2024年10月26日土曜日

FLOWER SPELLS

曇天。原宿Atelier MITULLEで開催のイラストレーター兎月結花さんとシンガーソングライターmandimimiさんによる12ヶ月の花言葉を目&耳で楽しむ展示会『FLOWER SPELLS』にお邪魔しました。mandimimiさんのお誕生日の8/31~9/1に当初開催を予定していたものが台風接近により延期され今回あらためて開催となりました。

原宿キャットストリートのヴィンテージアパートメントの急な階段を上った3階にそのギャラリーはあります。昭和の木造建築ですが、小花柄の壁紙やタイルの床、ネオン管のピンクに彩られ、キュートでガーリィな雰囲気。出迎えてくれたmandimimiさんは子猫柄のドレスです。

玄関ドアの右手壁に展示されているのが、1月デイジーのイラストレーション。入口左手の洗面台は古い真鍮の蛇口の周りにカラフルな小瓶が飾られている。

兎月結花さん(左利き)の今回の展示作品は、水彩画、アクリル、ペン画、刺繍、写真、コラージュ、ガラス瓶に入れた立体と表現手法が多彩。淡い色調ながら、かわいいだけではない、ソリッドな筆致も持つ作家さんです。

僕の知る限り2017年頃からmandimimiさんがひとつずつ積み重ねてきた12ヶ月の花と花言葉をモチーフにした楽曲群 "FLOWER SPELLS"が揃ったのは大変よろこばしいこと。その12曲を聴いた兎月結花さんが12点のアート作品に落とし込んでいます。

各曲のQRコードをスマートフォンに読み込んで各々持参したイヤホンで再生しながら、アート作品を鑑賞するという趣向ですが、僕が会場に伺ったのがたまたまお客様が多い時間帯で、それでは1曲ずつ歌いながらガイドツアーをしましょう、ということになり、ひと月ごとに楽曲と作品の成り立ちのコメントつきで12曲のキーフレーズをご本人がアカペラで歌ってくださいました。薄いカーテンを風が膨らませ、鳥のさえずりが聞こえる、小さな会場内の1~2mの至近距離で生の歌声を聴く幸運で贅沢で優しい時間をありがとうございました。

 

2024年10月25日金曜日

国境ナイトクルージング

にわか雨。アンソニー・チェン監督作品『国境ナイトクルージング』を観ました。

凍てついた川の厚い氷をチェーンソーで切り出し流す男たちの頭上には鉄橋が掛かり列車が通り過ぎる。

朝鮮民族式の披露宴の会場に氷を噛み砕く音が響く。噛んでいるのは上海の金融エリート社員ハオファン(リウ・ハオラン)、結婚式に出席するため中国と北朝鮮の国境の町、延吉に来た。心療内科の予約をすっぽかして何度も電話が来るが無視する。

翌日、ハオファンは延吉の観光バスツアーに一人で参加し、スマートフォンを紛失する。ガイドのナナ(チョウ・ドンユイ)は「会社にクレームを入れないで」と現金を渡してハオファンを食事に誘い、ナナに片思いしている料理人シャオ(チュー・チューシャオ)がナナを誘った店に同席させる。泥酔した三人はナナの部屋に泊まり、目覚めたときは1日1本しかない上海便には間に合わない時間だった。そして三人の無軌道なクルージングが始まる。

ナナは足首の大怪我で五輪をあきらめた元フィギュアスケーター。『負けヒロインが多すぎる!』の八奈見杏菜の名台詞「女の子は二種類に分けられるの。幼馴染か、泥棒猫か」を本作の男子に置き換えると、シャオが幼馴染でハオファンが泥棒猫。報われることがなくても健気で無邪気でちょっといい加減なシャオが、ナナとハオファンの無表情をすこしずつ崩していく。だが青春は有限、それぞれの現実に帰る時が来る。

アンソニー・チェン監督はシンガポール出身で香港在住。南国で生まれ育った監督は『燃冬 The Breaking Ice』という原題の本作で、冒頭の凍結した川や氷の迷路、雪道、辿りつけない長白山の天池によって中国の若い世代の閉塞感を、それらを割り、踏み越えていくさまに未来を照らす仄かな光を、象徴的に表現しています。

 

2024年10月20日日曜日

More...

秋晴れ。下北沢DAISY BARで開催されたTHE ANDS主催イベント3マンライブ『More...』に行きました。

オルタナティブ/ポストロックバンドTHE ANDSがリスペクトしているお気に入りのミュージシャンを招いて不定期で開催しているライブイベントです。

一番手はCUICUI。デビュー曲「彼はウィルコを聴いている」から始まり、ココ・シャネルを歌った「皆殺しの天使」で終わる。挟まれた楽曲群が、CUICUIで一番強い(ワンマンライブのMCより)「ゆびさしちゃん」、NIRVANAオマージュの「真夜中のラブレター現象」、ハードトランスナンバー「信号はいつも赤」に、80's POPな新曲「悪魔的にロマンティック」とみんな大好き「サマーガールニッポン」。激烈な爆音の中に抒情性を滲ませるTHE ANDSの音楽性に絶妙に寄り添ったセットリストでした。

ソングライターERIE-GAGA様、ベースAYUMIBAMBIさん、ドラムスRuì Suì Liuさんのトリプルボーカル、ギターMAKI ENOSHIMAさんジャズマスターはいつものブラウンサンバーストではなくミントブルーでリアをハムバッカーにカスタムした太い音。笑顔で楽しげに演奏する姿は4人全員が主役で、現在のバランスの拮抗と変わらぬフレッシュネスを感じます。

さめざめwithバナナとドーナツは、ボーカル笛田サオリさんのキャラが立ち「渋谷」「東新宿」と実在の地名を歌うのは椎名林檎的ですが、声質や唱法にはむしろ小泉今日子みを感じます。ツインテールのギタリストりなぱるさんがリラックマ仕様のピンクのZO-3マーシャルに挿しているのがぶっ飛んでいて、一周してロックだなあ、と思いました。

本日の主催バンドTHE ANDSは2017年2月の『CUICUIのUIJIN 〜 キューでキュイキュイ』、CUICUIのデビューライブのゲストでした。スリーピースの轟音シューゲイザーサウンドは更に厚みを増した気がする。リズムに対する姿勢がイノべーティブで、エイトビートの可能性を追求しているのがダイレクトに伝わってくるのが素晴らしかったです。

 

2024年10月18日金曜日

ECMレコード サウンズ&サイレンス

霧雨。ヒューマントラストシネマ渋谷ペーター・グイヤーノルベルト・ビドメール監督作品『ECMレコード サウンズ&サイレンス』を観ました。

白い部屋で脚を組んで椅子に腰掛け、疲れたように目尻を指で押さえている白髪の男がマンフレート・アイヒャー。1969年に西独ミュンヘンで創業したレコード会社ECM(Editon of Contemporary Music)の創業者で音楽プロデューサーである。

風景が認識できないほどのハイスピードで過ぎていく車窓にキース・ジャレット静謐なピアノが重なり、舞台はエストニアの首都タニンへ。聖ニコラス教会の礼拝堂で現代音楽家アルヴォ・ペルトの弦楽合奏と合唱によるミニマルな宗教曲のレコーディング風景を映す。アイヒャーと作曲者ペルトは演奏の解釈と音響の確認のため、指揮者トヌ・カリユステをしばしば止める。

ECMはジャズから出発したレコードレーベルだが、現代音楽や東欧、中東、南米、アフリカの民族音楽にも対象を広げ、各ジャンルでクオリティの高い作品を制作している。そのブランドを一代で築き、現在もほとんどの作品をプロデュースしているドイツ人マンフレート・アイヒャーを主軸にECMから作品を発表しているミュージシャンたちをフィーチャーした2009年制作のドキュメンタリーフィルムです。

「音の輝きが何より重要だ」というアイヒャーの音作りは、クリアな音色とエレガントな残響がアイコンとなっておりアートワークもクールでスタイリッシュ。創業時は、ノイズ混じりのAMラジオのモノラル音源こそジャズという米国音楽のステレオタイプに対する欧州からのカウンターアクションだったのかもしれません。金太郎飴的な要素もあるが、支持者も多い。

話題は録音に留まらず、チュニジアのウード奏者アヌアル・ブラヒムレバノン侵攻(2006)を憂い、アルゼンチン出身のバンドネオン奏者ディノ・サルーシは祖国の酒場で旧友たちが奏でるタンゴをアイヒャーと踊り、その神髄を伝えようとする。

出演しているミュージシャンは2000年以降にECMでレコーディングしている者が中心で、ジャズにカテゴライズできるのはドイツ人ピアニストのニック・ベルチュぐらいか。キース・ジャレットパット・メセニーの制作秘話を期待するとコレジャナイ感があると思いますが、近年アルヴォ・ペルトに着目していたこともあって僕は楽しめました。シンプルに音の響きの面白さで言えばNY出身の打楽器奏者マリリン・マズールが最高です。

 

2024年10月14日月曜日

画家ボナール ピエールとマルト

10月の夏日。シネスイッチ銀座マルタン・プロボ監督作品『画家ボナール  ピエールとマルト』を観ました。

1893年パリ。26歳の売れない画家ピエール(バンサン・マケーニュ)のアパルトマン、路上でスカウトした造花店員(セシル・ドゥ・フランス)がコルセット姿でポーズをとる。画家の求めに応じて乳房を出すが、しばらくして「じっとしているのに飽きた」と言って勝手に帰ろうとし、引き留めたピエールと身体の関係を持つものの性交の最中に激しい喘息の発作を起こす。

翌日、勤め先の造花の花束を持ってアトリエを訪ね、イタリアの没落貴族の末裔マルト・ド・メリニーと名乗り、両親は死んで身寄りがないと言う。「絵画とは小さな嘘をいくつも重ねて大きな真実を作ることである」。印象派とキュビズムの架け橋となったナビ派の画家ピエール・ボナールと妻マルトの出会いから1942年の死別までの50年間を実名で描いた史実に基づくフィクションです。

1925年に入籍するまで、内縁の夫に30年以上本名を明かさず、上記の自己紹介も嘘、一日の大半を浴槽で過ごした、そしてボナールは入浴する妻を生涯描いた、という伝説的なマルト像は僕にとっては長年の謎でした。映画を観ると、確かに感情的に不安定なところはありますが、家事をしっかりやっているし、友人が訪ねて来れば心からもてなします。入浴も呼吸器疾患の当時の療法のひとつだった。若い金髪の画学生ルネ(ステイシー・マーティン)への嫉妬の苦しみを跳ねのけるように自らも絵筆をとる。案外ちゃんとしているというか、むしろ才能豊かな女性だったんだな、と思いました。

雪の翌朝ナビ派展に向かう黒衣の男たちの俯瞰ショット、郊外の川べりの美しくのどかな風景、脚本も演出も撮影も音楽も瑞々しく小気味よく、芝居は重厚でみな達者。派手さはないですが、これから長く愛好される作品になるのではないでしょうか。

ジヴェルニーからセーヌ川をボートを漕いでボナールとマルトの川べりの家マ・ルロットを訪ねてくる大先輩画家クロード・モネアンドレ・マルコン)がとてつもなくスイートでジェントル。芸術家たちのパトロンでありファム・ファタールであるミシア(アヌーク・グランベール)の印象は『ボレロ 永遠の旋律』とはかなり異なり、オタサーの姫というかサークルクラッシャーというか。その口からこぼれる、画家たちはもちろん、音楽家ラヴェルサティ、象徴派詩人ヴェルレーヌたちとのエピソードを聞くにつれ、前世紀初頭の絢爛たるパリのサロンを覗き見するような楽しさも感じました。

 

2024年10月6日日曜日

ドキュメンタリー オブ ベイビーわるきゅーれ

曇天。109シネマズ木場高橋明大監督作品『ドキュメンタリー オブ ベイビーわるきゅーれ』を観ました。先月公開の『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』の制作過程を記録した劇場版映画です。

アイコンに使うスチール撮影後、フラペチーノを片手に歩く杉本ちさと役の高石あかり(左利き)と深川まひろ役の伊澤彩織

前作『ある用務員』の編集時に阪元裕吾監督のPCが故障し、エグゼクティブプロデューサー鈴木祐介氏のオフィスで編集作業を行っていた。鈴木氏がたまたま画面を覗いたときに映っていた二人の少女殺し屋のやりとりが面白く、坂元監督にスピンオフを勧めて本シリーズが誕生した。

「アクションとアクションの間にリアリティが生まれる」。本作においてはドラマシーンよりアクションシーンの撮影の裏側にウエイトを置いており、坂元監督よりアクション監督園村健介氏の尺が長い。映画の後半は『ナイスデイズ』のクライマックス、伊澤彩織と敵役冬村かえでを演じる池松壮亮の素手の戦闘シーンの撮影。数秒のカットを何度も検証しながら撮り直し詰み上げていく過酷な現場をリアルに映し出します。身体の位置、関節の角度、銃やナイフの構え方をミリ単位で試行錯誤する、死闘はデュオダンスでアクション監督はコレオグラファーだとの思いを強くしました。

「かえではちさとと出会っていない世界線のまひろ」だと坂元監督は伊澤彩織に伝えたという。上記のクライマックスシーンはその意味でも自身との闘いなのだと思います。極限まで体力を消耗して食欲が湧かないが、座り込んだ地面に置いたロケ弁の白米を次のシーンのために無理やり口に押し込む伊澤彩織の姿に胸が詰まります。

池松壮亮のプロフェッショナリズムと優しさが滲む。初登場シーンの撮影直前にロケ地の森の泥濘を自ら手に取り、はだけた胸と腕と顔に塗りつける。ネット動画をひたすら観て真似ることで、組織に属さず誰にも教わらず殺しの腕を上げたかえでの役作りをした。クランクアップ後しはらく経ったインタビューでは「敵役とはいえ女性の腹を蹴るのは生理的に抵抗があった」と言い、苛烈を極めたクライマックスの撮影には自身も満身創痍でアイシングしながら臨み、カットがかかるごとに敵役でありダンスパートナーである伊澤彩織のコンディションを気遣う。

主要キャストの怪我や体調不良で宮崎ロケのスケジュールが狂う。スタッフが集まって臨時会議が開かれ、日程や予算の対策を議論するシーンの赤裸々さは身につまされます。

もうひとりの主人公ちさとを演じる高石あかりさんがカメラの外でも終始笑顔で、太陽のように周囲を照らしているのも印象的でした。

 

2024年10月5日土曜日

Viva Niki タロット・ガーデンへの道

秋雨。シネスイッチ銀座にて松本路子監督作品『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を観ました。

遠くから土鳩の鳴き声。伊トスカーナの丘陵にオリーブ畑が広がっている。丘の上の森の中に原色のオブジェ群はタロット・ガーデンと呼ばれている。その作者である現代美術作家ニキ・ド・サンファル(1930-2002)の生涯とタロット・ガーデンを紹介するドキュメンタリー映画です。

監督は写真家の松本路子。1970年代後半から女性アーティストたちのポートレートを世界中で撮影る中で、1981年6月にニキ・ド・サンファルとパリで出会う。

統合失調症のセラピーの一環として美術作品の創作を始めたニキだが、1961~1962年の射撃絵画、1963~1964年の半平面作品の時代は、いずれも性的抑圧に対する憎悪を表現の核としている(最晩年の自伝で実父から性的虐待を受けていたことが明かされた)。1965年に登場するナナと呼ばれる土偶にも似たフォルムを持つ原色の巨大な女性像には、憎悪から解放へと大きな転換が見られる。

現代美術作家ニキ・ド・サンファルの経歴をクロニクルに辿り、且つ、ベルギーのコレクター、ロジェ・ネレンスの自宅庭園に制作した「ドラゴン」と1978年から没年までトスカーナで制作した彫刻庭園「タロット・ガーデン」に重点を置いて成立過程と細部を映し出す。

ニキ・ド・サンファルの作品は、フェミニズムの視点とアール・ブリュット/アウトサイダー・アートの視点の両面から今後も論じられていくことになると思います。本作においては前者にウエイトを置いていて上野千鶴子のコメントを撮影しているのですが、もう一歩踏み込みがあってもよかったのではないでしょうか。

写真家が監督していることもあり、フレームワーク、アングル、自然光中心のライティング、作品を自由に楽しむ観客たち、特に子供たちの表情、など映像は素晴らしく、現地で作品に触れているような臨場感がある。半面、小泉今日子と松本監督の二声のナレーションは役割が整理されておらず少々困惑します。

存命中から美術界で評価され、商業的にも成功していたニキは、日本中いたるところに作品があります。同世代の草間彌生にも似て商魂たくましく映るかもしれませんが「(パトロンの意向や貧困による制約を受けず)自分のやりたい芸術を実現するために自分の作品で稼ぐ必要がある」という発言にハードコアなDIY精神を感じました。

 

2024年10月2日水曜日

水辺にて

10月の真夏日。所沢音楽喫茶MOJOで開催されたChiminさんの企画ライブ『水辺にて』に行きました。

きれいな水辺で大人たちが寝転んでゆっくり聴けるようなライブ、という思いを込めて、Chiminさん2024年5月に立ち上げた自主企画の第2回。ゲストに同じ西武鉄道ユーザーのノラオンナさんを招いたツーマンで、ふたりの共演は僕も出演した2016年6月のPoemusica Vol.48以来です。

長く熱い夏が終わり疲れが出ているというMCから始まったノラオンナさんの演奏には、フィジカル面でトップコンディションでない、ウクレレという楽器の構造上のハイポジションのピッチが甘い、といった通常はネガティブに捉えられる要素も取り込んで緩やかで大きな渦を起こすように、自身の音楽を美しく昇華させる強靭さがある。

現時点の公式最新版『ララルー』収録の楽曲で2004年のデビュー盤の2曲をバインドした終盤の「わたしの暮らしの音楽」「パンをひとつ」「少しおとなになりなさい」「愛を」の流れには、僕がノラさんのライブ演奏の最大の美点と考える緊張と弛緩の交錯に揺さぶられました。ソプラノ、テナー、バリトンの歴代のウクレレとの関係性の話も興味深いものでした。

Chiminさんの1曲目は「住処」。一番好きな楽曲です。加藤エレナさんのピアノとコーラス、井上"JUJU"ヒロシさん のフルートも透明で優しい。僕はおそらくライブでは初めて聴く世界」「午後」の2曲は、こちらも2004年の1stミニアルバム『ゆりゆるり』から。同年デビューのノラさんとChiminさん、いずれも静謐さをその音楽の基盤に持つが、ベクトルは大きく異なります。

僕はどちらの歌詞もとても好きです。事象や風景のディテールを最少語数で描写し感情を浮き彫りにするようなノラさんに対して、Chiminさんは心象や抽象概念、手触りから感情にアプローチする。それはこの日Chiminさんがカバーした「悲しくてやりきれない」にも通じています。悲しんでいる自身の目に映るもの、自身の状態を歌っても、悲しみの理由、原因については触れない。

アンコールは、アイリッシュトラッドの "The Water Is Wide" をノラさんが日本語詞、Chiminさんが英語詞で歌いました。2016年1月の Kitchen Table Music Hour vol.4 では古川麦さんがつけていた上ハモをノラさんが歌ったのも大変感慨深かったです。