主人公ギア(ゲラ・カンデラキ)はオペラ座付きの管弦楽団のティンパニ奏者。遅刻常習犯で演奏の本番中に劇場を抜け出しナンパした娘を楽屋に待たせてエンディングの打楽器の出番になんとか間に合わせる。演奏が終わりデートをしようと楽屋に戻るが別の娘とダブルブッキングしており、更に先約の男友だちが救急車の助手席に乗って楽屋口に現れ、娘ふたりを置き去りにして男4人で街に繰り出す。
「時間が足りない。用事が山ほどある」「毎日かけずり回っている。でも結局なにもしていない」。自由気ままだが憎めない青年の最期の数日をソビエト連邦グルジア共和国(現ジョージア)の首都トビリシを舞台に描いたイオセリアーニ監督1970年の長編映画第二作は仏ヌーヴェルヴァーグの影響が色濃い。
テイムラズ・バクラゼの音楽が素晴らしい。ブルガリアンヴォイスにも似たミステリアスな響きのポリフォニーと呼ばれるジョージアの伝統的な多声合唱が物語の随所に織り込まれる。それも劇伴ではなく、登場人物たちの歌唱として。レストランで先輩に不義理を咎められ歌で誤魔化すギア。すると彼を責めていた男たちが精妙な和声を重ねる。歌が終わると隣のテーブルから大きな拍手が起こる。そのテーブルに呼ばれ初対面の男たちと見事にハモる「歌うつぐみ」そのもののギア。「おりました」と過去形なのが切ないです。
もうひとつ、仏ヌーヴェルヴァーグと異なるところはジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、ジャンヌ・モローのようなヒロインの不在か。社会主義国らしくこの時代としては女性の楽団員が多く、主人公ギアが街で声を掛けるのも若い娘たちなのですが、結局行動を共にするのは男ばかりで、女性登場人物の人格が掘り下げられることがない。当時のソ連邦における女性の扱いを反映しているのかもしれません。
時計の夥しい歯車の音、望遠鏡による覗き、窓、交通事故に群がる群衆など、のちのイオセリアーニ作品に登場するモチーフの原型が現れる。像劇というよりひとりの主人公にフォーカスした青春映画であり、その点においては主題を捉え易いと思います。
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