1934年スウェーデンの首都ストックホルム。イタリアの劇作家ルイジ・ピランデッロのノーベル文学賞授賞式のニュース映像から映画は始まります。白く広い部屋にドアを開けて入って来る2人の少年と1人の少女。父の横たわる病床に近づくにつれ3人は青年から壮年、初老の外見に変わる。
「遺体はなるべく質素な霊柩車に乗せ、火葬した遺灰は散骨し身体の一部分でも残さないように。それができないときは故郷シチリアの岩石に閉じ込めること」という遺言を残しピランデッロは1936年に亡くなるが、ムッソリーニは遺言に反しファシスト流の豪奢な葬儀を上げ、遺灰はローマに埋葬される。
第二次世界大戦の終結、独裁政権の崩壊により、ピランデッロの遺灰は故郷へ帰されることになる。その任に就いたのがアグリジェント市の特使(ファブリツィオ・フェラカーネ)だった。ローマからシチリア島へ。ドタバタ珍道中がモノクロ画面で美しく描写される。遺言に従い、彫刻家が巨石に穴を穿つまで15年間を費やし、墓穴から溢れた遺灰を特使が海に撒くと画面は深い海のブルーに彩られる。
ここまでが約60分。残り30分はNY市ブルックリンのイタリア系移民の少年(マッテオ・ピッティルーティ)を主人公にしたピランデッロの遺作小戯曲『釘』の映画化。同監督による2本立て上映とも捉えられるが、エンドロールがひとつなので合わせて1本の作品と考えられ、映画の構成としては明らかにバランスを欠いています。しかしながら、例えば夏目漱石の『こころ』の破綻した構成のように、アンバランスさが強い引力を持つことがある。
ヴィットリオとパオロのタヴィアーニ兄弟の監督作品といえば『カオス シチリア物語』(1984)がまず挙がるだろう。同作の破調に詩情を感じ、当時夢中になって繰り返し観ました。2018年に兄ヴィットリオが亡くなり、91歳になった弟パオロが撮った『遺灰は語る』もまた同様に、夢のような映画です。
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