2025年9月28日日曜日

ザ・フー キッズ・アー・オールライト

秋晴れ。角川シネマ有楽町ジェフ・スタイン監督作品『ザ・フー キッズ・アー・オールライト』を観ました。

オープニングの "My Generation" から "I Can't Explain" "Baba O'Riley" "Shout and Shimmy" "Young Man Blues" の5曲の各年代のTV番組や各地のライブ映像を、インタビューやナレーションを挟まず畳みかける、その勢いで一気に惹きつけられる。

1979年公開の本作は、最も英国らしいロックバンドのドキュメンタリーではあるが、クロニクルなヒストリーではない。The Whoという現在進行形のアトラクションをThe Whoヲタクの監督が布教しようという意欲作なのだ。

先月観た『ザ・フー ライヴ・アット・キルバーン1977』はこのドキュメンタリーのために撮られたものだが、わずか2カット、しかもピート・タウンゼントのMCと演奏終了後に4人のメンバーが観客に挨拶する数秒だけしか使われていない。 "Baba O'Riley"と"Won't Get Fooled Again" はキルバーンの5ヶ月後に撮り直したもので、ロジャー・ダルトリーのボーダーのピタTなど3人の衣装は同じだがキース・ムーンのシャツが異なる、打ち込みモニター用ヘッドホンを頭が激しく振っても吹っ飛ばないように黒い粘着テープでぐるぐる巻きにしている。ピートのブラックトップのレスポールはキルバーンでは「3」のステッカーが貼られたものを弾いていたが今作では「1」と「5」、風車ピッキングで腕を振り過ぎて、シャツの右脇下の破れが広がっている。ドラマーたちにフォーカスした昨年公開のドキュメンタリー映画『COUNT ME IN 魂のリズム』でも "Who Are You?" の録音風景がフィーチャーされていたが、そのときもキースは頭に黒いテープを巻いていました。

メンバー以外では、リンゴ・スターのいい人っぷりとケン・ラッセル監督のヤバさが際立つ。歌番組の司会者ラッセル・ハーティは腰が引けながらも必死で食らいついていく。メンバー4人はテレビのトークコーナーではちゃらんぽらんな態度を貫くが、ファンの質問には真摯に答える。

初期の代表曲 "My Generation" は本作中に3つのバージョンが収録されており、最後の1967年モンタレー・ポップ・フェスティバルのライブ映像の後半には、いろいろな会場でいろいろなギターを破壊するピート・タウンゼントの姿が次々にインサートされます。そしてキース・ムーンはドラムセットを破壊する。

ギターアンプに仕込んだ火薬の爆発音こそ大きいがものの数秒で終わり、ギターもドラムも壊してしまえばあとは無音です。ライブのエンディングを盛り上げるノイズを出し続けることができるのはジョン・エントウィッスルのベースだけ。そのポーカーフェイスの裏側の気苦労に思いを馳せました。楽器は丁寧に扱いましょう。

 

2025年9月27日土曜日

レッド・ツェッペリン:ビカミング

秋晴れ。TOHOシネマズ日比谷バーナード・マクマホン監督作品『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観ました。

機体にLZ129と記された飛行船ヒンデンブルク号の墜落を知らせる1937年のニュース映画。そしてナチスドイツの台頭、ノルマンディ上陸作戦、パリ解放、第二次世界大戦終結。白黒の報道映像から "Good Times Bad Times" のイントロが始まる。レッド・ツェッペリンの4人のメンバーは1944~1948年に生まれた。

ギターのジミー・ペイジは十代のうちからロンドンでスタジオミュージシャンとして The KinksThe Rolling StonesThe Whoなど、メジャーな作品に関わっていた。ベースのジョン・ポール・ジョーンズ(ジョンジー)も同業で、二人は『007ゴールド・フィンガー』の主題歌でも演奏している。ボーカルのロバート・プラントは窃盗で食いつなぎながら住所不定の暮らしをしていた。ドラムのジョン・ボーナムはプラントのハイスクール時代の友だち。

ギタリスト仲間のジェフ・ベックに誘われ、サイケデリック・ブルース・ロック・バンドのヤードバーズに加わったペイジだが、ある日のミーティングで解散を告げられる。スタジオミュージシャンとしてショッピングモールのBGMを1日何十曲位も録音するのにうんざりしていたペイジは自分のアイデアを形にするバンドメンバーを探し始める。

1970年代のイギリス音楽界を代表するロックバンドの結成から2ndアルバム "Led Zeppelin Ⅱ" 、続くロイヤル・アルバート・ホールのライブによって本国でブレークするまでを存命の3人の現在の映像と1980年に亡くなったドラムのジョン・ボーナム(ボンゾ)のインタビュー音声で辿るドキュメンタリーフィルムです。

「飛行機に乗ったら、銀器、ジントニック、人間、今まで盗んでいたものが目の前にたっぷりある。ママの元にはもう戻れない」(プラント)。1968年9月、デンマークのグラズサクセ市のティーンクラブにおける初ライブ演奏からヴァニラ・ファッジと回った空席の目立つ全米ツアー、サンフランシスコのフィルモアで初めてソールアウトしたライブの対バンはカントリー・ジョー&ザ・フィッシュタージマハルだった。

ペイジもプラントもジョンジーもボンゾのインタビュー音声を聞かせると表情が緩みます。懐かしさと友情と親愛の混ざった3人の表情だけでこの映画を観る価値がある。あとジミー・ペイジの声が意外と高いです。

シングルカットをせず、MVも制作しなかったレッド・ツェッペリンの公式映像は少なく、貴重なフッテージとライブ音源がデジタルリマスタリングで超クリアになったのは現代のテクノロジーの恩恵。ジョン・ポール・ジョーンズはレッド・ツェッペリン加入前はFender VI(6弦ベース)を弾いていたとか、初全米ツアーでボンゾはメインアクトのカーマイン・アピスの手癖を真似ていたとか、『レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ(The Song Remains The Same)』を飯田橋や池袋の名画座で繰り返し観た十代の自分に教えてあげたいです。

エンドロールで流れるエディ・コクランのロカビリーナンバー "C'mon Everybody" と "Somethin' Else" のカバーの4人のテンションと音圧は異常。席を立たずに最後まで聴きましょう。

 

2025年9月23日火曜日

マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて

秋晴れ。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2025" で、サンドリーヌ・ボネール監督作品『マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて』を観ました。

「自分に何が起こるかわかるような気がするの。少し退屈で現実的ではないの」。19歳のマリアンヌ・フェイスフルがカメラに向かって答える。1946年末、英国軍諜報部員の父とユダヤ系オーストリア人の母の間でロンドンで生まれたマリアンヌは、17歳で結婚し男児をもうける。

夫の知人のパーティでザ・ローリング・ストーンズの当時のマネジャー、アンドルー・オールダムにスカウトされ芸能界入り。1964年、新進気鋭のジャガーリチャーズによる "As Tears Go By" でレコードデビューする。次々にヒットを飛ばすが、1966年に離婚し、ミック・ジャガーの恋人となる。

2025年1月に78歳で亡くなった英国の伝説的スターを二世代下のフランス人俳優が2017年に撮ったTVドキュメンタリーです。撮影時マリアンヌは70歳。「初期の活動は省略しないで。誇りに思っているの」と自身のアイドル時代を肯定するが、ミック・ジャガーの恋人だった期間はツアーもレコーディングも行動を共にするものの1970年に破局、薬物依存に苦しみホームレス同然の路上生活から発見される1975年まで8年間自身の作品は発表していない。

「私は傲慢の罪を背負っている。七つの大罪のうち嫉妬以外は全部かしらね」と豪快に笑い、映画俳優でもある女性監督が大先輩に切り込む。業界歴の長い主人公マリアンヌは、被写体に遠慮して掘り下げの甘いドキュメンタリーは面白い作品にならないと知っている。だからどんなに答えづらい質問にも真摯に向き合い、素の姿を晒そうとするのだが、どうしても耐えられない一線があり、憔悴し「カメラを止めて」と懇願する。監督は質問を止めるが、カメラは回し続ける。そこにレジェンドの真の素顔が覗く。62分というコンパクトなサイズながら、波乱万丈過ぎる半生を冷徹な眼差しで記録したスリリングな佳作といえましょう。

1980年に名盤 "Broken English" で本格的にカムバックしたとき、煙草とアルコールとヘロインで潰れた咽喉から絞り出すドスの効いたダミ声に驚きました。未だ依存症からは脱却していないと言いながら、小規模なクラブでワインを嗜む品の良い観客の前でジャズやブルーズを歌う晩年の姿に、小さくても平穏な光を見たように感じました。

 

2025年9月21日日曜日

Eno

秋晴れ。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2025" で、ギャリー・ハストウィット監督作品『Eno』を観ました。

PCのバグ的な画面から白鳥や乳牛のいる田園風景に転換する。デニムのボタンダウンシャツを着た75歳のブライアン・イーノが「真面目に話をしよう」とカメラに向かって笑う。

「人は予想外の出来事を警戒する。偶然を楽しむことを人々に促すのが私の仕事だ」。楽器が演奏できず作詞作曲もできなかったイーノがグラムロックバンド ROXY MUSIC に加入する。否、イーノが参加したことによって ROXY MUSIC はグラムロックバンドになった。派手なメイクと奇抜な衣装はそのほうが見栄えがしたから、とこともなげに言うイーノ。

1946年生まれのイーノが25歳のときに ROXY MUSIC でデビューしてから2024年の撮影当時まで50年にわたるキャリアを自ら振り返るドキュメンタリーフィルムの冒頭には「GEN4-177 20250921 TOKYO」とプロンプトが表示される。Generative AIによって上映毎に編集が変わります。

「ノートを記すのは、多くの人と同じように思考を整理するため、私が注目していたことに注目するためだ」。カントリーサイドの自宅の作業デスクに積み上げられた膨大な手書きのメモ。「ANOTHER GREEN WORLDの "Spirits Drifting" は泣きながらレコーディングした」。バンドを解雇されソロデビューしたものの何をすべきかわからず途方に暮れた日々。

「私の音楽で評価されるのはゆるやかさだ。自分を停止する機会を作っている」。アンビエントミュージックの発想は交通事故で入院中に故障したステレオで聴いたバロック音楽から。だが「私は瞑想ができたためしがない。瞑想するには神経質過ぎると言われた」と言う。

多くのミュージシャン、バンドをプロデュース(というより共同作業)し、U2を世界的バンドに引き上げた功績があるが、心惹かれたのはやはりベルリンのデヴィッド・ボウイの『ヒーローズ』のセッションです。「イーノは楽器もほとんど演奏しないし、基本的に何もしない。イーノと仕事をするのは楽しかった」とボウイ。笑顔のロバート・フリップ。『オブリーク・ストラテジーズ』と呼ばれるカードから任意の1枚を引いて、思索的に創造性を引き出していた。トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンとのコラボレーションにも心弾みましたが、DEVOをもっと観たかったな(他バージョンではあるらしい)。

マイクロソフト社からWindows95のわずか3.5秒の起動音の発注があったときの気持ち、ジョニ・ミッチェルがアンビエントアルバムを作りたいと電話してきたのに当時アンビエントに辟易していて断ったことを後悔している(「ジョニ、いつでも電話して」)など、チャーミングなエピソードもありました。

僕的ハイライトは、鍵盤でぱらぱらっと弾いたメロディをアプリケーションソフトに通して音数を1/3に減らすところ。イーノの真骨頂過ぎる。2021年8月にアテネの古代神殿で "Before And After Science" (1977) 所収の "By This River" を訥々と歌う75歳のイーノ。その声は45年前と変わらず、当時は抑揚のない平坦な歌だと思っていたのに、歌い手の特権性を排除したかったと聞いた現在は逆にとても心を打つのでした。

 

2025年9月14日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

真夏日。『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック』に出演しました。ご来場のお客様、配信ライブをご視聴くださった皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、あらためましてありがとうございました。

ノラバーには8年前の開店当初から何度もお世話になっていますが、僕自身としては昼間に出演するのは初めてです。先月は二度、Chiminさんマユルカとカナコのお昼のライブに観客としてお邪魔しました。

9月14日は、2015年の『ultramarine』以来、カワグチタケシ10年ぶりの新詩集『過去の歌姫たちの亡霊』の刊行日ということで、これまでの6冊の詩集から秋の詩を1篇ずつと、新詩集の全10篇を朗読しました。

  4. ビザンティウムへ船出して(W.B.イエイツ 高松雄一訳)
  5. ビザンティウムへ地下鉄で
11. 星月夜 Cyndi Lauperに

「ビザンティウムへ地下鉄で」は、PCの古いデータから最近見つけた2009年の作品です。アイルランドの大詩人W.B.イェイツ関連のイベントのためにイェイツの「ビザンティウムへ船出して」を下敷きにして書き一度だけ朗読しました。イェイツは1865年生まれ、僕とはちょうど100歳違いです。

外はまだ残暑ですが、日の傾きは秋。ノラバーさわやかポークカレー季節の野菜と果物のサラダ、食後にはノラバープリンノラブレンドコーヒー。配信ライブのデザートミュージックは以下5篇を披露しました。タイトルの後ろにアルファベットの人名が付いているのが、新詩集に収録されている作品です。


ビリー・ホリディからビリー・アイリッシュまで、古今の女性シンガーをモチーフにした連作詩集の成り立ちは3K Podcastで話していますので、Apple MusicSpotifyAmazon Audibleのストリーミングプラットフォームからお聴きいただけます。当日ご来場のお客様へのお土産に、詩集に登場する歌姫たちが主人公の映画レビュー選集を制作しました。

90分間ひとりの詩人の声を聴いてもらう。ワンマンライブが開催できることはとても恵まれていること。オファーをくださるノラさんには感謝しております。ノラバーに集う気持ちの良いお客様も大好きです。次回の出演は来年1月11日(日)夜に決まりました。ご都合よろしければ是非お運びください。

2025年9月5日金曜日

遠い山なみの光

雨上がり。ユナイテッドシネマアクアシティお台場石川慶監督作品『遠い山なみの光』を観ました。

1982年のイギリス、グリーナム近郊の静かな村で暮らす悦子(吉田羊)の家にロンドンでライターをしている次女ニキ(カミラ・アイコ)が帰省する。グリーナムの空軍基地周辺で起きている核兵器に反対する女性たちの抗議行動の記事を書いたニキは、母の出身地である長崎の原爆について書くことを編集者に勧められる。ニキに促されて、悦子は重い口を開く。

1952年の長崎。悦子(広瀬すず)は橋の下で男子たちにいじめられていた少女万里子(鈴木碧桜)を助け河原のバラック小屋へ送ると、派手な身なりの母親佐知子(二階堂ふみ)がいた。初対面の悦子に仕事の紹介を頼む佐知子は東京都下の出身で戦前から長崎で英語通訳の仕事をしており、近いうちに米兵フランクとアメリカに渡るという。

数日後、悦子が傷痍軍人の夫二郎(松下洸平)と暮らす団地に、悦子の元上司であり校長を退職した二郎の父(三浦友和)が福岡から訪れる。

1954年長崎で生まれ1960年に家族と渡英したカズオ・イシグロが1982年に出版した長編小説第一作の実写映画化は、落ち着いた色調とゆっくりと流れる時間の中に不穏さを滲ませ、情感と緊張感を併せ持つ作品になりました。広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊(英語上手!)、カミラ・アイコが抑制の効いた見事な芝居をしています。

この映画を観て考えたことがあります。人には物語が進むにつれ後で描かれるエピソードほど真実だと思い込む習性があるのではないか、ということです。渡英した悦子の語りによる物語はニキの発見によって逆の視点から再構成され、フラッシュバックのように映画の終盤に映像化される。我々は後者を真実だと捉え、それまでの悦子の語りを小津映画の笠智衆原節子を投影したような願望と妄想混じりのフィクションと位置付けます。そこで、真実は最後に明かされる、というミステリーの約束事を盲信しているのではないか、という疑念が湧きました。

「誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ」というポール・オースターの『スモーク』の台詞の通り、二つの物語はどちらもフィクションであり、観客である我々が好きな結末を選べばいい、というメタ構造を持っている。それは、タイトルバックとエンドロールで二度にわたり流れるNew Order の "Ceremony" (1981) の歌詞 "They find it all, a different story / Notice whom for wheels are turning" (人はそれぞれ異なる物語を見出す/誰の為に歯車が回っているかを示す)にも示唆されています。

ポーランド出身のパヴェル・ミキウェティンが手掛けたサウンドトラックも素晴らしく、自死した長姉景子の部屋のドアをはじめてニキが開けるときに鳴る柱時計とカメラのストロボ音とピアノの単音で緊迫感が最高潮に。

原作小説のタイトル "A Pale View Of Hills" は原爆投下時の閃光を連想させますが、書籍と同じ邦題の『遠い山なみの光』が僕にはなぜか憶え辛い。1955年の長崎端島を舞台にした『海に眠るダイヤモンド』と重ねて観るのも面白いと思いました。

 

2025年9月3日水曜日

不思議の国でアリスと Dive in Wonderland

9月の熱帯夜。丸の内ピカデリー篠原俊哉監督作品『不思議の国でアリスと Dive in Wonderland』を観ました。

「みんなと同じようにしているのにうまくいかないんだよね。今日はそういうの全部忘れたくて来たから」。就活に悩む大学4年生の安曇野りせ(原菜乃華)はローカル線を乗り継いで、亡き祖母(戸田恵子)が遺したテーマパーク "Wonderland" を訪れる。完成間近のパークは祖母が大好きだった『不思議の国のアリス』の世界を体験できるというもの。

個室に通されたりせがテスト運用中のVRデバイスを装着すると、正装した白ウサギ(山口勝平)が現れ、りせのスマホを持ち去ってしまう。りんごに姿を変えたスマホを取り戻すために白ウサギを追いかけて、りせは不思議の国に迷い込み、小さなアリス(マイカ・ピュ)に出会う。

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』をベースに置いてはいますが、まったく別のお話、架空のVRアトラクションのアニメ化と考えるべきだと思います。

自己肯定感、同調圧力、SNS、就活、現代の若者が直面する様々な課題をVR内の体験による成長で克服しようということなのですが、どんなに振り回されても、空中で放り出されても、水流に巻き込まれても、ハートの女王(松岡茉優)に首を刎ねよと脅されても、冷静に考えれば、試験運用中とはいえテーマパークのアトラクションという安全が確保された空間内での体験以上のものではないんですよね。もちろん映画を観ている我々もスクリーンのこちら側という二重の安全圏にいるわけですが。

「へんてこなことが起きたあとって、普通のことがつまらないわ」。原作のアリスは想像を絶する出来事に戸惑い、それが度を越して開き直り、また不思議の国の喧騒を冷ややかに傍観したりするのですが、本作のアリスはシャイな主人公りせをVRアトラクションにどんどん引きずり込む積極的なキャラで、日米ハーフの子役マイカ・ピュさんの明るい声質がよく合っています。主人公りせを演じた原菜乃華さんも発声が明瞭で聴き取り易かったです。

P.A.WORKSの優しい色調のカラフルなアニメーションも目に楽しい。肥大化した承認欲求が爆発して半透明になった主人公りせとその背景を墨絵風に描いた対比も効果的でした。

全11Chapterで構成されていて、第10章の "In The Court Of Crimson Queen" はキング・クリムゾンロバート・フリップの配偶者TOYAHのアルバムタイトルですね。コトリンゴさんの劇伴、小林うてなさんの劇中曲、SEKAI NO OWARIエンディングテーマもそれぞれよかったです。

 

2025年9月2日火曜日

水辺にて

9月の熱帯夜。所沢音楽喫茶MOJOで開催されたChiminさんの企画ライブ『水辺にて』に行きました。

Chiminさんのステージは、加藤エレナさんのピアノと井上"JUJU"ヒロシさんのテナーサックスによるインスト曲、Carla Bleyの "Lawns" で始まりました。

そしてChiminさんが登場し、JUJUさんのパーカッシブなフルートに導かれてマイナーブルーズの「茶の味」へ。続く夏曲「sakanagumo」「シンキロウ」。

1980年代にはいろいろな店で使われていましたが、現在はヴィンテージ楽器と呼ばれる打弦式電子ピアノ YAMAHA CP70 のクリアでノスタルジックな音色にエレナさんはロータリースピーカーのようなゆるいトレモロをかけて空間を波打たせ、Chiminさんがやや抑えめな声で応え、JUJUさんが時折鋭く切り込む。

「わかりやすいことは信用できへんな」というMCから「あさはこわれやすいがらすだから/東京へゆくな ふるさとを創れ」という谷川雁の詩篇の一節を朗読し、1stアルバムの「たどりつこう」へと繋ぐ。地元所沢の家族的な空気感の中でリラックスした歌唱でありながら、その歌声の向こう側に滲む静寂がChiminさんの音楽を美しく際立たせます。

『水辺にて』はMOJOさんで不定期に開催されるChiminさん企画のツーマンライブで、前回2024年10月のゲストはノラオンナさんでした。

今回招かれたのは mizquiさん。初めて生で聴きました。シングルカッタウェイのエレガットに乗せて、スローブルースからスタートし、レゲエ、フォークロックとバラエティのあるリズムで、こぶしを効かせたブルースから少女のような透明感のあるウィスパー、力強いファルセットと、多彩な声質、豊かな声量、正確なピッチがすみずみまで完璧にコントロールされている。

オリジナル曲の歌詞は性的な隠喩を時折含むが、歌声の技巧の精巧さゆえにさらっと聴かせる技量を持ち、聴き応えがあります。

アンコールでChiminさんとデュエットしたソウルフラワーユニオンの「満月の夕」(山口洋lyrics ver.)も優美で、心の柔らかい部分にじんわりと染み込みました。