2025年8月16日土曜日

彼女たちのアボリジナルアート

真夏日。京橋アーティゾン美術館で開催中の『彼女たちのアボリジナルアート オーストラリア現代美術 ECHOES UNVEILED Art by First Nations Women from Australia』を鑑賞しました。オーストラリアの先住民族であるアボリジナルの女性アーティスト7人と1団体の作品を展示するプログラムです。

大航海時代にイギリスから植民した白人たちにアボリジニは人間とはみなされず、戸籍も作られなかった。200以上の原語、300以上のクラン(部族)に分れ大陸に点在していたアボリジニの伝統的価値観においては、神事でもある芸術の作り手は男性に限られ、女性の創作物は日用雑貨もしくは土産物と考えられていた。

人種と性的役割という二重の抑圧を受けた女性作家たちですが、世代によって価値観が異なるように感じました。第二次世界大戦前に生まれ、前述の理由で生年が不明確なエミリー・カーマ・イングワリィ(1910頃‒1996)やノンギルンガ・マラウィリ(1938頃‒2023)は作品制作にあたり男たちの許可を得る必要があった。部族の伝統を踏まえつつ意図せずそこから逸脱していくような作風です。

半面、戦後生まれ、且つ白人による同化政策後の世代、ジュディ・ワトソン(1959‒ )、マリィ・クラーク(1961‒)らは、白人風の名前で何人かは混血であるが、それゆえに自らのルーツを探る過程で芽生えた被差別民族としてのアボリジナルの立場から文化収奪に対するデータに基づく告発が作品の制作動機になっています。イギリスによる核実験で故郷を侵されたイワニ・スケース(1973‒)のウラニウムを混入したガラス作品は強いインパクトがありました。

また、イギリスの政策により親元から奪われ、キリスト教義に基づく同化教育を強制された子どもたちの名前を木の枝に焼き付けたジュリー・ゴフ(1965‒)の立体作品「1840年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナルの子どもたち」の足元には剥がれ落ちた木の皮が散乱しており、過去の過ちが現在に続くものであることを訴えているようです。

一方で、マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ(1924頃‒2015)は、前者の世代に属しながら、高齢者施設の創作プログラムへの参加からまったく異なる独自の抽象表現を持つ巨大な作品群を制作し、その色彩感覚、空間構成力はアボリジナルを遥かに超えて宇宙的な広がりを獲得しています。

作家たちの言葉も含蓄のあるものが多かった。その一部を紹介します。

「深い意味は男たちのもので、これはただの水――私が見る水です。水を描く時はただの水を描きます。波が押し寄せて岩に砕ける、その水で泡になり、砕けて飛び散る。それが私にとっての水です」ノンギルンガ・マラウィリ

「ウランはエネルギーの一種です。地球にはエネルギーがあり、このエネルギーが抽出されると地球は病んでしまいます。そして人類も病んでしまいます」イワニ・スケース

「私たちは文化を失ったわけではありません。ただその一部は休止状態にあって、呼び起こされるのを待っている。私のアートは、私たちの文化活動を再生させること、その強さと回復力を人々に改めて認識させることです」マリィ・クラーク

アーティゾン美術館の常設展示は、印象派、後期印象派を中心に名品が並びます。中国出身のザオ・ウーキー(1920-2013)の作品がまとまって展示されており、エッジの効いた抽象表現がクールでした。

 

2025年8月15日金曜日

The Summer あの夏

終戦の日。ヒューマントラストシネマ有楽町ハン・ジウォン監督作品『The Summer あの夏』を観ました。

「危ない、よけて!」。サッカー部の女子部員スイ(ソン・ハリム)が蹴ったボールがイギョン(ユン・アヨン)に当たり、眼鏡が壊れて、イギョンは鼻血を出して倒れる。翌日から一週間イギョンの教室にスイからいちご牛乳が届けられた。自室の窓辺に空の紙パックを並べ、校庭で摘んだ花を生けるイギョン。

「目が茶色いんだね」「犬みたいな目とからかわれたの」。名将ヒディンク監督率いるサッカー韓国代表がW杯日韓大会で大活躍した2002年の夏。下校中のダム湖に架かる橋の上で二人は、はじめて手をつないだ。

活発なスポーツ少女スイと内向的な優等生イギョン。感情表現は方向性こそ違えどどちらも不器用。秋を迎え、冬を過ぎ、卒業したふたりは首都ソウルへ。イギョンは大学の寮に入り、練習中の十字靭帯損傷で実業団入りを諦めたスイは自動車整備工の専門学校に進学する。新しい生活で小さなすれ違いがほころびを広げる。

対称的な性格のショートカット女子同士の夏のサイダーのような恋愛物語が、36歳の女性監督の繊細な筆致で描かれています。韓国のアニメが日本で公開されることはまだ少ないですが、日本のアニメ映画のエンドロールに韓国の制作スタジオのクレジットは常に見るところであり、セルタッチのテクニカルな面でも非常にレベルが高い。

ハン監督のインタビューによるとスタジオジブリの『海がきこえる』に影響を受けたという本作においても、キャラクターの表情の機微、指先の表現、色彩設計や背景の美しさは特筆に値します。生楽器中心の控えめな劇伴もよかったです。

 

2025年8月13日水曜日

ギルバート・グレイプ

真夏日。新宿武蔵野館12ヶ月のシネマリレー』にてラッセ・ハルストレム監督作品『ギルバート・グレイプ』を観ました。

「アーニー、チキンは?」「チキンはいらない。コーンは食べる」。ギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は幹線道路脇の草むらで弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)とキャンピングトレーラーのキャラバンを待っていた。州都デモインの大会に毎年向かう彼らは何もない町を通り過ぎるだけ。

だがその年、ベッキー(ジュリエット・ルイス)と祖母(ペネロープ・ブランニング)を乗せたトレーラーだけが、キャブレーターの故障によりエンドーラに留まることになる。

父の自死以降自宅の居間を出ず体重が200kgを超えた母ボニー(ダーレン・ケイツ)、勤務先の火事で職を失い家事を一手に引き受けている姉エイミー(ローラ・ハリントン)、吹奏楽部に所属する反抗期の高校生の妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)、重度知的障害の弟アーニー、5人家族の暮らしを個人経営の食料品店の給料で支えるギルバート。10歳まで生きられないと医者に言われたアーニーの18歳の誕生日までの夏の一週間を描く、気まずさと優しさに溢れた作品です。

スウェーデン出身のハルストレム監督が1993年に撮ったこの映画をいろいろなメディアで何度観たかわかりません。前回は2022年8月に池袋シネ・リーブルのリバイバル上映に行きました。繰り返し観ても新しい発見があるのは、自分が変化しているからでもあると思います。

わずか一週間に一年分にも相当するような出来事があり、それが無理なく自然に繋がっていきます。コスプレしていないジョニー・デップとひょろひょろのディカプリオ、サイコ系以外のジュリエット・ルイスの主役3人の芝居の非の打ち所のなさはもちろんですが、ギルバートといつもつるんでいる幼馴染、葬儀屋のボビー(クリスピン・グローヴァー)と修理屋タッカー(ジョン・C・ライリー)の地元のツレ感、ギルバートの雇用主であるラムソン夫妻の哀しみ、バーガーバーンの開店祝いのステージで "This Magic Moment" を演奏するエレンのブラスバンドの絶妙な下手さ、炎や水の寓意に満ちたカット、ロングショットの多用による茫漠とした寂寥感と自然美の共存に痺れました。

家族のことばかり考えて、自我を表現する言葉を持たないギルバート。彼らの暮らすアイオワ州はトランプ大統領の再選時に注目されたラストベルト3州の西側に隣接しています。かつては機械工業で栄えたラストベルトより、過去一度も隆盛を経ていない更に忘れ去られた土地に生きるホワイトトラッシュの閉塞感が、政治的には保守化に向うのが、肌感覚でわかります。

 

2025年8月9日土曜日

冬冬の夏休み

真夏日。新宿武蔵野館候孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品『冬冬の夏休み』デジタルリマスター版を観ました。

台北の小学校の卒業式、6年生代表の答辞と仰げば尊しの合唱から映画は始まる。台湾の新学年は9月からなので、卒業式の翌日に夏休みが始まります。

小学校を卒業した冬冬(王啓光)と幼い妹の婷婷(李淑楨)は、父(楊徳昌)とともに、母(丁乃竺)の病室を訪ねる。消化器系疾患の手術をする夏休みの間、銅羅で病院を営む母方の祖父(古軍)の家に兄妹は預けられる。迎えに来た叔父(陳博正)は、別の駅で恋人(林秀玲)を見送る間に電車を逃し、冬冬と婷婷はふたりきりで銅羅駅に降り立つ。叔父を待つ間、台北から持参したラジコンカーで遊んでいた冬冬は地元の子どもたちとすぐに打ち解け、ラジコンカーを亀と交換する。

台湾ニューシネマの旗手であり、その後多くの国際映画祭の常連となる巨匠で、2023年に引退した候孝賢監督の1984年作品のデジタルリマスター版のリバイバル上映です。

思春期手前の少年が田舎で出会う同世代や大人たちから受け取り、また自身でつかみ取る何か、言葉では形容しがたい経験と認識を優しく描いています。子どもたちが都会のおもちゃ欲しさに一様に亀を差し出したり、川遊びで仲間外れにされた腹いせに婷婷に服を流され下半身に芋の葉を巻いて全速力で帰宅したり、叱られて正座させられたままうつぶせに眠ったり、笑えるシーンも多々ありますが、おそらく知的障害を持つ若い女性ハンズ(楊麗音)の存在が物語に豊かな陰影をもたらしている。懐かしくも心温まるバケーションムービーです。

台湾巨匠傑作選2024』で観たエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の『台北ストーリー』は、候孝賢監督が主演していましたが、本作は逆にエドワード・ヤン監督が主人公兄妹の父親役を演じています。

母親の病気により田舎暮らしをする子ともたち、幼い妹が見つからず家族総出で探すシーンなど、いくつかのエピソードは1988年公開の『となりのトトロ』に影響を与えていそうです。エンドロールで山田耕筰作曲の「赤とんぼ」が流れると一気に山田洋次感が出ました。

 

2025年8月4日月曜日

水の中で深呼吸

猛暑日。新宿シネマカリテにて安井祥二監督作品『水の中で深呼吸』を観ました。

コースロープがまだ張られていない競泳用プールに仰向けに浮かび、波紋を作りながらゆっくり横切っていくショートカットの葵(石川瑠華)は高校1年の水泳部員。「上がるよ」と同級生の日菜(中島瑠菜)に手を引かれたときに感じたときめきに戸惑う。

昌樹(八条院蔵人)は葵の幼馴染で部活の1年先輩。放課後に葵の部屋をしばしば無造作に訪れる。葵に恋心を抱いているが、自分が恋愛対象として見られていないことを知っている。

1年生だけが部活後のプールサイドにデッキブラシをかけていたところにわざわざペットボトルを捨てたことを注意した日菜に暴言を吐いた理奈子先輩(伊藤亜里子)に葵がキレて、2週間後に1年生と2年生が400mリレーで競って、1年が勝ったら2年生も掃除をする、2年が勝ったら今まで通り1年は2年の言いなりになる、という勝負を賭ける。

「水の中は苦しい。けど水の外も苦しい。でも飛び込まなくちゃ。自分の足で」。キャプテンの玲菜先輩(松宮倫)は水泳の実力も部内一だが人知れず地道なトレーニングをしている。コースロープが張られ、葵は同級生の胡桃(倉田萌衣)と梨花(佐々木悠華)の協力を得るが、もう一人のリレーメンバーが決まらない。

山岳を背景にした田園地帯の公立共学校の水泳部のひと夏の物語。自身のジェンダーアイデンティティに揺れる主人公とチームのゆるい絆と小コミュニティ内の息苦しい恋愛模様。74分というコンパクトなサイズの中に、十代の感情の振れ幅がよく描かれており、青さも酸っぱさも身に覚えがあります。昔ながらの個人経営のパン屋の店先に置かれたベンチで部活後の時間を過ごすのは僕にも懐かしさのある夏の風景でした。

腹筋バキバキでひとりだけ身体の仕上がった昌樹は水泳部内で女子をとっかえひっかえするクズですが、その底にある満たされない焦燥は、多寡やアウトプットの違いこそあれ、多くの十代が通過するところです。

泳ぐ選手たちの体幹がしっかり通っていて、水上と水中のカメラワークも目に心地良いのですが、劇伴が映像を弛緩させてしまっているような気がしました。特にレースシーンでは、水音や泳ぎ終えたあとの荒い息遣いや心拍音だけを聴かせるほうが緊張感が出せたと思います。エンドロールのビートレスなアンビエントミュージックはとても素敵でした。

 

2025年8月1日金曜日

感じ合う世界のpiece

真夏日。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんのワンマンライブ『感じ合う世界のpiece』に行きました。

客電が落ち、MANDA-LA2では定位置の舞台下手奥に置かれたグランドピアノに向かい、夏休みの心象を描いた短いイントロダクションから、レゲエのリズムの「真夏の日」「feelin'」とサマーソングが3曲続く導入。「今日は感じ合える時間が作れたらいいなと思います」と言う。

センターマイクに移動してガットギターで「朝の気持ちは昼には消えた」と歌う「夏空」へ。毎年4月11日に同じMANDA-LA2で開催している周年ライブが2025年は自宅からの配信のみで、僕は東京ミッドタウン日比谷のスターバックスで視聴しました。年末のゴスペルクワイアを除けば、1年4ヶ月ぶりに生で聴くmueさんのきらきらしているのに耳にやさしい歌声が全身に染み渡りました。

以前SNSで発信していた Abbey Road のB面のような連なる断片の響和は冒頭3曲とセカンドセットの「神様との約束」「砂粒程の奇跡を感じられる世界」「遠い場所からやって来たインスピレーション」のブロックで実現できていたと思います。

バンドセットの広がりや浮遊感も素敵ですが、今回のようなソロ弾き語りはより自由でリラックスした素の姿に近いのではないでしょうか。メロディメイカーとしてもスタイルを確立しているmueさんのシンガー面での充実ぶりがうかがえます。

どちらかというと感情や心象風景や抽象概念を歌詞にすることが多いmueさんが、共作曲やカバー曲で季節感のある風景や人の姿を歌うときの映像喚起力の強さに気づかされました。自作曲では情景を描いても次の瞬間に内面に入ってしまう傾向が強いので、もっと風景や表情を描写する歌を聴いてみたいと思いました。

「かつてLove & Peaceを歌いたいと思っていたとき自分の中にはPeaceがなく、Pieceしかなかった。今はPieceがPeaceに近づきつつある」と言う。変化し続けているからこそ、長く歌い続けていても失われないフレッシュネスが、会場を多幸感で充たしていました。