2019年2月11日月曜日

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

建国記念の日。TOHOシネマズシャンテダニー・ストロング監督作品『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を鑑賞しました。

1939年。ニューヨーク市立大学を中退した二十歳のジェローム・デイヴィッド・サリンジャーニコラス・ホルト)は、ストーククラブに入り浸り酒とナンパに明け暮れる無為な日々を送っていた。

精肉業で成功した厳格なユダヤ人の父に反対されながら、母親の支援を受けてコロンビア大学のクリエイティブライティングコースに再入学。担当教授ウィット・バーネットケビン・スペイシー)と出会う。

「作家の声が物語を圧倒すると、物語を乗っ取ってしまう」「作家に必要な第二の才能は不採用に耐えることだ」。若きサリンジャーの成長譚であるとともに、教師であり文芸誌の編集者であるウィットとの関係性、邂逅と薫陶、共感と確執に重点を置いて描いています。

ニューヨーカー誌に短編が載ることになり、いままで目もくれなかった劇作家ユージン・オニールの娘ウーナ(ゾーイ・ドゥイッチ)が急接近してくるが、徴兵されD-DAY(ノルマンディ上陸作戦)やアウシュビッツ強制収容所の解放など、凄絶な戦闘行動に従軍している間に30歳以上年上のチャーリー・チャップリンと結婚してしまう。泥まみれの塹壕で彼を唯一支えたのは、のちに『ライ麦畑でつかまえて』に結実するホールデン・コールフィールドの物語を綴ることだった。

『ライ麦畑』の成功により大戦後のセンシティブなアングリーヤングマン代表的な扱いを受け、東洋思想に嵌まった後半生の隠遁生活などからコミュ障でエキセントリックな印象が強いサリンジャーですが、『ミッドナイト・イン・パリ』のスコット・フィッツジェラルドフィリップ・シーモア・ホフマンが演じた『カポーティ』なんかと比べると「生きることの苦しみを偽ることなく伝えたい」と言うとてもまともな人。

十代の頃、20世紀アメリカ文学の金字塔ってことで『ライ麦畑でつかまえて』を読んで全然夢中になれなかったのですが、ニューヨーカー誌の編集長やベテラン編集者が「作家意識が前に出過ぎで読むのが疲れる」と言うのを聞いて、作品本来の意図とは逆の意味で、僕は独りじゃなかった、と思わせてくれる映画でした(『ナインストーリーズ』『フラニーとゾーイー』は好きです)。

 

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