「昔の心境なんてなかなか思い出せない。どんな気持ちだったか」。アメリカの国民的引きこもり詩人エミリ・ディキンソンの故郷マサチューセッツ州アマースト。雪の国道を運転しながらJ・マスキスが言う。
ハードコアとグランジの橋渡しをしたスリーピースバンド ダイナソーJr. の1983年の結成から約40年間を振り返るドキュメンタリーフィルムです。ソニック・ユースと並び米国オルタナティブロックの始祖と呼んでも差し支えない。1991年のメジャーデビュー盤 "Green Mind" と、ソロになったJが2000年にリリースした "More Light" は、僕の生涯ベストアルバムTOP40に必ず入ります。
Jは前身のハードコアパンクバンドDeep Woundではドラムを叩いていた。高校生のJは歯科医だった父親の運転でリハーサルやライブを往復した。そこにギタリストとして加わったルー・バーロウ。Deep Wound解散後、ドラムスのマーフが参加して、Jはギター、ルーはベースにコンバートし、ダイナソーが誕生する。
Jの才能が開花し、よりメロディックによりノイジーにサウンドを進化させ、ボストンだけでなくニューヨークにも進出してインディバンドとして成功を収めるが、ツアーのストレスからメンバー間の人間関係が悪化、メジャーデビュー寸前にルーがクビになる。その後、ドラッグと金銭問題でマーフも脱退し、1997年に解散する。
Jはヒッピーやドラッグが大嫌いでストレートエッジなハードコア。ヒッピーパンクを自称しマリファナを吸うマーフ。内向的で寡黙なルーが感情を露わにしたとき、バンドが崩壊した。VHSの洗い画質ではあるが、1980年代のライブ映像が多く残っており、ぬるい演奏に激高したJが本番中にルーに掴みかかりギターを捨ててステージを去る姿は衝撃でした。
インタビューに答える同世代のミュージシャンたち。「バンドは病んだ家族。独特の奇妙な習慣や儀式がある」というキム・ゴードン(ソニック・ユース)の慧眼。背後に小さなミラーボールが映っている。
フランク・ブラック(ピクシーズ)は、激しい身振り手振りで擬音を叫びながら「バンドは一体の大きな生き物、マーフは脚、Jが右腕でルーが左腕、大きな頭がJで小さな頭がルー」と異常なテンションでまくしたてる。胴体については言及されないが、それが音楽そのものであることは理解できます。
そして、2005年にオリジナルメンバーで再結成し現在に至る。2015年にNYで開催された30周年7DAYS公演の演奏の純度強度が半端なく、わだかまりを越えた先に純粋に音楽で結びついたのだな、と感慨深いものが。マイ・ブラディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズやヘンリー・ロリンズ(元ブラック・フラッグ)との共演もいい。
爆音上映とは謳っていませんが、かなりの大音量で、映画館の外の新宿の街の喧噪が遠いのがライブハウスから出たときに感じる静寂のようで懐かしくなる。
ちなみに、J・マスキスは僕と同じ1965年生まれ。他に同年生まれのミュージシャンは、Slash(Guns N'Roses)、Trent Reznor(Nine Inch Nails)、Dr. Dre、Björk、知久寿焼、奥田民生、ウルフルケイスケ、岡村靖幸、とヘッドライナー級が揃っていて自慢です。
ギター譜が掲載された日本語の雑誌、おそらくリットーミュージック社のGuitar Magazineのページが何度か映る。Jのギターを採譜しようなんて真面目なんだか酔狂なんだかわからないことを考えるのは日本人ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。
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