2025年1月23日木曜日

デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で

春兆す。アップリンク吉祥寺で『デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で』を鑑賞しました。

2007年、プールサイドで日に焼けた58歳のアンジー・ボウイが語る。1967年、英領キプロス島出身のアンジーがロンドンに留学して、マーキュリーレコードのインターンに採用されたときは17歳。「私はノーと言わせない人間よ」。レコード会社の意を汲んだアンジーは、デヴィッド・ボウイ(左利き)の契約を獲得する。

1967年の1stアルバム『デヴィッド・ボウイ』から、翌1968年の2nd『スペース・オディティ』によるブレーク(アンジー曰く「適度に反米的な歌詞」による全英ヒット)、1972年の歴史的名盤『ジギー・スターダスト』、アートワークにツイッギーをフィーチャーした1973年のカバーアルバム『ピンナップス』まで、初期6年間を関係者のインタビューで構成したドキュメンタリーフィルムです。

本人存命中の2013年にロンドンの英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館で開催された大回顧展『DAVID BOWIE is』の映像版として、現時点における正史と言える『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』では約50年のキャリアを2時間半に凝縮していますが、その序盤部分を補完する60分と言っていいでしょう。

ジギー・スターダスト・アンド・ザ・スパイダーズ・フロム・マーズで存命中のふたり、トレヴァー・ボールダー(b)とウッディ・ウッドマンジー(Dr)が口を揃えて『ハンキ―・ドリー』(1972)が好きだと言うのが、僕もボウイで一番好きなアルバムなのでうれしい。昨年亡くなったハービー・フラワーズはジャズベーシストだったのに、苗字がヒップだから『スペース・オディティ』のセッションに呼ばれたというのもちょっと面白い。

アンジーは1970年にデヴィッド・ボウイの最初の妻となる。アートスクールに通う神経質な長髪のフォーク青年がグラム・ロックのスターになり、破滅的なユースカルチャーのアイコンとして祀り上げられる、という最初期のコンセプチュアルな変遷において、アンジーの果たした役割の大きさがわかりますが、あくまでも本人弁ですので多少割り引いて聞いておくべきかと思います。

ちなみに本作中のライブ・フッテージの希少性は低いです。エンドロールは無音で楽曲のクレジットだけが超高速で流れ、監督以下スタッフのクレジットは見当たりませんでした。

 

2025年1月19日日曜日

ねこしま

冬晴れ。シネ・リーブル池袋サラ・ジェイン・ポルテッリ監督作品『ねこしま』を観ました。

英国連邦の独立国マルタの人口は45万人。地中海に浮かぶ3つの島で構成されている共和国に10万匹の猫が暮らしているという。自身のルーツであるマルタ共和国へ2017年に移住したオーストラリア出身の女性監督が撮ったドキュメンタリーフィルムです。

約70分の映画は6パートで構成されている。

①人災事故で左前足を失った野良猫ナーヌを動物病院に搬送し治療後、自宅に引き取ったが野良の習性で逃亡するも、港でしばしば出会うというカップル。

②セント・ジュリアン地区で1匹の飢えた野良猫に餌をあげたのをきっかけに多くの野良猫にキャットフードを与えキャットヴィレッジと命名したがヒルトングループの再開発で立ち退きを迫られている老婦人。

③リゾート地スリーマの海に面したキャットパークで巨大な猫のオブジェを制作するパブリック・アーティスト。

④"Powered By Fairydust And Cat Hair" とティンカーベルの描かれたTシャツを着た猫おばさんは、自宅近くの路上で野良猫を餌付けしている。

⑤おこづかいやお手伝いの駄賃をキャットフードに注ぎ込む11歳のぽっちゃりした少年。

⑥約200匹を擁する保護猫カフェを経営するNGO代表者の女性は、世界中の保護猫NGOの連帯を訴える。

どちらかというと猫よりも人間にフォーカスしており、インタビュー映像の時間が長いが、話している人間のかたわらにはいつも猫が映っている。そして飼い猫はほぼ画面に登場しない。野良猫たちと人間の関係性を描いた映画と言っていいと思います。監督はその在り方を賛美も否定もしませんが、そのありのままの存在の肯定が猫的ともいえましょう。

キジトラって英語でgingerって言うんですね。冬の休日の午後の1時間を過ごすのに最適な映画だと思います。猫嫌いでなければ。挿入歌で使用されている Eric Harper の "I'm Coming Home" がめちゃいい曲で、映画館を出て速攻ダウンロードしました。

 

2025年1月18日土曜日

さいとういんこ記念オープンマイク+ライブ

薄曇り。千駄木Bar Issheeにて『さいとういんこ記念オープンマイク+ライブ』が開催されました。

この日1月18日は、いんこさんのお誕生日。バースデーライブとはまた、どういう心境の変化なのか。30年近い付き合いになりますが、小さいのから大きいのまで、毎度驚きをくれます。

いんこさんのMCによりくじ引きで出演順が決まるオープンマイクは、いんこさん自身も含め、全12組がエントリーしました。しょっぱなRabbit Fighterさんの即興詩から始まり、最後のかとゆかちゃんも即興の語り。世界平和がテーマと事前告知があり、それに寄せたことで、各々の切り口の違いが明瞭でした。

ジュテーム北村氏のひりひりした肉声、佐藤yuupopicさんのすっと沁みこむ心地良い声、斉藤木馬さんの鉈で割るような硬質な発声、みなさんご自身の朗読スタイルを持っていて聴かせます。なかでも、宮澤賢治を引いて「世界平和は実現しない、なぜなら私は幸せではないから」と明るく断言したオープンマイク初参加というチャコさんのフリースタイル・トーキングブルーズは強く印象に残りました。

僕はオープンマイクでは「都市計画/楽園」を、ライブコーナーでは連詩「クリスマスの翌日に」(2021)と「クリスマスの午後に」(2022)の2篇をいんこさんと並んで朗読しました。

いんこさんのソロステージは、安部王子さんのDTMと6弦ベースの生演奏をバックに約20分。『ハンバーガー関係の数編の詩と、その他の詩』収録作品を中心に、人気の「SRH」ではコール&レスポンスも飛び出しました。詩の朗読でコール&レスポンスって。

「私のやりたいロックをポエトリーリーディングでやっている」と言ういんこさんのMCがありました。破壊衝動と世界平和、反商業主義とショービス、前衛性と大衆性、粗野な行いと繊細さ、自己否定と承認欲求、反知性と探求心、など相反する要素を強引に成立させる歪んだギターと強烈なビートがロックだと僕は考えています。また「今日あったことを今日表現できる」というニュース性もロックだと思います。

「世界平和だと堅苦しいから#セカヘワで」。いんこさんのロックはこういうことなんだな、と観る人、聴く人みんなが納得するのは、そこに必ずポジティブなアティテュードの存在を認めるからだと思います。この日は奇しくもBar Issheeさんの17回目の開店記念日(おすぎとピーコマイメロディも同じ誕生日)ということでしたが、浮かれ過ぎることなく、考え込み過ぎることもなく、このちょうどよさもまた、いんこさんとその作品が愛される理由なのでしょう。いんこさんお誕生日おめでとうございます。一生反抗期を貫いてくださいね。

 

2025年1月12日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

曇天。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックカワグチタケシ冬の朗読に出演しました。

いつも大変お世話になっているノラバーの新年最初のライブを2023年2024年に続き担わせていただきました。年があらたまるというのはまったくもって人間の都合ではございますが、やはり清々しい気持ちになります。

ご来場のお客様、デザートミュージックの配信を視聴してくださいました全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、あらためましてありがとうございました。

 3. 冬の旅
 9. Judy Garland
11. 日傘をさす女Amy Winehouseに(新作)
12. 舗道
13. 夕陽
14. 答え

本編第一部は以上14篇の詩を朗読しました。歌姫シリーズの新作も間に合わせることができてよかったです。そして冬のノラバー御膳。ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくね焼き、きんぴらごぼう、きゅうりの酢のもの、さばみりん、とうふと小松菜のみそ汁、豆ひじきごはん。ひとつひとつの小鉢に落ち着きと素材に適した工夫があって、それだけでも会話が弾みます。そしてノラバープリンとバニラアイス、ノラブレンドコーヒーをいただきながらインスタライブ配信、30分間のデザートミュージックはこの6篇を。


今回のお土産は、ノラバーとこの店に集ってくれたオーディエンスに感謝を込めて、2017年の開店の年から2024年まで、途中コロナでリアル開催は3年のブランクがありましたが、11回出演させていただいた日曜生うたコンサートのライブ録音から9篇を選んだCD-R "from across the red counter table" を制作しました。

2025年は昭和100年。昭和40年(1965年)生まれの僕の還暦イヤーにあたります。その幕開けに充実した時間を過ごすことができました。区切りの年でもありますので、10年ぶりの詩集の制作(できれば2冊)と20年ぶりのスタジオレコーディングもしたいと思っています。もちろんライブも、ノラバーのワンマンを軸に、3Kプリシラレーベルの詩人たちやミュージシャンのみなさんとの共演も実現したい。キャリアの終盤に差し掛かってもなお、あれもしたい、これもしたい、と思えるのは、本当に恵まれた環境にいるということ。あらためて感謝の思いを強く抱いた年頭でした。

 

2025年1月3日金曜日

太陽と桃の歌

正月三日。TOHOシネマズ シャンテカルラ・シモン監督作品『太陽と桃の歌』を観ました。

スペイン・カタルーニャ地方の砂岩の傾斜地。貯水池のほとりに放置されている廃車で、末娘のイリス(アイネット・ジョウノ)と双子の従弟ペレ(ジョエル・ロビラ)とパウ(イザック・ロビラ)が逃走ごっこをして遊んでいると、ショベルカーが来てシトロエンを撤去してしまう。

幼い3人ががっかりして家に帰ると、祖父ロヘリオ(ジョゼ・アバッド)は借地契約書を探しているが見つからない。祖父の代から続いた続いた果樹園を伐採してソーラーパネルを設置するので管理人にならないか、と地主から言われ、納得のいかない父キメット(ジョルディ・プジョル・ドルセ)。

学生だが繁忙期は家業を手伝う長男ロジェ―(アルベルト・ボッシュ)は、夜はクラブに通い、大麻を栽培している。思春期の長女マリオナ(シェニア・ロゼ)は無口だが、収穫祭で友だちと披露するダンスの練習に余念がない。妻ドロルス(アンナ・オティン)、キメットの妹ナティ(モンセ・オロ)と夫シスコ(カルレス・カボス)は労力の割に利幅の少ない農業よりソーラーパネルに魅力を感じ、キメットと対立する。

デビュー作『悲しみに、こんにちは』で2017年のベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞し、第二作となる本作で同映画祭の最優秀賞である金熊賞を受賞したスペインの女性監督カルラ・シモン氏は38歳。自身の生家の実話をモチーフに社会と隔絶されたような家族経営の農家が否応なく時流に飲み込まれていく様を描いているという点においては、台湾の傅天余監督の『本日公休』にも通じます。

果樹園を荒らす鹿や無力な野うさぎなど、シモン監督は寓意の使い方が上手いなあ、と思いました。僕は故郷を出て東京で仕事をしているので、バルセロナで同性パートナーと暮らしている未婚の末妹グロリア(ベルタ・ピポ)の対立する兄妹のどちら側にもつかない(つけない)にポジションに感情移入して観ていました。

ガソリン車による開墾や輸送などCO2を排出する果樹園よりも、ソーラー発電のほうが見た目に反して環境負荷が少ないという現実があり、また大資本の買い叩きに対する抗議行動など社会活動に参加せざるを得なくなると、丁寧な暮らしという思想はファンタジーに過ぎないと思えてくる。その意味では、ご近所の噂かレシピの話しかしない祖母ペピタ(アントニア・カステルス)が一番幸福そうに見えます。

プロの俳優ではなく、9000人の一般人からオーディションで選んだという出演者たちの自然な演技が素晴らしいです。特に子役たちの、ひとつの遊び場を失ってもすぐに次の遊びを見つけ、全身全霊で取り組む姿に心打たれます。「子供らは困難に立ち向かいひたすら遊ぶ/うらやましい/もう三十だからということでさすがにやらないが」という奥田民生の「コーヒー」の歌詞が上映中に脳内でリピートしていました。