2025年4月4日金曜日

片思い世界

清明。ユナイテッドシネマアクアシティお台場土井裕泰監督作品『片思い世界』を観ました。

降り続く雪についた足跡を俯瞰で追うカメラ。足跡は、かささぎ児童合唱クラブの扉に続く。

合唱団の白い制服を着た10歳の美咲(太田結乃)は、音楽げき『王妃アグリッピナの片思い』の脚本を書き上げ、ピアノ担当の典真(林新竜)に見せようと探すが、姿が見えない。隣のリハーサル室では翌日のコンクールに向けて合唱の稽古中。本番前後は慌ただしくなるのでいまのうちに集合写真を、と全員が並びシャッターが下りるその瞬間、リハーサル室のドアが開く。

12年後。仕事から帰宅したさくら(清原果耶)を玄関口で優花(杉咲花)と美咲(広瀬すず)が足止めする。「どうせサプライズでしょ」さくらは取り合わない。ふたりに促されバースデーケーキのローソクを吹き消す20歳になったさくら。美咲と優花のベッドにはさくらからの感謝の手紙が。サプライズを仕掛けたのはさくらのほうだった。

杉咲花広瀬すず清原果耶、家族でもなければ同級生でもないが、結束しなければならなかった年月を経ての現在の関係性を、人気も実力も充分な三人が本気で楽しんで演じているように見えるのに感動しました。いろいろと綻びはあるものの、安いファンタジーにはならなかったのは坂元裕二の筆の力か。一方、台詞回しでは坂元色は薄く感じます。

「人間がいままで幽霊だと思っていたものはまだ見つかっていない素粒子なんだという仮説」。大学の階段教室の量子力学の授業で、スーパーカミオカンデでニュートリノを観測する講義を聞く優花は、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の冒頭部分を連想させ、死生観にまつわる物語であることを示唆しています。

横浜流星西田尚美小野花梨松田龍平田口トモロヲと脇役にも主役級をずらり揃えた布陣は盤石。主役三人の合唱シーンでは、アルトの清原果耶さんが抜きん出て上手かったです。

 

2025年4月2日水曜日

スイート・イースト 不思議の国のリリアン

春雨。ヒューマントラストシネマ有楽町ショーン・プライス・ウィリアムズ監督作品『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』を観ました。

「アメリカ合衆国の国旗に私は忠誠を誓う」と勇ましいマーチで映画は始まり、性交後のティーンエイジャーのカップルを映し出す。トロイ(ジャック・アーヴ)のつまらないジョークにリリアン(タリア・ライダー)は無表情で舌打ちをする。

米東海岸南部サウスカロライナの高校生リリアンは修学旅行でワシントンD.C.に来た。お揃いの黄色いTシャツではしゃぐクラスの一軍を横目に終始ローテンション。夜にホテルを抜け出した数人で来たカラオケ店でリリアンはトイレの鏡に向かって唐突に歌い始め、鏡越しに蠱惑的なまなざしをカメラに向ける。そしてギークによる突然の銃乱射。

パンクスのケイレブ(アール・ケイヴ)の手引きで鏡の裏側にある隠し扉から救出されたリリアンは、ANTIFAの車でチャームシティ・ボルティモアのアジトに連れて行かれる。翌日ケイレブたちが右翼の政治集会を潰しに行くのに同行したリリアンはネオナチの大学文学部教授ローレンス(サイモン・レックス)と知り合う。

ネオナチの資金を持ち逃げしたリリアンはインディース映画の黒人女性監督(アヨ・エデビリ)にスカウトされるが、撮影現場をネオナチが襲撃してカオスに。今度はムスリムの青年モハマド(リッシュ・シャー)に助け出される。

アメリカの政治的分断と醒めた目で見るZ世代。その温度差が喜劇になる。鏡の向こう側の冒険、主人公は基本受け身でイカレた大人たちに振り回されているように見えてその実、大人たちのほうがリリアンの無関心に翻弄されている。邦題のサブタイトルの通り『不思議の国のアリス』を下敷きにして、サウスカロライナ、ワシントンD.C.、メリーランド、ニューヨーク、バーモントと米東海岸を北上するロードムービーでもあります。

町山智浩氏の解説動画付きで観たのですが、アメリカンサブカルチャーに精通していないと細部の理解は難しいです。日本に置き換えるとTVアニメ『全修。』か。こちらは政治的ではないですが、そこで日常を送っていれば、引用や隠喩が空気感としてある程度認識できるという点で。

本作においては、主人公リリアンを演じるタリア・ライダーの魅力と映像美で押し切った感があります。主人公が着ていたレッドツェッペリンのTシャツを、失踪を報じるニュースキャスターがエアロスミスと伝えるのに、マスメディアに対するこじらせが表れていてよかったです。

 

2025年3月29日土曜日

ガラスの動物園

花冷え。すみだパークシアター倉滋企画ガラスの動物園』(演出:額田大志)を鑑賞しました。

ステージ中央で長身で猫背のトム(佐藤滋)が含羞の表情を浮かべ客席に背を向ける。鼻をかんで振り返り、ティッシュを掌から消して見せる。ティッシュは口の中にあり、それを引いて何メートルもの七色の紙テープを出す。「もちろんタネも仕掛けもございます。でもこれから私がお見せするのは手品とは違います」。母アマンダ役の西田夏奈子さんが弾くヴァイオリンの甘い音色に導かれ、舞台は1930年代の米国中西部セントルイスへ。

アマンダに急かされたトムが食卓につき、姉ローラ(原田つむぎ)と3人で食前の祈りを捧げる。アマンダの口やかましさにトムは辟易しているが、ローラはただ黙っている。アマンダの長口上の中で、かつて南部デルタ地帯にいたころの華やかな暮らしぶり、夫との出会い、夫が家族を捨てて放浪の旅に出たことが語られる。

テネシー・ウィリアムズの三大戯曲のうち、『欲望という名の電車』と『熱いトタン屋根の猫』は、学生時代にアルバイトしていたレンタルビデオ店でVHSを借りて観ました。本作だけ未見だったので、生きているうちにと思って観劇したのですが、とてもよかったです。

舞台はアパートメントの一室のみ、第一幕の登場人物は三人家族だけ。気位が高く躁鬱傾向の母親、自閉的な姉、製靴会社の倉庫で働きながら詩を書く弟。すれ違いながらも強く依存せずにいられない関係性を閉塞感たっぷりに描く。激しく言い争った翌朝のアマンダとトムの咳払いの応酬による言葉のない会話に痺れました。

第二幕、トムの高校からの友人で同じ倉庫に勤務するジム・オコナ―(大石将弘)を家族のディナーに招く。はじめは強く抵抗するローラがドアを開くとマチネの舞台奥の扉の先は劇場の搬入口で、現実の昼間の光が舞台に差し込むという趣向。

「詩人らしく象徴好きなので、彼のことは象徴として扱います」とトムに冒頭に宣言されたジムのほうが明らかに現実味を帯びた存在というアイロニー。一幕では普通に歩いていた足の不自由なローラが、ジムの登場を機に片足を引き摺りはじめることで、閉じた世界に外部の視線が加わったことを示す。

二幕後半のローラの変容は、蝋燭一本の頼りない灯りに照らされることでリアリティを帯びる。部屋の壁に映る登場人物の影を活かした繊細な照明は岩城保さん。揺れる父の写真の額縁。控えめな音量ながらスコット・ジョプリングリーグの『ペール・ギュント』をさりげなく引用した額田大志さんの音楽の貢献度も大きい。

若者を演じる三人の抑えた演技に対して、西田夏奈子さんの振り切ったお芝居が物語上のジェネレーションギャップを際立たせる(佐藤滋さんと西田夏奈子さんは実際は同年生まれ)。四人の登場人物の誰にも共感するポイントがないのに、現代で言うところの機能不全家族の手触りがリアル過ぎて、風雪に耐えた古典の強靭な構造の普遍性を感じました。

 

2025年3月22日土曜日

BAUS 映画から船出した映画館

テアトル新宿甫木元空監督作品『BAUS 映画から船出した映画館』を観ました。

映写機のリール音に重なる冬景色。2014年、自身が経営する映画館の閉館日に井の頭公園の池の畔に佇む本田タクオ(鈴木慶一)。時代は1926年に遡る。青森の映画館で無声活動『カリガリ博士』を観ていた本田サネオ(染谷将太)を兄の本田ハジメ(峯田和伸)が訪ねる。日々に希望を見出せない兄弟は映画に明日を託し上京する。

ヤクザ者に追われた兄弟を偶然救ったのは、井之頭會館の社長(吉岡睦雄)だった。兄ハジメが活動弁士と知った社長は兄弟を雇い、兄は弁士、弟はサンドイッチマンとなる。弟サネオは會館の掃除係ハマ(夏帆)と結婚し二女一男をもうけ、妻の田舎に転居するという社長からその座を譲り受ける。

「言ってみりゃここに暮らす人たちの窓だね」。もともと井之頭會館は映画のみならず地域の文化拠点を標榜して音楽界や落語会を開いていた。イタリア未来派の騒音楽器イントナルモーリの演奏会は大失敗に終わり、無声映画からトーキーの時代に移り変わる中、太平洋戦争が泥沼化し、兄ハジメに赤紙が届く。

「煙と光は映画と共にある。人間が時間との闘いの中で編み出した一瞬を永遠に変える……」。東京吉祥寺に実在した映画館BAUSシアター、その前身である井之頭會館とM.E.G.(武蔵野映画劇場)をめぐる家族の物語です。実話に基づく物語は、老経営者タクオの回想という形式をとっていますが、その記憶はタクオの誕生前に遡り、井之頭會館の建築は野原に立つ一枚の書割で、ナイトシーンの背景は漆黒、登場人物が歌い出すと楽器奏者がわらわらと現れ、リアリズムから逸脱する。能舞台というか、大友良英の書く管楽合奏の劇伴と相まって、フェリーニクストリッツァのような感触もあります。

映画館が主役というよりも、息子タクオに、いつも家族の中心にいて太陽のような存在だった、と言われ、夫サネオから「俺と結婚して後悔しているか」と聞かれて「後悔しかしてないよ。後悔のない人生なんでつまんない」と答える、可憐でおおらかでしっかり者のハマを演じる夏帆さんが、この映画の主役といっていいと思います。M.E.G.の開館日にサネオが舞台で挨拶している間、客席でうたたねするハマの寝顔は神々しくも美しい。上映時間の後半は、ヒロインの不在を噛み締め寂寥感を味わう、そんな映画があってもいいと思いました。

 

2025年3月14日金曜日

早乙女カナコの場合は

春本番。TOHOシネマズ錦糸町オリナス矢崎仁司監督作品『早乙女カナコの場合は』を観ました。

2014年春。アパートの窓から桜の花びらが散るのが見える。大学1年生の早乙女カナコ(橋本愛)は窓を開け深呼吸する。幼馴染の三千子(根矢涼香)と二人暮らしの上京生活が始まった。

入学式は4月7日月曜日。新入生勧誘でごった返すキャンパスで女装の男子学生に銃で撃たれた男が倒れる。動転したカナコは助けを呼ぶが、それは演劇サークル・チャリングクロスの野外劇、撃たれた男は留年中の脚本演出担当長津田啓士(中川大志)だった。後日「死者を起こす者は強くノックすること」と書かれたチャリングクロスのドアをノックしたカナコは、ジャン・ユスターシュ監督映画で長津田と意気投合し入部、やがてふたりは付き合い始める。

2014年から2017年、蜂蜜色の光に彩られた4年間の大学生活は物語の最終盤である2023年から俯瞰すると青臭くて痛くて甘酸っぱい。サークルで一番の男前と呼ばれるようになったカナコを橋本愛がほぼすっぴんで演じています。脚本家になると言いながら一本も完成させられず卒業する気もないダメ男のおかげか、かつての神経質な美少女は包容力のある大人に成長しており、遊川和彦のドラマほど頻繁にはキレないです。

早稲田大学がモデルで早稲田松竹や東西線早稲田駅が映ります。おそらく日本女子大がモデルの日向女子大1年生の本田麻衣子(山田杏奈)がチャリングクロスに入り、長津田に猛アプローチする。今年の日本アカデミー賞優秀助演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞した山田杏奈さんは、先日NHKで放送した主演作『リラの花咲くけものみち』の獣医を目指すコミュ障の大学1年生とはまた違う小悪魔的な役柄で、抜群に上手い。

存在感のある両校に挟まれてどちらの恩恵も受けない学習院大学が母校の僕は、インカレってこんな感じなんだ、と興味深く見つつも、所属していた現代詩研究会には長津田みたいになかなか卒業しないワイルドな先輩がいたので、懐かしい気持ちになりました。

大手出版社に内定してアルバイトをするカナコは同大卒の社員吉沢(中村蒼)に告白されるが、指導役の亜依子(臼田あさ美)が酔ってカナコの部屋に泊まった朝に吉沢の元彼女だったと知らされる。カナコと麻衣子、カナコと亜依子の間に友情のような何かが芽生える展開がとてもいい。橋本愛のランニングフォームが豪快なのもいい。

同じ柚木麻子原作映画『私にふさわしいホテル』に主演していたのんさんが同作の小説家有森樹李役で登場するのもアツいです。

 

2025年3月5日水曜日

ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ジャズが生まれる瞬間


2014年のニューヨーク。87歳のサックス奏者リー・コニッツが自宅アパートメントでリードを選んでいる。引き出しには気に入ったリードがなく、ガッデム口唇が痛い、と悪態をつく。

同じ頃デンマークの首都コペンハーゲンで、ジャズギタリストのヤコブ・ブロが新譜のレコーディングの準備をしていた。スタジオの窓に一面の雪景色。

「共演した人の音楽が自分の一部になる」。デンマーク出身のヤコブ・ブロの2枚のリーダーアルバム "December Song"と"Taking Turns"の制作を軸に、ヤコブと周辺のミュージシャンたちの2008年から2021年の14年間を追ったドキュメンタリーフィルムです。

ECMのプロデューサーマンフレート・アイヒャーも登場し『ECMレコード  サウンズ&サイレンス』の続編的な作品と言ってもいいと思います。ジャズのドキュメンタリーなのに、アルコールもドラッグも出てこない。ECMらしくクリーンでメランコリックで空間的。

ヤコブ・ブロのギターもクリーントーンのアルペジオが中心のアビエント寄りなスタイル。日本人パーカッショニスト高田みどりさんとの即興デュオでのみ激しいディストーションがかかる。

ベーシストのトーマス・モーガンがキャラ立ちしています。インタビューカットの長過ぎる沈黙のあとの普通過ぎる一言、エンドロールでモーニングルーティーンの変な体操を延々映し出すのは、監督もきっと同じ気持ちだったのでしょう。

1940~50年代にスタン・ゲッツズート・シムズアート・ペッパーらと人気を分けたクール・ジャズの代表的なプレーヤーであるリー・コニッツは本作撮影中の2020年に新型コロナウィルス感染による肺炎で亡くなりました。サックスのリードを買いに行こうとしてタクシーを停めるが、楽器店の名前も通りの名も思い出せない。運転手は停車したままナビで検索するが希望の店は出て来ず、あきらめたコニッツは5ドル30セントを支払いタクシーを降りる。その最晩年の姿に不思議と悲壮感はありません。

「黒い鳩たちのための音楽」という奇妙なタイトルはコニッツがヤコブに話した言葉から。その意味は映画の最後にコニッツの墓標の前でヤコブから明かされます。
 
 

2025年3月1日土曜日

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN

ザ・ファーストデイ・オブスプリング。ユナイテッドシネマ豊洲ジェームズ・マンゴールド監督作品『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観ました。

1961年NYマンハッタンにギターケースを提げた青年がヒッチハイクで降り立つ。ボア付きのスエードジャケットにコーデュロイのキャスケットは1stアルバムのジャケットと同じ。19歳のボブ・ディランティモシー・シャラメ)だ。

目についたライブバーに入り、憧れのフォーク歌手ウディ・ガスリーの所在をカウンターの男に尋ねると、ニュージャージーの病院にいるという。ウディ(スクート・マクネイリー)の病室でボブが自作の "Song To Woody" を歌うと、見舞いに訪れていたピート・シーガーエドワード・ノートン)はその独創性と技術に感激し、宿のないボブを郊外のログハウスに連れて帰る。

その後フォークシティのオープンマイクで注目を集め、コロムビア・レコードのジョン・ハモンドデヴィッド・アラン・ブッシェ)のプロデュースで1962年にレコードデビュー、ジョーン・バエズモニカ・バルバロ)がライブでカバーした「風に吹かれて」でブレークし、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで物議を醸した伝説的ライブパフォーマンスまでの5年間。ボブ・ディランの初期の音楽活動と私生活を、ベトナム戦争、キューバ危機、JFK暗殺など、激動の時代背景と共に描いた伝記映画です。

「自分ではフォークだと思っていない」と言い、チャック・ベリーリトル・リチャードを好むが、アコースティックギターの弾き語りという演奏スタイルと内省的で多義的な歌詞は反体制派に都合よく解釈され、時代の寵児に祀り上げられる。自由を求めて声を上げたはずのフォークシーンが自由を縛る。伝統主義者の彼らからしたら、ロックンロールは資本主義に毒され堕落した音楽と映ったのでしょう。その才能のきらめきと苛立ちと落胆を主演のティモシー・シャラメが吹き替えなしの歌声で上手く表現している。

「人は覚えていたいこと以外は忘れる」。キューバ危機の夜にパニックになりボブとセックスしてしまうジョーン・バエズ。その後もふたりの友情は続くのですが、演じるモニカ・バルバロの歌声には深みがあり、ボブとジョーンのデュエットの再現も完成度が高い。

風に吹かれて」が収録され出世作となった2nd "The Freewheelin' Bob Dylan" のアルバムジャケットで腕を組んで冬の街を歩き、ロマンチックな佳曲 "Girl from the North Country" のモデルとなった美大生スーズ・ロトロ(本作中の役名はシルヴィ)を大人になったエル・ファニングがすこぶるチャーミングに演じています。

僕は1965年生れでリアルタイムに体験したわけではないので、名曲群の誕生の瞬間を垣間見ることができること、それ以前にはその名曲の存在しない世界があったのを想像することはとても楽しいです。本作で描かれる時代に発表された "The Freewheelin' Bob Dylan" "The Times They Are a-Changin'" "Another Side of Bob Dylan" "Bringing It All Back Home" "Highway 61 Revisited" はいずれも紛れもない名盤ですが、他にはサントラ盤の "Pat Garrett & Billy the Kid" (1973)と"Blood on the Tracks(邦題:血の轍)" (1975)が僕は好きです。

 

2025年2月23日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

寒の戻り。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmandimimiさんの回に行きました。

毎年猫の日の前後に開催されるmandimimiさんのライブはいつもコンセプトとなるキーフレーズがあって、今夜のテーマは "Dreaming Of Youth"。台湾系アメリカ人のmandimimiさんはYouthを「青春」と訳して、思春期をBlue Springと呼ぶのが詩的だと言う。セットリストは青春や青にちなんだ楽曲がセレクトされ、衣装もブルー。

「すこしここにいませんか/月もまだ微笑んでいる/私たちのためにまるで/心を読んだように」。ジョニ・ミッチェルの "Blue" を自ら和訳し朗読したうちの一節です。それ以外にもSnow Patrolの "Run"、オリジナル曲「永遠的水藍色」などが、歌詞の朗読を交えて演奏されました。

僕は朗読が本職ではない人の、特にミュージシャンの歌詞の朗読を聴くのがとても好きです。音楽は、基本となる拍節に沿ったりはみ出したりしながら進んで行く時間芸術で、大なり小なりそのミュージシャンの得意な「型」というべきものがあると思います。それに対して朗読はいつ始まってもいいし止まってもいい、真空で無音で無重力の空間にひとりでいるような心許なさと会話のような何気なさが同居する表現形態で、そういった環境に身を置いた際、その人の本質が見える気がします。

演奏された楽曲すべてがスローテンポで優しい空気を纏っている。朗読も同様で且つmandimimiさんは英中日どれも流暢に話せるトリリンガルですが、日本語のネイティブスピーカーにはない独特のアーティキュレーションを持ち、それが僕にはとても心地良く感じられました。

昨年秋のギャラリー展示で "Flower Spells" を完成させ、現在進行形のProject "Dear Dream Diaries" の子どもの頃に見た宇宙で暮らす家族の夢を基にした新曲 "Erasers" が主題も旋律も素晴らしい。愛聴しているmandimimi名義の1st E.P. "Unicorn Songbook: Journeys" のリードトラックで2004年まで暮らしていたシアトルの夏空を歌った "Sapphire Skies"、限定シングル "To Santorini" とそのB面曲 "Transatlanticism" をひさしぶりに聴けたのもうれしかったです。

冬のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくね焼き、きんぴらごぼう、かぶのつけもの、さばみりん、とうふと小松菜のみそ汁、豆ひじきごはん。そしてノラバープリンとノラブレンドコーヒー。『シティ・オブ・エンジェル』からニコラス・ケイジの話でみんなで笑って柳沢の夜は更けていきました。

 

2025年2月16日日曜日

映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ

薄曇り。ユナイテッドシネマ豊洲柳伸亮監督作品『映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ』を観ました。

3年生が体育館で練習している「仰げば尊し」の歌声が教室まで聴こえてくる。2年生の花岡まこと(梅田修一朗)は男子だがかわいいものが大好きで女子の制服で授業を受けている。まことの幼馴染の大我竜二(内田雄馬)、1年生の蒼井咲(関根明良)たちは春休みを迎える。

2024年7~9月期にCX系列で放送されたアニメ全12話は、女装の高校生まことを中心とした青春群像劇でしたが、その後日譚である本作は咲が主人公です。放送第1話で高校に入学したハイテンションガール咲は、憧れの同性の先輩まことに告白するが、まことは自分が男子であることをその場で打ち明け、咲は失恋するものの、ふたりの間に友情が芽生える。竜二は親友だと思っていたまことに恋愛感情を抱いている自分に動揺する、というのがテレビアニメのメインストーリー。劇場版では、すれ違いと和解を通過した三人それぞれの成長が見られ、悩んでいた咲も元気になって、ほんわかしみじみしました。

「私って本当は何が好きなんだろう、何が特別なんだろう」「どうしてみんな本当の特別がわかるのかな」。咲の葛藤は母親のネグレクトというトラウマを抱えるが故、誰かにとっての特別な存在は唯一絶対のものだと信じている。竜二はまことにだけ恋愛感情を持っているのか、同性愛者なのか、自分でもわからない。それでも視野を広げ、許容範囲を拡大して、世界と折り合いをつけなくてはならない。揺れる思春期を鎌倉を背景に繊細に描写しています。

モブは顔が描かれないのは『聲の形』もですが、いまの若い子たちが興味のない他人をそんな風に認識しているとしたらちょっと怖いな、と思いました。あと、高校生の親世代だと40代のはずですが、ほうれい線で実年齢以上に老けて見えるのは改善ポイントだと思います。

このアニメはテレビ版も劇場版も演出に独特のテンポの悪さがあって、そこが逆に魅力になっているという、不思議な作品だと思います。テレビ版はオープニングの作画と音楽のシンクロがジャストで最高なので是非ご覧ください。

 

2025年2月15日土曜日

井桁裕子 個展

薄曇り。六本木ストライプハウスギャラリーで開催中の井桁裕子個展のギャラリートークを聴きに行きました。

井桁裕子さんは現在は陶器の人形を制作しています。究極Q太郎氏と昨年入籍しまして、その前にも何度か3K朗読会に来てくれたことがあります。昨年11月の3K17終演後に阿佐ヶ谷の定食屋で鯖の味噌煮を食べながら今回の個展のお話を伺いました。

登壇者は、小説家の深沢潮さん、明治大学で東アジア文学を教えている丸川哲史さん、シンガーソングライターの蘆佳世さん、Qさん、井桁さんが、傾きつつ沈む西日の浴びて、約2時間半のギャラリートークとなりました。

丸川さんとQさんは明大の同窓、蘆さんは丸川さんの配偶者、深沢さんの近刊『はざまのわたし』の表紙に井桁さんが人形作品を提供した。関係性のある5人です。

Qさんは新詩集『散歩依存症』の成り立ちを中心に3K Podcastを更に掘り下げた内容を軽妙に語るなかで、詩集にも描写されている障害者介護と詩作の関係性について丸川さんから質問され「介護、ケアするということは注意して見守るということ。詩人は割り切れないものに対する関心を常に持ち、ポスト・トゥルースの時代になんだかわからないものを文字にして残し、リレーする役割」と言っていました。

丸川さんは登壇者たちの共通点を二重性に見出していたようです。深沢潮さんと蘆佳世さんは日本で生まれ育った日本国籍を持つ在日コリアン。共に、思春期にアイデンティティを模索する過程で民族や社会というものを考えざるを得なかったと言う。文学・音楽は一般的に、自己と他者、もしくは個人と集団の衝突(や共感)によって生じるが、そこに「民族」という軸が加わる、と丸川さんは分析する。「マイノリティ代表者にされがち」という蘆さんや「知らないという認識があるから、知ることができる」という深沢さんの言葉は目から鱗でした。

井桁さんは自己嫌悪から自分自身を受け入れるために、自分の外側に自分をもうひとつ持ちたいという欲求から人形制作を始めたという。作品は当初のセルフポートレートドールからモデルを外に求めるように変化した。今回の個展の中心的作品《ウラノス・ウラニウム》は鉄のゲージツ家クマさんこと篠原勝之氏の消化器が宇宙に広がり蓮の花を咲かせており、僕は「腹を割って話そう」とお互い切腹して対話する根本敬の漫画や、腹が観音開きになってもうひとつの小さな仏像が顔を覗かせている川越の五百羅漢像のひとつを思い出し、愉快な気持ちになりました。

例えば『はざまのわたし』の表紙の《Release 》は、胴体が人間の心臓でその上に外国の少女の顔が乗っており、心臓の裂け目から数羽の鳥が羽ばたこうとしています。かように井桁さんの人形作品は、身体性の不完全さには不釣り合いなとても綺麗な顔をしています。そこに何か問題意識を読み取るとしたら、鑑賞者自身を映すことになる。その断崖にひたすら美を感じればいいのではないか、と僕は思いました。

個展は3/2(日)まで。階下で開催していたパレスチナのポスター展『From the Rubble Soars Life ~An Exhibition from Palestine & for Palestine』も素晴らしかったです。

 

2025年2月12日水曜日

ヒプノシス レコードジャケットの美学

木枯らし。恵比寿ガーデンシネマにてアントン・コービン監督作品『ヒプノシス レコードジャケットの美学』を観ました。

湿った土を踏む足音。木箱を背負った白髪の男が墓地を歩いている。モノクロの画面。古い家屋に入り廊下の突き当りに置かれた椅子に座り、レコードジャケットの原画を木箱から次々に取り出し床に広げ語り始める。男の名はオーブリー・"ポー"・パウエル

1964年、英国ケンブリッジでポーは、ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズの同級生でラグビーのチームメイトだったストーム・トーガソンと出会い、意気投合する。ピンク・フロイドのメンバーがロンドンに移るのと時を同じくしてストームとポーも上京、王立芸術学院に入学し、1968年にピンク・フロイドの2ndアルバム "A Saucerful of Secrets" のジャケットをデザインする。

ヒプノシス(HIPGNOSIS)は、ヒップ、クール、グルーヴィ、そして霊知的」。「原子心母」「電撃の武者」「狂気」「プレゼンス」「びっくり電話」。1970年代のロックシーンを彩る名だたるレコードアルバムのアートワークを担当したデザインチームの誕生から終焉までを描いたドキュメンタリーフィルムです。

ストームとポーで始まり、ピーター・クリストファーソンが加わる。3名のうち唯一存命中のポーのインタビューを中心にピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアレッド・ツェッペリンジミー・ペイジロバート・プラントポール・マッカートニーら、ヒプノシスに発注したミュージシャンたち、同業者ではYES中期歴史的名盤群のビジュアルイメージを決定づけたロジャー・ディーンJOY DIVISIONの "Unknown Pleasures" をデザインしたピーター・サヴィル他が出演しています。

聖なる館」や「ウィングス・グレイテスト」など、絵画だと思っていたのですが、アイルランドの岸壁やスイスアルプスの山頂でロケした写真をレタッチしているんですね。びっくりしました。スタジオ撮影された「バンド・オン・ザ・ラン」の制作過程の動画が残っているのが、さすが大御所中の大御所ポールです。

パンク全盛期においてオールド・ウェイブと揶揄されたハードロックやプログレバンドのジャケットを多く手掛けたヒプノシスに対して、元SEX PISTOLSグレン・マトロックは世代的な嫌悪感を隠さないが、ポスト・パンク/ノイズ・インダストリアルのスロビング・グリッスルサイキックTVCOILに加わるピーター・クリストファーソンには一定の共感を示す。更に一世代下のノエル・ギャラガーになると一周してノスタルジー込みでヒプノシスを高く評価しているのが面白いです(ノエルの娘に至っては「レコードジャケットって何?」「iTunesのアイコンのために打ち合わせをするとか意味わかんない」と言う)。

ヒプノシスのジャケットデザインは静謐で、僕には音楽が聴こえてこない。だからこそレコード盤に刻まれた音楽がより際立つのではないか、とこの映画を観て思いました。

 

2025年2月10日月曜日

Chimin TRIO

建国記念の日の前日は厳寒。吉祥寺StringChiminさんの歌を聴きに行きました。

加藤エレナさんのピアノがパーカッシブな「茶の味」で始まったライブ。この日一番のハイテンポ曲「残る人」のアウトロで聴かせる井上"JUJU"ヒロシさんのフルートとの心躍る掛け合い。「住処」の二声のハーモ二―が美しい。バレンタイン直前に聴く「チョコレート」はいつも以上にのびのびと感じる。前半最終曲「死んだ男の残したものは」はテナーサックスver.でした。

休憩を挟んで後半はミディアムテンポの「シンキロウ」から。JUJUさんとエレナさんの呼吸は名人同士の対局のよう。「」はわずかにテンポアップして演奏されChiminさんの歌声も若干ハスキー寄り、つづく「まるで昔のことのように」もピアノアレンジに変更が加えられ、後半の分散和音はさざなみのように揺れる。

今回のセットリストは2024年12月13日に同じ会場で歌ったものと同じとのことです(実際には12月に歌った「アリラン」が今回はなかった)。「昔のいい曲があるし、いまは自分の歴史を歌っていこうかと思う」と言うChiminさん。新曲をどんどん作るというよりも現在はそういうモードなのでしょう。定番の良さというものがあり、好きな歌を好きな声でなら何度でも聴きたいし、むしろそのほうが変化に敏感になる。

もうだいぶ前のことですが2000年頃、ラスタカラーのリサイクルマークに If the music's nice, play it twice とバックプリントされたTシャツを気に入ってよく着ていたことを思い出しました。

2012年のアルバム『住処』の制作中に大阪城の正面にある土産物屋さんでアルバイトをしていたというのを聞いて、生きていれば生活があるのは当然なのですが、僕の中でChiminさんは想像上の架空の生物、妖精のような存在なので、とても意外な気がしてしまう。そういった感情を呼び覚ます音楽家を人は歌姫と呼ぶのでしょう。


 

2025年1月23日木曜日

デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で

春兆す。アップリンク吉祥寺で『デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で』を鑑賞しました。

2007年、プールサイドで日に焼けた58歳のアンジー・ボウイが語る。1967年、英領キプロス島出身のアンジーがロンドンに留学して、マーキュリーレコードのインターンに採用されたときは17歳。「私はノーと言わせない人間よ」。レコード会社の意を汲んだアンジーは、デヴィッド・ボウイ(左利き)の契約を獲得する。

1967年の1stアルバム『デヴィッド・ボウイ』から、翌1968年の2nd『スペース・オディティ』によるブレーク(アンジー曰く「適度に反米的な歌詞」による全英ヒット)、1972年の歴史的名盤『ジギー・スターダスト』、アートワークにツイッギーをフィーチャーした1973年のカバーアルバム『ピンナップス』まで、初期6年間を関係者のインタビューで構成したドキュメンタリーフィルムです。

本人存命中の2013年にロンドンの英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館で開催された大回顧展『DAVID BOWIE is』の映像版として、現時点における正史と言える『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』では約50年のキャリアを2時間半に凝縮していますが、その序盤部分を補完する60分と言っていいでしょう。

ジギー・スターダスト・アンド・ザ・スパイダーズ・フロム・マーズで存命中のふたり、トレヴァー・ボールダー(b)とウッディ・ウッドマンジー(Dr)が口を揃えて『ハンキ―・ドリー』(1972)が好きだと言うのが、僕もボウイで一番好きなアルバムなのでうれしい。昨年亡くなったハービー・フラワーズはジャズベーシストだったのに、苗字がヒップだから『スペース・オディティ』のセッションに呼ばれたというのもちょっと面白い。

アンジーは1970年にデヴィッド・ボウイの最初の妻となる。アートスクールに通う神経質な長髪のフォーク青年がグラム・ロックのスターになり、破滅的なユースカルチャーのアイコンとして祀り上げられる、という最初期のコンセプチュアルな変遷において、アンジーの果たした役割の大きさがわかりますが、あくまでも本人弁ですので多少割り引いて聞いておくべきかと思います。

ちなみに本作中のライブ・フッテージの希少性は低いです。エンドロールは無音で楽曲のクレジットだけが超高速で流れ、監督以下スタッフのクレジットは見当たりませんでした。

 

2025年1月19日日曜日

ねこしま

冬晴れ。シネ・リーブル池袋サラ・ジェイン・ポルテッリ監督作品『ねこしま』を観ました。

英国連邦の独立国マルタの人口は45万人。地中海に浮かぶ3つの島で構成されている共和国に10万匹の猫が暮らしているという。自身のルーツであるマルタ共和国へ2017年に移住したオーストラリア出身の女性監督が撮ったドキュメンタリーフィルムです。

約70分の映画は6パートで構成されている。

①人災事故で左前足を失った野良猫ナーヌを動物病院に搬送し治療後、自宅に引き取ったが野良の習性で逃亡するも、港でしばしば出会うというカップル。

②セント・ジュリアン地区で1匹の飢えた野良猫に餌をあげたのをきっかけに多くの野良猫にキャットフードを与えキャットヴィレッジと命名したがヒルトングループの再開発で立ち退きを迫られている老婦人。

③リゾート地スリーマの海に面したキャットパークで巨大な猫のオブジェを制作するパブリック・アーティスト。

④"Powered By Fairydust And Cat Hair" とティンカーベルの描かれたTシャツを着た猫おばさんは、自宅近くの路上で野良猫を餌付けしている。

⑤おこづかいやお手伝いの駄賃をキャットフードに注ぎ込む11歳のぽっちゃりした少年。

⑥約200匹を擁する保護猫カフェを経営するNGO代表者の女性は、世界中の保護猫NGOの連帯を訴える。

どちらかというと猫よりも人間にフォーカスしており、インタビュー映像の時間が長いが、話している人間のかたわらにはいつも猫が映っている。そして飼い猫はほぼ画面に登場しない。野良猫たちと人間の関係性を描いた映画と言っていいと思います。監督はその在り方を賛美も否定もしませんが、そのありのままの存在の肯定が猫的ともいえましょう。

キジトラって英語でgingerって言うんですね。冬の休日の午後の1時間を過ごすのに最適な映画だと思います。猫嫌いでなければ。挿入歌で使用されている Eric Harper の "I'm Coming Home" がめちゃいい曲で、映画館を出て速攻ダウンロードしました。

 

2025年1月18日土曜日

さいとういんこ記念オープンマイク+ライブ

薄曇り。千駄木Bar Issheeにて『さいとういんこ記念オープンマイク+ライブ』が開催されました。

この日1月18日は、いんこさんのお誕生日。バースデーライブとはまた、どういう心境の変化なのか。30年近い付き合いになりますが、小さいのから大きいのまで、毎度驚きをくれます。

いんこさんのMCによりくじ引きで出演順が決まるオープンマイクは、いんこさん自身も含め、全12組がエントリーしました。しょっぱなRabbit Fighterさんの即興詩から始まり、最後のかとゆかちゃんも即興の語り。世界平和がテーマと事前告知があり、それに寄せたことで、各々の切り口の違いが明瞭でした。

ジュテーム北村氏のひりひりした肉声、佐藤yuupopicさんのすっと沁みこむ心地良い声、斉藤木馬さんの鉈で割るような硬質な発声、みなさんご自身の朗読スタイルを持っていて聴かせます。なかでも、宮澤賢治を引いて「世界平和は実現しない、なぜなら私は幸せではないから」と明るく断言したオープンマイク初参加というチャコさんのフリースタイル・トーキングブルーズは強く印象に残りました。

僕はオープンマイクでは「都市計画/楽園」を、ライブコーナーでは連詩「クリスマスの翌日に」(2021)と「クリスマスの午後に」(2022)の2篇をいんこさんと並んで朗読しました。

いんこさんのソロステージは、安部王子さんのDTMと6弦ベースの生演奏をバックに約20分。『ハンバーガー関係の数編の詩と、その他の詩』収録作品を中心に、人気の「SRH」ではコール&レスポンスも飛び出しました。詩の朗読でコール&レスポンスって。

「私のやりたいロックをポエトリーリーディングでやっている」と言ういんこさんのMCがありました。破壊衝動と世界平和、反商業主義とショービス、前衛性と大衆性、粗野な行いと繊細さ、自己否定と承認欲求、反知性と探求心、など相反する要素を強引に成立させる歪んだギターと強烈なビートがロックだと僕は考えています。また「今日あったことを今日表現できる」というニュース性もロックだと思います。

「世界平和だと堅苦しいから#セカヘワで」。いんこさんのロックはこういうことなんだな、と観る人、聴く人みんなが納得するのは、そこに必ずポジティブなアティテュードの存在を認めるからだと思います。この日は奇しくもBar Issheeさんの17回目の開店記念日(おすぎとピーコマイメロディも同じ誕生日)ということでしたが、浮かれ過ぎることなく、考え込み過ぎることもなく、このちょうどよさもまた、いんこさんとその作品が愛される理由なのでしょう。いんこさんお誕生日おめでとうございます。一生反抗期を貫いてくださいね。

 

2025年1月12日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

曇天。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックカワグチタケシ冬の朗読に出演しました。

いつも大変お世話になっているノラバーの新年最初のライブを2023年2024年に続き担わせていただきました。年があらたまるというのはまったくもって人間の都合ではございますが、やはり清々しい気持ちになります。

ご来場のお客様、デザートミュージックの配信を視聴してくださいました全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、あらためましてありがとうございました。

 3. 冬の旅
 9. Judy Garland
11. 日傘をさす女Amy Winehouseに(新作)
12. 舗道
13. 夕陽
14. 答え

本編第一部は以上14篇の詩を朗読しました。歌姫シリーズの新作も間に合わせることができてよかったです。そして冬のノラバー御膳。ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくね焼き、きんぴらごぼう、きゅうりの酢のもの、さばみりん、とうふと小松菜のみそ汁、豆ひじきごはん。ひとつひとつの小鉢に落ち着きと素材に適した工夫があって、それだけでも会話が弾みます。そしてノラバープリンとバニラアイス、ノラブレンドコーヒーをいただきながらインスタライブ配信、30分間のデザートミュージックはこの6篇を。


今回のお土産は、ノラバーとこの店に集ってくれたオーディエンスに感謝を込めて、2017年の開店の年から2024年まで、途中コロナでリアル開催は3年のブランクがありましたが、11回出演させていただいた日曜生うたコンサートのライブ録音から9篇を選んだCD-R "from across the red counter table" を制作しました。

2025年は昭和100年。昭和40年(1965年)生まれの僕の還暦イヤーにあたります。その幕開けに充実した時間を過ごすことができました。区切りの年でもありますので、10年ぶりの詩集の制作(できれば2冊)と20年ぶりのスタジオレコーディングもしたいと思っています。もちろんライブも、ノラバーのワンマンを軸に、3Kプリシラレーベルの詩人たちやミュージシャンのみなさんとの共演も実現したい。キャリアの終盤に差し掛かってもなお、あれもしたい、これもしたい、と思えるのは、本当に恵まれた環境にいるということ。あらためて感謝の思いを強く抱いた年頭でした。

 

2025年1月3日金曜日

太陽と桃の歌

正月三日。TOHOシネマズ シャンテカルラ・シモン監督作品『太陽と桃の歌』を観ました。

スペイン・カタルーニャ地方の砂岩の傾斜地。貯水池のほとりに放置されている廃車で、末娘のイリス(アイネット・ジョウノ)と双子の従弟ペレ(ジョエル・ロビラ)とパウ(イザック・ロビラ)が逃走ごっこをして遊んでいると、ショベルカーが来てシトロエンを撤去してしまう。

幼い3人ががっかりして家に帰ると、祖父ロヘリオ(ジョゼ・アバッド)は借地契約書を探しているが見つからない。祖父の代から続いた続いた果樹園を伐採してソーラーパネルを設置するので管理人にならないか、と地主から言われ、納得のいかない父キメット(ジョルディ・プジョル・ドルセ)。

学生だが繁忙期は家業を手伝う長男ロジェ―(アルベルト・ボッシュ)は、夜はクラブに通い、大麻を栽培している。思春期の長女マリオナ(シェニア・ロゼ)は無口だが、収穫祭で友だちと披露するダンスの練習に余念がない。妻ドロルス(アンナ・オティン)、キメットの妹ナティ(モンセ・オロ)と夫シスコ(カルレス・カボス)は労力の割に利幅の少ない農業よりソーラーパネルに魅力を感じ、キメットと対立する。

デビュー作『悲しみに、こんにちは』で2017年のベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞し、第二作となる本作で同映画祭の最優秀賞である金熊賞を受賞したスペインの女性監督カルラ・シモン氏は38歳。自身の生家の実話をモチーフに社会と隔絶されたような家族経営の農家が否応なく時流に飲み込まれていく様を描いているという点においては、台湾の傅天余監督の『本日公休』にも通じます。

果樹園を荒らす鹿や無力な野うさぎなど、シモン監督は寓意の使い方が上手いなあ、と思いました。僕は故郷を出て東京で仕事をしているので、バルセロナで同性パートナーと暮らしている未婚の末妹グロリア(ベルタ・ピポ)の対立する兄妹のどちら側にもつかない(つけない)にポジションに感情移入して観ていました。

ガソリン車による開墾や輸送などCO2を排出する果樹園よりも、ソーラー発電のほうが見た目に反して環境負荷が少ないという現実があり、また大資本の買い叩きに対する抗議行動など社会活動に参加せざるを得なくなると、丁寧な暮らしという思想はファンタジーに過ぎないと思えてくる。その意味では、ご近所の噂かレシピの話しかしない祖母ペピタ(アントニア・カステルス)が一番幸福そうに見えます。

プロの俳優ではなく、9000人の一般人からオーディションで選んだという出演者たちの自然な演技が素晴らしいです。特に子役たちの、ひとつの遊び場を失ってもすぐに次の遊びを見つけ、全身全霊で取り組む姿に心打たれます。「子供らは困難に立ち向かいひたすら遊ぶ/うらやましい/もう三十だからということでさすがにやらないが」という奥田民生の「コーヒー」の歌詞が上映中に脳内でリピートしていました。