春一番の翌日は曇り空。白木蓮の花が咲きました。土曜日の午後、ユナイテッドシネマ豊洲で矢口史靖監督作品『サバイバルファミリー』を観ました。
主人公(小日向文代)は中堅企業の経理部長、妻(深津絵里)と大学生の長男(泉澤祐希)、高校生の娘(葵わかな)の4人家族で中層マンションの10階に暮らしている。
ある朝目覚めたら、あらゆる電気製品が止まっていた。停電に加え、懐中電灯、スマホ、自動車など、電池駆動のものもすべて。徒歩で出勤するも仕事にならず会社も学校も自宅待機。1週間後、食糧は底をつき、自転車で妻の実家である鹿児島を目指す旅に出る。
一応はコメディ映画のイディオムに則ってはいるものの、腹の底から笑える箇所がほとんどないディストピア・パニック・ロードムービー。軽妙洒脱が売りの矢口監督作品としては演出が重たく、まるで山下敦弘監督の映画みたいにブルージィでオフビートな感覚です。
そのひとつの要素として「音」があると思います。電気が止まった都市はとても静かで、我々が普段いかに動力音や電子音に囲まれて暮しているかがよくわかります。それを強調するように、生活音や自転車の走行音などの人が立てる以外の音が徹底して排除され、サウンドトラックの弦楽アンサンブルが初めて画面に重なるのが、上映開始90分後。父親が自分たち以外の者を心配していることを告げる感動的なシーンです。
道中の救いは、時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志尊淳の一家。雑草や昆虫を採取しながら、派手なサイクルウェアでロードバイクを軽快に駆り、休憩時にはトランプやボードゲーム、どんなに困難な状況であっても、むしろその困難を楽しもうという。
そして、路上における人間の最大の敵は「水」だな。と思いました。飲料水が入手困難で渇きに苦しむ、雨に打たれ体温を奪われる、増水した川に流される。一方で、清潔な井戸水にありつけたとき、数か月ぶりに入浴できたとき。人を幸せにするのも「水」。テクノロジーの重要な一側面は水の力を制御することか。人間の70%は水でできている、と言いますが、まさしくそういうことなんでしょうね。
最後の最後にニュース映像として停電の原因が示唆されますが、あれはしないほうがよかった。意味の分からない強大な力(もしくは無力)に翻弄される家族の姿を描いた映画だし、渦中においては原因を探究する余裕すらないわけですから。
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