約20分間、7篇朗読された自作詩のなかでは桃月堂本舗米菓工場の2階にある吹き寄せ製造所通称ひなの巣を舞台にした中盤の4篇が魅力的でした。
「いくつかの資料を重ねて/席を立とうとしたときだった」。実在しない工場の実在しない人たちが朗読によって目の前に立ち上がってくるのは、ディテールの書き込みの解像度が高いから。長々と説明しているわけではない。一発で仕留める力があるのだ。脳内で構築された精妙なミニチュア。細部が明確になれば登場人物はひとりでに動き出す。柔らかな語り口に仄かな不穏さを滲ませて。
後半の掘り下げトークも今日意味深い内容でした。幼い子どもたちが寝る前に即興で紡いだ長大な物語、誰かが何かを上手くやるのを手伝うのが好き、オンラインのオープンマイクのMCを継続しているのは誰よりも自分が楽しいから、もやもやしたときは大量の食玩をデスクに並べる。あられ工場さんの作品と人柄がみんなに愛される理由の一端を掴んだ気がします。
あられ工場さんの「川を渡る仕事」の「冬が終わりかけるころ/戦闘機がよその国でひとを殺す」という一節と現在開催中のパリ五輪にちなんで僕は「虹」を聞いていただきました。
筒渕剛史さんが朗読した二篇の蝉の詩。「木は僕でせみは心」という長谷忠さんの「せみ」が素晴らしかったです。
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