二部構成のワンマンライブの前半は即興中心のセット。深めのリバーブをかけた無調性のピチカートのループからスタートし、そこにポルタメント、スラーを多用したロングトーンが幾層にも重なり響く "Yellow Boys" からサンプルディレイによる二声のフーガがまどろみを呼ぶ "Parade 2"、そしてtriolaが大文字のTRIOLAになってから長いイントロダクションが加えられた三拍子のタンゴ「雨」へ。いずれも10分を超える長尺アンビエントナンバーでした。
短いインターバルを挟んで後半は強いビートを持つ楽曲を矢継ぎ早に繰り出す。ビートといっても打楽器やベースが入るわけではありませんが、9本の弦と2本の弓が生み出す律動性はやはりビートとしか呼びようのないもの。
2016年の再起動後に創られた作品には表題がなく "tr6"、"tr8" とナンバリングされていますが、その印象のまま抽象化/記号化されたパルスと小刻みにゆらぐ調性を持つ音楽は他にはないものだと思います。
波多野さんのヴィオラのメランコリックな肉声と長調も短調も適切に輝かせる杏さんのヴァイオリンの音色の重なり合いの妙。特に最近書かれた等拍のリフレインにきらめく旋律の断片が絡む "tr10"、"tr11"、"tr14" など2桁の楽曲群のテクノ/エレクトロニカの影響を感じさせる緻密なスコアを自らカッターナイフで切り刻むような生々しい演奏は新生TRIOLAの真骨頂か。
木箱のようなleteと小さな木箱でもあるヴァイオリンとヴィオラの共鳴。不協和音。表層的な意味ではなくコアの部分で「美しくあろうとする意志の強さ」そのものを実体化したような音楽が現在のTRIOLAなのだと僕は感じています。
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