真夏日、晴天。東京メトロ東西線15000系に乗って竹橋へ。東京国立近代美術館で『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』を鑑賞しました。
存命中にこれだけの規模のレトロスペクティブが開催される詩人が今の日本に存在していること。教師や研究者、翻訳家、小説家、随筆家など、他の生業を持たずに、詩一本で暮している数少ない人。それが吉増さんだということに驚かされる。
僕の自宅近くのイオンに以前入っていたブレンズコーヒーで、いつも午前中に執筆していらして、休日に買い物に出かけるとご挨拶していた間柄なので、「その競技のことはよく知らないけれどご近所さんなので応援しています」的な気持ちがなきにしもあらずなのです。本当は同業者なのですが。。
「声ノート」の展示が特に印象に残りました。暗い部屋の中央に2列で並べられた、ゆうに1000本以上はあると思われるカセットテープ。民謡や相撲甚句、落語、ジャズ、ポップミュージック、歌謡曲、イタコの口寄せ。最も本数が多いのがメモがわりに自らの声を吹き込んだテープ。今ならスマホのボイスメモを使うところですね。
天井から十数基の小型スピーカーが等間隔に吊るされており、その先に別々のポータブルカセットレコーダーがつながっている。スピーカーの真下に立つとレコーダーに語りかける吉増さんの言葉が聴こえ、位置を外れると、意味を失った複数の声が、まるで群れをなす蛙の鳴き声のように響き合って聞こえる。
1990年代以降の作品は、手稿の判読すら困難で、意味や物語ではなく感応そのものを表現しているように思えます。大詩人(例えばエリオットとかオーデンとか)といって想像されるような「ばーん!」「どかん!」「ドヤァ!」みたいな詩ではなく、小鳥のさえずりみたいな詩。吉増さんの声自体も、コアのない、どちらかといえば不安定で、か細い声です。それがこれだけリスペクトされているということ自体、とても日本的なのかもしれません。
僕が以前編集スタッフをしていたポエトリーリーディング情報のフリーペーパー "TOKYO READING PRESS" で2007年に行ったインタビューが図録に掲載されています。小森岳史と僕がインタビュアー、発行人の斉木博司が撮影を担当した、みぞれ降る午後、銀座伊東屋の喫茶スペースで、2時間超の刺激的な時間。あちこちに飛びまくる話を苦労して掲載原稿にまとめたのを思い出します。
展示は8月7日(日)まで。入館しなくてもミュージアムショップには無料で入れますので、図録だけでも是非お手に取ってご覧ください。P.202に載っています。
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