2024年10月14日月曜日

画家ボナール ピエールとマルト

10月の夏日。シネスイッチ銀座マルタン・プロボ監督作品『画家ボナール  ピエールとマルト』を観ました。

1893年パリ。26歳の売れない画家ピエール(バンサン・マケーニュ)のアパルトマン、路上でスカウトした造花店員(セシル・ドゥ・フランス)がコルセット姿でポーズをとる。画家の求めに応じて乳房を出すが、しばらくして「じっとしているのに飽きた」と言って勝手に帰ろうとし、引き留めたピエールと身体の関係を持つものの性交の最中に激しい喘息の発作を起こす。

翌日、勤め先の造花の花束を持ってアトリエを訪ね、イタリアの没落貴族の末裔マルト・ド・メリニーと名乗り、両親は死んで身寄りがないと言う。「絵画とは小さな嘘をいくつも重ねて大きな真実を作ることである」。印象派とキュビズムの架け橋となったナビ派の画家ピエール・ボナールと妻マルトの出会いから1942年の死別までの50年間を実名で描いた史実に基づくフィクションです。

1925年に入籍するまで、内縁の夫に30年以上本名を明かさず、上記の自己紹介も嘘、一日の大半を浴槽で過ごした、そしてボナールは入浴する妻を生涯描いた、という伝説的なマルト像は僕にとっては長年の謎でした。映画を観ると、確かに感情的に不安定なところはありますが、家事をしっかりやっているし、友人が訪ねて来れば心からもてなします。入浴も呼吸器疾患の当時の療法のひとつだった。若い金髪の画学生ルネ(ステイシー・マーティン)への嫉妬の苦しみを跳ねのけるように自らも絵筆をとる。案外ちゃんとしているというか、むしろ才能豊かな女性だったんだな、と思いました。

雪の翌朝ナビ派展に向かう黒衣の男たちの俯瞰ショット、郊外の川べりの美しくのどかな風景、脚本も演出も撮影も音楽も瑞々しく小気味よく、芝居は重厚でみな達者。派手さはないですが、これから長く愛好される作品になるのではないでしょうか。

ジヴェルニーからセーヌ川をボートを漕いでボナールとマルトの川べりの家マ・ルロットを訪ねてくる大先輩画家クロード・モネアンドレ・マルコン)がとてつもなくスイートでジェントル。芸術家たちのパトロンでありファム・ファタールであるミシア(アヌーク・グランベール)の印象は『ボレロ 永遠の旋律』とはかなり異なり、オタサーの姫というかサークルクラッシャーというか。その口からこぼれる、画家たちはもちろん、音楽家ラヴェルサティ、象徴派詩人ヴェルレーヌたちとのエピソードを聞くにつれ、前世紀初頭の絢爛たるパリのサロンを覗き見するような楽しさも感じました。

 

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