2025年10月11日土曜日

ジュリーは沈黙したままで

小雨。ヒューマントラストシネマ有楽町レオナルド・バン・デイル監督作品『ジュリーは沈黙したままで』を観ました。

薄暗い室内コートで女子選手がシャドーテニスをしている。クラブチーム・イロンデル(つばめ)に所属する15歳のジュリー(テッサ・バン・デン・ブルック)は将来を嘱望されているテニス選手。

クラブのマネジャーであるソフィ(クレール・ボドソン)が、ベルギーテニス協会による選抜歴のある選手アリーヌ(タマラ・トリコ)の自死を受けて、コーチのジェレミー(ローラン・カロン)が指導停止になり、バッキー(ピエール・ジェルベー)が代行することを選手たちに告げる。

コーチの指導に関する聴取が行われる中、ジェレミーと接点の多かったジュリーは沈黙を続け、新コーチとチームメイトのロール(グレース・ビオ)らと練習に打ち込み、協会の選抜試験に臨む。

ベルギーの社会派の巨匠ダルデンヌ兄弟が製作に加わった本作は、ベルギーの若手監督が、2021年のテニス全仏オープンにおいて大坂なおみ選手が「アスリートのメンタルヘルスに配慮が足りない」と取材拒否したことから着想し、大坂選手にインスタグラムのDMで連絡をとり賛同を得てエクゼクティブプロデューサーにクレジットされた。

自身もテニスプレイヤーであるテッサ・バン・デン・ブルックが演じる主人公ジュリーがとにかく喋らない。教室や練習後に友達と何気ない会話はするが、内心を明かすことがない。映画にドラマチックな抑揚を求める向きには物足りなさがあると思いますが、リアリティという面においては、本気のテニスシーンも相俟って、観るべき価値があります。

キャロライン・ショウの劇伴も効果的で、100分の上映時間に数秒間、ジュリーが飽和寸前の表情を見せるとき流れるヴォカリーズの緊迫感と聖性。言語化によってアイデンティティを保つことに慣れ過ぎてしまった私たちの価値観に波紋を投げかけています。

 

2025年10月10日金曜日

秒速5センチメートル

ユナイテッドシネマ豊洲奥山由之監督作品『秒速5センチメートル』を観ました。

「人が一生に出会う言葉は約5万語以上、その中からひとつを選ぶとしたら?」。主人公遠野貴樹(松村北斗)が館長(吉岡秀隆)を訪ねた科学館の展示室で宇宙探査船ボイジャーに搭載されたゴールデンレコードのレプリカがプレーヤー上で回転し、世界中の原語で録音された「こんにちは、お元気ですか?」を再生している。

「どこにいてもいつもあの頃の気配を探している」。IT企業のオフィス、イヤホンで外界を遮断し、同僚の誘いをスルーして、プログラムコードを入力する遠野。同じフロアに勤務する水野理紗(木竜麻生)も周囲とコミュニケーションを取ろうとしない。

小田急沿線の区立小学校に転校してきた篠原明里(白山乃愛)は、隣席の貴樹(上田悠斗)に上履きが買える店を教えてもらう。1年前に転校生だった貴樹は明里と一緒に過ごす時間が増える。図書館で貴樹は漱石を明里は『子供の科学』を手に取り交換する。そこには2009年3月26日に地球に衝突する可能性のある小惑星1991EVの記事が掲載されていた。

鹿児島県種子島の高校に通う澄田花苗(森七菜)は、同じくスーパーカブで通学する弓道部の遠野(青木柚)に恋をしている。恋愛感情はなさそうな遠野だが、RADIOHEADの "Pablo Honey" を貸してくれて、澄田が誘えば一緒に下校し、ふたりでカラオケにも行く。遠野は煙草を所持していることを花苗の姉で部活の顧問みどり(宮﨑あおい)に咎められる。

新海誠監督の2007年のアニメ作品では3つの時代を切り取った短編オムニバス作品の各時間軸を交錯させて再構成されています。松村北斗は『すずめの戸締り』、森七菜は『天気の子』でメインキャストの声を担当しており、木竜麻生は現在NHK夜ドラ『いつか、無重力の宙で』で超小型人工衛星の開発をしています。

種子島の広大な空の描写は新海アニメへのオマージュか、大変美しく撮られています。大人になった明里(高畑充希)は実は近くにいるのに、すれ違い続ける遠野の鬱屈を受容する館長の声の優しさ、主人公の各年代と関わりを持つみどり先生、主人公たちを見守る大人たちに共感している自分がいました。

Bill Evansの研究家としても知られる、WONK江﨑文武の劇伴が控えめながら要所を締めて、作品に格調をもたらしています。幼少期の明里を演じた白山乃愛さんは『Dr.チョコレート』の10歳の天才外科医でブレイクした子役ですが、思春期のお芝居ができる13歳になって、先が楽しみな若手がひとり増えました。

 

2025年10月5日日曜日

Chimin TRIO

十四夜。吉祥寺Stringで開催されたChiminさんのライブに伺いました。

岡野勇仁さんのジャジーなピアノのイントロに導かれて始まった「茶の味」は4ビートのマイナースイング。岡野さんの解釈は偶数拍にアクセントを置いて更に拍裏をかすかに打つというもの。井上 "JUJU" ヒロシさんがパーカッシブなフルートで応え、アウトロは再び岡野さんのピアノでクラシカルに締める。

超スローな「時間の意図」は更にスローに、ミドルテンポの「シンキロウ」は間奏とエンディングのピアノとフルートの掛け合いが見せ場ですが、岡野さんは涼しい顔でカウンターメロディを鼻歌で歌っています。いつも以上にゆったりしたリズムにChiminさんの伸びのある歌声が乗り、会場は微熱を帯びる。

オルタナティブな響きを持つアンビエントナンバー「」はずっと真冬のイメージで聴いていましたが、JUJUさんのアルトサックスの甘い音色と岡野さんの拍節感をあえて排除したピアノに、初秋の夜の湿度を感じます。そしてChiminさんのギター弾き語りで「目と目」「アリラン」。

「自分の調子が良いときは満たされない気持ちになり、あれが足りない、これが欲しいとなるが、体調が悪かったり、大事な人が怪我をしたりすると逆に、自分が満たされていたことに気づく」と話すChiminさんの歌声には嘘がない。裏はないのに果てが見通せない原野が見える。それが岡野さんの全体にややテンポを落とした柔らかいピアノによって眼前に広がるように思いました。

この日最後に歌った「やさしくありたい」には「この手で、守りたいと/初めて思った」という歌詞があります。凡百のJ-POPで歌われる「守りたい」とは多くの場合、その対象に心理的もしくは経済的安定を提供するという意味で漠然と聴き「人が人を守るってなんだよ」とシニカルな気持ちになってしまうのですが、Chiminさんが「守りたい」と歌うとき僕には、そこに具体的な脅威や恐怖が感じられるのです。

それら脅威や恐怖を心地良さに置き換えてしまうのは不謹慎な気もするのですが、それを許すのが音楽の力だとも思うのでした。

 

2025年10月3日金曜日

THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE

TOHOシネマズ日比谷オダギリジョー監督作品『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』を観ました。

GRAND CABARET アルマアルバのステージで白いドレスの女性歌手(深津絵里)がブルーズを歌っている。漆原(麻生久美子)、柿崎(本田翼)、三浦(岡山天音)らが「ボス」の噂をしている円卓に青葉(池松壮亮)が不遜な態度で合流する。最後に管楽器ケースを持って現れた男(オダギリジョー)が銃声に倒れるが、演奏は止まらない。

場面は狭間県警の明るい会議室に変わり、警察犬ハンドラーの青葉がケーブルテレビの取材に応えている。傍らには警察犬オリバー(オダギリジョー)。青葉にはオリバーが酒好き、女好きで言葉をしゃべる着ぐるみの中年男に見えている。

狭間県警の富士山を望む訓練施設に如月県警の天才的ハンドラー羽衣(深津絵里)が訪ねてくる。海に向かい失踪したスーパーボランティア小西(佐藤浩市)の捜索をオリバーに依頼しに来た。羽衣はかつて青葉らの教育担当で、びっくりすると気を失う特性を持っている。

2021年と2022年の秋シーズンに計6話がNHK地上波で放送された連続ドラマの劇場版です。TV版には、女児失踪事件、半グレとヤクザの抗争というメインプロットがありましたが、劇場版はスーパーボランティア小西さんの捜索という主題はあるものの、後半は鹿賀丈史佐藤浩市永瀬正敏の大ベテラン3人がそれぞれ主役の短編オムニバスという様相で、オダギリ監督が人脈をフル駆使して、重鎮枠で好き放題やっています。それを楽しめるかどうかで評価の分れるところではないでしょうか。

朝ドラ『カムカムエブリバディ』でオダギリジョーと夫婦役を演じた深津絵里がシリーズ初登場にも関わらずあらゆる意味で存在感を示し、こちらも初登場の菊地姫奈吉岡里帆も振り切った芝居で作品世界に溶け込んでいます。

TV版では、永山瑛太率いる半グレ集団TMT(TOKYO MIRACLE TEAM)と松重豊ら関東明神会、くっきー演じる狭間県警組織犯罪対策課の廃工場における群舞シーンが最高でしたが、本作でも、麻生久美子をセンターに配した犬カフェでのフォーメーションダンスが素晴らしかったです。

 

2025年9月28日日曜日

ザ・フー キッズ・アー・オールライト

秋晴れ。角川シネマ有楽町ジェフ・スタイン監督作品『ザ・フー キッズ・アー・オールライト』を観ました。

オープニングの "My Generation" から "I Can't Explain" "Baba O'Riley" "Shout and Shimmy" "Young Man Blues" の5曲の各年代のTV番組や各地のライブ映像を、インタビューやナレーションを挟まず畳みかける、その勢いで一気に惹きつけられる。

1979年公開の本作は、最も英国らしいロックバンドのドキュメンタリーではあるが、クロニクルなヒストリーではない。The Whoという現在進行形のアトラクションをThe Whoヲタクの監督が布教しようという意欲作なのだ。

先月観た『ザ・フー ライヴ・アット・キルバーン1977』はこのドキュメンタリーのために撮られたものだが、わずか2カット、しかもピート・タウンゼントのMCと演奏終了後に4人のメンバーが観客に挨拶する数秒だけしか使われていない。 "Baba O'Riley"と"Won't Get Fooled Again" はキルバーンの5ヶ月後に撮り直したもので、ロジャー・ダルトリーのボーダーのピタTなど3人の衣装は同じだがキース・ムーンのシャツが異なる、打ち込みモニター用ヘッドホンを頭が激しく振っても吹っ飛ばないように黒い粘着テープでぐるぐる巻きにしている。ピートのブラックトップのレスポールはキルバーンでは「3」のステッカーが貼られたものを弾いていたが今作では「1」と「5」、風車ピッキングで腕を振り過ぎて、シャツの右脇下の破れが広がっている。ドラマーたちにフォーカスした昨年公開のドキュメンタリー映画『COUNT ME IN 魂のリズム』でも "Who Are You?" の録音風景がフィーチャーされていたが、そのときもキースは頭に黒いテープを巻いていました。

メンバー以外では、リンゴ・スターのいい人っぷりとケン・ラッセル監督のヤバさが際立つ。歌番組の司会者ラッセル・ハーティは腰が引けながらも必死で食らいついていく。メンバー4人はテレビのトークコーナーではちゃらんぽらんな態度を貫くが、ファンの質問には真摯に答える。

初期の代表曲 "My Generation" は本作中に3つのバージョンが収録されており、最後の1967年モンタレー・ポップ・フェスティバルのライブ映像の後半には、いろいろな会場でいろいろなギターを破壊するピート・タウンゼントの姿が次々にインサートされます。そしてキース・ムーンはドラムセットを破壊する。

ギターアンプに仕込んだ火薬の爆発音こそ大きいがものの数秒で終わり、ギターもドラムも壊してしまえばあとは無音です。ライブのエンディングを盛り上げるノイズを出し続けることができるのはジョン・エントウィッスルのベースだけ。そのポーカーフェイスの裏側の気苦労に思いを馳せました。楽器は丁寧に扱いましょう。

 

2025年9月27日土曜日

レッド・ツェッペリン:ビカミング

秋晴れ。TOHOシネマズ日比谷バーナード・マクマホン監督作品『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観ました。

機体にLZ129と記された飛行船ヒンデンブルク号の墜落を知らせる1937年のニュース映画。そしてナチスドイツの台頭、ノルマンディ上陸作戦、パリ解放、第二次世界大戦終結。白黒の報道映像から "Good Times Bad Times" のイントロが始まる。レッド・ツェッペリンの4人のメンバーは1944~1948年に生まれた。

ギターのジミー・ペイジは十代のうちからロンドンでスタジオミュージシャンとして The KinksThe Rolling StonesThe Whoなど、メジャーな作品に関わっていた。ベースのジョン・ポール・ジョーンズ(ジョンジー)も同業で、二人は『007ゴールド・フィンガー』の主題歌でも演奏している。ボーカルのロバート・プラントは窃盗で食いつなぎながら住所不定の暮らしをしていた。ドラムのジョン・ボーナムはプラントのハイスクール時代の友だち。

ギタリスト仲間のジェフ・ベックに誘われ、サイケデリック・ブルース・ロック・バンドのヤードバーズに加わったペイジだが、ある日のミーティングで解散を告げられる。スタジオミュージシャンとしてショッピングモールのBGMを1日何十曲位も録音するのにうんざりしていたペイジは自分のアイデアを形にするバンドメンバーを探し始める。

1970年代のイギリス音楽界を代表するロックバンドの結成から2ndアルバム "Led Zeppelin Ⅱ" 、続くロイヤル・アルバート・ホールのライブによって本国でブレークするまでを存命の3人の現在の映像と1980年に亡くなったドラムのジョン・ボーナム(ボンゾ)のインタビュー音声で辿るドキュメンタリーフィルムです。

「飛行機に乗ったら、銀器、ジントニック、人間、今まで盗んでいたものが目の前にたっぷりある。ママの元にはもう戻れない」(プラント)。1968年9月、デンマークのグラズサクセ市のティーンクラブにおける初ライブ演奏からヴァニラ・ファッジと回った空席の目立つ全米ツアー、サンフランシスコのフィルモアで初めてソールアウトしたライブの対バンはカントリー・ジョー&ザ・フィッシュタージマハルだった。

ペイジもプラントもジョンジーもボンゾのインタビュー音声を聞かせると表情が緩みます。懐かしさと友情と親愛の混ざった3人の表情だけでこの映画を観る価値がある。あとジミー・ペイジの声が意外と高いです。

シングルカットをせず、MVも制作しなかったレッド・ツェッペリンの公式映像は少なく、貴重なフッテージとライブ音源がデジタルリマスタリングで超クリアになったのは現代のテクノロジーの恩恵。ジョン・ポール・ジョーンズはレッド・ツェッペリン加入前はFender VI(6弦ベース)を弾いていたとか、初全米ツアーでボンゾはメインアクトのカーマイン・アピスの手癖を真似ていたとか、『レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ(The Song Remains The Same)』を飯田橋や池袋の名画座で繰り返し観た十代の自分に教えてあげたいです。

エンドロールで流れるエディ・コクランのロカビリーナンバー "C'mon Everybody" と "Somethin' Else" のカバーの4人のテンションと音圧は異常。席を立たずに最後まで聴きましょう。

 

2025年9月23日火曜日

マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて

秋晴れ。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2025" で、サンドリーヌ・ボネール監督作品『マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて』を観ました。

「自分に何が起こるかわかるような気がするの。少し退屈で現実的ではないの」。19歳のマリアンヌ・フェイスフルがカメラに向かって答える。1946年末、英国軍諜報部員の父とユダヤ系オーストリア人の母の間でロンドンで生まれたマリアンヌは、17歳で結婚し男児をもうける。

夫の知人のパーティでザ・ローリング・ストーンズの当時のマネジャー、アンドルー・オールダムにスカウトされ芸能界入り。1964年、新進気鋭のジャガーリチャーズによる "As Tears Go By" でレコードデビューする。次々にヒットを飛ばすが、1966年に離婚し、ミック・ジャガーの恋人となる。

2025年1月に78歳で亡くなった英国の伝説的スターを二世代下のフランス人俳優が2017年に撮ったTVドキュメンタリーです。撮影時マリアンヌは70歳。「初期の活動は省略しないで。誇りに思っているの」と自身のアイドル時代を肯定するが、ミック・ジャガーの恋人だった期間はツアーもレコーディングも行動を共にするものの1970年に破局、薬物依存に苦しみホームレス同然の路上生活から発見される1975年まで8年間自身の作品は発表していない。

「私は傲慢の罪を背負っている。七つの大罪のうち嫉妬以外は全部かしらね」と豪快に笑い、映画俳優でもある女性監督が大先輩に切り込む。業界歴の長い主人公マリアンヌは、被写体に遠慮して掘り下げの甘いドキュメンタリーは面白い作品にならないと知っている。だからどんなに答えづらい質問にも真摯に向き合い、素の姿を晒そうとするのだが、どうしても耐えられない一線があり、憔悴し「カメラを止めて」と懇願する。監督は質問を止めるが、カメラは回し続ける。そこにレジェンドの真の素顔が覗く。62分というコンパクトなサイズながら、波乱万丈過ぎる半生を冷徹な眼差しで記録したスリリングな佳作といえましょう。

1980年に名盤 "Broken English" で本格的にカムバックしたとき、煙草とアルコールとヘロインで潰れた咽喉から絞り出すドスの効いたダミ声に驚きました。未だ依存症からは脱却していないと言いながら、小規模なクラブでワインを嗜む品の良い観客の前でジャズやブルーズを歌う晩年の姿に、小さくても平穏な光を見たように感じました。