2025年5月5日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ③

こどもの日。クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」の3日目、最終日は午後の3公演を鑑賞しました。

■公演番号:323〈「四季」世界一周〉 
ホールC(サン・マルコ)13:45~14:45
水野斗希(Cb)

3日連続でハンソン四重奏団。ソリストとコントラバスが加わったアンサンブルは、日本語が堪能なアントン・ハンソン氏の「今日のプログラムは色々な曲が入っていますけど、拍手のほうはいつでもご自由に」というMCで始まる、ヴェネツィアの春、パリの夏、ブダペストの秋、ニューヨークの冬を巡る旅という趣向。勢いのあるインテンポの縦ノリで若さ溢れる演奏は、23歳長身のルカのヴァイオリンが表情豊かです。アンコールはカザルスで有名なカタルーニャ民謡「鳥の歌」でした。

■公演番号:345
ホールG409(シェーンブルン)17:30~18:15

2018年2024年のLFJでも現代曲を聴いたシャルリエ氏のバロックに興味深々だったのですが、20世紀ノルウェーの作曲家ヨハン・ハルヴォルセンはかなり自由にアレンジしており、実質ヘンデルの主題による変奏曲。曲が進むにつれ破調するスリリングな展開でした。ラヴェルのソナタはドビュッシーの追悼曲とは思えないミニマルミュージックの先駆型であり、無調性に踏み込んでいる。ダブルアンコールのエルヴィン・シュルホフジンガレスカもミニマルです。

■公演番号:336〈1972年・インドネシア
ホールD7(セント・ポール)19:30~20:15
北村朋幹(Pf)
ジョラスソナタのためのB</div>

1972年にフランスのTVドキュメンタリー番組でバリ島を訪れた3人の作曲家のピアノ曲集。ノイズの奔流と一瞬の静寂。ガムランの影響は言われてみればという程度で、音楽とは何か、音とは何かを問い直す50年前の前衛を現在どう聴くかと問われているような体験。肘による打鍵はフリージャズでも行われるが、違うのは楽譜の存在か。譜めくり係を置かずピアニスト自らがめくるのだが、めくり方に過剰な緩急があり、それはおそらく譜面に記載されていない。楽譜とは、という問いにもつながる。

北村朋幹氏は靴を履いていないが靴下は履いている。轟音の内にいくつもの疑問符が交錯し、祭りの終わりの寂寥感を吹き飛ばされる爽快さ。アンコールのバルトーク「バリ島から」はただただ美しかったです。

 

2025年5月4日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ②

みどりの日。今日も東京メトロ有楽町線で、東京国際フォーラムへ。クラシック音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」、2日目は公演2本を聴きました。

ホールC(サン・マルコ)10:00~10:50

朝から牛たん定食みたいな感じの重量級のプログラムをフランスのベテランが漲るテンションで汗を拭き拭き弾き切りました。ギィ氏の「悲愴」の緩徐楽章の洒脱さはドイツや東欧のピアニストにはないテイスト。5楽章からなるブラームスの第3番は、感傷的な旋律を持つ2~3楽章にうっとり、第4楽章の壊れながら疾走するワルツは、世紀末ウィーンの混沌としたダンスフロアを想起させると同時に、ロマン派を自ら終わらせ、印象派に橋渡しをしているように聴こえました。

ホールC(サン・マルコ)16:00~16:45

こういうレア曲が聴けるのはこのフェスならでは。僕も生演奏は初めて聴きました。エルネスト・ショーソンは、フォーレより若くてドビュッシーよりは年上、フランクの弟子筋らしい浮遊感のある和声と途切れなく流れる旋律が持ち味。昨日も聴いたハンソン四重奏団に貴公子ジェニエとベテラン刑事の風貌のシャルリエが加わるが、曲調としては弦楽四重奏の伴奏付ヴァイオリン・ソナタ(時折四重奏に主役が交代する)といった風情。4~6人編成ぐらいが、ビジュアル面も含めアンサンブルの妙味がわかりやすくて楽しいです。

2公演の間にホールB5(アンドラージ)で、井上さつき氏による無料講演会「パリ万博からみた音楽史」を聴講しました。1855年から1937年の間にパリで6回開催された万国博覧会が音楽界に与えた影響の研究で、1889年の回でジャワ村におけるガムラン演奏と舞踊がドビュッシーやラヴェルら印象派の作曲家に衝撃を与えたのが主眼と思われますが、1867年開催時に当時新進気鋭のサン=サーンスを晴れ舞台からはじき出した最晩年のロッシーニの無邪気な老害ぶりに爆笑しました。

 

2025年5月3日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ①

憲法記念の日。東京国際フォーラムで毎年5月の連休に開催されるクラシック音楽フェス「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」が今年も始まりました。

2025年のテーマは "Mémoires"(メモワール)-音楽の時空旅行-、音楽史上で重要な役割を果たした都市にフォーカスしたプログラム構成になっています。

3日間の祭典の初日は有料公演を2つ鑑賞しました。

■公演番号:132 ホールD7(セント・ポール)11:30~12:30

2023年LFJでベートーヴェンを3曲聴き、今年も楽しみにしていました。日英ハーフ1人とフランス人が3人(うちヴィオラのガブリエルは女子)という若きカルテットです。モーツァルトはシモンのチェロの通奏低音がエレガント、一転してベートーヴェンはチェロにより高度な役割を与えています。

作曲されたのは1785年と1806年。わずか20年の間に和声も奏法もまるで異なる。大きなイノベーションが起こったわけですが、Heartbreak HotelAnarchy in the U.K.の間も20年ですから、それぐらいの違いは当然と言えば当然ですね。

ホールC(サン・マルコ)14:15~15:20
ヤン・ヤン(指揮)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

アジア・オーケストラ・ウィークにも以前出演していた中国のオケです。弦楽器の響きが綺麗で、アジアのオケが比較的苦手とする木管も安定してレベルが高い。ヤン・ヤン氏の指揮は、針の穴に糸を通すような精妙な弱音と飛ばすところは豪快にかっ飛ばすダイナミズムがあり、シューベルトの双極性障害っぽい楽曲にベストマッチでした。

半面ベートーヴェンの第7番(ベト7)は終楽章にくどさが出ましたが、元々がいつ終わるのって感じのこってりなエンディングの楽曲なのでそこは仕方ないと思います。

今日は18世紀後半から19世紀ウィーンがモチーフの2公演でした。明日はパリ。楽しみです。

 

2025年5月1日木曜日

Chimin × やまはき玲 =レコジャム=

ファースト・オブ・メイ。都営地下鉄大江戸線に乗って。GINZA RECORDS & AUDIO KURAMAEにて開催された『Chimin × やまはき玲 =レコジャム=』に行きました。

今回はChiminさんがひさしぶりにひとりでギター弾き語りをするという見逃せない日。長いブランクを経て2023年秋にライブ復帰してからは歌に専念しており、僕が弾き語りを聴くのは2016年6月のPoemusica Vol.48以来、実に9年ぶりです。

小柄なChiminさんが小ぶりなアコースティックギター(Martin O-28?)を抱いて歌い始めると場の空気が一変する。1曲目は在日コリアン3世のChiminさんが通った大阪の民族学校の音楽の教科書に載っていた「海が好き」とうたう歌をハングルと自身の訳による日本語の歌詞で。

SEED SHIPPRACA11JAZZ喫茶映画館で聴いて、活動休止期間中にも何度も何度も脳内で再生してきたサウンドが眼前に蘇る。

続く「すべて」は歌詞の一部を引用させてもらって同題の詩を書いた思い入れのある楽曲、「」はエレピの演奏に慣れていますが、Chiminさんが弾く余白たっぷりのミニマルなテンションコードに透き通ったファルセットが響く。近年演奏機会の少ない「帰っておいで」「雨がやんだら」、以前リクエストを聞かれて答えた「蛇口」もうれしかったです。

技術があり且つ彼女の音楽を深く理解しているサポートミュージシャンに支えられて歌唱に集中しているChiminさんも素敵ですが、緩急自在な弾き語りは、その心許なさも含めて彼女の音楽の裏側にある、震え、怯え、脆さや陰影をより一層際立たせ、また違った美しさで、現実に存在して歌う人を見たなあ、という感動があります。

会場は隅田川の護岸から徒歩5分程のリノベートされたヴィンテージ建築の3階にあるお洒落な中古盤店。YESSTINGLAURYN HILLSmashing Pumpkinsなどが面出しされた品揃えがマニアック過ぎず好感度大。入店したときは、Neil Youngの "Comes A Time"が超Hi-Fiで流れていました。

ライブは、リバーヴを綺麗に効かせた弾き語りの小箱っぽい音響でしたが、お店の雰囲気やレコードの再生音とのバランスを考慮すると、もうすこしドライなMIXのほうがいいかなと僕は思います。

共演者のやまはき玲さんは東海林仁美さんのピアノサポートで、3/4拍子主体の楽曲を適度に乾いた抜けの良い声でさらっと明るく歌います。ちょっとノスタルジックな楽曲群に、入場前に歩いた向こう岸に東京スカイツリーを望む幅広な隅田川の開けた初夏の夕景が似合いました。

 

2025年4月21日月曜日

ノラオンナ59ミーティング「スサー」

月曜日。吉祥寺STAR PINE'S CAFEで開催された『ノラオンナ59ミーティング「スサー」に行きました。

青い衣装のノラオンナさん、白地に波模様の古川麦さん、人生初という赤シャツの外園健彦さん、3人並んでご挨拶のあと、ひとり舞台に残ったノラオンナさんがバリトンウクレレを爪弾き歌い始める。

今日は甘いラブソングを歌いたくて、と言う。「赤いスイートピー」のカバーから初期の名曲「こくはく」への流れは、僕がノラさんの音楽に初めて触れた2012年3月のPoemusica Vol.3と同じ。ソプラノからバリトンへウクレレのスケールは変わりましたが、変わらぬフレッシュネスと13年の歳月がもたらす熟成に思いを馳せました。

ノラオンナさんが風待レコードから『少しおとなになりなさい』でデビューしたのが2004年4月21日。毎年その日に開催される周年公演を楽しみにしています。今回は昨年12月発売の新譜『スサー』のリリースライブを兼ねて。アルバム『スサー』は、ノラオンナさんの歌とウクレレ少々、外園健彦さんと古川麦さんのギターのみで構成されています。ライブ前半はその3人それぞれのソロ弾き語りを堪能しました。

古川麦さんは名盤『Xin』の1曲目「Angel」から。イントロの粒立ちの良いアルペジオが、晴れた午前の波打ち際に乱反射する春の陽光のようにきらきらしています。そして魅惑のシルキーボイス。新旧織り交ぜた5つのオリジナル曲はどれも心躍るものでした。麦くんとノラさんが初共演した2014年4月のPoemusica Vol.27に僕も出演していたことを誇らしく思います。

意表を突くボイスパーカッションで始まった外園健彦さんの弾き語りセットリストは、ブラジリアン・トラディショナルを6曲。素晴らしかったです。端正で安定した響きのギターと対照的にパッションの乗ったポルトガル語の歌唱はサンバ愛に溢れており、メロディを歌っていてもその背後に、スルド(ブラジルの低音打楽器)やクイーカ(ゴン太くんの声)のシンコペーションが脈々と鳴っているのが聞こえます。

その名手3人のアンサンブルによる後半は『スサー』全曲演奏でした。完全に暗転した暗闇で「」。そして青を基調とした照明の下、外園さんのギターが床や柱や壁や窓を作り、麦くんが風にはためくカーテンや杢のテーブルや食器や花瓶を描く。そしてノラさんはその部屋に暮らす人。圧倒的に「人」でした。すぐれた俳優や演出家が何もない劇場空間を草原やダンスホールや寝室に変えるように。3人の奏でる音楽がスターパインズを鮮やかに彩りました。

華やかな3曲目「リラのスカート」は物販コーナーにいた尾張文重さん、5曲目「つばさ」ではノラバーの看板インコ梨ちゃん2号がコーラスに加わります。8曲目はド直球の短調ソング「タララタン」。ノラさんはシャンソンと呼び麦くんはラテンと言う。続く「あの海に行きたい」は駅のワゴンに並べられ酷い扱いを受けている昔の歌みたいなものを作りたかった、「貝を拾って」なんて歌詞陳腐でしょ、と笑う。各曲の着想や成立過程のMCも面白かったです。

アンコールはフルート奏者の矢島絵里子さんSNS投稿をそのまま歌詞にしたという一筆書きのような新曲「ココア」。尾張文重さんが再びマイクを握り今後はリードボーカルをとって、気づけば全28曲、3時間があっという間に過ぎていました。

 

2025年4月13日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

春の小雨。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmayulucaさんの回に行きました。

ライブは3rdアルバムのタイトル曲「幸福の花びら」から始まりました。昨年末に同じくノラバーにご出演の際は日程的に残念ながら伺えなかったのと、ここ数年は西田夏奈子さんとのデュオ形態マユルカとカナコの演奏機会が多かったので、ソロのmayulucaさん2023年4月以来の2年ぶりとなります。

今回は14時半開演の昼のノラバー公演、すりガラス越しに春の午後の日差しが柔らかく店内を照らし「今日のテーマはチル」と言うmayulucaさんがいつも以上にリラックスして見えました。

2曲目はジム・ジャームッシュの映画に着想を得た「箱庭」。イントロのアルペジオが滑らかで美しい。つづく「梨愛」はノラバー店主ノラオンナさんの楽曲のカバー。お店の看板インコ梨ちゃん2号の鳥かごにも今日はマイクが立てられており、各曲の絶妙なタイミングでコーラスや合いの手や称賛のさえずりを聴かせてくれます。毎週のようにこのお店で良い音楽を浴びているうちに耳が肥えてしまったのか、勘どころの掴みかたは前世はミュージシャンと思えるほど。

「今日は満月。雨が降って見えなくても満月はある」と言って「朝の月」。そうだよ、明るい昼も雨の夜も地上の人間の事情は考慮せず月は輝いている。そんな超然とした、そしてすこしだけ地面から浮いたような、でも確固とした存在。それは僕がmayulucaさんの音楽に感じるものに似ています。

「かなかな」「日曜日」と過去タイトルが変遷し、「今日もおはよう/希望の朝だ」と歌う「希望」で生うたコンサート本編は終了し、15時半のおやつタイムではありますが、出演者も観客もみんなでお食事。ライブでは、以前は平日夜、現在は日曜昼のみ提供のノラバーさわやかポークカレーも実に6年半ぶりの滋味。かぶとルッコラのサラダもおいしく、ノラバープリンノラブレンドコーヒーで会話が弾みます。僕は歌詞に出てくる「踊る」という表現についてすこし質問しました。

16時半から30分間の配信デザートミュージックは「アネモネ」のコーラスはインコも人間も全員参加で楽しかったです。全部終ってお店から出てもまだ明るい。昼間のライブもいいな、いい昼下がりを過ごしたな、と上がりかけた雨のなか西武柳沢駅までのんびり歩いて帰りました。

 

2025年4月12日土曜日

シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング

ヒューマントラストシネマ渋谷アリソン・エルウッド監督作品『シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング』を観ました。

マンハッタンを走るキャブの車内、69歳のシンディ・ローパーのインタビューから映画は始まる。パールストリートは渋滞で約束の時間には間に合いそうにない。

シンディ・ローパーは1953年NY市ブルックリンでシチリア島出身のイタリア系移民の母とドイツ系移民の父の間に生まれた。シンディが5歳のときに両親は離婚しクイーンズに移る。姉エレンのギターを借りて歌を始めたシンディ。継父のDVに耐えかね家を出た姉を追い、高校を中退して姉が女性パートナーと暮らすアパートメントに居候するシンディをサポートしてくれたのは上階に住むゲイカップルだった。

「生きるのに精一杯で失敗を恐れる余裕すらなかった」。フライヤーという名のバンドに加わり、ジャニス・ジョプリンやレッド・ツェッペリンのカバーを歌ってパーティバンドとしては成功するが、シンディはオリジナル曲で勝負したかった。

1980年代前半に数多くのヒット曲を出しMTV時代の寵児となり、まさに現在フェアウェル世界ツアー中のアメリカの歌姫シンディ・ローパーのドキュメンタリーフィルムです。家族、元恋人、音楽仲間、ボイストレーナー、A&Rマン、音楽ライターなどが語るパーソナリティは多面的な魅力があります。

「ニューヨークから新しいタイプのシンガーが登場しました。彼女の名前はシンディ・ラウパー」。日本でシンディ・ローパー(現地の発音はラウパーに近い)を最初に紹介したのはおそらく佐野元春だと思います。彼が月曜日を担当していたNHK FMの「サウンドストリート」で流れた底抜けにハイテンションでポジティブでエキセントリックなその歌声に1983年当時高校生の僕は大きな衝撃を受けました。

プロデューサーがデビューシングルに選んだ "Girls Just Want to Have Fun" を書いたRobert HazardのバンドThe Heroesをフィラデルフィアのクラブで聴いて「男目線のクソ曲」と一刀両断するものの、逆手にとって歌詞の一部を書き換え、ガールパワーの端緒を開く。彼女がいなければ、Princess PrincessREBECCAももうひと世代下のJUDY AND MARYも現在我々が知っているような姿にはならなかったと思います。

デビュー当時にメディアを賑わしたプロレスラーのキャプテン・ルー・アルバーノとの茶番劇や、後年の性的少数者支援アクティヴィストとしての原点も本作を観てしっくりきました。ホワイトハウスで同性婚推進のスピーチをする2023年の映像が挿入されますが、翌年のトランプ政権奪還による政策の後退には苦々しい想いを抱いているに違いありません。

odessa(optimal design sound system)で聴くレストアされた音源も素晴らしい。マスターテーブからボーカルだけ抜き出された "True Colors" の静かな歌い出しは幼女のような脆さと繊細さを図らずも露呈しており鳥肌が立ちました。残念だったのは、"Change Of Heart" がナイル・ロジャースのギターが最強にキレキレなスタジオバージョンではなくライブ映像だったことと、権利の関係なのか初期の重要なカバー曲であるMarvin Gayeの "What's Goin' On" とDr. Johnの "Iko Iko" が収録されていないことぐらいです。