び寄せ、フェルディナン・グリフォン(ジャン=ポール・ベルモンド)が『美術史』のベラスケスのページを読み聞かせる。スペイン語講師のフェルディナンドはテレビの仕事を辞め失業中。裕福なイタリア人のマリア(グラッツィエラ・ガルバーニ)と共にパーティに出席するために雇ったシッターはフェルディナンの元恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)だった。

パーティでは、男たちは自動車について、女たちはデオドラントについて、空虚な会話をひたすた繰り広げている。現実には未完となった『悪の華』の撮影を控えた米国人監督サミュエル・フラー(本人)とボードレールについて(通訳付きで)話を交わすが、退屈してひとりで先に帰宅し、マリアンヌを送って一夜を共にした翌朝、夥しい銃器が置かれ、OAS(極右秘密軍事組織)と壁に殴り書きされた彼女の部屋には刺殺された男の死体があった。

ゴダール監督作品で最も知られた今作は、1960年の長編デビュー作『勝手にしやがれ』から数えて10作目、1965年に公開されています。気難しい巨匠のイメージに反して生涯で50本近い映画を監督し、1970年頃までは年2本ペースで量産している。

パリからニースへ、盗んだ車を乗り換えながら破滅に向かう無謀な逃避行、という筋立ては単純ながら、出典が明示されるものもされないものも次から次へと繰り出される過去の映画、文芸、美術などの引用、突然のミュージカルシーン、奇妙な劇中劇、時系列の不自然な編集などから難解な印象が強い。ガソリンを入れる金も尽き、スタンドの店員を殺してしまうほど困窮してもなお、シーン毎に洒落た衣装に着替える主人公ふたり。

青と赤を基調とした原色の鮮烈な色調の中で、映画にとって、あるいはフィクションにとってリアリティとは何か? と繰り返し問い掛けられているような作品です。『007』シリーズや『ネヴァーエンディングストーリー』を愛好していた十代の僕にとって、全く経験の無い未知の方向からやってきた『気狂いピエロ』は、「わからない、でも、だからこそ知りたい」という妖しい魅力を放ち、「ストーリーはメッセージや教訓や感動や恐怖の伝達に全振りすべきで、その基盤にはリアリティが必要だ」という多数派の価値観がすべてではない、と教えてくれた作品でした。

ちなみに、ヌーヴェルヴァーグの作品群で一番好きだったのは、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962)、最も衝撃を受けたのはテレ東の大晦日深夜枠で観たアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)で、僕が観た1980年代には既に古典的名作でした。1960年代は2020年代の60年前。1980年代から見た60年前、1920年代の映画といえば『カリガリ博士』や『メトロポリス』などの無声映画。今回リマスター版で『気狂いピエロ』を観た10~20代の受け取り方が気になるところです。