2024年11月14日木曜日

Chimin Live @yummy

曇天。高円寺yummyへ。Chiminさんのライブに行きました。8月の吉祥寺Stringsに続き、昨年音楽活動再開後2度目のワンマンライブです。

1曲目はStringsと同じ「チョコレート」。客電が落ちるとカフェとしては暗い客席、開場直後に着いて案内された最前列で、音楽に集中することができました。2曲目サンバのリズムの「残る人」では、間奏の加藤エレナさんのピアノの二拍三連に井上 "JUJU" ヒロシさんがフルートのスタッカートで応え、達人同士の呼吸に痺れる。

「本当はずっと黙っていたい、静かにしていたい人なんやけど」というChiminさんではありますが、めずらしく楽曲毎に作った当時の環境や思いをMCで添えてくれて、今夜はお喋りしたい気持ちだったのかも。お店のアップライトピアノは微かにホンキートンク気味で味わいがあり、Chiminさんのサポートではフルートやソプラノサックスを吹くことが多いJUJUさんのテナーサックスの低音がよく合う。

最近セットリストに入ることが多いフォークルの「悲しくてやりきれない」で6曲の1stセットを終えてインターバルへ。Chiminさんは前半すこしファルセットが出しづらそうに見えました。逆に地声は普段以上によく響いていたのでコントラストからそう感じたのかもしれません。声量の落ちるところをJUJUさんの演奏が優しくカバーしているように聞こえました。

2ndセットは4ビートのブルーズ「茶の味」から。「まるで昔のことのように」の直線的な唱法が新鮮です。アンコールの「世界」まで全13曲のステージからはいつも以上に熱を感じたのと同時に、僕には既に完成しているように聴こえるChiminさんの音楽が、実は毎回が新しく、変化の過程にあるんだな、と思いました。次回12月の吉祥寺Stringsのライブもとても楽しみです。

 

2024年11月9日土曜日

夜の庭 -jardin à nuit-

秋晴れ。文京区目白台の肥後細川庭園松聲閣で『Pricilla Label présente 詩の朗読会 夜の庭 -jardin à nuit-』を主催し、出演しました。ご来場のお客様、肥後細川庭園松聲閣さん、小夜さん、石渡紀美さん、どうもありがとうございました。

僕が代表者を務めるインディーズ出版社Pricilla Labelから詩集を出している石渡紀美さんが1か月間フランスに滞在すると聞いて、帰国直後にライブをしたいと思い、同じくプリシラから朗読CDをリリースしている小夜さんにもお声掛けしました。帰国ライブなので和テイストの会場がよく、昭和の終わりから平成初期の5年間近くに住んでいたことがある日本庭園の大正時代の建築を思い出しました。

秋の日はつるべ落とし。すっかり暗くなった夜の庭園を背にした縁側で朗読しているとガラス越しに時折ししおどしの音が聞こえます。

3. 十一月の話をしよう
4. 十一月(Universal Boardwalkより)
5. 十一月、ブラームスを聴く詩人(石渡紀美)

僕は以上6篇に加え、小夜さんとライブ当日の午前0時半まで巻いていた連詩「夜の庭」を朗読しました。連詩をふたりで交互に読み、小夜さんに交代しました。十四畳の会場にマイクを通さない肉声がほどよく響き、小夜さんの言葉が息づかいを伴ってよく伝わっているのが、客席最後列で聴いていてわかりました。CD『無題/小夜』収録の初期作品「放課後のあとの即興詩」が久しぶり聴けてうれしかった。

2016年11月のライブ『fall into winter 2』で小夜さんと石渡紀美さんが共作した同題の連詩を挟んで、石渡紀美さんが座布団に正座して朗読しました。パリの夜の情景を描いた「ル・ボン・マルシェ、グラン・マガザン・フランセ」、11歳になる第二子の反抗期に対する多面的な心境を綴った「この嵐を抜けたら大人になってしまう君へ」はアンケートでも多くのオーディエンスの印象に残ったようです。

最後は2019年10月工房ムジカ『こんなはずでしたⅢ』で小夜さんがトリオ編成にアレンジしてくれた僕の「風の通り道」を三人で。

ひりひりするようなアウェーも、ひとりで背負うワンマンの重みも好きですが、信頼できる仲間とひとつの場を作り上げる今回のようなライブもいいものです。公共の会場の制約でフリーライブにしたことで、お客様の参加のハードルも下がり、演者側もいい意味で力みのないライブができたと思います。

このあと、11/24(日)3K17、12/1(日)NAKED SONGS vol.14とライブ出演が続き、12/28(土)はさいとういんこさんと下高井戸で年末恒例の二人会、来年1/12(日)にはノラバー生うたコンサート&デザートミュージック(ワンマン)が控えています。よきタイミングのものがございましたら是非お越しください。

 

2024年10月26日土曜日

FLOWER SPELLS

曇天。原宿Atelier MITULLEで開催のイラストレーター兎月結花さんとシンガーソングライターmandimimiさんによる12ヶ月の花言葉を目&耳で楽しむ展示会『FLOWER SPELLS』にお邪魔しました。mandimimiさんのお誕生日の8/31~9/1に当初開催を予定していたものが台風接近により延期され今回あらためて開催となりました。

原宿キャットストリートのヴィンテージアパートメントの急な階段を上った3階にそのギャラリーはあります。昭和の木造建築ですが、小花柄の壁紙やタイルの床、ネオン管のピンクに彩られ、キュートでガーリィな雰囲気。出迎えてくれたmandimimiさんは子猫柄のドレスです。

玄関ドアの右手壁に展示されているのが、1月デイジーのイラストレーション。入口左手の洗面台は古い真鍮の蛇口の周りにカラフルな小瓶が飾られている。

兎月結花さん(左利き)の今回の展示作品は、水彩画、アクリル、ペン画、刺繍、写真、コラージュ、ガラス瓶に入れた立体と表現手法が多彩。淡い色調ながら、かわいいだけではない、ソリッドな筆致も持つ作家さんです。

僕の知る限り2017年頃からmandimimiさんがひとつずつ積み重ねてきた12ヶ月の花と花言葉をモチーフにした楽曲群 "FLOWER SPELLS"が揃ったのは大変よろこばしいこと。その12曲を聴いた兎月結花さんが12点のアート作品に落とし込んでいます。

各曲のQRコードをスマートフォンに読み込んで各々持参したイヤホンで再生しながら、アート作品を鑑賞するという趣向ですが、僕が会場に伺ったのがたまたまお客様が多い時間帯で、それでは1曲ずつ歌いながらガイドツアーをしましょう、ということになり、ひと月ごとに楽曲と作品の成り立ちのコメントつきで12曲のキーフレーズをご本人がアカペラで歌ってくださいました。薄いカーテンを風が膨らませ、鳥のさえずりが聞こえる、小さな会場内の1~2mの至近距離で生の歌声を聴く幸運で贅沢で優しい時間をありがとうございました。

 

2024年10月25日金曜日

国境ナイトクルージング

にわか雨。アンソニー・チェン監督作品『国境ナイトクルージング』を観ました。

凍てついた川の厚い氷をチェーンソーで切り出し流す男たちの頭上には鉄橋が掛かり列車が通り過ぎる。

朝鮮民族式の披露宴の会場に氷を噛み砕く音が響く。噛んでいるのは上海の金融エリート社員ハオファン(リウ・ハオラン)、結婚式に出席するため中国と北朝鮮の国境の町、延吉に来た。心療内科の予約をすっぽかして何度も電話が来るが無視する。

翌日、ハオファンは延吉の観光バスツアーに一人で参加し、スマートフォンを紛失する。ガイドのナナ(チョウ・ドンユイ)は「会社にクレームを入れないで」と現金を渡してハオファンを食事に誘い、ナナに片思いしている料理人シャオ(チュー・チューシャオ)がナナを誘った店に同席させる。泥酔した三人はナナの部屋に泊まり、目覚めたときは1日1本しかない上海便には間に合わない時間だった。そして三人の無軌道なクルージングが始まる。

ナナは足首の大怪我で五輪をあきらめた元フィギュアスケーター。『負けヒロインが多すぎる!』の八奈見杏菜の名台詞「女の子は二種類に分けられるの。幼馴染か、泥棒猫か」を本作の男子に置き換えると、シャオが幼馴染でハオファンが泥棒猫。報われることがなくても健気で無邪気でちょっといい加減なシャオが、ナナとハオファンの無表情をすこしずつ崩していく。だが青春は有限、それぞれの現実に帰る時が来る。

アンソニー・チェン監督はシンガポール出身で香港在住。南国で生まれ育った監督は『燃冬 The Breaking Ice』という原題の本作で、冒頭の凍結した川や氷の迷路、雪道、辿りつけない長白山の天池によって中国の若い世代の閉塞感を、それらを割り、踏み越えていくさまに未来を照らす仄かな光を、象徴的に表現しています。

 

2024年10月20日日曜日

More...

秋晴れ。下北沢DAISY BARで開催されたTHE ANDS主催イベント3マンライブ『More...』に行きました。

オルタナティブ/ポストロックバンドTHE ANDSがリスペクトしているお気に入りのミュージシャンを招いて不定期で開催しているライブイベントです。

一番手はCUICUI。デビュー曲「彼はウィルコを聴いている」から始まり、ココ・シャネルを歌った「皆殺しの天使」で終わる。挟まれた楽曲群が、CUICUIで一番強い(ワンマンライブのMCより)「ゆびさしちゃん」、NIRVANAオマージュの「真夜中のラブレター現象」、ハードトランスナンバー「信号はいつも赤」に、80's POPな新曲「悪魔的にロマンティック」とみんな大好き「サマーガールニッポン」。激烈な爆音の中に抒情性を滲ませるTHE ANDSの音楽性に絶妙に寄り添ったセットリストでした。

ソングライターERIE-GAGA様、ベースAYUMIBAMBIさん、ドラムスRuì Suì Liuさんのトリプルボーカル、ギターMAKI ENOSHIMAさんジャズマスターはいつものブラウンサンバーストではなくミントブルーでリアをハムバッカーにカスタムした太い音。笑顔で楽しげに演奏する姿は4人全員が主役で、現在のバランスの拮抗と変わらぬフレッシュネスを感じます。

さめざめwithバナナとドーナツは、ボーカル笛田サオリさんのキャラが立ち「渋谷」「東新宿」と実在の地名を歌うのは椎名林檎的ですが、声質や唱法にはむしろ小泉今日子みを感じます。ツインテールのギタリストりなぱるさんがリラックマ仕様のピンクのZO-3マーシャルに挿しているのがぶっ飛んでいて、一周してロックだなあ、と思いました。

本日の主催バンドTHE ANDSは2017年2月の『CUICUIのUIJIN 〜 キューでキュイキュイ』、CUICUIのデビューライブのゲストでした。スリーピースの轟音シューゲイザーサウンドは更に厚みを増した気がする。リズムに対する姿勢がイノべーティブで、エイトビートの可能性を追求しているのがダイレクトに伝わってくるのが素晴らしかったです。

 

2024年10月18日金曜日

ECMレコード サウンズ&サイレンス

霧雨。ヒューマントラストシネマ渋谷ペーター・グイヤーノルベルト・ビドメール監督作品『ECMレコード サウンズ&サイレンス』を観ました。

白い部屋で脚を組んで椅子に腰掛け、疲れたように目尻を指で押さえている白髪の男がマンフレート・アイヒャー。1969年に西独ミュンヘンで創業したレコード会社ECM(Editon of Contemporary Music)の創業者で音楽プロデューサーである。

風景が認識できないほどのハイスピードで過ぎていく車窓にキース・ジャレット静謐なピアノが重なり、舞台はエストニアの首都タニンへ。聖ニコラス教会の礼拝堂で現代音楽家アルヴォ・ペルトの弦楽合奏と合唱によるミニマルな宗教曲のレコーディング風景を映す。アイヒャーと作曲者ペルトは演奏の解釈と音響の確認のため、指揮者トヌ・カリユステをしばしば止める。

ECMはジャズから出発したレコードレーベルだが、現代音楽や東欧、中東、南米、アフリカの民族音楽にも対象を広げ、各ジャンルでクオリティの高い作品を制作している。そのブランドを一代で築き、現在もほとんどの作品をプロデュースしているドイツ人マンフレート・アイヒャーを主軸にECMから作品を発表しているミュージシャンたちをフィーチャーした2009年制作のドキュメンタリーフィルムです。

「音の輝きが何より重要だ」というアイヒャーの音作りは、クリアな音色とエレガントな残響がアイコンとなっておりアートワークもクールでスタイリッシュ。創業時は、ノイズ混じりのAMラジオのモノラル音源こそジャズという米国音楽のステレオタイプに対する欧州からのカウンターアクションだったのかもしれません。金太郎飴的な要素もあるが、支持者も多い。

話題は録音に留まらず、チュニジアのウード奏者アヌアル・ブラヒムレバノン侵攻(2006)を憂い、アルゼンチン出身のバンドネオン奏者ディノ・サルーシは祖国の酒場で旧友たちが奏でるタンゴをアイヒャーと踊り、その神髄を伝えようとする。

出演しているミュージシャンは2000年以降にECMでレコーディングしている者が中心で、ジャズにカテゴライズできるのはドイツ人ピアニストのニック・ベルチュぐらいか。キース・ジャレットパット・メセニーの制作秘話を期待するとコレジャナイ感があると思いますが、近年アルヴォ・ペルトに着目していたこともあって僕は楽しめました。シンプルに音の響きの面白さで言えばNY出身の打楽器奏者マリリン・マズールが最高です。

 

2024年10月14日月曜日

画家ボナール ピエールとマルト

10月の夏日。シネスイッチ銀座マルタン・プロボ監督作品『画家ボナール  ピエールとマルト』を観ました。

1893年パリ。26歳の売れない画家ピエール(バンサン・マケーニュ)のアパルトマン、路上でスカウトした造花店員(セシル・ドゥ・フランス)がコルセット姿でポーズをとる。画家の求めに応じて乳房を出すが、しばらくして「じっとしているのに飽きた」と言って勝手に帰ろうとし、引き留めたピエールと身体の関係を持つものの性交の最中に激しい喘息の発作を起こす。

翌日、勤め先の造花の花束を持ってアトリエを訪ね、イタリアの没落貴族の末裔マルト・ド・メリニーと名乗り、両親は死んで身寄りがないと言う。「絵画とは小さな嘘をいくつも重ねて大きな真実を作ることである」。印象派とキュビズムの架け橋となったナビ派の画家ピエール・ボナールと妻マルトの出会いから1942年の死別までの50年間を実名で描いた史実に基づくフィクションです。

1925年に入籍するまで、内縁の夫に30年以上本名を明かさず、上記の自己紹介も嘘、一日の大半を浴槽で過ごした、そしてボナールは入浴する妻を生涯描いた、という伝説的なマルト像は僕にとっては長年の謎でした。映画を観ると、確かに感情的に不安定なところはありますが、家事をしっかりやっているし、友人が訪ねて来れば心からもてなします。入浴も呼吸器疾患の当時の療法のひとつだった。若い金髪の画学生ルネ(ステイシー・マーティン)への嫉妬の苦しみを跳ねのけるように自らも絵筆をとる。案外ちゃんとしているというか、むしろ才能豊かな女性だったんだな、と思いました。

雪の翌朝ナビ派展に向かう黒衣の男たちの俯瞰ショット、郊外の川べりの美しくのどかな風景、脚本も演出も撮影も音楽も瑞々しく小気味よく、芝居は重厚でみな達者。派手さはないですが、これから長く愛好される作品になるのではないでしょうか。

ジヴェルニーからセーヌ川をボートを漕いでボナールとマルトの川べりの家マ・ルロットを訪ねてくる大先輩画家クロード・モネアンドレ・マルコン)がとてつもなくスイートでジェントル。芸術家たちのパトロンでありファム・ファタールであるミシア(アヌーク・グランベール)の印象は『ボレロ 永遠の旋律』とはかなり異なり、オタサーの姫というかサークルクラッシャーというか。その口からこぼれる、画家たちはもちろん、音楽家ラヴェルサティ、象徴派詩人ヴェルレーヌたちとのエピソードを聞くにつれ、前世紀初頭の絢爛たるパリのサロンを覗き見するような楽しさも感じました。