モダンジャズの名門レーベル「ブルーノート」は、アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフというふたりのユダヤ系ドイツ人によってニューヨークで始まった。1939年の会社創立から1965年の売却まで、ライオン&ウルフにフォーカスしたドキュメンタリーフィルムです。
1925年、ヨーロッパ巡業中のSam Wooding & His Chocolate Dandiesをベルリンの劇場で観て十代のアルフレッドはジャズに出会い、幼馴染のカメラ少年フランシスとともに劇場やホールに忍び込んでむさぼり聴く。
ヒトラーが政権を握り、ユダヤ人迫害から逃れ、1937年にアルフレッドはニューヨークに渡る。だがそこは夢に描いていたジャズの楽園ではなかった。ジャズはrace musicと呼ばれて蔑まれ、黒人たちは貧困と暴力と人種差別に苦しんでいた。
翌1938年、ジョン・ハモンドがカーネギーホールで開催したフェス"From Spiritual To Swing"で聴いたAlbert AmmonsとMeade "Lux" Lewis、二人のピアニストにアルフレッドがレコーディングをオファーしたのがブルーノートのはじまり。
フランシスがアルフレッドを頼ってニューヨークに辿り着いたのは1939年。ナチスドイツの猛威に対して国際社会は国境を封鎖、フランシスが乗ったのがハンブルグ港を出航した最後の渡米船だった。
プロデューサーのアルフレッドがミュージシャンに要求したのはただ一点「もっとシュウィーングさせて」。生涯ドイツ訛りが抜けず、スウィングがシュウィーングと聞こえたと複数のミュージシャンが微笑ましく答えています。
アルフレッド・ライオンが演奏家たちに自由を与える一方、レコーディングエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーの精緻でクリアなサウンドメイキング、フランシス・ウルフのモノクロ写真とリード・マイルスのグラフィックによる圧倒的にクールなパッケージデザイン、4人の白人たちがブランディングの成功を導いた。
アレフレッドの最初の妻ロレインが後にヴィレッジヴァンガード(名古屋の書店ではなくNYのジャズクラブのほう)のオーナーになるんですね。出演する女性ミュージシャンはシーラ・ジョーダンのみ。映画館の客席も60~70代男性ばかりなのは、当時のジャズ界のミソジニー的な空気を反映しているのでしょう。
当時を知り存命中のミュージシャンが限られているので、インタビューの顔ぶれは、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ルー・ドナルドソン、ロン・カーター、『ジョン・コルトレーン/チェイシング・トレーン』とほぼ重複。ソニー・ロリンズはこっちでも真っ赤なサテンのシャツでキメている(帽子は白い)。当時の動画が存在しない部分は本人たちのインタビュー音声とカクカクした動きのアニメーションで補完されています。
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