正月3日の中央線は点検で20分遅れでもガラ空き。ユジク阿佐ヶ谷でチャン・ヤン監督の『ラサへの歩き方~祈りの2400km』を観ました。
チベット自治区の最東端、雲南省と四川省に隣接したマルカム県プラは放牧の村、険しい雪山の谷間の集落です。兄を亡くした老人がチベット仏教の聖地ラサに巡礼に行きたいと言う。厄を落としたい、生れてくる子供を祝福したい、それぞれの理由を持つ同行者が増え、総勢11名でラサへ、そして聖峰カイラス山へ、片道2400 km、1年間の旅を描くロードムービーです。
昨夏渋谷シアターイメージフォーラムの上映を見逃していたこの映画。2011年 "Doors close soon after the melody ends" という詩を書くときに、鳥葬の文献を当たっていて、ラサ巡礼と五体投地についての知識は持っていたのですが、読むと観るとではだいぶ異なります。
五体投地というのは、頭上、顔前、胸の前、3回合掌してからうつ伏せになって、両手両足と額を地面に着け、頭上で合掌して立ち上がる。それを繰り返して進んでいくわけです。尺取虫的なものを想像していたのですが、実際にはヘッドスライディングに近い。両手に装着した板でアスファルトを滑って進む感じです。前半身を保護するために着ける厚い皮革製のエプロンもスニーカーのつま先もあっという間にボロボロになる。
「巡礼とは他者のために祈ることだ」。五体投地とは祈りそのものであり、全行程においてこれを遂行することこそが巡礼の目的なのです。基本テントで自炊、それらを積んだトラクターが先導します。事故で車軸が折れると荷台を押して進むのですが、進んだ分戻って五体投地し直す。冠水した道路も泥濘も砂利道も五体投地で進む。とはいえ、スマホで故郷の家族と会話もしますし、怪我人が出れば無理せずに数日休み、資金が底をついたら日雇い仕事をします。
僕自身は宗教法人に金銭を落としたくないという理由で、もうかれこれ30年以上おみくじを引いたり賽銭を投じるということをしていないハードコアな無神論者ですが、祈りを中心とした生活や信仰に一点の疑いも持たない彼らの生き方には、ひと回りしてシンパシーを感じました。
冬に出発した11人に満開の桜や一面の菜の花が春を告げる光の明るさ、トルチョ(5色旗)のたなびく荒涼とした山道、真っ白で壮大な雪山。読経以外の音楽もナレーションも一切挿入しないストイックな演出が人々と風景の美しさを更に際立たせます。
鳥葬は、遺体を包む純白の布と3人のチベット医僧の読経と禿鷲の飛翔により暗示されるのみです。おそらく中国政府当局の検閲が入っているのでしょう。4/4拍子主体で直線的な日本の読経と比較して、チベット経典のリーディングは6/8、5/8拍子の円環をイメージさせるドラッギィなビートが心地良いです。
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