2007年、プールサイドで日に焼けた58歳のアンジー・ボウイが語る。1967年、英領キプロス島出身のアンジーがロンドンに留学して、マーキュリーレコードのインターンに採用されたときは17歳。「私はノーと言わせない人間よ」。レコード会社の意を汲んだアンジーは、デヴィッド・ボウイ(左利き)の契約を獲得する。
1967年の1stアルバム『デヴィッド・ボウイ』から、翌1968年の2nd『スペース・オディティ』によるブレーク(アンジー曰く「適度に反米的な歌詞」による全英ヒット)、1972年の歴史的名盤『ジギー・スターダスト』、アートワークにツイッギーをフィーチャーした1973年のカバーアルバム『ピンナップス』まで、初期6年間を関係者のインタビューで構成したドキュメンタリーフィルムです。
本人存命中の2013年にロンドンの英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館で開催された大回顧展『DAVID BOWIE is』の映像版として、現時点における正史と言える『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』では約50年のキャリアを2時間半に凝縮していますが、その序盤部分を補完する60分と言っていいでしょう。
ジギー・スターダスト・アンド・ザ・スパイダーズ・フロム・マーズで存命中のふたり、トレヴァー・ボールダー(b)とウッディ・ウッドマンジー(Dr)が口を揃えて『ハンキ―・ドリー』(1972)が好きだと言うのが、僕もボウイで一番好きなアルバムなのでうれしい。昨年亡くなったハービー・フラワーズはジャズベーシストだったのに、苗字がヒップだから『スペース・オディティ』のセッションに呼ばれたというのもちょっと面白い。
アンジーは1970年にデヴィッド・ボウイの最初の妻となる。アートスクールに通う神経質な長髪のフォーク青年がグラム・ロックのスターになり、破滅的なユースカルチャーのアイコンとして祀り上げられる、という最初期のコンセプチュアルな変遷において、アンジーの果たした役割の大きさがわかりますが、あくまでも本人弁ですので多少割り引いて聞いておくべきかと思います。
ちなみに本作中のライブ・フッテージの希少性は低いです。エンドロールは無音で楽曲のクレジットだけが超高速で流れ、監督以下スタッフのクレジットは見当たりませんでした。