2023年2月5日日曜日

イニシェリン島の精霊


1923年4月1日、アイルランド本島を対岸に臨むイニシェリン島。零細酪農家のパードック(コリン・ファレル)はいつものように午後2時にフィドル奏者コルム(ブレンダン・グリーソン)の海辺の家を訪ねパブに誘うが、コルムは断る。

落胆したパードックは翌日、エイプリルフールの冗談だったのかとコルムに尋ねるが、残り少ない人生を思索と作曲に費やしたい、お前の退屈な話を聞く時間はない、とコルムは答える。

映画館で予告編を何度も観ていて、初老の男同士が仲違いし話しかけてきたら自分の指を切り落とすと脅す話は嫌だなあ、と思っていたのですが、新聞広告の「ロバがかわいい!」というコメントに思い切り惹かれて観に行きました。絶縁は冒頭数分で起こり、親友だった昨日までが描かれないことで、パードックの理不尽な感情を観客も共有する。対岸で時折響く内戦の爆発音を背景にした画面の緊迫感が終始尋常でなく、観ているこちらも映画が終わると、どっと疲れが出ました。

この映画で描かれるシチュエーションを寓話として捉えると、実に多面的な問題提起が含まれており、アイルランド内戦の比喩というだけでなく、現代を生きる自分自身に置き換えても考えさせられることが多々あります。友情とは無条件な正義なのか、他愛のない雑談は必要なのか。序盤こそ善良なパードックに共感し、孤立した兄に寄り添う聡明な妹シボーン(ケリー・コンドン)の存在に心温まるが、その思いも物語が進むにつれ覆されます。

冷静に考えればパードックの行いは、例えば受験を理由に恋人から別れを告げられ、それを受け入れられずにストーカー行為に及ぶがごとく傍迷惑なものなのだ。

一切無駄のない見事な脚本とアイリッシュの名優たちの熱演と目を瞠る美しい自然描写によっても拭い去れない後味の悪さ。守るべき島民を殴打する警察官(ゲイリー・ライドン)、ゴシップのために親書を盗み見る雑貨店主(ブリッド・ニー・ニーチテイン)、死神の鎌を掲げて現れるマコーミック夫人(シーラ・フリットン)。島の住民たちはどこかしらモラルのたがが外れている。

パードックが飼っているロバのジェニーが本当にかわいいのでそれだけは救いです。

 

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