ヨーロッパでは1450年代にドイツのグーテンベルクが活版印刷を発明する以前、書物は人が羊皮紙に羽根ペンで書き写していた(中国では9世紀の唐代に既に木版印刷が存在した)。日本では毛筆で写本が作られた。枕草子や源氏物語もそうです。
13~15世紀の写本が150点以上展示されていますが、大学図書館所蔵の5葉を除き一人の日本人コレクターが40年以上かけて収集し、国立西洋美術館に寄贈したものです。収集家は内藤裕史氏(1932ー)。麻酔学・中毒学が専門の医学博士で札幌医科大学や筑波大学で教えていた。
段落の最初の文字を大きく書きキリスト教的寓意を持つ装飾を加えることをイニシャルと呼ぶ。イニシャルが華美に発展し、枠や行末の余白も装飾され、時代を経るごとに過剰さが増す。本来は綴られた本のかたちをしていたものが切り離され美術品/装飾品として商われた。
展示は、①聖書、②詩編集、③聖務日課のための写本、④ミサのための写本、⑤聖職者たちが用いたその他の写本、⑥時祷書、⑦暦、⑧法関係の写本、⑨世俗写本、の9カテゴリーに分類されており、教会祭壇の書見台に載せるような大きなものもありますが、多くは手帳サイズ。イオセリアーニ監督の『トスカーナの小さな修道院』で現代の修道僧たちも使用していたのが「聖務日課のための写本」、その信徒用ダイジェストが「時祷書」です。
「コレクションが私の手を離れたいま改めて考えてみれば、中世の、無名の画家の無名の作品に夢中になってきた30年だった。そうして集めた自分の分身が、散逸せずに安住の地を得て、しかも多くの人に観てもらえるということは、コレクターとして、何にも優る喜びである」という内藤氏のコメント。僕も詩集の装幀をするので参考になればいいな、ぐらいの気持ちで訪れたのですが、それ以上にコレクターの業というか、熱に打ちのめされ、またコレクター人生の終わらせ方についても考えさせられました。
帰宅後に目録を眺めていたら、反復する「内藤コレクション」の文字の中で、「ギステルの時祷書」だけ「内藤裕史氏蔵」とあり、92歳の内藤氏がその1葉だけ手元に残したという事実に、それだけはどうしても棺に入れて旅立ちたいと思っているのかな、と想像し胸が熱くなりました。
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