2018年12月7日金曜日

吉増剛造 -ヒノシシュウ ノ Ciné ノ ケッカイ-

京王新線幡ヶ谷駅南口の商店街もjiccaさんを過ぎて数ブロック歩くと静かな住宅街に入ります。更に奥まったどん詰まりに赤提灯が目印のギャラリーがあります。

ATAMATOTE 2-3-3で開催の日本文化デザインフォーラム活動プログラム「JIDFラボ」第22回ことばラボ『吉増剛造-ヒノシシュウ ノ Ciné ノ ケッカイ-』に行きました。

一応トークショーという名目ではあるが、実質的には詩人吉増剛造によるソロライブパフォーマンス。主催のクリエイティブディレクター榎本了壱氏と1960年代の接点となった天井桟敷ビックリハウス、また榎本氏が十代で出版した詩集『粘液質王国』の話から吉原幸子の回想。「震災以降私たちにとって水とは何か」京都の地底には琵琶湖の6割に相当する水が隠れている。それをハンモックのように宙に吊り上げるビジョン。ポール・ヴァレリィの「海辺の墓地」の詩句、萩原朔太郎の『氷島』。空一面に銀紙がきらめいた幼時の戦争の記憶。ワレリー・アファナシエフ。けっして張らない声で時系列を無視して果てしなく紡ぎ出される呟きは吉増さんの詩作品の頁を埋め尽くす割註を音声化したかのようです。

吉本隆明の「日時計篇」を筆写して気づいた「ガリを切る人の手の動き」。「書いた字の記憶が語りかけてくる。オフボイスの中からとんでもない結界が生じるんです」。目隠しをして筆写原稿にインクを零す。彫刻家若林奮の遺品の金槌で、ギャラリーの床を、ブルーシートを、半乾きの原稿を、叩くときのそれぞれ異なる鈍い残響。それを自らの左手に持ったビデオカメラで撮影する間もずっとしゃべりつづけている。

2007年に当時編集スタッフをしていた『東京リーディングプレス』というフリーペーパーでインタビューをしたときに「自分の内側に詩は存在しない。外側からやって来るものへの感応が詩だ。だからいつもいくつもアンテナを立てている」とおっしゃっていたのが、79歳という老境に至り、ますます先鋭化している。

「未達成の方向に線を引いていく。消えてしまう一瞬一瞬を自分の中でどう処理するのか。完成じゃないし、プロセスでもない」「瞬間を重ねること、時差を作ること、時差を重ねて心の中にため込むこと」「色に対して我々の言葉は足りない」「読めないような小さな字を書くことがどれほど豊かなことか」「どれだけ文字を書いても空白のほうが大きい。空白は向こう側の光」。

吉増さんのチャーミングな語り口と人となりも相俟って会場は時折笑い声に包まれますが、論理で解析できないことを作品化して伝達しようといまも模索する姿から同じ詩人としてたくさんの大事な伝言を手渡されたような気がします。

 

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