「この星では嘘をついたら死んじゃうから、嘘をついたら絶対いけないって言われてるんだって」という西田夏奈子さんの科白から始まる受難曲。
ステージ上には15人。1727年にライプツィヒの聖トーマス教会において初演されたヨハン・セバスチャン・バッハの『マタイ受難曲』をshezooさんがアレンジした楽曲群は、2021と銘打たれているとおり、古楽器による正統的なバロック演奏でも、モダンクラシカルでもなく、ピアノ、シンセサイザー、ヴァイオリン、フルート、バンドリン、クラリネット、サックス、チューバで演奏され、ソリストは女声4人、エヴァンゲリスト(福音史家)のレチタティーボは2人の女優による語りに置き換えられ、コラールはボーカロイドです。
演奏は、基本的にはバロックのタイム感に誠実なものですが、二部冒頭の2つのアリアでは、テナーサックスの田中邦和さんとクラリネットの土井徳浩さんのジャジーなオブリガートが変化をつけていました。アリアの前には歌詞の一節が日本語で朗読され、ジャズやラテン、ボッサ、ワールドミュージックの歌い手である4人のソリストの個性の違いも楽しめました。
マタイ福音書に描かれたイエス・キリスト最期の2日間(歌詞はルター訳の独語)をベースに、エヴァンゲリストの語りはコロナ禍を映した現代の隔絶された人間関係とフェイクニュースに翻弄される社会へ改編が加えられているが、「人は嘘をつく」というサブタイトルにあるように、信仰と裏切りという二千年の時を超えた普遍の主題に貫かれている。
音楽は人を癒やすというが果たしてそうなのか。そもそも2020年、そして2021年は人類にとって受難の季節である。2時間半かけて全曲の演奏が終わって、しばらくの余韻ののちに舞台後方のブラインドが開き、日没直後の東京湾が眼下に拡がるのを見たとき、都市の夜景を美しく感じる気持ちがあれば大丈夫、と根拠もなく思えたのです。
20代で聴いたパブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲に始まり、代表的な器楽曲は一通り聴いてきたヨハン・セバスチャン・バッハ。宗教曲、カンタータは老後の楽しみに取っておこうと思っていたのですが、夏奈子さんに導かれ、すこし早めに扉を開くことができました。どうもありがとうございます。
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