2023年1月2日月曜日

ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY


1983年、合衆国ニュー・ジャージー州ニューアーク。20歳のホイットニー・エリザベス・ヒューストンナオミ・アッキー)は歌手である母シシー・ヒューストンタマラ・チュニー)の厳しいレッスンを受けている。両親は不仲で口論が絶えない。

ある真昼にストリートでロビン・クロフォードナフェッサ・ウィリアムズ)と出会って意気投合し、母のバックコーラスを務めるナイトクラブ Sweet Waters に誘う。アリスタレコード社長でプロデューサーのクライヴ・デイヴィススタンリー・トゥッチ)が客席にいることを知った母シシーは仮病を使いホイットニーにソロで歌わせ、才能を感じたクライヴは「OK。私のOKは契約と投資を意味する」と言う。

「手に入れた後でも愛には努力が必要」。類稀な美声と圧倒的な歌唱力で、人種、年齢、文化を超えて愛された1980年代を代表する歌姫ホイットニー・ヒューストンの48年の短過ぎる生涯を描いた。2018年公開の『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』は本人の映像と関係者の証言を編集したドキュメンタリー映画でしたが、本作は役者が演じています。

役者が演じている分、ドキュメンタリーでは証言のみで映像化されていなかったオフステージの姿がより鮮明に描かれており、序盤は同性の恋人ロビンとの生活、中盤はプロデューサーのクライヴ・デイヴィスとの信頼関係、終盤は結婚生活の破綻と薬物依存を軸に物語が進みます。

珠玉の名曲群の誕生の瞬間。自分で作詞作曲しなかったホイットニーがクライヴのもとに送られてくる数多のデモテープ(1990年代に入るとデモCD-R)をふたりでオフィスで聴き、自分が歌うことでどのように楽曲の魅力が増すかイメージして選曲する過程が繰り返し登場する。

契約のためにはじめてアリスタのオフィスを訪れたホイットニーはLEVI'Sのスウェットにストレートジーンズ。スーパーボウルの国家斉唱というアメリカ人歌手として最高栄誉の場においても、用意されたドレスを断り「私らしく」とジャージでグラウンドに立ち、史上最高と言われる「星条旗よ永遠に」を披露します。

レコーディングとライブのシーンではホイットニー本人の歌声が使用され、ナオミ・アッキーはリップシンクしています。会話中の鼻歌やレッスンシーン、仮歌的に軽く歌うシーンはナオミの声。なかなかの美声でミュージカルもイケるんじゃないでしょうか。

 

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